第55話 深層世界にて
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フワフワとした何もない空間で、ルーシーは横たわって浮かんでいた。
どのくらいの時間この空間にいるのかは分からないが、この場所にいること自体居心地は悪くなかった。
(私は……どうしたんだっけ……)
そうぼんやりと思っているが、何があってもどうしてここにいるのか、果ては今まで何をやっていたのかさえ思い出そうとしても、思い出すことが出来なかった。
(……まあ、いいか……。……ずっとこのままでいよう……)
再びぼんやりと思っていると、彼女の背後から不意に声がかけられた。
『ねえ、あなたはそれで本当にいいの? 悔しく無いの?』
ルーシーは思わず身体を起こして、そっと振り返ってみた。するとそこには、黒いワンピースを身につけた、黒髪のロングストレートの少女が自分を見下ろして浮かんでいた────
「……あの、悔しいって?」
何に対して悔しいのか、そもそもそんな風に思う要因すらここには無いので、彼女の言葉の意味が理解出来ないでいた。
『あなた今まで、自分がどれだけの成果を挙げてきたと思っているの? マギア王国の内乱時なんて常に命懸けだったのに、「当時王子だったアルト君の即位に尽力」しても結局その報酬は記憶を失ったことだけ。……こんなおかしな話あるかな?』
「……なんの話ですか?」
ルーシーは心底、彼女の言葉の意味が理解出来なかった。
アルトという名前は、かつてレオンが扮装魔法で高校生の少年に扮装していた時の偽名なのだが、そのことも憶えてはいないようだ。
『魔物討伐だってそうだよ。今回はお給料も発生してたけど、それにしたって命懸けの割には見返りが少ないし、結局魔物を討伐しようとして、こんなことになっちゃったしね』
「それはいいんです。私の意思なんですから」
『あれ? このことは憶えているんだ』
ルーシーは咄嗟に言い返したが、それを思い出そうとしても、もう思い出すことが出来ない。
『あなたはね、ルーシー。ずっと自分自身が周囲の人とあまりにも違うことに対して、負い目を感じていたんだよ』
少女はそっとルーシーの横に移り、座り込むような姿勢を取った。
『でも、それも無理ないよ。何せこっちは別の世界から来た元奴隷で、魔力だけは高いけど最初は魔法も使えなかったし、肩書きも生まれも何にも無いちっぽけな人間なのに、あなたの周りにはいつも大会社のお嬢様だとか、某有名大学の学生とか、気後れしちゃうような人たちばかり何故か集まっていたものね』
補足すると、「大会社のお嬢様」はソフィアのことで、「某有名大学の学生」は過去のジークのことである。
加えて彼らは、ユベッサ公国でルーシーが一年間の限定で営んでいた「何でも屋」で、ボランティアとして活動していたのだ。
また、ソフィアとジークは、「アルト」として潜伏していたレオンを監視するために仕方なく手伝っていたのだが、段々ルーシーの何でも屋を手伝うのが楽しくなり、それが縁で仲良くなったのだった。
また彼らは、ティソナとシルバーワンズの持ち主になった時点で、強制的にマルティン聖堂の管理下に置かれ一員として働くように促されていたのだが、元々忠誠心も何もなく、特にジークは割と適当に流していたらしい。
それも、ルーシーが封印された「大切な記憶」の一部だった。
「……それは、確かに……」
憶えてはいなかったが、その説明を聞いただけで胸が張り裂けそうになった。
『それに、自分と同じで庶民だと思って心を許して、いつのまにか惹かれてたアルト君まで、実は王子様で自分とは住んでる場所が違う人間なんだって知った時は、正直自分の生まれを恨んだでしょ』
そう言われると、いつか自分がアルトの側を離れて彼はソフィアがお似合いだと思ったいつかの光景が目前に浮かんできた。
あの時は、アルトと親しい社長令嬢のソフィアの方が、彼と交友を交わすのに適していると自分の生まれから来る負い目から特に強く思っていた時期であった。
「アルト君……?」
その名前にはひどく懐かしさを感じたが、元々最近のことも何も憶えていないので、思い出そうにも深い霧がかかったようで思い至ることが出来なかった。
『あなたは、誰かのためになれればそれで良いなんて綺麗事を言っていたけど、本音を言えば、実際に誰かのために何かをしても報われない現実が嫌で、このままだと周りの人たちをも恨んでしまうのが嫌だからあなたは……』
「やめて‼︎」
ルーシーは強い口調で遮ったが、少女は構わず続けた。
『あなたはもういっそ、帰ろうとしたんでしょう? 全部解決したら、きっと自分の居場所なんてこの世界には無いって知ってたから。まあ、トロニアにだって居場所なんて無いんだけど、仲の良かったあの三人から必要とされなくなるのが恐かったんだよね』
「違う、私は……そんなこと……」
『たとえこの世界の別の国に移っても、きっとアルト君の噂は嫌でも入ってくる。もし、彼が自分じゃない別の誰かと結婚するって聞いたら、散々彼のために頑張って来た自分が惨めになるし彼を恨んじゃうかもしれないから、いっそトロニアに戻ろうとしたんだよね』
ルーシーはうずくまって、顔を膝に埋めた。何も憶えていないはずなのに、涙が止まらなかった。
『テナー君はね、ルーシー。まさにあなたの理想通りの人だったんだよ。庶民であって、大学生になったアルト君の姿がきっとテナー君だったの』
テナーはレオンが苦作の上で創り出した存在だったが、奇しくもルーシーの理想的な存在になっていたわけである。
またアルトの性格や言動、身長は彼より低いが容姿まで、テナーはアルトと似ていたのだった。
テナーと聞いて、心が温かくなり更に誰かを思い出しそうになるが、脳裏に霧がかかりそれは出来なかった。
『ねえ、ルーシー。あなたはこれで本当に満足なの? 結局あなたばかりが損をしているんだよ?』
「……もう、やめて……」
ルーシーは再び深くうずくまって、膝の中で静かに泣き続けたのだった。
□□□□□
王城の敷地内の国王の住居があるエリア付近に、王室専用のセイント病院は立地している。
床面積は一般の病院ほどの広さで、二階建てである。
一言で王室専用と言っても王族のみが使用するのではなく、王室の職員も勤務中であれば利用することが可能であった。
だが、匿名性が求められることも多いので、王族専用のフロアと王室の職員が利用出来るフロアと完全に分かれているのである。
────キマイラを討伐した当日の二十二時頃。
同病院内の王族専用エリアでは、専属の医者や看護師、医療魔法士たちが慌ただしく廊下や病室を往来している。
その病室は、二十畳程の個室で病室としては広いが、その部屋は本来国王やその家族が使用するためのものなのでこのような広さであった。
その病室のベットの上には酸素ボンベの他、様々な機械に繋がれているルーシーが青白い顔色で横たわっている。
その傍には、無表情だがその瞳にはどこか希望を捨てていないレオンが座っており、その両手はルーシーの左手を握りしめている。
「……陛下、何か進展があればすぐにお伝え致しますので、一度お戻りになられてはいかがでしょうか。……明日の御公務にも差し支えがあってはいけませんし……」
ルーシーの主治医が、実は三十分ほど前から彼に伝えようと思っていた言葉をようやく伝えるが、レオンは小さく首を横に振った。
「……私のことは構わないで良い。……それよりも彼女の状態はどうだろうか」
「……はい。シュナイダー様は先程まで点滴で魔力エネルギーを注入していましたので、魔力や身体の回復は問題ないようです。……ただ、意識を回復するされるには当分時間がかかりそうです。それは今日なのか、はたまた来月何かは明言出来ません。……正直に言ってあそこまで消耗なされていたのに、ここまで回復できただけでも奇跡と言っても良いと思います」
「奇跡か……」
そんな現象とは、きっと自分たちは無縁なんだろうなと思う。
何しろ彼女の命を取り留めたのは彼の蒼の力によるところが大きかっただろうし、本当に奇跡が起きるのであれば、キマイラを討伐することももっと安易だっただろう。
────もっとも、蒼の力自体が奇跡なのかもしれないが。
そう思案していると、ルーシーの顔色が少しだけ良くなってきたことに気がつく。
(ひとまず安心した。……あとは、無事に目を覚ましてくれれば……)
そう思うと、安堵したからか疲れがどっと押し寄せてきた。
彼も緊迫感の中、何度も蒼の力や高位魔法を使用したのにも関わらず、充分な休息も取らず今までルーシーの看病をしていたから、疲労が溜まっているのだ。
「少しの間席を外すが、何かあればすぐに知らせて欲しい」
「かしこまりました」
主治医に声をかけ廊下へと出ると、レオンの護衛が二名待機しており、更に二人にも声をかけると彼らは彼の後を少しだけ距離を開けてついていったのだった。
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