第5話 馴れ初め
ご覧いただき、ありがとうございます。
ルーシーとテナーが付き合い始めたのは、今から約三か月ほど前のまだ桜が咲いてる季節のことだ。
よく晴れた日の土曜日の十五時頃。
ルーシーは、仕事疲れのために街の歩道を力なく歩いていると鞄から不意に手帳を落としてしまったのだが、それをテナーが拾い彼が声をかけたのが出会ったきっかけだった。
「あの、これ落としましたよ」
ルーシーは不意に後ろから声をかけられたので、思わずすぐに振り返った。
「え? あ、本当だ。ありがとうございます!」
大声で返答をしてしまったからか、手帳を拾い上げてくれた青年は目をしばたたせていたが、ルーシーが微笑んで手を伸ばすと彼もつられて笑っていた。
「仕事関係の大事な手帳なんです。失くしたら大事になるところでした」
ルーシーは手帳を拾ってくれた親切な青年に対して、深々と頭を下げた。
「いいえ、お役に立てた様で何よりです」
青年は、笑顔で答えた。
大抵、手帳を手渡したらそれで終いになりそうなものだが、青年は何を思ったのか、ルーシーに対してある提案を持ちかけた。
「あの、今お時間ありますか?」
「え? は、はい。特に用事もないので暇ですけど……」
ルーシーは、今日の仕事は終わったので実は一度帰宅したのだがどうにも自宅で休んでいるのも落ち着かず、何の当てもなかったがとりあえず街に出てきたところだったのだ。
「よかった。それじゃ、よかったらあちらのカフェで、一緒にお茶でもでもどうです?」
「…………え?」
途端に、ルーシーの思考がパンクし始める。
(ちょ、ちょっと待って。今私、お茶に誘われてる? それも、見たところ長身で素敵な初対面の男性に? な、なんでだろう……)
思考はグルグルとルーシーの脳内を駆け回ったが、ただただ混乱するばかりだった。
これはもう一層、本人に訊ねて見ようと思い立つ。
「あの、それはどうしてでしょうか……」
微かな声で、そう絞り出すのがやっとだった。
「ああ、混乱せてしまった様なら謝ります。ただ、あちらのカフェは疲れを癒してくれるハーブティーが有名なので、良かったら一緒にどうかなと思いまして」
「ハーブティーですか?」
途端に興味を惹かれる。
ルーシーは紅茶全般が好きなのだが、ハーブティーもよく好んで飲んでいるからだ。
「でも、流石に突然不躾でしたよね。すみません、忘れてください」
そう言って、立ち去ろうとする青年のことがルーシーはどうにも気にかかり、気がついたら声をかけていた。
「あの、でしたらここは手帳を拾ってくれたお礼と言うことで、私にご馳走させてください」
青年は微笑みながら振り向き、頷いたのだった。
◇◇
その後、先ほどの場所から二人で徒歩で移動し「カフェ・ティザン」の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
すると、すぐに男性のウェイターが二人を窓際の対面席に案内をしてくれた。
その際、青年が自然な流れでルーシーに背を向け、イヤホンのマイクを伸ばして何事かを呟くと、すぐに向き直して席に座った。
それからハーブティーをそれぞれ注文すると、青年はルーシーに対して、自分は二十歳の王都内の大学に通う学生だと説明をした。
「僕の名前はテナー・リベラです。現在は二年生で、休日の夕方は大方この近辺にある飲食店でバイトをしています」
「大学生の方だったんですね」
ルーシーは、思わず対面に座るテナーを下から上へと眺めた。
テナーは、黒髪の優しげな目元が印象的な青年で、常に微笑みを絶やさないのが、ルーシーにとって自然と彼に惹かれる一つの要素だった。
「あの、差し出がましいですが、よかったらあなたの名前も教えていただけますか?」
ルーシーは頷き、息を小さく吐いてから続けた。
「私の名前は、ルーシー・シュナイダーです。仕事は、一応国家魔法士をやっています」
テナーは目を細めた。ルーシーが自分に職業を紹介したことが気にかかったのだ。
「国家魔法士の方だったんですね。凄いな。なかなか成れる職業じゃ無いですよ」
「いえ、昔はともかく、今はそうでもないんです。今や、国家魔法士はあることが原因で離職者が相次ぎ、万年人出不足ですから……」
「ああ、そうなんですね。……ルーシーさんがよかったら、僕話聞きますよ? もちろん差し支えの無い範囲で」
「……本当ですか?」
そうして、ルーシーは守秘義務に当たらないように気をつけながら、テナーに主に仕事に対しての不安を打ち明けていった。
◇◇
最初は仕事の話題だったが、気がつけば世間話になっていて、時間も随分と経っていた。
先ほどまでは明るかった空も、十七時を回ったからかすっかり暗くなっていた。
ふと店内のガラス越しに、通勤途中なのかスーツ姿の男性や腕を組んだ恋人たちが通りかかるのが見えた。
「ごねんね。楽しかったから、つい長居しちゃった」
ルーシーは人見知りの方なので、普段見知らぬ人と打ち解けたり、ましてやタメ口で話すということは殆どしないたちなのだが、テナーが「気軽に話して欲しい」と申し出てくれたので、今では自然に話すことが出来ていた。
「ううん、僕こそ。急に誘ったのに、付き合ってくれて嬉しいな。ありがとう」
テナーの方も、すっかりルーシーに対して自然に会話をしていた。
「名残り惜しいけど、そろそろ帰ろうか。僕これからバイトだし」
言ってテナーは立ち上がり、さりげなくテーブルの上に置かれた伝票を手に持った。
「そっか、そうだよね……」
ルーシーの表情が暗くなったからか、テナーは出来るだけ自然に切り出してみる
「良かったら、お互いの連絡先を交換しない? またこんな風に会って、話を聞くくらいならできるから」
ルーシーの表情は、途端に柔らかくなった。
「いいの?」
「もちろん、僕でよければ」
そうして二人は、お互いの電子端末を取り出して連絡先を交換し合い、その後も先程のカフェで会いお茶をした。
また、ルーシーが自室でくつろいでいる時に、電話で仕事の守秘義務に当たらない程度の愚痴を聞いてもらう等、二人は着実に親交を深めていく。
すると次第に、彼女の心に温かい気持ちが芽生えた。
「テナー君と一緒にいると、安心するな……」
ある日、いつものように二人で「カフェ・ティザン」でハーブティーを飲んでいる時に、ルーシーが柔かに微笑みながらそう言った。
「……よかった。そう言ってもらえて」
テナーも笑顔だが、それはどこか物悲しさを含んでいるようだった。
そんなテナーを見ていると、ルーシーはこの温かい気持ちを伝えたい、伝えなければいけないと言う気持ちが心に溢れた。
加えて、何故か「黒髪の少年と金髪の青年」が目前にテナーとダブって見えたが、ルーシーは瞳を閉じた。
「……あのね、テナー君のことが好きなんだ。……よかったら、私と付き合ってください」
その言葉は、気がついたら言っていた。
生まれて初めて異性に告白をしたのもあってルーシーの鼓動は高まり、顔も身体中も真っ赤だった。普段かかない部類の冷や汗もかいている。
彼は、ルーシーの告白に対して思わず目を見開き口元を緩めたが、同時にどこか憂いを帯びた眼をしている。
それから、少しの間思案し、「ありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」と言って爽やかな笑顔で頷き、その告白を受け入れた。
そうして、二人は付き合うことになったのだった。
とはいえ、ルーシーは生まれてから二十五年間、恋人がいたことがなかったので、彼との付き合いは常に試行錯誤だった。
たとえば一緒に歩くこと一つとっても、並んで歩こうにも、付き合う前は意識せず出来ていたのにいざ付き合ったら気恥ずかしくて中々できなかった。
それを踏まえると、ルーシーはよくテナーに対して告白をする勇気が持てたものだと思うが、あの時の彼女はそうしなくてはいけない、という謎の衝動に背中を押されていたのもあったらしい。
テナーはルーシーの気恥ずかしさにすぐに気が付き、彼がルーシーの歩幅に合わせて歩いてくれたので、それは次第に解決していった。
手を繋いで歩けるようになったのは、つい先日のことで、今まで何度も彼の方から繋ごうとしたが、いつもルーシーが慌ててしまい、それができずにいた。
見かねたテナーは、柔らかな物腰で先日ストレートに切り出した。
「そろそろ、ルーシーと手を繋いで歩きたいな」
「え⁉︎ う、うん。……私も」
意外と直球の言葉が効くらしく、それからは特に慌てることもなく自然に手を繋げるようになっていた。そんなルーシーへの対応を、何故かテナーは自然に行っていた。
ただ、二人は最近ようやく手を繋げるようになったばかりで、それ以上の触れ合いはまだ行ったことはなかった。
ルーシーはテナーに触れたいと思っているが、手を繋ぐことさえできなかったのだから、当然どうしたらよいかなど分からなかった。
対してテナーは、いつも柔かにはしているが、その実何を考えているのかいまいち読めないところがあった。
だがルーシーは、それを含めてもテナーとこのまま付き合いたいと思っており、それは彼にも伝わっているようだった。
(合わせてくれているのかな……)
内心そう思うが、流石にそれは言葉にはできないのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。
二人の馴れ初めは、冷静に考えてみるとルーシーはもっと身構えてもよさそうなところですが、テナーの雰囲気に悪気がないことを感じ取ったのかもしれません。
次回も、お読みいただけたら嬉しいです。