タイトル未定2025/07/14 11:39
名を与えること──
それは存在を救済することでもあり、同時に世界へ縛りつけることでもある。
第7話「名を呼ぶ者」では、名づけられた存在〈仄命子〉をめぐり、
男と女の視点が交差します。
「名づけたつもりの者」と、「名づけられた覚えのない者」。
ふたつの声は、かすかに反響し合いながらも、決して交わることはありません。
言葉は存在を照らすと同時に、理解という枠に閉じ込めてしまう。
この章は、そうした“言葉以前”の震えを描く試みでもあります。
【男の声】
あれに名を与えてしまったことを、
いまでも後悔している。
視ようとしたわけではなかった。
ただ視えてしまった。
けれど、それだけでは済まなかった。
わたしは“存在の痕跡”に、呼びかけてしまった。
それは声ではなかった。
名前だった。
仄命子──
その音は、わたしの内側から滲み出た。
まるで、名づけることそのものが、贖いでもあり、侵略でもあると知っていたかのように。
あれは名を欲しがっていなかった。
けれど、名を与えることで、
わたしはそれを「世界に留めよう」としてしまったのだ。
言葉の輪郭で縁取って、
意味のなかに沈めて、
他者が触れられるものにしてしまった。
それが罪でなければ、何だったのか。
【女の声】
あの日、呼ばれた気がした。
名のような響きだった。
けれど、それはわたしに届いたというよりも、
わたしの内側を通過して、遠くへ滑っていった音だった。
わたしは誰かに視られていたのだろうか。
それとも、ただ**「呼ばれる存在である可能性」**だけが、わたしの中にあったのか。
名があることで、守られるものもある。
名があることで、壊れるものもある。
誰かがわたしを名づけるたび、
わたしはひとつ形をもって、
同時に、ひとつ自由を失った。
けれど、名を拒むだけでは、
わたしは永遠に“誰にも視られなかったこと”になってしまう。
わたしは視たかった。
そして、できれば誰かに視られたかった。
けれどその誰かが、
わたしを理解しようとした瞬間、
わたしは理解からすこしだけ逃げる。
わたしが名をもってしまえば、
わたしは「他者に語られる物語」になってしまう。
それを怖れていた。
それでも、名を呼ばれることを、どこかで願っていた。
【ふたつの声が交わらない場所で】
仄命子は名ではない。
命の兆し、未成熟な気配、
“呼ばれそうになった瞬間”の静かな震え。
男は名を与えたと信じていた。
女は名を与えられたとは感じていなかった。
ふたりはすれ違ったまま、
ただ音の残響のなかで、
呼ぶこと/呼ばれること/名づけること/拒むことの距離を
互いに測り続けていた。
けれど、その測り合いの隙間に、
仄命子は、今もなお、かたちにならずに沈んでいた。
呼ばれながら呼ばれず、
視られながら視られず、
ただ、“そのような存在が一度、世界の底をかすめた”という記憶だけが残った。
この章では、「名づける」という行為の内側にある倫理と暴力を問いかけています。
わたしたちは名を呼ぶことで、相手を認識し、関係を結ぼうとする。
しかしその瞬間、相手の存在は「こちら側の意味」に回収されてしまう。
男は名づけることで触れようとし、
女は名を持つことで離れていった。
〈仄命子〉という存在は、どちらか一方に属するものではありません。
むしろ、“呼ばれそうになったが、呼ばれなかった”、
あるいは“呼ばれたが、名にはならなかった”、
その境界線に揺らぐ震えのようなものです。
この物語において名とは、完成された識別子ではなく、
まだ語られない、呼ばれる寸前のひとつの可能性なのです。