西園寺禧子
3961文字です。
「本当に、やってしまわれたのですね……」
禧子の中宮宣旨(女房の筆頭)である、二条藤子は呆れたような声を出す。
以前から禧子は、『左近の桜を手折ってみたい』などと、口走っており、傍近くに控えていた藤子は、肝を冷やしていた。
それが今日、自分がちょっと目を離した隙に、主である禧子はこっそり侍従を呼び、以前から企んでいたこの計画を、実行に移した。
藤子は眉をひそめ、隣にいる中宮内侍(命令の取り次ぎや宮中の礼式の雑務などの統括)である阿野廉子を睨む。
(あれほど禧子さまを見張っておいてって言ったのに……!)
「……」
藤子に睨まれて、廉子は居心地が悪い。モゾモゾと体を揺すって、目を逸らした。
それを見て、藤子は溜め息を漏らす。
(けれど、しょうがない……)
とも思う。
藤子は禧子よりも二つ年上のため、いくぶん諌める言葉も吐けるが、廉子は禧子よりも四つも下なのだ。
しかも廉子は禧子に仕える身。禧子が睨みを効かせ『黙っていろ!』と言えば黙るしかない。
しかも禧子は気性が激しい。
嫌な意味ではなく、快活で人を扱うのが上手く、我を押し通す術を心得ている。
四つも年下の廉子など、その策にまんまと嵌り、てんでお話にならない。『見張っておいて』と言われれば見張りもするだろうが、本当に見る事しか出来ない。
「……」
睨むのを諦めて、藤子は半分泣きそうな顔になる。
桜の枝を切った禧子は、何かを企んでいる。
そもそも禧子は無駄なことをしない。
いや、傍目から見れば禧子は、する事なす事が無駄であったり無謀であったり、はたまたワガママだ! と思われる行動をよくとった。
けれどそれは、けして意味の無い行動ではなく、ちゃんと先を見据えて考え、練りに練った《計画》なのである。
ワガママ……など、とんでもない。
相手の本性をそれで見極め、人を試している。
相手が自分の行動を見てどう反応するか、どう対応するかで、自分に合うのか、信頼に足る人物なのかを見極めている。
ワガママだと見せかけて、目下の者を助けた事もある。
これ見よがしの手助けではないので、人によっては、助けられた事に気づかない者もいる。けれど藤子は知っている。
高飛車で、ワガママな姫さま然とした禧子は、その実驚くほど優しい上に慎重だ。信頼した者でなければ、けして傍には置かない。
だから今、禧子の傍に仕えることが出来ているその事実は、藤子に自信と誇りをもたらしてくれた。
(気高く、美しい禧子さまのお傍にいられるなど、なんと誉高いことか。その優しさに、何度私は救われたことかしら……?)
そう思うと、一生この身を捧げようと、本気で思っている。
……けれど今回ばかりは、どうしても従うことが出来ない。
「はぁ……」
涙を見せまいと、軽く目を閉じ必死に耐えた。
けれど悲壮感漂う溜め息が、思わず漏れてしまう。
そんな藤子を見て、今度は廉子の顔が歪む。
「あ……、あの藤子さま? 何故、そのように悲しげなお顔をされるのですか? そのようなお顔はなさらないで下さいまし? ……私、悲しくなってしまいます。どうか笑ってくださいませ。私が悪ろうございましたから……」
オロオロと藤子を覗き見る。
廉子は、面倒見のよい藤子が大好きだ。
禧子が後醍醐天皇の中宮になった際、藤子と廉子は共に禧子に仕える事となった。
右も左も分からない廉子に、藤子はとても優しく、そして丁寧に接してくれた。その事がとても嬉しく、実際のところ廉子は禧子よりも藤子に仕えたいくらいだった。
そんな藤子が今まさに、泣きそうな顔をしている。しかも自分のミスで! けれど泣くほどの事だったろうか? 廉子の頭の中は激しく混乱した。
どうにか笑って欲しいと強請ってみたが、藤子は泣きそうな顔のまま笑おうとし、かえって悲痛さが増した。それを見て、廉子の心は乱れる。
藤子は震えるように口を開く。
「……廉子? お前は分かっているの? 禧子さまはとんでもない事をお考えなのですよ……」
呟くようにそう言った。
「《とんでもない事》……?」
顔を歪めながら、廉子は首を傾げる。
廉子は現在二十二歳。その若さゆえ、まだ隅々の事まで察知出来ていない。
「えぇ、そうですわ」
藤子はそこまで言って黙り込む。
最近、禧子の様子がおかしかった。
ふと思い出したように禧子は藤子と廉子に尋ねた。
『ねぇ、あなたたちは、あの方の事をどう思って……?』
尋ねられて廉子は可愛らしく首を傾げる。
『《あの方》……とは?』
すると禧子はフフと笑う。
『それは決まっていてよ? 《帝》の事ですわ』
《……帝?》
藤子は眉をひそめる。
禧子は人目など気にしない。
自分の信じる道をひたすら真っ直ぐ突き進む。そんな人だ。
それに手抜かりはない。
知りたいと思ったことは、すぐに調べあげる。その禧子が、今更帝の体面を気にしている……?
ましてや帝は、自分の愛する人。そのような人物が周りからどう見られているか……など、禧子はとうに知り尽しているはずだった。
禧子の観察眼は、間違いない。調べ尽くしたその結論を、後になって疑うようなことはしない。
しかも尋ねているのが初めて見知った相手ではなく、自分が信頼し、仕えさせている女官相手にだ。今更面と向かって、おかしな質問をする……と藤子は訝しんだ。
けれど廉子は素直だ。
ふわり……と花のように微笑むと、《素晴らしいお方ですわ》と言った。
『まず、あの立ち振る舞い。さすがは帝。右に出る者などおりませぬ』
廉子は嬉しそうに語る。
『賢帝と言われた後宇多法皇の二の宮さまであられますが、けれど私は、後宇多法皇さまにけして負けているとは思えないのです。あの鋭く質問を返す万里小路宣房さまの諫言をも真剣にお聞きあそばされるそのお姿は、誰もが真似できるものではありませんもの。みな、言うておりますわ。後醍醐天皇の御代は、きっと平であると』
それに──と、廉子は頬を赤らめる。
『それに帝は、その年齢を感じさせないほど、お美し──』
『ん"んっ……!!』
藤子は焦って、わざとらしく大きな咳払いをした。
これ以上、帝を褒めちぎる廉子を放って置けば、とんでもない事になるような、そんな嫌な予感がした。
『……』
禧子はそんな藤子を見て、目を細める。
『……では、藤子はどう思って……?』
その言葉に、藤子は戸惑う。
どう答えれば……と悩んで口を開いた。
『わ、私は、禧子さましか見えていませぬ。心の底より願うのは、禧子さまの心お健やかなる治世。それをお支えくださる帝のそのご情愛に、私は少し恨めしくも思うのです。帝はいつも禧子さまを独り占めになさいますもの……』
言って藤子は、困ったように笑って見せた。
別の日には、禧子はポツリと呟いた。
『私はもう、子には恵まれぬ……』
ギョッとして藤子は、思わず口を開いた。
『な、何を申されます! 禧子さまは、まだまだお若いではありませんか! まだこれからでございます』
すると禧子はニヤリと笑う。
『えぇ、そうですわよね。まだ望めますわよね。……そうそう。ねぇ? 藤子?』
呼ばれて藤子は返事をする。
『はい。何でございましょう?』
すると禧子はとても嬉しそうに微笑んだ。
『私がまだ若いのですもの。二歳違いのあなたもまだまだ若いと言うことですわよね……?』
『……』
思わず身震いした。
「まあ酷い。藤子は私の事を、そのように思っていましたの?」
禧子の咎めるようなその声に、藤子はハッとする。
「禧子さま……、そのような事は……!」
慌てて否定する。けれど不安ばかりが波のように押し寄せる。
禧子は藤子を見て微笑んだ。
「やはり、私の目に狂いはなかった。あなた達を選んで、本当に良かった……」
そうホッと息をつきながら、呟く。
「私はね、美しく、教養のある者……そして、人として誇れるものを持っている者を女官に選んだの」
「《人として、誇れるもの》……?」
廉子は首を傾げた。
分からない事をそのままにせず、素直に尋ねることの出来る廉子は、それだけで《人として、誇れるもの》を持っている……と藤子は思う。
そしてそれは、禧子も同じ気持ちらしい。
「《誇れるもの》とは、優しさであったり、素直さであったり。……簡単でいて、手に入れるのがとても難しいもの。私は、あなた達二人に、これがあると思ったのよ。私にはない優しさと素直さ……」
禧子はポツリと言って、悲しそうに顔を伏せる。
藤子はギョッとする。
「何を仰せですか! 禧子さまは、全てを持ち合わせておられますのに……!」
藤子の言葉に、廉子も頷く。
実際禧子は文字通り《全て》を持って、この世に生まれた。
禧子実家は西園寺家。
当時西園寺家といえば、多くの皇后を排出する家系で、中継ぎでしかない後醍醐天皇よりも下手をすれば格上。もしかしたら、後醍醐天皇ですら、頭が上がらない存在だったかも知れない。
その上この上ない美貌を持ち合わせた禧子は、驚くほど賢くもあった。
多くの優れた和歌を残し、その才能は歴代の皇后をも凌ぐ。
時には政治にも口を出し、後醍醐天皇へ意見することもあったという。
そんな全てを持ち合わせている禧子が、自らを差し置いて、臣下でしかない藤子と廉子を『美しく教養のある者』と評したのだ。藤子は『自分など……』と、気恥しい思いでいっぱいになる。
けれど禧子は首を振る。
「いいえ。私の目には、狂いはなくってよ? ……それとも藤子は、この私が見誤っているとでも……?」
「……」
そう言って睨まれれば、藤子と言えども何も言えない。
禧子はフフと笑うと、さきほど侍従が持って来た桜の一枝をそっと持ち上げた。
「けれど藤子……」
禧子は言う。
「あながち、あなたの予測は間違ってはいないのかも……。桜を《手折る》と言うその意味を──」
「……」
「?」
爽やかな春の風が吹いた。
禧子は春の風のように、爽やかに微笑む。
藤子はギュッと眉をしかめる。
そして廉子は、
可愛らしく首を傾げた。
× × × つづく× × ×
名前は、どう読むか悩みました。が、
『藤子→《ふじこ》』とすると、字は違うのですが、
どうしてもルパン三世の『峰不二子』しか思い浮かばずw
音読みにさせて頂きましたm(_ _)m
(そんな理由で、ほかの2人はキシとレンシ)
だって書く時のテンションがね。
頭の中、《峰不二子》で書くと、全く違うんですよ。
そして、名前にフリガナ打ちまくってますが、
それが私です( ˙꒳˙ )諦めて。w
特に日本の歴史上の人物は、最初にフリガナ打ってもらっても
後からはすっかり忘れると言う、私の記憶力の低さが
このフリガナに出てますよね。
しつこいですけれど、我慢してくださいm(_ _)m
最初は ごみさんの指摘だったんですけどね。
でもこれ、ホントいいアイデアと思うわけです。はい。
……こんな感じで、色々……色々とフィクション入っている、
『一枝の桜』。
まだまだフィクション、入れまくります。
でも、この南北朝時代の南朝方は、記録があまりないのです。。。




