決断
心を病んだ私を訪ねた親友の真美は、その日、付きっきりで私の話を聞いたり、私の部屋の片づけを手伝ってくれた。
さらに、夕飯まで作ってくれた。
まさに、至れり尽くせり。
二人でテーブルを囲んで、真美が丁寧に作ってくれた麻婆豆腐を食べた。
「真美……明日は木曜日だよ?大学とか、バイトあるんじゃないの?こんな時間まで、私の家にいて大丈夫?」
壁掛けの時計は、午前1時を示している。
真美は、私と同じ地元の静岡を離れて、名古屋にある大学に通っている。
電車で帰るにしても、新幹線で帰るにしても、東京から戻るとなると、時間がかかるのではないか。
「こんな状態の麗羽ちゃんを置いて帰れるわけないでしょ!ウチの大学とかバイトなんかより、麗羽ちゃんの心の安定のほうが、よっぽど大事だよ!」
真美は、目をカッと見開いて、そう訴えた。
私はまた、泣いてしまった。
「ごめん……こんな私のために……」
「いいんだよ。困ったときは、お互い様だから」
「ねぇ真美ちゃん、ぎゅーして」
「いいよぉ、せっかく来たんだから、たくさん甘えなさい!」
急に寂しくなったので、真美にハグを求めた。
彼女は食事中にも関わらず、私に寄って、強く抱きしめてくれた。
真美の心臓の音を聞いていると、心が落ち着いた。
「ありがとう、真美ちゃん」
「かわいいね、麗羽。いっぱい食べな」
真美は、私の頬を両手で撫でてくれた。
私は再び麻婆豆腐を食べ始めた。
けれど、食欲がなくて、あまり食べられなかった。
「ご馳走様でした。あんまり食欲ない……」
「でも、よかった。ちょっとでも食べてくれて」
「作ってくれてありがとう。すごく美味しかったよ。私のために、辛めに作ってくれたんだよね」
「よく気が付いたね。麗羽、辛いの好きだから、豆板醤を多めにいてておいたんだ~」
真美はエプロンの紐をほどいて、テレビを見ながらくつろぎ始めた。
お笑い芸人のボケを見て「はっははは!」と、声を上げて笑う。
「え、真美ちゃん、本当に泊っていくつもりなの?」
「うん。一日と言わず、麗羽の気持ちが回復するまで、ずっと一緒に居てあげるつもり」
「え、え……ダメだよ。真美だって、大学とバイトがあって……真実には、新しくできた友達もいるんでしょ……その人との時間を大事にしてよ」
思い出される、真美のSNSにアップされていた写真。
二人並んでピースサインする写真だ。確か、友達の名前は【リオン】だったか。
旧友の私なんかより、リオンという新しい友達との関係のほうが、よっぽど大切なんじゃ……
「友達って、あんたも入るんだよ、麗羽」
「え、私?」
「あったり前じゃん!ウチと麗羽は、ズッ友だって!」
真美の綺麗なブラウンの色の瞳が、私を貫いた。
「麗羽は、ウチの大切な友達のうちの一人。ウチの大切な人のうちの一人でもある!」
「私が……大切な人?私って、そんなに価値ある人間なの……?」
「もちろん!ウチにとって、かけがえのない友達だから!」
「真実ちゃんんんん……」
また涙が溢れてきた。
涙腺が崩壊して、止めどなく流れる涙が床に落ちて、小さな灰色の池を作った。
真美から「これ使いな」と、手渡されたタオルを目元に当てる。
「私、頑張ってみるよ。大学とバイト。明日からでも……」
「無理しちゃダメだよ」
「うん。無理しない程度に頑張ってみる」
「またツラくなったら、電話かメッセージちょうだいね。ウチが、すぐ駆けつけるから」
真美は、また、私に笑みを向けた。
「さ、もう夜遅いし、早く寝よう。睡眠は、気持ちを整理したり、リセットしたりするのに最適なんだから」
「え、ちょっと……」
真美は、ベットに横になった私の隣に寝転んだ。
そして、私の体を腕で引き寄せ、包み込んだ。
真美の体は、私よりも大きく、私よりも温かい。
「気にすんなって。ずっと一緒にいてあげるから」
「……っ」
最初は恥ずかしかった。
だって、真美と一緒に……しかも、隣合って寝るなんて、初めてのことだったから。
けれど、真美の腕に抱かれて、真美の心臓の音を聞いていると、自然と心が落ち着いた。
「安心して寝な、麗羽」
真美の優しい囁きに誘われるように、心地よい眠気が訪れる。
私は、ゆっくり瞳を閉ざした。
「おやすみ、真美ちゃん……大好きだよ」
「おやすみ~麗羽」
私は真美の腕の中、眠りに落ちた。
こんなに心地よく眠れたのは、ほんとうに久しぶりだった。
♦♢♦
翌日の昼には、真美にマンションを去ってもらった。
やっぱり、真美の生活も大切にしてもらいたい。
私は、大学にも、バイトにも行けなかった。
外出する準備をしようとすると、涙が出てくるのだ。
結局、大学やバイト以前に、コンビニに出かけることもできなかった。
「どうして、こんなにうまくいかないのかな……?」
そう言いながら、再びベットに倒れ込む。
「なんで、私って、こんなダメな人間なのかな……」
窓の外を見ると、スーツを着た人々が道路を行き交う姿が見える。今は、ちょうど12時なので、そろそろお昼時かな……
その光景をシャットアウトするために、私はカーテンを閉めた。
みんな、仕事と家庭、仕事と趣味、大学とバイトなど……上手に両立して、楽しそうに生きている。
真実だって、バイトも大学も上手に両立して、大学生活を謳歌している。
他方、私は、たった一つのバイトのミスで落ち込んで、すべてを投げ出して、マンションの一室で死にかけていたところを親友に助けられた。
私だけが、どうしてこんなに生きることに苦戦しているのだろう。
私だけが、どうして人生を存分に楽しめていないのだろう。
私だけが、どうして不幸続きなのだろう。
おかしくなった母には叩かれ、怒鳴られ、引っ越してきた今も、母の支配の手に縛られている気がする。
初恋の人は、私じゃない人と結ばれた。
大学では友達を作れなかった。
バイトで失敗して心が折れた。
生きることさえ放棄して、家をゴミ屋敷にして、真美のことを心配させてしまった。
「んんんっ……」
そうやって、また過去の痛い記憶が蘇ってきて、体が動かなくなる。
そんなとき、本棚に置いてあった、とある本が目に入る。
「人間失格……」
有名な文豪、太宰治の名著だった。
これは、「持っていきなさい」と、引っ越しの際に、母から持たされたものだ。小説には、あまり興味がないので、読んだことはない。
その【人間失格】という題名が、まるで自分に向けられた言葉のように思えた。
そして私は、中学生の頃から書いていた日記帳を久しぶりに開いて、こう書き残した。
この日記を読んでいる人へ。
赤城 麗羽です。都内の大学に通って……いました。
大学2年生です。
この日記をあなたが読んでいるということは、私は、この世にはいません。
死にたいです。
今は、そんな気持ちで、心がいっぱいです。
いや、死ぬのは恐いし苦しいから嫌ですけれど、死にたいぐらいに、生きることが嫌になりました。
誰か、
誰か、私を助けてください。
昨日も、今日も泣きました。
明日も、一人、ベットの上で寝っ転がって泣くと思います。
つらいです。
日記を書き終える。
「死ぬか」
私は、そうつぶやいた。
死んだら、過去の痛みも、今の悩みも、将来の不安も忘れて、考えなくて済む。
じゃあ、死に得だ。
私は、そう思い立ったのだ。
「なんか、元気出てきた……!」
死んだら、悩む必要はなくなる。
そう考えたら、なぜだか、元気が湧いた。
「よし、私は、この後死ぬ!だから、それまでの間、楽しく生きよう!好きなことしよう!」
――私は、一か月後、死ぬと決めた。
それまでの期間は、人生の中で一番楽しかった。
「ごめんね、真美ちゃん……私、もう無理」




