すみだ水族館
薄暗い水族館内には、照明の光が躍る。
展示されている魚との相性が良くて、アート空間の様相を呈していた。
週末なので、かなり混んでいる。
「あ、ペンギンだ」
麗羽は、ペンギンの展示スペースを見つけて、子どもみたいに走り出した。
俺も、麗羽に付いて行く。
「この子たちはね、マゼランペンギンって言って、南アメリカの太平洋側のね、比較的あったかい地域に生息しているペンギンなの。確かね、寿命は10年ぐらい。飼育されている子だと、もうちょっと伸びるのかな。このペンギンの子どもは、茶色っぽくて、モフモフしててかわいいんだよ~」
マゼランペンギンに関して饒舌に話す麗羽。
彼女は、岩の上で歩き回っている彼らをじーっと見つめている。
「やけにペンギンに詳しいね」
「私の小学生の頃の夢はね、水族館で働くことだったの。初めて家族で水族館に行ったことがキッカケだったかな」
「へぇ、そうだったんだ。良い夢だね」
「学校から帰ってきたら、友達と遊んで、ゲームやって、動物の図鑑を読み漁ってたぐらい、生き物が好きだったよ」
将来の夢が水族館勤務なら、ペンギンに関して詳しいのも納得。
水族館で働く麗羽か……
うん、ぴったりである。
かわいいペンギンに魚を与えるかわいい麗羽……そんな光景が思い浮かんだ。
「でもね、中学生になって数学で躓いて、諦めた」
麗羽は、ちょっとしょんぼりした。
興味はあったのに、不向きな学問に行く手を阻まれるとは、残酷な話だ。
「あ、そんな悲しい過去が……でも、水族館の事務とかなら、理系知識がなくてもできたんじゃない?」
「中学生のときの私は、そこまで考える頭がなかったんだよぉぉ」
麗羽は、泣き顔をした。
けれど、ペンギンが優雅に泳ぐ姿を見ることができて、嬉しそうだった。
「利亜夢が小学生のときの将来の夢って、何だった?」
「宇宙物理学者とか、天文学者とか、とにかく、宇宙の研究に関わる職業に就くことだったな」
「ゴリゴリの理系じゃん」
「だって、ブラックホールの中はどうなってるのとか、宇宙の始まり方は、とか、気になるじゃん。それを自分の研究で解明できたら、楽しそうじゃん?」
「そ、そうかな……私は、あんまり、宇宙に関しては興味が湧かなかったな」
「でも、中学生のときに数学と理科で躓いて、そこから文系街道まっしぐら……で、文系大学生になって、今に至ると」
「私と同じパターンかぁ」
こんな感じに、麗羽との会話は、途切れることを知らなかった。
話題から話題が生まれて、麗羽とはずっと喋っていた。
その後は、魚の鑑賞を楽しむというよりは、水族館の落ち着いた雰囲気を楽しんでいた。
大きな水槽の前に設置されている椅子に腰かけて、ただボーッと魚を眺める。
「今更だけど、そういえば、私って、死んでたんだ……」
大水槽を悠々と泳ぐ魚、観光客、そして俺……皆、生きとし生けるものだった。
ただ一人、麗羽だけが、幽霊――つまり、死者であった。
「なあ、麗羽」
「ん?」
「麗羽が、ある日突然、消えたり、昇天したりしないよな……?」
「……」
「そこは否定してくれ……俺、麗羽が消えたりしたら、立ち直れる気がしないって」
麗羽のいない生活が、想像できなかった。
もしかしたら、麗羽のことを追いかけて、崖から身を投げるかもしれない。
「分からない。このまま、永遠に幽霊として過ごすのか、ある日突然、消えたりするのかは、私にも分からないよ」
麗羽は、涙を瞳の裏側に隠していた。
目尻を流れたそれが、照明の光に照らされて、光る宝石のように見えた。
「だから、いつ消えてもいいように、毎日、大切に、大切に、全力で楽しもうよ。私も、そうしたい」
「俺も、そうしたいって思う」
「……」
「……」
久しぶりの気まずい沈黙。
すると、麗羽の表情が、パッと明るくなった。
「はいっ!!もう暗い話はおしまい!せっかくの雰囲気が台無しになっちゃうから。お土産、買いに行こう!」
「そうするか」
俺は、麗羽と席を立って、水族館内のお土産屋さんに向かった。
麗羽は、ペンギンのぬいぐるみを。
俺は、クラゲのストラップと、母と父のためにお菓子を買った。
♦
雨はやんでいた。
周囲は、すっかり暗くなっていて、夜景が美しい時間帯だ。
「えへへ、かわいいね」
水族館を出た麗羽は、ペンギンのぬいぐるみを胸に抱いている。
そのぬいぐるみに頬をすりすりする麗羽……かわいい。
できることなら、この愛らしい光景を写真に収めたかった。
けれど、彼女は幽霊。
残念ながら、写真には写らないのだ。
「ペンギンも麗羽も、かわいいよ」
「わあ、ペンギンと利亜夢に囲まれて、幸せだ~」
俺は、麗羽をぬいぐるみごと抱いた。
そんな恰好で、けっこう長くぎゅーしていた。
イタいカップルの仕草だが、周囲の人々の目に映っているのは、俺だけだ。
何もない空間を抱く変な男だと思われているだろうが、それでもかわまない。
今は、麗羽とイチャイチャできれば、それでいいのだッ!!
「もう離してよ、苦しいよ」
「……嫌だ。もっと麗羽の匂いを嗅ぎたい」
「ねぇー離してよ。スカイツリーのぼるんでしょ?」
麗羽は、手をパタパタさせて抵抗する。
けれど、麗羽のことをもっともっと……さらに長く、強く抱きしめたい衝動に駆られる。
「んん、痛い、痛い」
麗羽が痛がったところで、俺は腕を離した。
「どうしたの利亜夢?この寒さでおかしくなっちゃった?」
「どうしてか分からないけど、かわいい麗羽のことをちょっとだけ、痛めつけたくなった……ごめん。傷つけるつもりじゃなかった」
「キュートアグレッションかもね」
「なに、それ」
「かわいいものを見た時に、ボコボコにしたいとか、ぐちゃぐちゃにしたいと思う感情のことだよ。心理学の先生が雑談で話してた」
「へぇ、人間には、そんな心理があるんだ」
「私は大学生のとき、社会心理学とか、子ども心理学の講義取ってたよ。私が通ってた大学は、学部がたくさんあったから、いろんな授業が取れたなー……まあ、大学は、途中から行かなくなっちゃったけど」
大学で心理学を履修していたという麗羽。
まさか、これまでの麗羽の奇行……急に家に上がり込んできたり、同じベットに潜り込んできたり、バレンタインチョコの髪の毛混入も、全部、心理学に基づいた麗羽の計画通りだったのか!?
真実は、麗羽のみぞ知る。
「さて、そろそろ行こうか」
俺と麗羽は、手を繋いで水族館を離れた。
ありがとうございました、すみだ水族館さん。麗羽との、大切な思い出になりました。
「カイロいる?まだあるけど」
「大丈夫。利亜夢とハグして、あったまったから」
「そっか。じゃあ、スカイツリーのぼるか」
「ん、行こう」
指と指を絡める【恋人繋ぎ】をして、俺と麗羽は、いよいよ本命のスカイツリーへ。




