幽霊だって体調を崩す
その日は、朝からしんしんと雪が降る日だった。
ベットから起き上がるのが億劫になるほど、部屋は冷え切っていた。
「ああ~麗羽、おはよう」
俺は、寝起きの低い声をしていた。
ベットから起き上がる。
そして、床で蹲る麗羽の姿を見つけた。
「ど、どうした、麗羽?」
麗羽は、「うぅ……」と呻き声をあげている。
クッションを枕にして横になり、お腹のあたりを抱えて、苦しそうだった。
「朝から気持ち悪いし、お腹痛いしで、最悪……厄日だぁぁ」
麗羽が床をゴロゴロと転がる。
「今日のは特に辛い……ぐぬぬ、幽霊になったとしても、女としての呪縛からは逃れられないということかぁぁ」
「……」
俺は、麗羽のその一言で察する。
――幽霊でも、生理ってあるんだ……
けれど、俺はそういった知識に疎い。
俺にできることはあるだろうか。
「体を冷やさないようにしな。ほい」
「ん、ありがと。助かる」
俺は、麗羽にブランケットをかけてあげた。
麗羽は、そのブランケットに全身くるまって、ミノムシみたいになった。
「何か欲しいものがあるなら、買ってくるよ。遠慮なく言って」
「利亜夢に頼り切りなのは、申し訳ないな……」
麗羽は、申し訳なさげに言った。
「洗い物とか、洗濯とかやってもらってるし、この前は、誕生日プレゼントまでもらったし。たまにはお返しするよ」
口では、普段の麗羽へのお礼と言いつつ、心では麗羽のことが心配だった。
俺にできることがあれば、手伝ってあげたい。
「私ばっかり、良い思いしてる気がする。私の唯一の話し相手になってもらったし、私が使うお金は全部、利亜夢のバイト代だし……恩返ししようとしても、し切れないよ」
「だから、恩とか、そんなの気にしなくていいって。困ったときはお互い様だろ?」
持ちつ持たれつの関係、ということ。
「俺たち【恋人同士】なんじゃなかったのか?」
「うん……」
「体調悪いときぐらい、頼ってくれていいんだよ」
麗羽は、俺の小指を握った。
「?」
「温かいミルクティー飲みたい」
「おっけー、買ってくる」
「ありがと……うっ……ごほっ!」
麗羽は、痰が絡む咳をした。
さらに、息苦しそうに胸を上下させる。
「え、麗羽、どうした?」
「ヤバ……吐きそう……」
「えっ、え……ちょっと待って、もうちょっと我慢して!」
麗羽の顔色が急激に悪くなる。
俺は慌てて、折り畳み傘を入れていたビニール袋を持って、それを麗羽の口元に運んであげた。
「……っ」
麗羽は、盛大に嘔吐した。
ビニール袋が間に合って良かった……
「れ、麗羽、大丈夫?かなり辛そうだけど」
「大丈夫……じゃない」
「今、口をゆすぐ用の水と、消毒スプレー持ってくるから、ちょっと待ってて」
急ぎ足で階段を駆け下り、コップに水を注いで、消毒スプレーと追加のビニール袋を用意する。
「あら、どうしたの、利亜夢?」
リビングで家計簿をつけていた母に尋ねられる。
しかし、細かく説明している時間さえ惜しい。麗羽が苦しんでいるのだから。
「部屋の掃除をしてるんだよ」
「へー、えらいね」
「たまには掃除しないとね」
「窓開けておきなよ」
「りょーかい」
母は納得してくれた。
俺は、階段を駆け上がり、麗羽のもとへ。
「はい、水ね。これで口をゆすぎな」
「ごめん……こんな私のために」
「いいよ。気にしないで」
麗羽に水の入ったコップを渡して、彼女の周辺に消毒スプレーをふりかけ、汚物を片付けた。水は、ビニール袋に吐き出してもらう。
母に言われた通り、窓を開けて通気性を高めておく。
気分の優れない麗羽には、とりあえず炭酸水を飲んでもらって、すっきりしてもらう。
ビニール袋の処理を終えて、周囲の消毒を済ませる。
てきぱきと動き回る俺に、麗羽は申し訳なさげに言う。
「ほんとにごめんね……マジで、ごめん」
麗羽の目尻から、唐突に涙が流れ落ちた。
「あ……」
慌てて、袖で目元を拭う麗羽。
しかし、涙は止めどなく流れる。
彼女は、床に座る俺の胸に顔を埋めた。
「ごめん、メンタル壊れた……」
俺の寝間着用の高校のジャージの胸元が、麗羽の涙で濡れた。
麗羽は、涙で震える声で語り出す。
「ああ、なんか……なんかね、利亜夢に優しくしてもらったりして、私自身情けなく思ってね……悲しくて、嬉しくて、どっちがどっちか分からなくなってね……」
「お、落ち着いて。ゆっくり話してごらん」
麗羽は、叱られた子どもみたいにぐすぐす泣いていた。
俺の胸にしがみついて、手を離そうとしない。
こんなに精神が不安定な麗羽は、見たことがない。
心配だ。
けれど、泣いている麗羽が可愛くて、愛おしくてたまらない。
心配と胸キュンという、相容れない二つの感情の葛藤を味わった。
「……私のそばに居て」
麗羽は、俺を強く抱きしめた。
なんだか、今日のカノジョは甘えたがりだ……
かわいいけれど。
大好きな彼女のお願いとあらば、素直に聞く。
「はいよ」
俺は、ベットで横になった麗羽の隣に座った。
「利亜夢が近くに居てくれると、安心する」
「なら、麗羽が満足するまでずっと、そばに居るよ」
麗羽は、安心してくれたらしい。
しばらくすると、彼女の「すー、すー」という寝息が聞こえてきた。
彼女の寝顔があまりに可愛らしかったので、じっと見つめてしまう。
真っ白でモチモチ、すべすべとした感触の肌。見つめているだけで吸い込まれてしまいそうな美しさ。
まつ毛は長く、黒い髪は艶やかで麗しい。
夕飯に彼女の髪が入っていても、気にせず食べてしまいそうなぐらい綺麗だ。
……今の表現、我ながら気持ち悪いな。
「かわいいな……」
普段は恥ずかしくて、麗羽の目の前で言えないが、正直、かわいい。
究極的にかわいい。
「にっ」
麗羽は突然、目をカッと見開いて笑った。
「うわ、起きてたのか!?」
「うん。もう一回『かわいい』って言ってよ」
「え、面と向かっては、ちょっと……」
麗羽は、キラキラとした瞳を俺に向けた。
仕方なく、言葉を詰まらせながらも、言ってあげる。
「か、かわいいよ、麗羽」
「にへへ、ありがと。元気出た」
「めっちゃ恥ずかしいな……」
麗羽は、再び瞳を閉ざして、ブランケットにくるまって眠った。
彼女の寝顔を見ていると、俺も眠くなってきてしまって……
「二度寝するか……」
麗羽の体を心配した心労と、日頃のバイトの疲れも相まってか、俺は二度寝してしまった。
彼女が眠るベットの傍ら、時間も気にせず、長く長く、眠っていた……




