第1話 ルーシーとテナー
ご覧いただき、ありがとうございます。
今作は、身分差恋愛の物語です。お付き合いをいただけると幸いです。
「テナー君!」
黒髪ボブショートの髪型が印象的なその女性は、噴水の側のベンチで電子端末を操作している青年を見つけると、身につけている白いワンピースのスカートをはためかせながら、彼の側まで駆け寄った。
テナーと呼ばれた青年は、彼女の息を切らせる様子を心配し自身のハンカチを手渡した。彼は黒髪で涼しげな目元が印象的である。
彼らは噴水公園で十三時に待ち合わせをしており、現在は十分ほど過ぎていたのだった。
「ルーシー、大丈夫?」
「ありがとう。…………ごめんね、思ったより仕事が長引いてしまって……」
ルーシーの荒い息が治まると、テナーは穏やかに微笑み小さく首を横に振って、座っていたベンチから立ち上がった。
「全然待ってないよ。むしろ、急がせてしまってごめんね」
「テナー君は優しいな」
受け取ったハンカチを手にすると、ルーシーは汗ばんだ額に押し当てた。テナーの気遣いに心が満たされていくようだった。
「今度会った時に、洗って返すね」
「いつでも大丈夫だよ」
再び穏やかに微笑んで、青年は彼女の手を握った。慌てて走って来たために温かくなっている体温が、更に上がったようにルーシーは感じた。
「とりあえず、ご飯を食べに行こうか」
「うん、そうだ。お詫びに何でもご馳走するよ」
テナーの歩みがピタリと止まった。
「……いや」
テナーは何か思うところがあるのだろうか。ルーシーはそっと彼を覗き込んだ。
「僕も、バイト代が入ったから何かご馳走したいと思ってたんだ。何がいい?」
「え? えっと……」
自分が奢る気でいたので、不意をつかれた形になり口篭ってしまう。自分の提案を上書きされるとどうにも思考が鈍り彼の勢いに押されるようだった。
ともかくテナーの後について行くべく、公園を後にしたのだった。
◇◇
それから二人は、パスタが評判の店でランチをした後に近くの水族館でデートをした。
だが夕方にテナーが飲食店のバイトがあると言ったので、ルーシーが乗ってきた車を駐車した貸し駐車場まで二人で歩いて行き、そこで別れることにしたのだった。
「また、連絡するね」
「うん、待ってる。仕事頑張ってね!」
「ありがとう。ルーシーも、気をつけて帰ってね」
二人のデートは、いつもこのような流れで終わる。
──ルーシーは何かにつけてテナーに対しておごろうとするのだが、決まって彼はそれを察してやんわりかわし、反対に全ての支払いを気づいた時には終わらせているのだった。
それは流石に申し訳ない! と、今度こそは何かを奢ろうと息巻き、自分の車──白の軽自動車に乗り込み、ルーシーは自宅へと戻っていった。
◇◇
ルーシーが車で駐車場を出ていくのを見送ると、テナーは足早にその場を立ち去り、自身も別の駐車場に停めておいた自身の車に乗り込みそれを起動させる。
するとすかさず、彼が身につけているワイヤレスイヤホンから声が聞こえた。
「陛下。いつものように、このままお帰りになられますか?」
「ああ」
先ほど彼女に向けていた柔らかな声とはうって変わって、大方の人からしてみたら無機質に感じられる声で答えた。
「承知致しました」
テナーは手動運転に切り替えて、先ほどルーシーに説明していたバイト先ではなく、自宅へと向かい始めた。
──実の所彼は、アルバイトはしていないのだった。
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