婚約破棄をいたしましょう。
「コーデリア・ウォーレン! 今日は君に大切な話がある。こちらへ」
卒業パーティーで賑わう最中、緊張した面持ちで婚約者の王太子、テリーが壇上で高らかに宣言した。
その隣にはシルビアが口元に笑みを浮かべて佇んでいる。
……ついに、ついに来てしまった。乙女ゲームのクライマックス、断罪イベント。
会場の端で目立たないようにしていた私、コーデリアは、これから起こる自分への弾圧、婚約破棄、そして追放に恐怖した。
「……かしこまりました」
モーゼの十戒よろしく、私の前には壇上への道が最短距離で開かれる。
涼しい顔で一歩ずつ進むが、正直言って足取りは重い。
パーティ休めばよかったよおおおお! と泣き叫びたいが、こうも注目を浴びていてはそれもできない。
それこそ「侯爵家の恥だ!」と、弾圧以前に問答無用で家を追放されるだろう。
この日を避けるために生きてきたのに、どうしてこうもゲーム通りにイベントが来てしまうものなのだろうか。
私はゆっくりと死刑台──もとい壇上に向かう中、自分の運命を恨めしく思った。
某乙女ゲームの悪役令嬢、コーデリアに転生したと気付いたのは、遡ること彼女が五歳の頃のこと。
父に連れられ王宮に訪問中、王子と会話している姿を王女と間違われて誘拐犯に連れ去られてしまう。
そりゃそうだ。
腰までの金髪に人形のような造形のコーデリアと王女は後ろから見たらそっくりだ。間違われても仕方がない。
そして追い詰められた誘拐犯に連れられ逃走中に、彼女は馬から落ちてしまうのだ。
瀕死の重傷を負った彼女はそれから一年眠り続け、目覚めた時には別人のように高飛車なご令嬢になっていた──というのが、本来のコーデリアの設定だった。
が、何を思ったか卒業式に向かう途中、交通事故で死んだ私の魂は落馬した彼女に宿ってしまった。
いやいや、転生するなら主人公のシルビアでしょ! 可愛くて性格もおしとやかで全方向愛されキャラ! 悪役令嬢なんておかしいって!
と内心めちゃくちゃ叫んだが、こればかりはどうしようもない。
私は仕方なしにコーデリアとして生きることにした。
彼女が断罪されるゲームの舞台、学園に入学するまではあと十年。
卒業まではあと十二年と考えると、それまでになんとか追放されるような芽を摘めれば……そう考えていた。
「……デリア、コーデリア、どうしました?」
呼び声にはっとしてそちらを見上げると、声の主が太陽のような微笑みを浮かべた。幼き日のテリー王子だ。
彼は、お見舞いと称して毎日ウォーレン家にやってきていた。
白の似合う金髪碧眼に、子供ながら柔らかな物腰の彼はまさに王子様キャラ中の王子様だ。
作中ダントツの人気を誇るキャラであり、コーデリアの婚約者でもある。ただちょっとだけアホっぽいところがあるのがタマにキズ。
彼は誘拐事件の責任を取って彼女と婚約したが、高飛車な彼女に愛情はなく、学園で出会ったシルビアに惹かれる、という典型的な乙女ゲームのシナリオを体現する存在なのだが……。
驚くべきことにシルビアが彼以外のルートを選んでも、コーデリアはもれなく追放される。
「おめでとう、シルビアお幸せに。そしてコーデリア、お前との婚約は解消する。追放だ」と、もののついでに自分の婚約破棄をぶっ込んでくるあたり、なんのギャグかと思った。
……まあ、彼は義理で婚約したようなもんだし、愛がないのは仕方がないけど、さすがにあのタイミングで婚約破棄はアホの所業だと思う。
なので、私は前々から密かにテリーが婚約破棄を狙ってるのではと思っていた。
ここで婚約破棄してしまえば、コーデリアは追放まではされない。うん、私頭いい。
「殿下、お話がございます」
「はい、なんでしょう?」
「私はもうこの通り元気ですので、殿下との婚約を解消したいのですが」
しずしずと言う私に、「は?」と目を丸くしたテリー。周りのメイドたちも口をあんぐり開けている。
「……何をいって」
「殿下はもっと、可愛い方がお似合いだと思うんですよね」
例えば、シルビアとか。
「おしとやかで、なんていうかこう、全方向愛されキャラ? って言うんですかね?」
そう、強いて言うならシルビアとか。
「私なんか高飛車で何もできないワガママな人間より、そういう子の方が殿下も幸せになれると思うんです。どうでしょう、婚約破棄をいたしませんか?」
「は?」の口のまま、ぽかんと口を開けていたテリーは、堰を切ったかのように笑い出した。肩は震え、目に涙が滲んでいる。
あのー……私そんな変なこと言ってないんですけど……むしろ未来のあなたの要望通りの婚約破棄ですよー……
困惑する私に、しばらく笑い転げた彼は、一言「……失礼しました。婚約解消は致しません」と再び笑い出しそうな顔で告げた。
その日の夜、メイドから顛末を聞いた父と母に「殿下に婚約破棄を申し出るとは何事か!」と、しこたま怒られたのは言うまでもない。
先手の婚約破棄が封じられ、私は途方に暮れた。
どうも気に入られてる節がある。おかしい。こんなはずでは。
が、よく考えてみたら彼はゲーム中、高飛車な彼女に嫌気をさしていたはずだ。
ということは、ずっと偉そうにしていればもしかしたらテリーから婚約破棄してくれるかもしれない……!
一縷の望みをかけ、六歳になった私はテリーも出席するというお茶会に参加した。
こういうのは人目がある場所で恥をかかせられた、みたいなのが効果覿面よね。うんうん。
今日一日、偉そうな態度でいるべし! という意気込みで、テリーのエスコートで馬車から降りたのだが──。
「ちょっと、元平民が近寄らないでくださる?」
突然聞こえてきたお手本のような高慢な声に、私とテリーは周りを見回した。
私の発した声……ではない。
声の方に向かうと、一人の男の子が数人の子供たちに囲まれていた。
茂みの影に隠れて、「あれは確か……」と息を飲んだ私の横に、ぴったりと寄り添うようにしてテリーが囁いた。
「彼は……つい最近叙爵されたワイエス男爵の末息子ですね」
叙爵式には僕も参加しました、と呑気に彼は付け加えた。
そう、彼のいう通りマイケル・ワイエスは元平民の男爵家の子供だ。
濃い茶髪のツンツン頭にそばかすという、半ズボンが似合ういかにも快活そうな男の子である。
もちろん彼も攻略対象の一人だ。
今は他の子供に囲まれて縮こまっているが、本来は向日葵のような笑顔がトレードマークの元気いっぱいの男性、になる予定だ。
確か、学園に入学する頃には子爵位だったはず。
ゲーム内でも成り上がり貴族としてやっかみを受けていたが、まさかこの頃からとは。
……でもそのおかげで同じ元平民のシルビアと仲良くなるし、カッコよく成長するのよね。
真剣な表情で彼を見つめるテリーに、私は「流石に近すぎませんか?」と聞いた。
「大丈夫です。向こうは僕たちに気付いていません」
と、彼はマイケルから視線を移さずに呟いた。いや、そういうことじゃなくってね。
意図が伝わらず私は思わずため息をついた。
大方、彼はタチの悪い貴族の子供から文句をつけられているのだろう。
……あまり介入して後々ややこしいことになってもなぁ……
かと言って見なかったことに、というのも気が引ける。
「……殿下、私、父を呼んで参ります。暫しこちらでお待ちください」
そう言って、私は踵を返そうとした。
「あなた、平民なのでしょう? 王女メリア様主催のお茶会によくもまあ平気な顔して来られたわねぇ」
「そうだそうだ。場違いな奴は帰れ」
「平民菌がうつるぞー」
「よく見たら髪もボサボサ、肌はそばかすだらけ、安っぽそうなお洋服をお召しだこと」
「そうだそうだ。貴族はそんなもの着ないぞ」
「頭も悪そうだしなー」
馬鹿にしたようにせせら笑う彼らに、いい加減、堪忍袋の緒がぶちっと切れた。
同時に高飛車モードにもスイッチが入る。
「……先ほどから聞いていれば、酷い言い草でございませんこと?」
がさり、と茂みの中から私は立ち上がった。そうしてテリーが小さく止めるのも聞かずに、ずんずんと彼らの方へ歩いていく。
「平民? だからなんだと言うんです? マイケル様のお父様は、騎士としてこの国の守護に貢献されている方ですわ。たとえ平民でも多大な功績を挙げている方に叙爵するのは、この国では当たり前でしてよ。私より年上のようですが、そんなこともご存知なくて?」
哀れみの視線を送ると、子供達の中で一番年長の子女が、顔を赤くして口をぱくぱくさせた。
「それにメリア様主催のお茶会で出席者を貶めることは、メリア様を貶めることになりますわ。そうした気遣いのない男児に生まれてしまって恥ずかしいと思いませんこと? というか平民菌ってなんですの? 頭がよろしいとはとても思えない言葉で私、思わず笑ってしまいましたわ」
ほほほ、と真顔で笑い声を上げると、年長の子供に同意していた男の子二人が顔を見合わせ俯いた。
「それに……一つ言わせてもらいますわ」
ごくり、と誰かが生唾を飲み込む。
「……髪がボサボサ? そばかすだらけ? 安物の服? それがどうしたというのです。むしろお手本のようなショタに拍手を送るべきですわ。マイケル様ほど半ズボンが似合う人物は他にいませんことよ。ショタは国を挙げて保護すべき貴重な人材なのです!……それを寄ってたかって撲滅しようなどと許されざる行為ですわ……!」
「こ、コーデリア、分かった、分かったから」
怒りに震える私を止めるように、テリーが割って入ってきた。
彼が姿を現したことで、真っ青になり平伏すいじめっ子たち。
さすが貴族の子供、権力が絶対だときちんと躾けられているのね。
「……今日のところは殿下の寛大な御心に免じて許して差し上げますが、私非常に難しくて大事なお話をしました。お分かりいただけまして?」
私の鬼気迫る表情に、いじめっ子たちはこくこくと赤べこのように頷いた。
そうしてクモの子を散らすように方々へ散っていった。
「まったく、君という人は……」
テリーの声色は呆れ返った、というよりも「仕方ないなぁこいつめうふふ」という気持ちがこもっているように聞こえる。
……あれーおっかしいな……高飛車な言動でドン引きさせるはずなんだけど……今から挽回しなければ。
「殿下こそ、出てくるのが遅すぎですわ。亀さんより遅くてよ」
機嫌を害したようにつん、とそっぽを向いてみせた。
その様子に目を見開いた彼はまたも肩を震わせ始める。
「……か、……かめさ……ふふふ……こ、コーデリアは可愛いなぁ」
腹を抱える彼に、私の頬は真っ赤に染まる。
私今、高飛車にいけてたよね!? なして笑う??
テリーのツボがわからない……。
「あの……ありがとうございました。て、テリー様、コーデリア様」
私とテリーに挟まれておろおろしていたマイケルは、ぺこり、とお辞儀をした。しまった、マイケル忘れてた。
見ると彼は頬を赤く染め、上目遣いでこちらを見ている。ちくしょう、超可愛いな。
「いや、マイケル。助けたのは僕じゃないよ。彼女だ。礼ならコーデリアにしてくれ」
「そんな、滅相もございませんわ。殿下が来てくださらなかったらあの場をどう収めようか思っておりましたのよ。それが亀さんより遅いんですもの。驚きの遅さでしたわ」
しめた、マイケルの前で恥ずかしい思いをさせてやろう、とばかりに精一杯の皮肉を浴びせるが、テリーはまたも口元を緩ませている。
それどころかマイケルですら朗らかな笑みを浮かべていた。解せぬ。
「……随分楽しそうだね。私もご一緒してよろしいかな?」
落ち着いた低い声が私たちの背後からかけられる。
「叔父さ……ではなく、メイフィールド公、どうされました?」
「ははは、テリー、今日は公務じゃないんだ。堅苦しいのはよそう」
テリーが軽く会釈した相手に、思わず私は顔を引きつらせた。
国王とは歳の離れた王弟、トラヴィス──三人目の攻略対象だったからだ。
確か学園卒業したてという話だったから、現在の歳は十七、八か。
テリーと同じ青い瞳だが、その髪は夜空を塗りつぶしたような漆黒だ。
攻略対象の中ではダントツの年上なのだが、落ち着いた大人の色気のおかげかその人気は高い。
人当たりの良い笑顔を常に浮かべているが、私は知っている。彼はとんでもない皮肉屋で、どんなに努力しても王位継承順位が最下位の王弟という立場に不満を持っていることを。
……どうして今日はこうも攻略対象ばかり集まってくるのか……。
私が内心げんなりしている間に、テリーは彼に先ほどの顛末を面白おかしく伝えていた。
それを聞いたトラヴィスは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつものような張り付いた笑顔を浮かべる。
「へぇ、テリーの婚約者は面白い子だねぇ。お嬢さん、もう少し大人になったらテリーじゃなく私と結婚しないかい?」
「お、叔父さん」
「これくらいの半ズボンを着てくれたら良いですわ」
そう言って私はマイケルの背中を押した。
その場の全員が「ん?」と首を傾げるが、私はお構いなしに続けた。
「この太腿のちょうど真ん中までの丈と、細くて白い脚との黄金比率、素晴らしいですわ。大人になるとこうも魅力的には履きこなせませんもの。今だけの輝きですわ」
私はにっこりと笑うと、トラヴィスは一瞬だけ眉をひそめ、すぐに声を上げて笑い出した。
戸惑うテリーと、ほんの少し顔の赤いマイケルは首を傾げたままだ。
「あ、あの、叔父さん?」
「……ああ、ごめんごめん。ついね」
トラヴィスは手を団扇のように仰ぐ仕草をした。
「彼女はね、つまりその気がないって言ってるんだ」
怒らないでやってくれ、とテリーに言うと、彼は納得するように頷いた。
向き直ったトラヴィスの目は、新しいおもちゃを見つけた子供のようにキラキラしている。
あーなんか嫌な予感……。
「お嬢さん、お名前は?」
「……コーデリア・ウォーレン、と申します」
ドレスの端をちょんとつまんでお辞儀をすると、その耳にトラヴィスは私だけに聞こえるような声で囁いた。
「テリーが物足りなかったら私のところにいつでも来なさい」と。
…………いやいやいやいや、今、アナタ十七歳。ワタシ六歳。ロリ、口説いちゃダメ絶対。
いくらこの世界の貴族はそれくらいの歳の差が違和感なくても、さすがに小学一年生くらいの年齢の子に手を出しちゃいけないと思うんだ……。
いろいろな意味でげんなりして帰宅した私に、「また茶会でなにかやらかしたそうだな!」と両親からの雷が落とされたことは言うまでもない。
余談だが、何故かその日以来、半ズボンをお気に召したテリーがずっと半ズボンを履き続け、国に半ズボンショタブームを巻き起こしたのはまた別の話だ。
もう一つ付け加えると、テリーの半ズボン姿はものすごく似合ってた。なんか悔しい。
そんなこんなで婚約破棄の糸口のいの字も掴めないまま、四年が過ぎた。
……いや、四年の間も色々やってたのよ?
テリーが虫が苦手だと聞いて虫だらけの部屋に招待したり、スポーツをする女性ははしたないという風潮から手始めにサッカー……というよりも蹴鞠をやってみたり、その他もろもろ、嫌われるためならなんでもやった。
その度にテリーは「コーデリアが好きなものは好きになってみせる!」と無駄に男気を見せるわ、「彼女がそこまで熱心にするならば」と国に蹴鞠のクラブチームを作るわ、国を挙げての大々的なイベントを催すわ、何故かどんどん逞しくなっていた。
私は彼の専属トレーナーではないんですが。さっさと婚約破棄してくれませんかね……。
そんなある日、通訳を務める外交官の家にテリーと共に招かれた。
外交官、と言っても一応は子爵位の貴族だ。
しかし、小さな白亜の城のような屋敷が多い普通の貴族邸とは違い、この貴族の屋敷は柱や屋根に華美な原色使いの装飾が施されていた。
おおよそこの国ではみたことのない植物が庭に生え、大きめの花がその存在を主張している。聞けば遥か南の国の植物なのだそうな。
そんな中、出迎えたのは私たちと同じくらいの歳の少年だった。
健康的な褐色肌に、髪と瞳は燃えるように赤い。
異国情緒あふれるその姿に、黒のタキシードが様になっている。
ハイ、彼も攻略対象です。
名前はヒュー・ラフ。外交官ラフ子爵の息子で、無口で表情が読めない異邦人だ。いいよね無口な男の子。
ちなみに別の攻略対象を攻略すると、終盤で彼は祖国に帰る。
攻略失敗しても途中で祖国に帰る。
ドボン選択肢も攻略対象の中ではダントツに多い、取扱注意人物だったりする。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「……入レ」
素っ気ない返事で背を向けた少年に、私たちは顔を見合わせた。
並べられた食事も南国らしく、フルーツがこんもりと盛られ、スパイシーな香りが漂っている。うん、美味しそう。
ここで私は一世一代の大勝負に出た。
「こ、コーデリア、なにを……」
私は脇目も振らず勢いよくガツガツ食べ始めた。しかも素手で。
テリーがドン引きしているが、そんなのはお構いなしだ。むしろ大いにドン引きするがいい。
見ればテリーだけでなく、ラフ子爵とヒューも驚きのあまり言葉を失っている。
よしよし、これでテリーから嫌われて婚約破棄できるはず──と、思っている時期が私にもありました。
「…………素晴らしイ!」
呆けていたラフ子爵が拍手と共に称賛の声を上げた。
……あれ?
「こーでりあ殿は我が祖国の風習をご存知なのデスネ! まだお若イと言うのにナント勉強熱心ナ! ヒューにも見習って欲しイデス」
その隣でヒューはコクコク頷いている。
……おや?
嫌な予感がしてテリーの方にゆっくりと顔を向ける。
めっちゃキラキラした目で見てるー! やめてー! ちがう、違います人違いです! そんなつもりで手を使ったわけじゃないんですぅぅぅ!
私は顔をヒクつかせながらも「イイエ、滅相モゴザイマセン」と答えた。
後々聞くところによれば、ヒューの故郷では食事は全て手で食べるそうな。
ちゃんと調べておけばよかった……完全に私の失態である。
南国の風習について大いに盛り上がった食事会も終了し、帰り際、ヒューがお見送りで握手を求めてきた。
「……この国の人間ハいけすかないヤツばかりダト思っていたガ……アナタのような方がイるなら安泰ダナ」
と、スチルでも見せたことのないような暖かな微笑みを浮かべられて、図らずも赤面してしまった。
そんな帰宅した私を待っていたのは、毎度お馴染み両親の怒号……ではなく、「頼むからラフ子爵の家以外ではそんなことしないでくれ」という懇願だった。デスヨネー。
ちなみに食事会以来、テリーは外国文化や語学を真面目に学ぶようになったという。
よほど私が博識だったことが悔しかったんじゃないかな。まぐれだけどね……。
未来の王様がやる気になってるのは悪いことではないので、本当のことは内緒にしておきましょ。
そうして迎えた終わりの始まり、学園に入学したが、まだテリーとの婚約は解消できていなかった。
それまで思いつく限りの嫌がらせをしまくったのだが、何故か全て良いように取られてしまう。解せぬ。
もうこうなったらシルビアに嫌がらせを一切しない、それどころか存在すら認識させなければ良いんじゃないか、と思っていたのだが──。
「はーい、それでは二人組作ってくださーい」
教師がパン、とひとつ手を叩いた。
異世界にもあったのか、普段ぼっちの子が余り物で先生とペアにされたり、初めて会話するような人と組まされたり、普段仲良し三人組が一人だけハブにされたりする誰も得しないこの強制鬱イベント。
「コーデリア様、私とペアになっていただけませんか?」
「いいえ、私と」
「コーデリア様と身長が同じくらいの私の方が」
「いいえ、家が近い私が」
貴族令嬢たちがわらわらと寄ってきて揉みくちゃにされる。
こう見えて私は友人や知り合いが多い方だ。
中にはテリーと婚約しているから、未来の王妃に少しでも覚えを良くしておこうという令嬢もいるかもしれないが。
……断罪イベントの時に誰も庇ってくれなかったのを見た感じ、十中八九そうなんだろうけど。
令嬢たちを宥めながら、ふとシルビアの方を見ると彼女は一人窓際で俯いていた。
ううう、居たたまれない……。
私も転校したことあるからわかる。既に仲がいい人が決まっているコミュニティに放り込まれた珍獣のような気持ち。
特にシルビアは入学直前まで平民だった人間だ。
マイケルの時同様に、成り上がりに差別意識がある貴族もいなくはない。何を隠そう、本来のコーデリアもそうだし。
私は令嬢たちに詫びると、シルビアの前に立った。
立ってみたは良いものの、どう声をかけようか。
下手に誘って虐められた、となっても困る。追放がちらつく。
「あの……良かったら私と組んでいただけませんか?」
迷った挙句、無難な声掛けにした私に、驚き顔を上げたシルビアは頬を染めて破顔した。
講義が終わり、次の講義の準備をしていると、シルビアが声をかけてきた。
「あの……少しよろしいですか、コーデリア様」
え、なにコレ。体育館裏イベントとかなかったよ?
もしかしてさっきの授業でやらかした? あーやっぱり声かけるべきじゃなかったのよ。
内心後悔しまくりの私が涼しい顔で頷くと、シルビアは可愛らしく上目遣いで「私にお行儀を教えていただけませんか……?」と頼んできたのだった。
私は悩み、返事を渋り……などしなかった。即答でオーケーした。
だってシルビアが可愛かったんですもの。
それに、よくよく考えたらコーデリアが虐めなくても他の令嬢が虐めるかもしれない。
それを「コーデリア様にやれって言われたから」なんて罪を擦りつけてこられたら……などと考えると、このまま一人ぼっちにさせておくのもよろしくないだろう。
り、理由はシルビアが可愛いだけじゃないんだからねっ!
私は放課後の空いた時間に、特訓と称して時に厳しく、時に優しく教えた。
シルビアの頭がいいせいか、それとも私の教え方がいいせいか、一年もするとシルビアはどこに出しても恥ずかしくない、完璧なレディに進化した。
学園の二年生になり、シルビアとクラスが離れてしまってからも特訓は続いたのだが……。
ある日、特訓中にシルビアが怪我をした。
普段より高いヒールを履いて、足を挫いてしまったのだ。
彼女に無理をさせてしまった、と即座に謝ったのだが、それ以来シルビアがなんだかよそよそしい。
それどころか、テリーと急接近しているようで、特訓を断ってくることも増えた。
テリーもなんだかうわの空でいることが増えてきたように思えた。
まずい。着実にフラグが立っている。テリーが恋しちゃってる。
どうするどうする。でも同じクラスならまだしも、彼らは別のクラス。そこで愛を育まれたら終わり。
もう策が……ない。
私は半ば茫然としたまま、卒業パーティーの日を迎えたのだった。
壇上に上がった私は、そこにいる面々を見つめた。
王太子テリーを中心に、左右に控えるのは難しい顔を作ったマイケル、呆れたようにため息をついたトラヴィス、いつも通りの無表情のヒュー、そして余裕の笑みを浮かべるシルビアだ。
そして彼らと私を下から見つめる他の貴族令息、令嬢たち。
これから公開処刑が始まるのだ。
落ち着け私。と、とりあえず脳内シミュレーションよ……っ。
きっとテリーはシルビアに怪我を負わせたことを突いてくるはず。そしてそれは紛れもない事実だ。否定しようがない。はい、追放決定。
ダメじゃん。
私は少し俯きかけた。
精一杯の声を絞り出す。
「……大切な、お話、というのは……?」
掠れた声に、テリーの眉がぴくりと動いた。
白の似合う金髪碧眼の少年は、もう何を着ても様になるようになった。
子供の頃から物腰柔らかだった彼は、私の課した数々の嫌がらせ──もとい、困難に打ち勝ち、その立ち振る舞いに自信が満ち溢れている。
一人称は僕から私へ変わり、次期王としての風格が出てきた。
元々アホっぽいところがあったが、それを上回る勤勉さで、ありとあらゆる知識を吸収し続けた。
そして太陽のような笑顔は、見るものの心を安らげる。
そんな彼の全ては、もうシルビアの物なのだ。
もう、どうしようもない。私は断罪の瞬間を待つ。
珍しくテリーは、逡巡するように視線を一巡りさせると、意を決して口を開いた。
「……コーデリア・ウォーレン。私は君に……」
はい、終わった。コーデリアの人生これで終わった。
「……け、結婚を申し込む!」
………………………。
「は?」
ぽかんと口を開けた私から間抜けな音が漏れる。
ケッコン……って何だっけ……? 昔いたタレントの名前? のど飴? 穴があいた食べ物? ああ、あれ煮物に入れると美味しいよね。
ってそうじゃなく。
あれ? このテリーは何を言っているの? もしかして私とは別にコーデリアってご令嬢がいるとか? その人と勘違いしてる?
疑問符がたくさん浮かんでいる私の前で、若干頬を赤く染めたテリーがなおも口を開く。
「……婚約が決まった十二年前、私は君への不始末の責任で婚約を決めた。最初は正直言って、君に対して何も思ってなかったんだ。でも君と一緒に過ごしたこの十二年間、君には何度も驚かされた」
ひと呼吸おいたテリーは、懐かしむように遠くを見つめた。
「……マイケルを助けた時の君は勇ましかった。不勉強な私は、君の言ってることの半分以上は理解できなかったけど、あの時の君のように弱っている者を助けたいと思ったんだ。まぁマイケルが褒められたのが悔しくて、私もしばらく半ズボンでいたんだけどね」
気付いてくれてたかな、と照れたように笑うテリー。
ふむふむ、マイケルを助けた人が、コーデリアって名前なのかな。
私がマイケルにしたことってショタの良さを吹き込んだくらいだし。うんうん、きっと別人。
「そうそう、あの時メイフィールド公が声を上げて笑ったのも久しぶりに見たよ。君は周りの人を笑顔にする素敵な人だ」
なるほど、トラヴィスが爆笑するようなご令嬢がいたのか。
私の前では一回笑ったくらいだし、爆笑って感じでもなかったからそれは見てみたい。
「ラフ子爵の邸宅に招かれた時は一瞬ヒヤリとしたよ。なにせ君が素手で食べ始めたんだから!……でもそれが南国では普通のことだと知って、私は自分の無知さを恥じたよ。それから少しは真面目に勉学に励むようになったんだけど、ちょっとは君に近づけただろうか?」
んんん? ラフ子爵にテリーと招かれた? あれ……?
私の顔に熱が集まってくる。
「しかしなんと言っても、一年の眠りから目覚めた後、婚約解消を申し出てきたことが衝撃だったよ。君は私の幸せを願って身を引こうとしてくれていた。私は思ったよ。こんなにも私のことを思っててくれる令嬢を、手放してなるものか、とね」
テリーは私をまっすぐに見つめてきた。
ううう、だいぶ都合よく脚色されてるけど、それ私。完全に私ですわ……。
彼の純粋で熱っぽい視線に、「あ、あぅ……」と情けない声しか出ない。
知らない、こんな展開知らない。
いかに私がテリールートを何周もして、素っ気ない彼が見たいからとわざと攻略失敗したりしたテリー推しのテリーヲタといえど、こんなにもコーデリアにデレデレの彼は見たことない。
むしろシルビアに恋をしていた画面の中の彼より、百倍熱く、色っぽく見える。
やばい鼻血出そう。このスチルはどこに保存されてますか。
「……で、でも、最近、シルビア様とよく一緒にいらっしゃったじゃないですか……っ」
我に帰った私は、今まで疑問に思っていたことを聞く。もはや顔は真っ赤で恥ずかしさでプルプル震えている。
「ああ、それは……シルビア」
「はい、殿下」
促された彼女は彼と私の間に立った。
彼女の手には掌ほどの小さなクッションがちょん、と乗っていた。その上には──。
「……ゆ、びわ……?」
そう、大きさが微妙に違う指輪が二つ。
ふかふかのクッションの上に仲良く並べられ、繊細な意匠を凝らし、小さい宝石が散りばめられたそれは、さながらまるで。
「結婚指輪、だ。彼女に教えてもらっていてその……だ、大体は私が作ったのだが、難しいところは少し彼女に手伝ってもらった」
本当は全部手作りしたかったのだが、手先が不器用すぎてな……とごにょごにょ言葉を濁す。
言われて思い出した。
シルビアの祖父の叙爵理由は、「宝石細工一筋で数十年、国の発展と他国との貿易で多大な功績を収めた」ためだった。
なるほど、この手の相談は確かに彼女が適任だろう。
そう……これを作るために……。
私はてっきり攻略が始まったのかと。
「申し訳ございません、コーデリア様。ずっと特訓をお休みしてしまって……ですが殿下に秘密にしてくれと言われててお伝えできなかったんです」
シルビアが申し訳なさそうに小さく頭を下げた。ああもう、超良い子だなこの子。
「……謝るのは私の方ですわ。その……実は殿下とシルビア様の仲を疑ってしまって」
私の言葉に二人は顔を見合わせた。そしてぷっと吹き出すと、肩を震わせる。
「な、何がおかしいんですの……」
「あ、ああ、ごめ……ごめん、その、あまりに可愛くて」
ぐ。
テリーの顔で優しく可愛いとか言わないで。私の心臓破壊するつもりですか。
私は恥ずかしさのあまり俯いた。
「……そうか。不安にさせてしまったね。私はもう十二年もあなた一筋だよ。今更君以外の人など考えられない。それに、シルビアは素敵な女性だが、私より相応しい男が既にいる」
と言って、テリーはチラリと横目でマイケルの方を見た。
シルビアも彼の方をチラチラ見ながら頬を赤く染めている。マイケルが顔を赤くして頭をかいた。
……おや、もしかして。
合点のいった私の表情に、テリーは「そういうこと」とウインクをする。
い、いつの間に……シルビア、マイケルルートだったのか。
今すぐシルビアに色々問い詰めたい私を制し、テリーは私の手を取りその場に跪いた。
「……それでその……コーデリア、返事を聞きたい」
真剣な目で見つめてくる彼。周りの聴衆たちが固唾を飲んで見守っているのがわかる。
──前世の私はテリー推しだった。
少し天然で、物知らずで、朗らかに笑う彼が魅力的だった。
しかし、今の彼はそれ以上に魅力的だ。それは十二年間、ずっと隣で彼を見てきた私だから分かる。
私は彼を見つめた。
こうして見つめ合うことなど、十二年前は想像すらしていなかった。
いやこんな展開、ゲームになかったんだから仕方ないよね?
「……はい、結婚の申し出、お受けします」
と答え、彼の手を確かに握りしめた──。