1.アルトレーネの聖女様
アルトレーネ王国。
魔族領から遠く離れたこの国の王都には、『聖女』と呼ばれる麗しき少女がいる。
聖なる力をもって人を癒し導く、神聖な存在。
ここはそんな聖女の住まう、王城勤務者用の宿舎前。
「はいっ、これで大丈夫です!」
幼い少女のヒザににじんだ血が、柔らかな光と共に消えていく。
「聖女さま、ありがとうっ!」
あっという間にケガが治り、さっきまで泣いていた少女がうれしそうに飛び跳ねる。
「慌ててはダメですよ」
「はいっ!」
駆けていく女の子に、負けないくらいの笑顔で手を振る聖女。
その名はセレーネ・アリシア。
淡く長い金色の髪と青い瞳が美しい、17歳のたおやかな少女。
きれいで優しく、そのうえ可愛いと、王都でも評判だ。
「セレーネ、その言葉はわたしからも言わせてもらうよ」
そう言って聖女の頭にチョップを入れたのは、同じく17歳の黒髪少女アーリィ・フォスター。
「アーリィ……えへへ、つい」
少女が転んだのを見て「大変ですっ!」と駆け出したセレーネは、その純白のローブを枝に引っ掛け破り、本人も切り傷を負っていた。
「まったくもう」と、息をつくアーリィ。
すると今度は、その肩までの黒髪にチョップが入る。
「……そんなセレーネを慌てて追いかけて、派手目に転んだのは誰?」
「うっ」
無表情でチョップを決めたのは、アーリィの妹シャルロット・フォスター。
左右に小さな房を作った銀色の髪が目印の、小柄な15歳の少女だ。
「まあ、大変」
すぐにケガに気づいたセレーネは、アーリィのヒザに手を当てて、回復魔法を唱え始める。
「まずは自分の傷からでいいのに」
迷うことなく友人の回復を優先したセレーネに、アーリィは苦笑い。
「大丈夫です。聖女様は強いんですからっ!」
そう言ってグッと拳を握ってポーズを取ると――。
「あっととと」
うっかり魔法が切れかけて、ペロッと舌を出す。
「セレーネ、いつもありがとう」
「こちらこそ。心配してくれてありがとうございますっ」
そう言って、うれしそうにほほ笑み返した。
「……セレーネは後でそのローブ持ってきて。縫っちゃうから」
「うう、シャルロットちゃんにはご迷惑をおかけします。見つかったらまた司教様に怒られちゃいます……」
「ん、全然大丈夫。すぐに終わらせちゃうから任せて」
「持つべきものはシャルロットちゃんだよー!」
「猫を助けるために何度木登りしてひっかけても、すぐに直せる」
「本当に申し訳ございませんっ!」
これまで幾度となくローブを汚し、破いてきたセレーネは勢いよく頭を下げる。
「セレーネは聖女様にしては、少しお転婆だからね」
「そんな聖女様と駆け回ってるお姉ちゃんも、転んで汚れたシャツは早くお洗濯に出しておいて」
「まことに、申し訳ありませんでした」
陽光まぶしい王城宿舎。
これまで何度となく繰り返してきたいつもの光景に、三人は思わず笑ってしまうのだった。
「聖女様、そろそろお城へ向かう時間ですよ」
「っ!」
やって来た司教を前に、セレーネは大慌てで破れた箇所を隠す。
「どうかされましたか?」
「いいえ、なんでもありませんっ!」
「準備ができたら、すぐに向かいますよ」
「はひっ!」
「……早く縫わないと、急ごう」
司教は間違いなく、破れたローブを見たら怒る。
セレーネは小走りで宿舎に戻っていく。
「お姉ちゃんは時間稼ぎをお願い。はい、木剣」
「わたしに司教と戦って時間を稼げと!?」
無表情なまま言う妹の冗談に、思わずツッコミを入れてしまうアーリィ。
「どうされました?」
「あ、いえ……その……」
一応、言われた通りに剣を構えてみる。
「アーリィさんも、聖女様に負けないよう学ばなければなりませんよ。おそばにいる以上、あなた達も聖女様のご友人として――」
「や、やっぱり無理だよーっ! これで失礼しますっ!」
怒涛のお説教が始まりそうになって、慌ててセレーネたちを追いかけるアーリィ。
魔族領からも遠いこのアルトレーネは平和で、毎日が穏やかに過ぎていく。
聖女であるセレーネも、日々を街の人々の助けとなりながら過ごしている。
「シャルロットがいて、セレーネがいる。そんな毎日が――――ずっと続けばいいのに」
駆けていくシャルロットとセレーネ。
二人の背を追いかけながら。心からそう思うアーリィなのだった。
◆
「10年っ!?」
アーリィは驚きに声を上げた。
「はい。どうやら勇者様が魔王を倒すとなれば、それだけの旅が必要なようなのです」
「ゆ、勇者ってそんなに大変なんだね……」
「勇者ならではのスキルを得るための修行や、伝説の剣との意思疎通。そして魔王城の守護者たる大物魔族たちの存在。ここアルトレーネから魔王討伐に向かうとなれば、それだけの時間がかかってしまうようですね」
中央大陸の東側にあるアルトレーネ王国は、魔族領となっている西大陸から離れた場所にある。
緑が多く水もきれいなこの国は、かつて幾度となく行われた魔王との戦いの時も、人類側の拠点の一つとして栄えていた。
だが何より、女神の『力』が降りる地として有名だ。
女神の神託を受けた聖女は、占術によって勇者を見出す。
そして強き勇者が、魔王を倒すのだ。
「だからこれまでの戦いで、一度も負けたことがないんだね」
お勤めを終え、王城勤務者の宿舎へ帰ってきたセレーネの説明に、うなずくアーリィ。
世界では常に、人間と魔族が争ってきた。
これまで幾度となく行われてきた勇者と魔王の戦いは、勇者の勝利という結末だけが残っている。
「そもそもがとってもお強いんだそうです。それはもう――――圧倒的だとか」
そう言って「やあっ」と、剣を振るポーズをしてみせるセレーネ。
「……お待ちどうさま」
するとそこに、大皿を抱えたシャルロットがやって来た。
「今夜は……ミートボールパスタ」
「やりました!」
「やったー!」
大好物が出てきて、思わずハイタッチのセレーネとアーリィ。
「いただきますっ!」
「いただきまーす!」
聖女らしからぬ両手にフォーク状態で、セレーネは目をキラキラと輝かせる。
「うんうん! やっぱりシャルロットちゃんの料理は最高だよーっ!」
「本当だね!」
「二人とも調子がいい。昨日の野菜スープは虚無みたいな顔をしていた」
「野菜スープは……虚無になるよ」
「虚無ですねぇ……」
姉はともかく、聖女まで目から輝きが失われていたのを思い出して、かすかに笑うシャルロット。
外では神聖な聖女様も、ここでは大量のパスタを口いっぱいにほお張りご満悦だ。
「あっ、ダメだよセレーネ! それはわたしが狙ってたんだから!」
「早い者勝ちですっ」
アーリィのフォークディフェンスをかわして、ちょっとだけ大き目の肉団子を狙う、食いしん坊聖女様。
すかさずアーリィは、スプーンで防御する。
ぶつかり合う食器たち。
宿舎で並んで食べる夕食は、とても楽しい。
「勇者になっちゃったら、10年も旅に出なきゃいけないんだね……わたしには絶対なれないなぁ」
「お姉ちゃん? どうかした?」
「なんでもない」
やはりアルトレーネを出て10年もの旅をするなんて、とても考えられない。
「勇者は本当に大変だなって思ってさ」
そう言ってアーリィが息をつくと――。
「ッ!!」
「セレーネ?」
突然セレーネがフォークを落とし、その青い目をギュッと閉じた。
「う……うう……っ」
「大丈夫!?」
額を抑えうつむくセレーネに、すぐに駆け寄るアーリィとシャルロット。
「いかがなされましたか、聖女様!?」
そのただ事でない雰囲気に、司教や職員たちも慌てて駆け寄って来る。
「もしかして…………未来視では?」
それは聖女の持つ『奇跡』の中でも、類まれな特殊技能。
突発的に未来の断片が見えるという、驚異的な能力だ。
セレーネは目を閉じ、呼吸を整え集中する。
すると奇跡の発動と共にまばゆい金色の光が広がり、周囲を照らし出していく。
その神々しさに、誰もが息を飲む。
そんな中、聖女セレーネ・アリシアはゆっくりと立ち上がった。
そしてゆっくりと、口を開く。
「――――勇者様が……目覚めます」
「……な、なんと! 勇者様がっ!」
その言葉に、思わず後ずさる司教。
「新たな勇者様が……ついにお目覚めになられるのか!」
職員たちも、一斉にわき立つ。
結局そのままセレーネは、司教たちと王城へ報告に向かうことになった。
そして『勇者の目覚め』は、たちまち多くの人に知られることになるのだった。
新作の第1話でございます! お読みいただきありがとうございました!
明日も以降も連日、同時刻に更新予定です。
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