第36話 名前で呼んで欲しい
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(……あれ、私何をしていたんだっけ……)
ぼんやりとした頭を働かせようと、ルーシーはゆっくりと瞼を開いた。
今まで自分は何かをしていた様だが、どうやらそのまま眠ってしまったようだった。
目先を確認すると、シックなテーブルやテレビ台などが置いてあるのが確認することができた。
また、いつの間にか自分のいる部屋、……リビングの明かりは補助灯に切り替わり、部屋の各所に置かれた足元灯やカーテンの隙間から差し込む月光が際立って見える。
「起きたか?」
不意に隣から声がかかったので、ルーシーの身体は思わずビクリと跳ね、途端に寝てしまったことを思い出した。
(あ、あれ? でも、どうしてこうなったんだっけ……)
現在、ルーシーは薄暗いリビングの隅に設置されたソファーに座っているのだが、左隣に座るレオンにもたれかかって座っていて、レオンの右腕が優しく彼女の身体を包んでいた。
「あ、あの、陛下……」
「どうかしたか?」
「その、……私、重くないですか? ……夕飯にオムライスとパスタと、どっちも食べちゃって……」
ルーシーの今日の夕食は、例のことが気にかかり作る気力も無かった上に自作の冷凍おかずのストックも無かったので、コンビニで弁当を買ってきたのだが、食で気を紛らしたいと思いその二食を買いどちらとも完食したのだった。
普段だったらレオンに対して、おおよそこんな話はしないのだが、今は眠気で意識が朦朧としているのと、彼の体温を自分の身体で常に感じていることもあって、気が緩んでいるのだった。
「ふふ、食欲があって安心したし、重く無いから安心して欲しい」
その言い回しが何だか可笑しくて、彼女は思わず小さく吹き出していた。
(……優しいな。考え方は、テナー君と一緒なんだ。……本人だから、当然だけど……)
そう思うと、再び彼女の鼓動は強く高鳴り、レオンへの愛しさが強くなっていく。
だが、その感情が強くなればなるほど、ある疑問が並行してルーシーの心中で強くなった。
「あの、陛下……」
心細そうな潤んだ目で自分の目を見つめる彼女を見ると、レオンは彼女の身体を自分の方に抱き寄せ、その唇を自身の唇と再び重ねる。
彼女は思わず目を見開き、次第にそれを閉じて受け入れた。
しばらくすると、彼はそっと離れてルーシーに微笑みながら言った。
「レオン」
「…………え?」
「俺のことを、これからは名前で呼んで欲しい」
それは、彼女に対して仮初の姿で接することが多かったレオンにとって、長年の悲願とも言えた。
「……名前、ですか……?」
「そうだな。出来れば「君づけ」で呼んで欲しい。テナーの時の様に」
途端に彼女の顔が赤く染まり、激しく首を横に振って動揺した。
「そ、それは、とてもできそうにもありません……。心臓が持ちません……」
レオンは、口元を緩めて続けた。
「そうか。ならルーシーが呼びやすい呼び方で構わない」
ルーシーは思案し、無難そうな呼び方を選択した。
「…………それでは、レオン様はどうでしょう」
「却下」
「…………それ以外では、お名前を呼べそうもありません……」
ふっと息を漏らして、小さく苦笑した。
「……では、これからは『さん』付けして呼ぶこと。それでもいいか?」
ルーシーは頬を真っ赤に染めながら、小さく頷いた。
「…………レオン……さん」
気恥ずかしそうに上目遣いで自分の名前を呼ぶ声に、元々崩壊寸前であったレオンの理性は殆ど飛んだ。
彼は、ルーシーの身体を強く抱きしめ無造作にその唇に口付けると、次第にそれは深くなっていく。
思わず彼女の声は漏れ、そもそもキス自体を先程初めてしたばかりなので耐性もなく、このような形でのそれは、いよいよルーシーの気力が保て無くなって来ていたのだった。
だがそれを訴えようにも、当の彼は目を閉じてルーシーを少しでも感じようとしているかの如く、それを止めようとしないので気づいてもらうことは難しそうだ。
(私、このまま陛下と結ばれても良いのかな……)
◇◇
ルーシーの心の奥で燻る、自分自身の正体への焦燥感。
今はたとえこの国の国民で、更に国家魔法士であっても、実の所自分が今現在がどうであれ過去に奴隷だった身であることには変わりは無い。
どう考えても国王であるレオンと、釣り合うわけがないのだ。
ただ、その事実を知る者はこの世界では辛うじて少ないかもしれないが、それでも自分自身が周囲の人間を騙しているようで心苦しかった。
だがレオンは、そんな自分自身を何故か無条件に、全て受け入れてくれた。
ルーシーにとって、それほどありがたくて嬉しいことは無い。
だが、同時に疑問も湧き上がる。
──どうして彼は、自分をこんなにも愛してくれるのだろうか、と。テナーの姿に扮装してまで……。
◇◇
「…………陛下」
レオンがルーシーの唇から離れ、彼女の首筋に自身の唇を寄せていると、不意に呼び掛けられたので思わず顔を上げる。
「……悪い。嫌だったか?」
ルーシーが自分の名前を呼ばなかったことが、彼女に嫌悪感を抱かせてしまったのかとレオンは思ったのだ。
だがルーシーは、首を小さく横に振った。
「……陛下は、……どうして私のことを……愛してくれるのですか?」
レオンは思わず姿勢を正しルーシーの瞳を見つめた。彼女のそれは、何処か戸惑っているような不安気な様子だった。
(そうか。ルーシーには俺の想いを殆ど打ち明けたことが無いから、……不安にさせてしまったな)
彼はそっと彼女の肩に腕を回して、自身の気の昂りを抑えようと深呼吸をする。そして、何から話そうかと思考を巡らせた。
(今のルーシーに、ユベッサ公国でのことや、ましてやこの国の反乱時のことを説明しても、憶えていないだろうからそれは駄目だ。……だが、あの頃の俺は余裕が無く、彼女のことは好きだったが、それは親愛に近いものだったのかもしれない……。だが、自分の気持ちをハッキリと自覚した時のことは今でも覚えている)
◇◇
レオンはそっと微笑むと、囁くように言った。
「君は覚えていないかもしれないが、俺が……君と出会ったのは、君がまだ魔法士になる前の三年前だった」
「…………え?」
思いもよらぬ言葉に、ルーシーの思考は固まるが、「三年前」という言葉に心当たりがあるのか、もしやと思いながら遠慮がちに訊ねた。
「ひょっとして、……この国に初めて魔物が出現した日のことですか?」
「ああ、そうだ」
ルーシーは三年前の件のことを思い出すと、現在魔法士務長官であるナオと眼光の鋭い金髪の青年が目前に現れた。
「……あの時の方は、陛下だったんですね……!」
ルーシーは目を見開き、驚きを隠せなかった。
何せ彼とは魔物の討伐中は余裕が無くてほとんど会話も交わせなかったし、彼は討伐が終わると合流してきた何名かの男性たちと飛翔魔法で駆けて行ってしまったからだ。
「あの時の君は、完全なる民間人だった。だが、俺たちが到着するよりもより早く駆けつけ、その魔物の殆どをすでに討伐していた。だが、これからは民間人に魔物討伐を任せることは出来ないとグランディル現士務長官が君に説明した時、君は迷いもせず瞳を逸らさずこう言ったんだ」
ルーシーの鼓動が高鳴った。過去の自分自身の言葉を、思わず思い出したからだ。
『だったら私も国家魔法士になって、人々から魔物の脅威を取り除きます!』
「そう言った君から、目が逸らせなかった」
(同時に、あれ程迷惑をかけてしまった君に、もう二度と関わってはいけないんだと言う心緒、君に再会出来たことへの喜び。そして、俺が知っている君ではない君を知れた高揚感……。だが、やはり深いところで、誰かの役に立つ為に何かをしたいと言う君の行動理念が普遍だったことへの安心感。ともかくあの時の俺は……)
「君の言葉に気概に、目が逸らせなかった。そして再び王城で再会し、どんな時も、たとえ自身に殆ど利がない時でも、有言実行を成し遂げる君を知って湧き出るこの気持ちは愛情なんだって認識したんだ」
レオンの言葉にルーシーの心は震え、気がついたら自分から彼の胸に飛び込んでいた。そして自身のか細い腕を彼の背中に回して、抱きしめた。
「…………まだ、テナー君があなただったことに対しての、戸惑いはあります。あなたと結ばれる資格は、私にはないとも思います。だけど……」
顔を上げて、ルーシーはそっと微笑む。
「私もあなたが好きです。この温かい気持ちはきっとずっと変わらない。テナー君への、そして……レオンさんへの愛情も」
レオンは身体を震わせ目を閉じると、ルーシーの髪をそっと撫で、彼女を両腕で抱きしめ返したのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
今回で第5章は終了となります。
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