断る――――前にもそう言ったはずだ
カーテンから差し込む柔らかい日差しに、わたくしはゆっくりと目を開ける。
「――――おはよう、モニカ」
その途端、頭上からぶっきら棒な声音が降り注いだ。
ぼんやりとした視界のまま「おはようございます」と挨拶を返す。すると、声の主はベッドからゆっくりと立ち上がった。
彼はとっくに起きていたらしく、テキパキと朝の準備を始める。未だシーツに包まっているわたくしとは大違いだ。
彼はエルネスト様――――この国の王太子であり、わたくしの夫だ。結婚してもうすぐ三年になる。
(昨日よりも早く起きたのになぁ……)
そんなに早く起きているなら、わたくしの起床を待たずに準備を始めればいいのに――――何度もそう勧めたけれど、彼はその度に『必要ない』と冷たく言い放った。
エルネスト様が寝室を出た後、侍女たちを呼んで、わたくしも朝の準備をはじめる。
手早く着替えを済ませ、わたくしは朝食の席へと急いだ。
「――――もう来たのか」
エルネスト様はそう言って、小さく息を吐く。彼は書類を片手に、コーヒーを飲んでいるところだった。
「はい……あの、お邪魔なようでしたら、わたくしはエルネスト様とは別に、朝食の席を用意してもらいますわ」
「そんな必要はない。ただ、早いなと思っただけだ」
彼は書類を部下に手渡し、侍女たちに食事を運ぶよう指示を出す。躊躇いながらエルネスト様の向かいの席に座ると、冷ややかな視線とかちあった。
「エルネスト様、わたくしの生活に合わせていただかなくて良いのですよ? 寝起きも、食事も、エルネスト様の邪魔をするのは忍びないですから」
何度も繰り返しているやり取り。その度に胸を抉られるような気分に襲われる。
「合わせているつもりはない。前にも言ったはずだ」
冷たい視線、冷たい声音。彼はまた、小さくため息を吐く。
「……はい。申し訳ございません」
「謝る必要もないと言っただろう?」
「分かっております。けれど……」
わたくしは妃で。
エルネスト様をサポートすることが本来の役割で。
それなのに、現状は彼の足を引っ張ってばかり。
どうしたって申し訳無さを感じてしまう。
それに――――
(今月も月のものが来てしまった……)
妃に求められるものと言えば、何より世継ぎだ。
週に三度、エルネスト様はわたくしに触れる。
子を作るのは王族の責務だからだ。
けれど、結婚して三年、わたくしには未だ妊娠の兆しはない。
「――――申し訳ございません」
夜の寝室。
わたくしはエルネスト様に向かって頭を下げる。
「謝る必要はないと言っただろう。子は授かりものだ。モニカだけが悪いわけではない」
エルネスト様は言いながらため息を吐く。
「分かっております。けれど、あまりにも申し訳なくて……」
わたくしが妃でなければ、既に世継ぎができていたかもしれない。
ううん――――少なくとも、エルネスト様にこんな表情をさせずに済んだだろう。
彼は本来人当たりがよく、とても柔らかな笑みを浮かべる人だ。こんな風に冷たい視線を向けるのはわたくしにだけ。
宰相の娘というだけで彼の結婚相手に選ばれてしまったわたくし。
義務感だけの触れ合い。
せめて慈しめる相手との情事ならば、彼に嫌な思いをさせずに済んだだろうに。
「エルネスト様、せめて数日、寝室を分けませんか? わたくしはしばらくの間、妃としての務めを果たすことができませんもの」
エルネスト様が側妃を勧められているのは知っている。
けれど、多忙な彼が寝室に他の女性を連れ込むタイミングなんて、夜ぐらいしかない。わたくしと一緒に眠っていては、永遠に側妃なんて作れない。
「断る――――前にもそう言ったはずだ」
エルネスト様は冷たくそう言い放つと、無表情のままわたくしを手招きする。
目頭が熱い。
胸がもやもやする。
けれど、私室に戻るという選択肢もない。
わたくしは渋々、エルネスト様のもとに向かった。
彼はわたくしが動くのを見届けてから、先にベッドに潜り込む。
三年間変わらない定位置。結婚してからエルネスト様と別々の寝室で眠ったことは一度もない。
「おやすみ、モニカ」
いつもと全く同じセリフ。
ため息とともに頭を撫でられ、瞳に涙がじわりと滲む。
「おやすみなさい、エルネスト様」
互いに背中を向けて眠る。
心が痛くて、中々寝付くことができなかった。
***
翌日、息抜きのために執務室から庭園へ移動する最中のこと、わたくしの筆頭侍女と別の侍女が声を潜めて会話をしている場面に出くわした。
「――――貴女、他の侍女に話していないでしょうね?」
(ん?)
二人揃って深刻な表情。ついつい内容が気になり、わたくしは足を止めてしまう。
「はい、話しておりません。けれど私、どうしたら良いか分からなくて……」
「けれど、じゃないわ。今後は絶対に公言しないで。もしも妃殿下のお耳に入ったら――――」
「わたくしがどうかしたの?」
気づかなかったふりをすべきか迷いつつ、わたくしは二人に声をかける。筆頭侍女は真っ青な表情で飛び上がりつつ、わたくしに向かって頭を下げた。
もう一人の侍女――――名をコゼットという――――は「あっ!」と小さく声を上げ、それから身を乗り出した。
「妃殿下……! どうしましょう? 私、どうしたら……」
「口を慎みなさい、コゼット。妃殿下のお心を煩わせることは許しません」
「けれど」
オロオロと視線を彷徨わせるコゼット。その瞬間、筆頭侍女はキッと目尻を吊り上げた。
「妃殿下、気になるかもしれませんが、どうかこの場は私にお任せください。コゼットには私からきっちりと助言と指導をしておきますので」
あまりの剣幕。わたくしは思わず頷いてしまう。
「…………そう? それじゃあ任せるわ」
正直、気にならないと言ったら嘘になるけど、わたくしは静かに踵を返した。
けれどそれ以降、コゼットはわたくしに会う度に、ひどく申し訳無さそうな表情を浮かべた。
お茶を出す時も、着替えの最中も。
何をしていなくとも、彼女の視線を敏感に感じてしまう。
仕事に集中できないなら配置換えをした方が良いかも知れない――――そう思ったものの、彼女は由緒ある伯爵家の令嬢。城には箔をつけるために通っているのだし、簡単には動かすことができない。
ある日のこと、他に誰も居ないのを見計らって、わたくしは彼女に声をかけた。
「ねえ、コゼット。この間『どうしたら良いか分からない』って言っていたけど――――あの問題は解決したの?」
わたくしが尋ねれば、コゼットは大きな瞳を震わせ、それからゆっくりと視線を逸した。
「いいえ、妃殿下。まだでございます。けれど……」
コゼットは感極まったのか、わたくしの前だと言うのに泣き始めてしまった。余程悩んでいたのだろう。わたくしはハンカチを差し出し、彼女の肩をそっと抱いた。
「一体何があったの? 話してごらんなさい? 安心して。誰にも言わないから」
ことはわたくしに関わること。しかも、コゼットがこんなに追い詰められているぐらいだ。本当は知らないままの方が幸せかもしれない。
けれど、このままでは胸のわだかまりが解消できそうにない。
意を決して尋ねれば、コゼットはそっとわたくしを見上げた。
「実は……エルネスト殿下が、私に想いを寄せていらっしゃるみたいなんです」
「…………え?」
思いがけない言葉。
まるで時間が止まってしまったかのように感じられる。
(エルネスト様が?)
彼がわたくしを想っていないことは明白で。
本当だったら、驚くことはなにもないのかもしれない。
それでも、わたくしはとてもショックだった。
返す言葉が見つからないわたくしをよそに、コゼットが申し訳無さそうに口を開く。
「殿下は毎日、私に会うたび『可愛い』『愛しい』と仰るんです。けれど、私は妃殿下の侍女。エルネスト殿下の想いに応えるわけにはいかないでしょう? ですから、どう反応すべきか、とても困ってしまって……」
『可愛い』『愛しい』?
そんなこと、わたくしは当然言われたことがない。
わたくしに与えられるのは、とてもぶっきら棒な「おはよう」と「おやすみ」の言葉だけ。頭の中に彼の声が木霊して、それから静かに消えていく。
(ああ、わたくしは本当に不要な存在だったのね)
だったら、もっと早くにそう言ってくれたら良かったのに。
せめて、彼の口から『側妃にしたい女性が居る』と言われたかった。
ううん――――わたくしの提案どおりに寝室を分けていれば、彼の願いはたやすく叶ったはずなのに。
(どうして?)
この場に居ないエルネスト様に問い掛けたくなる。わたくしは静かに息を吐いた。
「実は、今朝も殿下から『私に触れられたら良いのに』って言われたんです。
だけど、そんなの無理ですよね? だって、エルネスト殿下は毎日、妃殿下と一緒にお休みになられているんですもの」
「――――貴女は、エルネスト様の想いに応えたいのね?」
コゼットの表情を見れば分かる。
彼女はエルネスト様を慕っているのだ。
眩い金の髪に、宝石のように美しい紫色の瞳。彫刻のように整った顔立ちに、わたくし以外に向けられる優しい笑顔。エルネスト様は乙女の理想を体現したかのような男性だもの。一目見れば、誰もが彼に魅了されてしまう。
わたくしだってそれは同じ。
どんなに冷たくされても、わたくしは彼のことを慕っていた。
国に対する熱い想い。誰よりも真面目で、困難な課題にも果敢に立ち向かっていく姿。融通がきかないところが玉に瑕だけれど、それだって高い理想をお持ちだからこそ。
わたくしは妃として、そんな彼を支えていきたい。
ずっとずっと、そう思っていた。
今だってその想いは変わらない。
だったら、わたくしがすべきことは一つだ。
「今夜、わたくしは自分の部屋で休みます」
エルネスト様の願いを叶えたい。
彼のために、国益につながることをしたい。
エルネスト様が心から愛する側妃が立ち、世継ぎが生まれるならば、これ以上のことはない。
「けれど妃殿下……それではあまりに申し訳ございませんわ」
「エルネスト様が貴女を求めたのでしょう? だったら、彼の気持ちを優先して。今夜は貴女が彼の寝所に向かいなさい。タイミングを見て、わたくしと入れ替わりましょう。もちろん、貴女が嫌なら強要はできないけれど……」
「いいえ、妃殿下! いいえ!
私は本当はエルネスト殿下をお慕い申し上げておりました。ですから、彼に誘われて、本当はすごく嬉しかったのです」
「…………そう」
分かっていても、ハッキリと言葉にされると辛い。
おじゃま虫はわたくし。
そう思い知らされた気がする。
「コゼット――――エルネスト様のこと、よろしくね」
わたくしが出来なかった分、彼を笑顔にしてあげてほしい。
幸せにしてあげてほしい。
責任感の強い彼から、わたくしという重い鎖を消し去ってあげてほしい。
わたくしの言葉に、コゼットはニコリと微笑む。
「どうか私にお任せください、モニカ様」
心がズキズキと痛む。
わたくしは曖昧に微笑むことしか出来なかった。
***
私室のベッドに一人で横たわる。結婚して三年間、一度も使われたことのないベッドだ。
石鹸の香りしかしないシーツに顔を埋めると、虚しさが一気に込み上げてくる。
(エルネスト様……)
たとえ抱き締めてもらえなくても、彼が隣に眠っているだけで幸せだった。
シーツの冷たさも、ベッドの硬さも、感じることなんて一度もなかった。
たとえ義務感から来る行為だとしても、彼が頬にキスをくれる度に、涙が出そうなほど嬉しかった。
(もう二度と、一緒に眠ることはできないかもしれないけど)
思い出は決してなくならない。
いつか――――遠い未来に『そんな事もあったね』と笑い合える日が来るかも知れないし。
「失礼いたします、妃殿下」
「ヴィクトル? 一体、どうしたの?」
ヴィクトルはわたくし付きの護衛騎士の一人だ。今夜はここで休むとを伝え、部屋の外で護衛をしてくれている。なにか急用があるのだろうか?
(――――そもそも、内側から鍵をかけたはずなのに、一体どうして……?)
「いえね。一人寝は寂しいでしょう? 俺が貴女を慰めて差し上げたいと思いまして」
ヴィクトルが微笑む。わたくしは反射的に目を見開いた。
「何を言っているの⁉ わたくしがそんなことを思うはずないでしょう⁉」
こうしている間にも、ヴィクトルがわたくしに向かってにじり寄ってくる。
わたくしは急いで、ベッドから降りた。
「そんなことを思うはずがない? ああ、お可哀想な妃殿下。俺に対して嘘など吐かなくて良いのです。
王太子殿下にはちっとも愛されなかったうえ、侍女に乗り換えられてしまうなんて……悲しくないはずがありません。苦しくないはずがありません。
妃殿下も俺と楽しみましょう。男性だけが浮気を許されるなんて、不公平ですから」
「ふざけないで! わたくしはそんなこと、望んでないわ!」
ヴィクトルがこんなことを言うだなんて、思ってもみなかった。
真面目で誠実な護衛だと思っていたのに!
(でも待って)
何かがおかしい。
「ねえ、ヴィクトルはどうして、エルネスト様が今、侍女と過ごしていると知っているの? わたくしは貴方に『今夜はここで休む』としか伝えていないはずよ?」
「え? それは……」
ヴィクトルが言葉を濁しているすきに、わたくしは出口に向かって必死に走る。
けれど、鍵を開け、外に出ようとしたところで、ヴィクトルがわたくしの背後から勢いよく扉を閉めた。
「ダメですよ、妃殿下。貴女には俺と既成事実を作っていただかなければ。不貞行為を働いたという事実をね」
「コゼットを正妃にするために? 貴方、自分が何をしようとしているか分かっているの⁉ 下手すれば、命を落とす可能性だってあるのよ⁉」
コゼットとヴィクトルがどういう関係かはわからない。だけど、彼がコゼットのために動いていることは確かだ。でないと、ヴィクトルが今夜のことを知っている説明がつかないもの。
わたくしは一生懸命、ヴィクトルの理性に働きかける。
「命ですか……ふふっ。心底嫌っている妃のために、王太子殿下はそこまでするでしょうか? 寧ろ、厄介払いができたとお喜びになるのではありませんか?」
馬鹿にしたような笑み。言葉の刃が胸を突き刺す。
(違う)
エルネスト様は確かに冷たい。
わたくしに微笑んでくれることはなかったし、言葉の節々に棘があった。
けれど、彼はわたくしがこんな形で居なくなって、喜ぶ人ではないはずだ。
絶対、違う。
「嫌……」
エルネスト様の気持ちがどうであれ、わたくしの想いは変わらない。
誰がなんと言おうと、わたくしは彼の妃だ。
絶対、それだけは譲れない。譲りたくない。
その時だった。
「モニカ!」
エルネスト様の声とともに、背後の扉が勢いよく開く。
それから幾人もの騎士たちがやって来て、ヴィクトルを取り囲んだ。
「モニカ!」
誰かがわたくしを抱き締める。ふわりと香る慣れ親しんだ香り。振り向かなくても、それが誰かなんて分かる。
「エルネスト様……」
安心したせいだろうか。涙がポタポタと零れ落ちた。
エルネスト様の腕が宥めるようにわたくしを撫でる。こんなふうに強く抱き締められるのは、はじめてのことだ。
「間に合って良かった……本当に良かった」
泣いているのだろうか。エルネスト様の声は小刻みに震えている。わたくしは彼の腕を抱き返した。
「モニカ――――どうかこのまま、僕の話を聞いてほしい。
君は僕が、モニカのことを嫌っていると――――そう思っているのだろうか?」
酷くか細い声。わたくしは躊躇いつつも小さく頷く。背後からエルネスト様のため息が聞こえた。
「……すまなかった」
「いいえ、エルネスト様。好き嫌いは誰にだってございます。それは仕方のないことです。寧ろ、エルネスト様のために己を変えられなかったわたくしが悪くて――――」
「違う、そうじゃない」
エルネスト様はそう言って、わたくしの正面に回り込む。涙で真っ赤に染まった瞳。彼の眉は苦しげに歪められ、見ているこちらが切なくなってしまうほど。
「モニカ――――僕は君を愛しているんだ」
エルネスト様の唇が動く。
声音がわたくしの耳に届く。
「え……?」
だけど、わたくしには言葉を文字通りに受け止めることができなかった。
(愛している?)
はじめて耳にする言葉ではないというのに、まるで未知のなにかに出会ったかのよう。わたくしは呆然と立ち尽くしてしまう。
「僕はモニカを愛している」
エルネスト様がわたくしを抱き締める。
愛しげに。
とても大切な宝ものみたいに。
(嘘でしょう……?)
先程とは比べ物にならないほど、涙が勢いよく零れ落ちた。
「だけど……だけど! エルネスト様はいつもぶっきら棒で! わたくしには、全然笑ってくださらなくて」
「すまない。モニカの前ではどうしても素直になれなかったんだ。
君が好きで。好きで堪らなくて。
大切に思えば思うほど、上手く接することができなくなっていった。本当だ」
エルネスト様は必死だった。
普段の冷たい表情でも、ぶっきら棒な声音でもない。
彼が本心から、そう言ってるんだってことがわたくしにも伝わってくる。
「寝室に君以外の女性が居るのを見つけて、本当にショックだった。共に寝たくないほど、僕はモニカに嫌われていたのか、と。
けれど、君の侍女から『殿下はモニカ様がお嫌いなのでしょう?』と言われて、僕は目が覚めたんだ。
自分の愛情をモニカに上手く伝えられていない自覚はあった。だけど、『嫌われている』だなんて勘違いをさせているとは思わなかった。……本当にすまなかった」
エルネスト様が勢いよく頭を下げる。わたくしは思わず「あ!」と声を上げてしまった。
(そうだ、コゼット!)
ヴィクトルに襲われかけたせいで忘れていたけど、そういえばあの子はどうなったのだろう?
「エルネスト様。あの……コゼットは?」
「コゼット……? ああ、あの侍女か。
君のことを聞き出して、騎士に引き渡してきた」
エルネスト様はそう言って、忌々しげに顔を歪める。
恐らくは、わたくしがヴィクトルと『よろしくやっている』と言われたのだろう。そうなるように仕組んだのは他でもないコゼットなのだから、エルネスト様の怒りはごもっともである。
結果的には、彼女が早々と口を滑らせてくれたおかげで、わたくしは貞操の危機から免れたのだけど。
「けれど、あの子はエルネスト様に想われていると……『可愛い』『愛しい』と言われていると言っていて…………」
「そんなこと、あるはずがないだろう? 僕はモニカだけを愛している。何があっても、他の女に触れることはない。
大体、君に伝えたくて伝えられない言葉を、他の誰かに言えるわけがない。僕はこの世の全ての褒め言葉は、君のためだけに存在すると思っているよ」
真剣な眼差し。とても嘘を言っているようには思えない。
だとしたら、とてつもないギャップだ。
(嫌われているとばかり思っていたのに)
これまで向けられてきた冷たい表情の裏には、そんな感情が隠れていたのだろうか。全く、俄には信じがたい話である。
「だけど、エルネスト様。わたくしはこの三年間、貴方の子供を身ごもることができませんでした。
もしもこのまま子を授かることができなければ、貴方には側妃を娶っていただくか、わたくしと離縁をしていただかなければなりません。
今回のことは、遅かれ早かれというだけで……」
「王族は僕の他にも存在する」
エルネスト様がそう言って、わたくしを抱き寄せる。
それだけで、彼が何を言いたいか分かった。
「エルネスト様……」
彼は本当に、生涯わたくしだけと想い定めてくれているのだろう。
だったら、わたくしがすべきことは一つだけだ。
「わたくしも、貴方の側に居たいです」
***
それから十ヶ月後のこと。
わたくしは元気な男児を出産した。
「モニカに似て、とても可愛いな」
エルネスト様は、これまでの冷たい表情が嘘のように、優しい笑みを浮かべている。
日に数度はわたくしへの愛を囁き、毎日わたくしを抱き締めて眠る。
はじめは言葉も行動もぎこちなかったけれど、少しずつ 少しずつ、こうしていることが自然になり、今ではすっかり当たり前になった。
彼は伝えたくて伝えられなかった三年分の愛情を、今、わたくしに注いでくれているのだという。
「エルネスト様、今夜こそ寝室を分けたほうが良いのではございませんか?」
出来る限り自分で子育てをしたいというわたくしたちの意向で、生まれたばかりの子どもと寝所を共にしている。
当然、赤ん坊だから夜泣きもあるし、おしめを替えたり、授乳をする必要だってある。
多忙なエルネスト様がよく眠れるようにという配慮だ。
「断る――――前にもそう言ったはずだ」
けれど、エルネスト様はそう言って、とても穏やかな笑みを浮かべた。
以前と全く同じ言葉。
だけど、あの頃とは感じ方が全く違う。
「わたくしも、エルネスト様と一緒に居たいです」
わたくしたちは微笑み合いながら、互いをきつく抱きしめるのだった。
本作を読んでいただき、ありがとうございます。
もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【★★★★★】や感想をいただけますと、今後の創作活動の励みになります。
また、R4.12.29〜本作の補完用連載を開始しました。
詳細については、連載版のあらすじをご確認ください(下の方にリンクがあります)。
改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!