左近の桜
5587文字ですた( ̄▽ ̄;)
爽やかな春の風が吹いた。
御所、紫宸殿の前には、見事な大桜がある。
その桜が今が盛りと咲き誇って、御所で働く者たちの目を楽しませた。
この桜は、もともとは《桜》ではなく《梅》であったが、天徳四年の内裏焼亡の時に燃えてなくなってしまったのを、九六〇年には重明親王式部卿家の桜木を植え替えたものだ。
……とは言っても、実は内裏ではよく火災が起こった。
この時の植え替えのみならず、何度か植え替えが行われている。
ようやく育ち上がったと思えば焼けてしまうこの桜は、今現在ようやく樹齢百年になるかならないかの大木に育ち上がった。
だからと言うわけではないが、この桜の木を手折ることは大罪である。
けれど、そのような決まりがなくとも、手折ろうとする者はそうそういない。
美しい桜に見惚れて、かえって手が出せないのだ。
どのような身分の者も、この桜の前では《同じ人》。
誰もが思わず足を止め、その美しさに見入った。
そしてそれは、この御所の主……帝である後醍醐天皇も例外ではない。
この日の政務を無事にこなした後醍醐天皇は、ホッと溜め息をつきながら、紫宸殿の濡れ縁へと出た。そよと風に吹かれるこの左近の大桜を眺め、目を細める。
天を覆うかのようなその桜の枝振りは、とても見事で、……けれど繊細で儚く、淡と消える粉雪のように、キラキラと輝きながら溶けていく。
「のう、宣房」
帝は、ヒラヒラと散るその桜の花びらを掌に受け止めながら、近くにいる万里小路宣房に語り掛けた。
宣房は今年六十六歳になる。
すっかり頭の髪は白くなり、以前、後醍醐天皇がまだ皇子であった頃、今は亡き兄後二条天皇と共に書物の読み解き方を教えてくれた、あの日の宣房を思い出すと、老いとは早いものだな……と後醍醐天皇はつくづく思う。
けれどその覇気は未だ尚、健在だ。
大人になった今では、よく言い合いもするようになったが、さきほどは痛いところを突かれ、正直焦った。
(……だが、我ももう、子どもではない)
余裕の笑みでもって、傍に控える宣房を見下ろす。その視線に気がついたのか、宣房の肩がぴくり……と、うごめいた。
(本当に、食えないヤツだ……)
宣房は先程の会議の後で、目の前の後醍醐天皇と今しがた言い合いをしたばかりだ。しかもその言い争いは、未だ解決の糸口を掴めていない。まだ何か意見でもあるのか? と宣房は少し眉を寄せ、帝を仰ぎ見る。
そして面倒くさそうに、返事をした。
「……はい、帝。なんでございましょうや?」
渋い顔の宣房を見て、後醍醐天皇はふふと笑った。
所詮彼もまた、一介の臣下でしかない。
いくら知恵者と言えども、自分が我を通せば、従うしかないのだ。そう思うと面白くて仕方がない。
後醍醐天皇は、そんな宣房の表情をじっくり味わいながら、ゆっくり口を開く。
「今年の桜もまた、見事なものだの? まるでこの世の安寧を示しているかのようだ。そうではないか? 宣房……」
と微笑んだ。
(安寧?)
宣房は眉を寄せる。
先程言い争ったのは、後醍醐天皇の放った間者についてではなかったか?
《安寧》を言祝いでいるように聞こえるが、実のところ後醍醐天皇は、鎌倉幕府の執権北条高時の身辺を探っている。
(絶対に、何かを企てている……)
微かに……けれど確かに漂う、きな臭いにおいを感じ、これではいけない! と、さきほど宣房は後醍醐天皇に詰め寄った。
──この御代を、自ら乱そうとするおつもりか……!
けれど後醍醐天皇は笑った。『なんの事を言っているのか、分からぬ』と言って。
「……」
宣房の心は複雑だ。『分からぬ』などと言うこと自体、怪しい。いや、後醍醐天皇は確実に鎌倉幕府を潰そうと狙っている……!
けれど確たる証拠がない。
なまじ学があるだけに、後醍醐天皇を言い含めることは難しかった。
だから後醍醐天皇が、今の世を《安寧》と表現するのは、少し違和感を覚えたが、宣房はそれに素直に従った。
(今はここで争ってもしょうがない。いずれ時を見て……)
宣房はそう思い直す。
「……ええ、その通りでございますね」
ひとまずここは頷いておこう。そう思って、宣房は小さく息を吐き、そう返した。
今の帝に何を言っても、もう無駄なのかも知れない。
思えば後醍醐天皇の今の立ち位置は、かなり複雑なものだった。
その状況を鑑みると、さすがの宣房も同情せずにはいられない。
(けれどそれでは、この世のためにはならぬ……)
そうも思う。
万里小路宣房は、後醍醐天皇の《三房の智》の一人だ。
北畠親房、吉田定房、そしてこの万里小路宣房。
《三房の智》と言うと、名前に《房》の字を持っているこの三人が、後醍醐天皇の忠実な側近……と思うかもしれないが、実のところ少し違う。
この後の三房は、後醍醐天皇の父である後宇多天皇(現 後宇多法皇)に使えた者たちである。
時に教えを乞い、行動を諌められ、後醍醐天皇にとって、少し煙たい存在でもあるこの三人は、なくてはならない《師》でもある。
後醍醐天皇は三十一歳で即位したが、父の後宇多法皇の院政(現天皇ではなく、前天皇が政治を行う)を執っていた。事実上、傀儡の天皇である。
それが二年ほど前、その父が院政から手を引いた。体調が思わしくなかったのもあるが、後醍醐天皇の様子がおかしく、それを諌めるためとも言われている。
実際のところ引退の理由は分からないが、後醍醐天皇の父後宇多法皇が政界から手を引き、後醍醐天皇は、ようやく自ら指揮を執り始めたばかりだった。
夢にまでみた自由な政務。しかし、思っていたほど簡単ではない。賢帝と言われた父の傍近くに控えたこの三人の経験は、たとえそれが煙たい存在であったとしても、手放す訳にはいかない。
しかし不幸なことは、これだけではない。
後醍醐天皇は、《中継ぎの帝》なのである。
いずれ跡を継ぐのは、亡き兄の忘れ形見。後醍醐天皇は事実上お飾りの天皇であり、我が子には何も残してやることが出来ない。
その上色々な弊害もあり、今のところその忘れ形見である邦良親王が、次の後継……と一応は決まっているのだが、世の流れが不安定で、本当に帝になれるのかも疑わしい。
まさに綱渡り……とでも言うべき状態なのだ。
味方はどれほどいても足りない。
その状況が、宣房には痛いほどに分かる。だから忠告した。
自ら自分の治世を乱してどうするのだと……。
さきほど後醍醐天皇は、桜を見て『安寧の世』などと言ったが、今のこの状況は《安寧》には程遠い。そんな気がして、宣房は黙り込む。
「……」
(どうにかして、お諌め申し上げなければ……)
そうは思うけれど、なかなかいい案が思いつかない。
後醍醐天皇の悔しさが分かるぶん、やりにくかった。
宣房は、思わずうーんと唸る。
事件が起こったのは、まさにその時だ。
狩衣姿の若い侍従がこちらへと歩いて来る。見知った顔だ。だが、名前までは分からない。近頃中宮宮へ、新しく雇い入れた侍従……だと言うことだけが、何となく分かった。
その侍従は、近くまで来ると、濡れ縁の上にいる後醍醐天皇へ礼をとる。
「……………………」
……しかし何も言わない。
いくらか時が過ぎ、さすがに痺れを切らして宣房が声を掛けてみる。
「そこの者。何か用があって来たのだろ? はよ申してみよ」
「…………はい」
蚊の鳴くような声で、しかも微かに震えながら、その従者は返事をする。
「わ、私は、中宮の宮より参りました。……実は中宮さまより、用をいい使って、こちらへ参ったしだいでございますが……」
それだけ言うと、侍従は再び黙り込む。
さきほどの返事よりも幾分声のハリは良かったが、相変わらずその体は震えている。まだ宮仕えに慣れないせいだと後醍醐天皇は思い、少し哀れに思った。
「なに? 中宮……禧子からか? 何用だ? 朕に言伝か……?」
思わず声を掛ける。
すると宣房が苦い顔をして後醍醐天皇を睨んだ。
「帝……」
下々の者と直接会話をするな……と言いたいのだろう。
非難めいた溜め息が漏れる。
後醍醐天皇は少しビクッと身を震わせたが、こちらも負けてはいない。その宣房の表情に異を唱えた。
「……別に構わぬではないか。今は政務でもなんでもない。大体、まどろっこしいのだ。目の前にいるのだから、直接聞いた方が早い。わざわざ間に人を立てる必要などない」
言って、再び従者を見た。
実のところ、早く要件が聞きたい。
相手はあの禧子の使者なのだ。後醍醐天皇は色めき立つ。
何を隠そう、後醍醐天皇は正妃である西園寺家のこの姫に、ぞっこんなのである。皇太子時代に誘拐騒ぎを起こし、既成事実を作って自分の妃にした。今更離れられるわけがない。
しかし、それを侍従に悟らせるわけにもいかない。ごほん! とわざとらしく咳をしてみせる。
従者は更に恐縮して、地に頭を擦り付ける勢いでひれ伏す。
「あ、あの……それが……」
そして黙り込む。
なかなか要領を得ない。
さすがの後醍醐天皇も、痺れを切らした。落ち着いて口を開いたつもりだが、声が少しムッとしてしまった。早く言え! と言わんばかりだ。
「言伝か? それとも文か?」
身を乗り出すように、そう尋ねる後醍醐天皇に、宣房はわざとらしい深い溜め息をついてみせる。幼い頃から後醍醐天皇を見てきている宣房にとって、後醍醐天皇の心の中は、手に取るようによく分かった。
「い、いいえ。あの、それが……」
相変わらず歯切れの悪いその言い方に、さすがの後醍醐天皇も眉をしかめる。
「文でも言伝でもない? ならば何かをしろと禧子は申したのだな? ……構わぬ。その要件を早く済ませるがいい」
その言葉に宣房が焦る。
「帝!? 何を仰せに……、危険な事であったら、どうするおつもりか……!」
「構わぬ。禧子が朕に危害を加えるわけがない」
「いやしかし……っ!」
後醍醐天皇と宣房が言い争う中、侍従は帝の許可を得ることが出来、ホッとして懐からハサミを取り出した。
「「!」」
キラリ……と光る刃物に、後醍醐天皇と宣房はハッとする。目を丸くして動きが止まった。
侍従はその時を見逃さない! 侍従の目がぎらり……と光る。
その一瞬の隙をついて、侍従は優雅に左近の桜へと近づくと、
──パチン。
その一枝を切り落とした。
「…………は?」
思わず後醍醐天皇の口から、声が漏れた。
宣房はと言うと、侍従の所作があまりにも綺麗で、その美しさに一瞬魅入ってしまっている。
……暫し、二人の思考が止まる。
「「……」」
呆然とする二人を再び見て、侍従は丁寧にお辞儀をすると、その一枝の桜を大切そうに抱いて、もと来た道をスタスタと歩いて帰って行く。
「はっ! ……ま、……待て……!」
ハッと我に返った宣房が、侍従の後を追おうとするのを後醍醐天皇が止める。
「やめよ!」
「し、しかし! 左近の桜ですぞ? 桜の枝を切ったのですぞ!?」
桜の枝を折るのは大罪である。
しかし後醍醐天皇は首を振る。
「朕はあの者に許可を出した。追い掛けることは許さぬ。……が」
言って、傍に控える別の侍従に目をやった。
「そこの侍従! 中宮へ、《桜の件にて話がある。我が宮へ来い》と急ぎ伝えよ」
素早く命令を出した。
「は!」
侍従は素早く立ち上がると、音もなくその場を離れた。
そよそよと春の風が吹いた。
風は桜の花を舞わせ、優しく甘い香りを運んで来る。
侍従には厳しい声を掛けた後醍醐天皇だが、その顔は少し緩んでいる。
「……」
宣房はその顔を見て、深い溜め息を吐く。
左近の桜を手折るのは大罪。
しかし相手は帝の異常なまでの寵愛を受けている、あの中宮。
とても後醍醐天皇が、罰を下せるとは思えなかった。
× × × つづく× × ×
新しいのに手を出しました。。。
毎回こんなです。こんな奴なんです。しょうがないんです。
よろしければ、お付き合い下さいm(_ _)m
長くなります。多分。
ちょっと真面目に書いてます。
(根っこは不真面目です( ̄▽ ̄;))
出来るだけ、史実に沿って書いていきたいので、
間違った箇所があれば、お教え下さい。
現在調べ中なもので。。。(切実です)
更新は不定期です。
※この時、禧子はまだ《中宮》だったようですので、《皇后》から《中宮》に書き換えました。2022.6.17
※《後の三房》を《三房の智》に変えました。2022.6.21




