第9話『その力…ヒトかサカナか…』
大隅海峡にダンジョンが見つかって五年。その間に様々な魔物が新発見され、生物学者の何人かは非常識な生態を持つ生き物の存在に発狂した。
それこそ世界中のおとぎ話や神話に出てくる海の化け物……巨大なイカタコウミヘビ、半身が魚みたいになっている馬や牛や猪、悪霊っぽい性質のクラゲなど色々見つかった。
だが人魚は見つかっていない。意思疎通が可能な知的生命体は。オケアノスが隠していなければ、だが。
「はわわ、人魚って居たんだねえ~どんな味なのかなアルトくん」
「混乱しすぎてヤバいこと言ってるぞ」
「蛟人は実在したネ! どんなカネになるかナ⁉」
「混乱しすぎて本性出てるぞ──とりあえず、店の入口、鍵閉めていいか?」
オレもビックリしたんだが、近くにもっと混乱しているやつらがいると落ち着いてしまった。慌てても仕方がない。
余計な騒動が広がったらより面倒なことになりそうだったので、魔寿司本日の営業を終了させた。客とか来ないからいいだろ。
センセイはその間、なにやら考え込む仕草を見せていて、暖簾入れて鍵を閉めたオレが戻ってきたらポツリと呟く。
「ひょっとして……下半身がこうなってる人は珍しいのか?」
「まあ……普通はいないわな」
「正直、私もあんまり足を意識してなかったからこうして見るのも初めてな気がする」
「記憶喪失ってヤバいな。常識がマジでないからそうなるのか」
センセイがパタパタと足? ヒレ? を動かして見せた。
改めてじっくり見ると、人間の部分というかぴっちりスーツで隠れているのは太ももの付け根あたりまで。そこから先は両足が融合して一本になったみたいな太さで、青緑色の鮮やかな鱗が先端まで覆っていてピンク色のヒレがある。ただし魚みたいに湿っていたり、ぬめっていたりしているわけじゃなくて普通に乾いているのでヒレつきヘビの尻尾って感じもする。
そうするとウリンが言った蛟人って表現は合っているのかもしれない。蛟ってのは中国で言うところの龍の一種で、蛟人はドラゴン人間だ。足の代わりに竜の尻尾がついている感じもする。
オレがジロジロ眺めていると、なんか顔を赤くした寿司屋姉妹に両腕を抱えられて引き離された。
「こらァー! 野良犬! 你色鬼! 離れるネ!」
「ちょちょちょっとアルトくん、近いからね! 女の人のお股をジロジロ見ないで!」
「失礼な! 見ろセンセイを! 常識がないからなにも嫌がってないんだぞ! こういうお姉さんは貴重だ!」
「余計駄目ヨ、この变态!」
さすがに女子二人の剣幕にセンセイもなんか見せたら悪かったのか? という顔になっていた。
「よくわからないが……とりあえず椅子に座って話をしよう」
センセイはそういうと、またぐっと腕に力を込めて腰掛けていたスペランクラフトジャケットから床へ飛び降りた。
足が魚なのに⁉ まさかファンタジーパワーで空中をスイスイ泳ぐとか……
ドッドッドッと、尾を『し』の字に曲げて床につけ、ジャンプを繰り返して鈍い音を立てながら移動しカウンターへ近づいていった。寝袋に入ったまま移動する人みたい。
「……人魚ってああやって陸上移動するんだ」
「なんか痛そうネ」
しかし器用に椅子に座ったので、改めて確認や相談をすることにした。
「それで……センセイ自身はなにか思い出すことないのか? 自分の種族はそういえば人魚だった! とか。昆布に引っ付いた卵から生まれた気がするとか。昔はホタテをブラにしていたとか」
「いや……さっぱり。人魚ってなんだ? ってぐらいだ」
「人魚って魔物に分類されるのかなあ」
「姐姐、包丁持ちながら言うの怖いから止めるネ」
ううむ、本人が「私は海底生まれであの遺跡は我ら人魚族の住処だった! 貴様ら人類を殺す!」とか説明してくれれば話が早いんだが。
「現実的に有り得て最悪のパターンも考えられるな……」
「なあに? アルトくん」
「センセイは人魚っぽく手術を受けた、水中探索用新型強化アーマーのパイロットだった可能性だ。ダンジョンの海域で活動していて、万が一強化アーマーが破壊されて脱出した際に水泳能力を高めた改造人間な可能性だ」
「いやそんなエグい改造を……某国ならやるかもネ……」
「あそこ、人権とかねえからなあ」
ダンジョンの資源独占を諦めず、度々軍を送り込む某国。そこならば自国民を改造だってするだろうし、世間に発表していない強化アーマーを開発もするだろう。
しかもついこの前、意気揚々とやってきて船を沈められたばかりだ。
その積み荷として持ってきていた強化アーマーがパイロットごと海に沈められ、ショックで記憶喪失。
しかもセンセイは咄嗟に出た言葉が日本語っぽいから下手したら日本から拉致ってきた犠牲者。
そんな可能性もあるが……
「でもでも、だからってどうしようもなくないかな?」
「まあそりゃそうなんだが」
エリザの楽観的というか、なにも考えてなさそうな意見に頷く。
なんか某国製っぽいからってその独裁国家にセンセイを引き渡す義理なんてないし、証拠もない。オケアノスと某国は仲が悪いのでそれを知ったら自社に新型強化アーマーごと引き込むかもしれない。
センセイ自身も記憶がないのに知らん国の所属とか言われても困るだろう。
「……とりあえずセンセイ」
「ああ」
「足のことは他人に隠すとして、冒険者を頑張る方針のままで行くか。悩んでたって仕方ねえし。別に冒険者登録に身体測定があるわけでもなし、アーマーから上半身出したまま登録受けりゃいいだろ」
「問題がないならばそうする」
「飯食ってパチンコ打って寝る! 男の鍛錬はそれで十分だってどっかのオッサンも言ってたしな。よし、メシにしようぜ」
「センセイは女ですよう」
「どう考えてもクズの発言ネ」
一介の冒険者や寿司屋が解決しなければならない問題じゃないから適当に切り上げることにした。どうしてもヤバいことになりそうだったら日本にでも亡命すればいいだろ。美人の人魚が保護を訴えればお人好しの日本人たちなら悪いようにはしない。アイドルになるかもしれん。
世の中、逃げられないのは暗黒メガコーポの借金ぐらいなもんだ。
「じゃあお寿司握っていくね。センセイ、嫌いなものあります?」
「食べたことがないからな……なんでも出してくれ」
「はい! じゃあまずロケットトビウオの握りと、卵を使った軍艦巻きです!」
「その卵爆発しねえ?」
「下ごしらえしたから大丈夫だよ~」
「下ごしらえしないと爆発すんのか……」
トビウオの握りに乗るネタは単に切った刺身ではなく細切りにした身を編むように組み合わせたもので、軽く酢締めされている。噛みしめると身からダシみたいな味わいがジワーッ出てきてマジで旨い。
トビウオの橙色をした卵を乗せた軍艦巻きは爆発という危険を耳にしていたのに口の中に入れたい衝動を抑えきれないほど旨そうで、食うと味覚が爆発(比喩のほう)しそうだった。激烈に旨い。トビウオごときでこんなに旨くなる⁉
「めっちゃ旨い……これで茶がエスプレッソじゃなかったら……」
「ほらヨ」
口の中に広がる深煎りローストに嘆いていたらウリンが緑茶を出してくれた。
「っていうか普通に茶あんのかよ! なんでエスプレッソ出してんだよ⁉」
「うるさいネ。クレーマー対策ヨ」
「ウリンちゃんがね、アルトくんの意見を取り入れて用意することにしたんだよ」
「ふーん。コンサルト料は八万でいいぞ。振り込んどけ」
「別に意見を取り入れたわけじゃなくて常識ネ」
「危うくセンセイの常識に変な組み合わせを植え付けるところだった……センセイ?」
センセイは寿司を口に入れたポーズのまま(そういえば箸を自然に使えているな)固まっていた。驚愕の表情で。
オレはオーナーシェフにひそひそと話しかける。
「なあひょっとしてあのトビウオ、センセイの幼馴染の魚とかじゃなかったか?」
「え、ええ? 知らないよさすがにそれは……」
「友殺しのエリザ……」
「怖いあだ名つけようとしないで」
そもそも人魚って魚食うんだっけ。気になってスマートウォッチでサッと調べる。
『アイルランドの人魚──人間を食う。特に親が大事にしている子供とかを食べて親が嘆き悲しんでいるのをゲラゲラ笑う。不死身。』
いやなもん見ちまったな……厄介な化け物じゃねえか。
センセイが人肉を狙っていたときはパチ屋の店長を差し出そう。
「おーいセンセイ、大丈夫か?」
オレが声を掛けるとセンセイはハッとして動き出した。
「あまりの感覚に驚いてしまっていた。これが美味という感情か……」
「記憶喪失こわ」
「あいやー、ある意味、食事の経験ゼロな赤ちゃんみたいな味覚の人に美味しく感じさせる姐姐の料理がヤバいネ」
「えへへ、照れちゃうなあ」
まあ確かに。寿司って日本人にとっては馴染み深いし、世界にも広まっているんだが万人向けとは言い難い料理だ。
センセイは先入観とかないから、今の状態だとイモムシ食っても美味しく感じるかもしれないが。カミキリムシの幼虫が旨いらしい。
「人間はこんな美味しいものをいつも食べているのか⁉」
「いつもってわけじゃねえけどな。カネの問題があるから」
「ちなみにアルトくん、昨日はお店に来なかったけどなにを食べました?」
「八万エレクするポテチ」
「パチスロで負けた景品ネ」
センセイはトビッコ軍艦も食べてジーンと感動するように目を瞑った。ちょっと泣いている。
「美味しい……私、こんなものを食べたの初めてだ!」
「記憶の上ではな」
「素晴らしいなエリザさん! 君は最高の料理人か⁉」
「比較対象は他にねえけどな」
「茶々を入れるナ」
ウリンから突っつかれた。まあ旨いのは確かだからいいか。はにかんだように照れているエリザが次々に寿司を握ってきた。
薬草昆布締めコカトリスズキ寿司。
アナゴルゴンの一本握り。
煮ハマグリフォン。
デスカツオのヅケ。
炙りサキュマスのアボカド乗せ。
メガカイギュウ肉寿司。
オレでも食ったことがない魔物ばっかりで、どれもヤバいほど旨かった。ポテチなんかに八万払うぐらいならこの店に使った方が億倍良かったのでは、と後悔も浮かんだ。
センセイも無心にぱくつきながら尾びれを……尾びれでいいのか? 足先のひらひらを振っていた。犬みてえ。
オレでも結構食ったなってぐらいの量を食べてセンセイは突然ピタッと動きを止めた。
「どうした?」
「お、美味しいのに……もっと食べたいのに……これ以上体が食べるのを拒否している……どういうことだアルト! 私は病気か⁉」
「満腹になっただけだろ。記憶喪失しすぎだ」
日常生活に支障がありそうだ。
茶を飲んで腹を休めているとウリンが目ざとく勘定を取りに来たので、今日は懐も温かいから請求額を見ないようにして支払う。キャバーンキャバーン。二人分で、材料も高級な魔物(オレがギルドに納品する額でもかなり高い材料だった)を使っているのだから結構掛かっただろうが、見なければ嫌な気分にならずに済むライフハック。
「とてもよかった! ありがとうアルト、連れてきてくれて」
「どーいたしまして」
「なるほど……冒険者になればこんな料理が食べられるのだな……ますますやる気が出てきたぞ!」
「寿司食うために冒険者になるやつも少ないと思うが……」
「センセイ! いい食材取れたらぜひお店に持ってきてくださいね! 高く買い取りますし、お寿司にしますから!」
「野良犬はお払い箱ネ」
「ケッ。センセイもよく覚えとけよ。なんつったか中国のコトワザ。犬は兎に煮られる的な」
「狡兎死して走狗烹らる、ダロ。それだと単に調理法ネ」
「アルトくんどんな味かなあ」
「時々エリザの発言が怖いんだが」
ウサ耳型の翻訳機をピコピコ動かしながらこっちを見てくるエリザに鳥肌が立った。あのウサ耳、十年後になっても付けるんだろうか。痛くない?
「さて、メシを食う用事は済んだわけだが……センセイどうするよ? カネも宿もねえだろ」
「そうだな……どこかの物陰でスペランクラフトジャケットを着て一晩過ごすかな。一般常識をインターネットで身につける時間も必要だ」
「んじゃオレのイカダ小屋にでも入っておくか? 寝るだけだからなんもねえが」
「いいのか? なら──」
「み゙ゃー!」
適当に話が纏まりかけたら、エリザかウリンか或いは両方から猫の断末魔みてえな声が上がった。
「駄目ですよセンセイ! うら若い女性が男の人の部屋に泊まるなんて!」
「特にその野良犬の住処は最低ネ!」
「失礼なやっちゃな」
「シャワー付いてるカ?」
「ねえけど」
「電気は通ってるの? アルトくん」
「通ってねえ」
「トイレぐらいは……」
「イカダだからな、ダイレクトに海へシャーって。時々魚が寄ってきてラッキー」
「……」
「……」
「……」
「んだよ!」
オレの現在の住居、三岳島のスラム街ことイカダ小屋エリアは「浮いている屋根付きのイカダに寝泊まりするだけ」みたいなところなのでそんなもんだ。
窓もドアもねえから防犯対策もゼロ。だから部屋にモノは置けない。トイレットペーパーだって置いて出かけたら帰ってきたときにはなくなっている。
カネは今日増えたから住居のグレードは上げられるんだが、こんな夜中だと無理だろ。ホテルぐらいは空いているかもしれんが、寝るだけなのにホテル行ってもな。
「センセイはうちに泊まればいいよ~ねえウリンちゃん!」
「家賃は月末払いでいいヨ」
「え⁉ 家賃取るのウリンちゃん!」
「居候より払うもの払った方が気兼ねなく泊まれるネ。違うカ? 老師」
「その通りだ。持ち合わせがないのを考慮してくれて助かる。ウリン嬢は優しいな」
センセイが微笑むとウリンは照れたようなバツが悪いような表情で目を逸らす。単に美人の微笑みに負けたのかもしれない。
「銭ゲバなだけだろ。寿司屋より民宿の方が儲かるんじゃね」
「你别多嘴──口を出すナ!」
「へいへい。じゃあセンセイ、明日の朝に顔出すから、その後ギルドで冒険者登録しに行くか」
「朝とは……?」
「記憶喪失しすぎだろ! 今晩のうちに一般常識叩き込んどけよ二人とも!」
「はあい。センセイ一緒にDOOMやろ!」
「DOOMで学ばせるなよ!」
若干心配になったが、センセイがネットとか使ってちゃんと学んでくれることを祈る。
完全に全部忘れているわけではなく、虫食いのように常識がすっぽ抜けているから怖いところあるが。
店を出て夜の道を歩きながら呟く。
「それにしても人魚ねえ。前に打った『ハイパー海物語INカリブ』ではなぜかマリンちゃんが人魚になってたんだよな。まさかセンセイはマリンちゃん……」
なんか当たりそうな気分になってきた。
「よし、今日はマグロスじゃなくて『南シナ海物語IN南沙諸島』(ベトナムの海物語)にしとくか。ベトナムのマリンちゃんが勝たせてくれるはずだ! 行くぜ!」
気分良くパチ屋へ入る。常連たるオレが堂々とレート千倍の台に座ると、すかさずコーヒーレディの姉ちゃんがサービスを持ってくる。オレぐらい顔が知れていると注文しなくてもこうだ。
さあて、死にそうな目にあったんだから今日は運勢の揺り返しでツイてるはず!
勝負!
「クソがああ釘調整してんだろおおおもおおお‼」
朝日が昇る中、オレはパチ屋の前にある電柱を蹴りたくっていた。




