第一話 彼女もリアルを生きている
生放送を堪能した翌日、私はイヤホンをつけ、ななちゃんの曲小さめの音量で聞きながら、玄関を出た。
「いってきまーす」
あぁ、奮発して高いイヤホンを買ってよかった。Bluetoothなのも楽だ。
推しの声が鮮明に聞こえる。えへへ、耳が幸せ。
「ふぁ。おはよう、尊」
ななちゃんとは別のハスキーな声があくびと共に聞こえた。
「えへへ、おはよう。露夢ちゃん」
私は片方のイヤホンを外し、返事をした。
隣の家に住む幼なじみはあきれ顔で、私の家の門に寄りかかっていた。
「なんか、眠そうだね」
並んで歩きながら、露夢ちゃんの顔を覗きこむ。
化粧で誤魔化しているが、彼女の目元にはうっすらとクマがうかんでいた。
「ん、あぁ、夜遅くに帰ってきた泥酔した姉ちゃんの介護してた。二時半だよ? ありえない」
なるほど、お姉さんまた合コンに行ってたのか。結果は聞かないでおこう。
「酔っぱらいの介護って大変なの? 私の家は誰もお酒飲まないからなぁ」
「尊も今度体験してみる?」
「んー、止めとく」
露夢ちゃんが苦虫を噛みつぶしたような顔をしたので、断っておく。
きっと面倒くさいのだろう。
ふと、何かに気づいた彼女が私の髪を分け、左耳に触れた。
「また、虹咲なな? さすがに歩きながらは危ないんじゃないの?」
露夢ちゃんはもう一方の手で自分のショートの黒髪を手櫛で梳かしながら注意した。
「音も小さくしたし、片耳だよ」
「人と話すときに、音楽なんて聞かれてたら気分良くないよ。私との登校がつまんないみたいに感じる」
そう言って、拗ねた顔をした露夢ちゃんは私からイヤホンを取り上げた。
「ごめん」
私は彼女から、イヤホンを受け取りながら、素直に謝った。
好きな人につまんなそうな顔させちゃダメだよね。
私はポケットにイヤホンを突っ込んだ。
「いいよ。どうせ、昨日の生放送でテンション上がってたんでしょ?」
「そうなの! 来週末にななちゃんが歌動画を投稿するんだって。一カ月ぶりの歌ってみた動画だから、楽しみ! 何歌うのかな?」
「さあね」
「だから、今までの歌動画を全部もう一回網羅しておこうと思って」
「七〇曲を?」
「七六曲。次で七七曲目。ななちゃんの記念すべき曲だね」
「よく覚えてるね。あれって結局アニメキャラクターでしょ」
「違うよ! ななちゃんはいるよ」
「声優さんが演じてるんでしょ。なら、アニメと同じじゃない」
そんなことは百も承知だ。それでも、私がななちゃんを大好きなのは変わらない。
「それ、言っちゃダメなやつだよ。それに少し違う」
Vtuberは替えがきかない。
「アニメキャラはもし、声優が変わっても、そのキャラクターの性格はぶれないでしょ」
「うん」
「Vtuberは中の人の性格が色濃く反映されているの。だから例え声が似ていても、ふとした仕草や言動に違和感が出るの」
二次元の身体を持ちながら、確かに画面の向こうで生きている。それがVtuberだ。
「確かに……。でも、本当にそうかな?」
「え?」
「性格まで作られた設定かもよ」
それは……。
「ごめん、意地悪だったね……」
露夢ちゃんは気まずさを紛らわすように、アメ玉を口に放り込んだ。彼女はいつも色んな味のアメを持ち歩いている。
彼女はポケットからもう一つアメをとりだした。
「うん、意地悪」
私は差し出された赤い包みを受け取り、果汁0%と書かれた封を開ける。
作られたイチゴの甘みが口に広がっていく。
Vtuberにもプロデューサーがいて、マネージャーがいる。
タレントを売り出すため、事務所が勝手にキャラ付けをするなんてよくある話だ。
アイドルなんて、自分でつけてしまうくらいだ。
そういえば、ななちゃんもよくアメを舐めてるって言ってたっけ。
ノドのケアできてえらい。
……ななちゃんの性格も嘘だったら?
私は彼女を嫌いになるのだろうか。ファンをやめるのだろうか。
「全部作り物でもいいよ」
私がオタ卒なんてありえない。
「騙されたとか思わないの?」
唐突な発言に露夢ちゃんは不思議そうで不安そうな顔をした。
何で不安な顔?
「例え、ななちゃんの言葉が嘘だったとしても、私はその言葉に救われて、元気をもらってるから」
私のこの感情は本物だ。
「その時は、嘘ついてくれてありがとうって伝えるよ」
私の言葉に面を食らったような顔をする露夢ちゃん。
妄信的なオタクだってあきれられるかな……。
「あっはっはっ! それだけ愛されたら、虹咲ななも幸せだね」
彼女は無邪気な笑顔でお腹を抱えている。
「尊が悪い男に騙されないか、心配になったよ」
うるんだ目を拭いながら、私の頭をポンポンする。
「笑いすぎだし、バカにしてない? こっちは真面目に言ってるのに」
私は露夢ちゃんを睨む。
「ごめんごめん。でも、私は尊のそういうまっすぐなところ好きだよ」
「へ?」
突然の『好き』という言葉に思考が停止してしまった。
「顔真っ赤。恥ずかしがり屋なのは変わらないね」
「……意地悪」
結局、私は彼女にとって、ただのオタクな幼なじみなのだ。