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奪われた……いや、見逃した恋

 毎日が憂鬱だった。溜息を何回したか、もう覚えていない。


 親友の真美とも、気になっていた栄飛えいととも、同じクラスになれなかったからだ。


 でも、私は高校に通い続け、バイトにも励むことができた。


 それは、真美以外にも友達がいたから成しえたことだ。


 真美以外の友達がいなかったら、私は耐えかねて、首を括っていたかもしれないと、本気でそう思った。


「xに代入する数字は、いくつですか……赤城さん」


 授業中、数学の時間、先生に指名される。


「-3です」


「そうです。正解です」


 私は、授業をしっかり聞いてノートを取っていたので、難なく答えた。


 けれど、数学の授業に集中する心の片隅では、いつも、栄飛えいとのことを考えていた。


(やっぱり、あのとき、週末に一緒に遊ぼうって、誘えばよかったなぁ……今からでも遅くないかな……いや、もう別のクラスの別のグループと仲良くなってるかな……?今さら話しかけたら、申し訳ないかな?いや、でも、あのとき、栄飛えいとは、いつでも話しかけてって言ってたよね)


 私の心の奥底で、栄飛えいとに対する焦れったい感情がくすぶっていた。


 やっぱり、私は栄飛えいとのことが【気になっている】。


 けれど、やはり、行動には移せなかった。


 恋の相談ができる真美は、別クラスのため、顔を合わせて相談する機会は減った。


 2年A組の教室という【監獄】で、嫌いな勉強に勤しむ……


 そんな憂鬱が続く日々の中、私の心は、ある日突然、打ち砕かれた。




♦♢♦




 その日は、バケツをひっくり返したような雨が降る日だった。


 夕方になって、多少はマシになったが、傘無しだとずぶ濡れになってしまう雨量。


「はい、では、今日はこれで終わりですね。また明日、お会いしましょう」


 担任のおじいちゃん先生が、放課後の訪れを告げる。


 私は、クラスメイトたちに「ばいばーい、またねー」と挨拶して、帰宅するために、高校の駐輪場へ向かった。


「はぁ……カッパ着るのダルいなぁ……」


 廊下を一人で歩く。


 窓をパチパチと打つ雨粒が憂鬱を助長する。


 雨がっぱを着ると、カッパの内側が蒸れるし、雨で靴下がびしょびしょになるので、登下校に自転車を使う私にとって、特に嫌いな天候だ。


 私は、仕方なく、昇降口で雨がっぱを着ていた。


 そのとき、昇降口前を人影が通り過ぎた。


 二人分の人影だ。


 その人影の正体は、男女のペアだ。


 同じ傘の下、仲睦まじい様子で、会話を楽しんでいる。


「けっこう降ってるね」


「ほんと、ありがとう。マジで助かるー!明日からは、ちゃんと折りたたみ傘持ってくるようにする!」


「いえいえ。困ったときは、お互い様ということで」


「ま、この雨のお陰で栄飛えいとと相合傘できたし、いっか」


 一人は、名前は知らない女子。


 もう一人は……


栄飛えいと……!?」


 彼の顔が、チラッと見えてしまった。


 彼は、一緒にいる金髪ポニーテールの女子生徒と相合い傘をしていた。


「ハハハッ」という、栄飛えいとの笑い声も聞こえてきた。


 栄飛えいとは、同じ傘に入る女子生徒と話していて、心底楽しそうだった。


「今週末さ、友達とカラオケ行くんだよね。栄飛えいとも、一緒にどう?」


「ええー、カラオケかあ……歌には自信ないけど……」


「歌ウマじゃないくても大丈夫だって!行ったら、きっと楽しめるって!」


「それじゃあ……せっかく誘ってもらったから、お邪魔させてもらおうかな」


「金曜の放課後、駅前のカラオケ屋ね」


「東口から出たところの、喫茶店の前の、あそこのカラオケ屋さん?」


「そうそう、そこ!」


 彼らが校門を出るときに、そんな会話が聞こえてきた。


 かつて、親友の真美が言っていた言葉を思い出した。


【ウチの感覚だけど、恋愛って、スピードと思い切りが大事だと思う。早くしないと、自分が好きな相手を誰かに取られちゃうかもしれないから】


 一連の光景を目の当たりにした私の体は、石像のように固まってしまった。


「おーい、どした、麗羽れいは?」


 硬直した私の背中を叩いたのは、真美だった。


 彼女は、A組である私とは異なる、C組の下駄箱から来た。


 2年生になって、別のクラスになってしまったからだ。


「あ、いや、何でもないよ。雨だから、自転車で帰るのダルいなーって思ってただけ」


「ねー。自転車通学だと、雨は大変だよねー。健闘を祈る!」


 真美は、「じゃあねー」と、ひと時の別れの挨拶をする。


 そして、後から来た友達をゾロゾロ引き連れて、帰宅の途に就いた。


 私は、自分の涙と雨が入り混じった水を浴びながら、ただ一人、自転車を漕ぎだした。




♦♢♦




 私は、自転車を漕ぐ。


 雨がっぱに、大粒の雨がバチバチと打ち付ける。


 背中は、汗でびっしょりだった。


 忘れようと思っても、ゾンビのように蘇ってくる嫌な記憶……栄飛えいとが、陽キャっぽい女子生徒と相合傘をして、楽しそうに会話しながら帰ってゆく、その光景の鮮烈なる記憶だ。


 しかも、今週末には、一緒にカラオケに行くらしい。


「私も……私も、栄飛えいととカラオケ行きたかった!私も、栄飛えいととキラキラした青春っぽいことしたかった!」


 悲痛に叫ぶ私の声も、雨音にかき消されてしまう。


 一年生のあの時――栄飛えいとと一緒に昼食を食べたあの時とか、体育祭で同じ種目に出場したあの時とか、グループワークをしたあの時とか……


 私が勇気を出して、栄飛えいととの心の距離を縮めて親しくなっていたら、栄飛えいとがさしていたあの傘の下に一緒に居たのは、私だったかもしれない……


 栄飛えいとと相合傘をして、和気あいあいと談笑しながら一緒に帰ることができたかもしれない……


 カラオケで週末の時間を共有するのは、私だったかもしれない。


 そう考えると、涙が止まらなかった。


 手が震えて、まっすぐに走行することもできなかった。


「もう、嫌だ……」


 あの金髪ポニーテールの女子生徒に対しての怒りが湧いた。


 私のほうが先に、栄飛えいとに興味を持っていたはずなのに……!


 けれど、冷静になって考えたら、栄飛えいととの心の距離を縮めなかったのは、自分だ、私だ、【赤城 麗羽れいは】だ。


 あの女の子も、栄飛えいとも、悪くはない。


 全部、勇気を出して行動しなかった私が悪いのだ。


「私が……私が、悪かったんだ……」


 自転車を路肩に止めて、海を見渡す。


 白い波が岸壁に打ち付けて、ざわざわと騒いでいる。


 私はそのとき、「もういいや」と呟いた。


 本気で、死んでいいかなと思った。


 けれど、生きる希望がすべて潰えたわけではない。


「ヨッちゃん、ジュリちゃん、兄さん……真美ちゃん……栄飛えいとくん……」


 今のクラスには、新しい友達だっている。


 別クラスだけれど、メッセージでやり取りし続けている親友の真美もいる。


 大学に行ったら、人生の何かが変わるかもしれない。


 時間が、この鬱屈うっくつとした気持ちと環境を解決してくれるかもしれないという、淡い希望を抱いた。


「死にたいぐらいに、心がツラい……でも、本当は、死にたいわけじゃないから。大丈夫、生きてたら、きっと良いこと、あるよね……?」


 生きていたら、真美のような親友が新たにできるかもしれない。


 生きていたら、真美と話せるし、メッセージや電話でやり取りができる。


 生きていたら、栄飛えいとよりも素敵な人に出会えるかもしれない。


 生きていたら、大好きなゲームができる。


 それらの理由が、私【赤城 麗羽れいは】という人間をこの世に引き留めてくれた。


「帰るか……」


 勢いよく自転車に飛び乗り、それを漕ぎだした。


 私は、雨でびしょ濡れになりながら帰宅した。

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