赤城麗羽
俺は、麗羽の兄である【輝樹】さんの住まう家のリビングに通された。
俺の眼球の裏側には、既に、熱い涙が溜まっていた。
「こちらで、少々お待ちください。妹の……麗羽の、アルバムと日記を持ってきます」
輝樹さんは、一旦、席を外した。
俺は、用意してもらった冷たい麦茶を飲んで待った。
しばらくすると、写真アルバムと日記帳を抱えた輝樹さんが戻ってきた。
「麗羽は、先ほども申し上げた通り、自殺しました」
「……はい」
俺は、流れ出そうな涙を瞳の裏側に隠した。
悲しむのは、後でいくらでもできる。
今は、麗羽を知るために、輝樹さんの話に耳を傾けるべきだ。
「この日記は、全部、麗羽が遺したものです」
テーブルの上に置かれた日記帳は、全部で6冊。
どうやら、麗羽が中学三年生の頃から、毎年一冊ずつ書いていたものらしい。
「……」
最初に手渡された日記帳のページをパラパラとめくり、眺める。
『今日は、ズっ友の真美ちゃんとゲームした。楽しかったぜ』
『水曜日の3限、英語の単語テストあり(22p、23p)頑張れ、私!』
『週末にお菓子作りしたい→ホットケーキミックス買っておく』
俺は日記帳を通して、麗羽の知られざる日常を垣間見た。
日々の感情や出来事だけでなく、今後の予定や、やるべきことまで書かれている。
麗羽のマメな性格と、彼女が過ごした過去の景色を知るには十分な資料だった。
「麗羽は、日記帳をつけるぐらいマメで、外向的な性格の妹でした」
輝樹さんが語る。
「どうでした、東京で暮らす麗羽の様子は?」
尋ねられた。
俺は、麗羽と過ごした日々を思い返して、それを伝えた。
「輝樹さんの仰った通りです。麗羽さんは、明るくて、こんな内気な俺にも気軽に、優しく話しかけてくれました。一緒にゲームをしました、水族館にも行きました。麗羽さんはいつも、笑っていました」
「そうですか。まあ、予想通りというか……ぼくの印象でも、妹は、いつも明るくおしゃべりで、友達が多いヤツという感じです。ぼくたち家族とも良好な関係を築いていました――高校に入学する頃までは」
「高校に入学する頃までは……その時期に、何かあったんですか?」
「父が、ある日突然、家に帰ってこなくなりました。その日から今日まで、ぼくと麗羽は、父に会っていません」
輝樹さんの声のトーンが落ちる。
輝樹さんの語りと、麗羽が遺した日記帳と写真アルバムを通して、麗羽の足跡を追った。
♦♢♦
一番新しい日記の最後のページには、このように書かれていた。
この日記を読んでいる人へ。
赤城 麗羽です。都内の大学に通って……いました。
大学2年生です。
この日記をあなたが読んでいるということは、私は、この世にはいません。
死にたいです。
今は、そんな気持ちで、心がいっぱいです。
いや、死ぬのは恐いし苦しいから嫌ですけれど、死にたいぐらいに、生きることが嫌になりました。
誰か、
誰か、私を助けてください。
昨日も、今日も泣きました。
明日も、一人、ベットの上で寝っ転がって泣くと思います。
つらいです。
♦♢♦
赤城 麗羽。
麗しい羽のように、心身ともに清く美しい人になりますように……という母の願いが込められた名前だ。
私は、そんな素敵な母の願いがこめられた自分の名前が好きだった。
中学生の頃の私は、せっせと勉強に励んでいた。
母には、口酸っぱく、こう言われていた。
「結婚か勉強ができないと、人生詰む」と。
私が勉強を過度にサボっていたり、友達と夜遅くまで遊んだり、メールしていたりすると、キツく叱られる。
だから、勉強は、それなりに頑張っていた。
でも、いよいよ高校進学が目前に迫ったある日……
父が突然、帰ってこなくなった。
母のスマホには、父からただ一言「別れよう」と。
父は、母の返事を待つことなく、私たちを捨てて、どこかへ行ってしまった……
母は「わたしたちを捨てたゴミ以下の男」「今頃、都内の会社に再就職して、別の女と暮らしている」「ゴミ、死ね死ね」と、叫んで、兄の輝樹を殴ったり、兄の机を倒したり、私の部屋の本棚を倒したりして暴れた。
今日も、母は私の部屋で暴れた。
これで3日連続。
勘弁してほしい。
私だって、今後の家のこととか、将来のことが不安で苦しいのに、自分だけ感情を剥き出しにして暴れて、迷惑かけないでほしい。
「お母さん、やめて」
私がそう言うと、ようやく母は落ち着いてくれた。
部屋には、私の本や教科書が散乱している。
「……」
「お母さん、大丈夫?」
「大丈夫なわけ、ないでしょう!」
母は、怒った声でそう言った。
「お父さんがいなかったら、あなたたち子どもの食費とか、学費とか、どうやって払えばいいのよ……私の今のパートの時給だけじゃ、とても賄い切れない……」
「私、高校生になったら、バイト頑張るよ……」
「そんなの当たり前でしょ!それでも足りないだろうから、不安なのよ!!」
私は、怒れる母から頬を平手打ちされた。
舌を噛んだ。
血の味がした。
母から叩かれるのは、これが初めてだった。
「……っ」
「死ぬ気で頑張りなさいよ。そうしなきゃ、わたしも、あんたも、輝樹も飢えて死ぬことになる」
「分かった」
母は、私の部屋を出て行った。
私は、暗い部屋で、散らかった本を一人で片付けた。
「っ……」
大好きなラブコメ漫画の表紙に、自分の涙が落ちた。
私は、必死に働く母のお陰で、高校に通うことができた。
お父さんは、帰ってこなかった。




