第5話 魔法使いマグネース
「レナトゥス......お前がこっちに逃げるとは思わなかったぞ? さすがの俺も焦ったが、見つけられてよかったよかった」
窓の外の男は、ボサボサの金髪で、サングラスをかけたガラの悪い男。レナトゥスと同じように黒いローブを着てはいるがずっと軽装で、ところどころから垣間見える筋肉は、奴がかなりの武闘派であることを表しているだろう。
「マグネース!? なんでここが!?」
「はぁ? 気づいてんだろ? お前のローブには追跡用に磁力を込めておいたのさ。さっき気が付いて魔法陣を焼き切ったみたいだが、もう遅い、こうして正確な位置を特定済みだ」
「魔法陣を......? いつの間に......」
「さてさて、今ならまだ何事もなかったことにできる。俺と一緒に来るなら許してやるよ」
マグネース、と呼ばれていた男が、レナトゥスに向けて手を伸ばした。
「許す? 許してもらえるのはあなたでしょ? 私を逃がした失態がバレたら、あなたもタダではすまないはず......!」
「わかってんならさっさとしろよ。俺がやけになって、こっちのやつらを殺して回るかもしれないぜ?」
レナトゥスは悔しさを噛み殺して葛藤しているようだ。その細い腕が震え、さっきまでの可愛らしい顔つきからは想像できないほど険しい表情を浮かべている。
「わかった......。素直に戻ればいいんでしょ」
レナトゥスがかすれた声で同意すると、マグネースは会心の笑みを浮かべた。ゆっくりとレナトゥスはベランダへと歩んでいき、マグネースの手を取ろうとする。
「待てよ。チンピラ男」
「あ? なんだお前? 今なんか言ったのか?」
マグネースが凄まじい眼力を俺に向ける。どう考えてもタダ者ではない。二人はどうやら知り合いのようで、何かしら関係があるようだ。だが、彼女がここまで苦しそうな様子を見せるなら、黙っているわけにはいかない。
「そいつが着てるの俺のパーカーだから。連れてくなら返してくれよな」
「えぇ? ちょっとシューガ......」
「カハハハハ! 馬鹿かお前!? なんかカッコ良く引き留めるかと思えば、連れ去られる女に服を脱いで帰れとはな! 笑っちまうぜおい!」
ベランダの柵にもたれながら高笑いし始めたマグネースの顔面に、助走をつけた飛び蹴りを叩きこむ。
「わかんねぇのか? 連れていかせねぇって言ってんだよ」
「こいつ......ふざけやがっ......」
その勢いでマグネースは後ろに倒れこみ、柵を越えて下へと落下していく。
「一応落下した時のための緊急救命クッションが展開されると思うんだけど......」
「シューガ! 早く逃げて!」
マグネースの様子を確認するため、下の様子を覗き込もうとする俺の襟をレナトゥスが強引に引っ張って後ろに倒れこんだ。
するとその直後、ベランダがねじ曲がり始め、下に向かって大きく形が歪んだ。そのへこんだ部分に掴まるように、マグネースが再び顔を出す。
「凡人がよぉ......! 魔法の恐ろしさがそんなに知りたいかよ......!!」
「シューガ! あいつは磁力を操る魔法使い! もう見境がなくなってる! 早く逃げて......!」
「磁力? 魔法使い?」
レナトゥスを起こし、体勢を立て直してマグネースと向き合った。確かに奴の周りで金属片がグルグル回っているのが見える。
自分の体に磁力を持たせているのか。技術的にそんなことが可能なのかどうか、理論はさっぱりわからないが、ここはあらゆる最先端技術が集まる未来都市。非日常は日常茶飯事だ。
「よくわかんねぇけど......人んちのベランダ壊してんじゃねぇよ!」
「お前まだ自分の立場が良く分かってねぇみたいだな!」
マグネースは近くにあった破片を蹴り飛ばした。するとそれは奴の足に当たった瞬間、ありえないほど加速して、俺の左頬をかすめた。
「これが磁力だ。蹴った瓦礫に磁力を与え、反発させて加速する。命中精度に難はあるが、当たれば致命傷だぜ?」
「どういう理屈だよ......クソ!」
レナトゥスの手を引き、ベランダに立つ奴からの死角になるように、横の風呂場へと飛び込む。
「おいおい、どこに隠れたって無駄だぜ? もしかして、接近できれば瓦礫を飛ばす攻撃は無効化できるから勝てるとでも思ってるのか? 俺が近づいたらその角から飛び出てきて殴ればいいとか思ってるのか? 出てくるのはお前の方なんだぜ?」
奴が手をかざすと、俺の体が引き寄せられ始めた。正確にはベルトについている金属や、腕時計などが奴の磁力に引き付けられているのだ。
「さぁこっちまで来い! 這い出てきやがれゴキブリ野郎!」
俺と奴は壁を挟んで対峙する形になっているため、俺の体は壁に叩きつけられる。部屋の家具に何も起こっていないところを見ると、俺にだけ働く磁力。さっき蹴り飛ばした時にでもなんらかの条件を満たしてしまったのかもしれない。
この状況で体から金属類をすべて取り除くのは難しい。動けば動くほど引き寄せられ、今にも壁の角から飛び出しそうだ。
「レナトゥス......これって......俺の身に着けてる金属が全部あいつに引き寄せられてるってことでいいんだよな......?」
「えぇ? あ、うん。だから、早く外さなきゃ......!」
「いや、外す必要......なんてない! どっちにしろこっちから行くんだから、引き寄せてくれるなら好都合だ......!」
「そんな......強がってる場合じゃ......!」
俺は壁を蹴って思いっきり風呂場から飛び出した。普通ならそのまま倒れこむだけだが、磁力によって吸い寄せられている俺は空中で軌道が曲がって奴の方に向かっていく。
「出てきたな!」
「吸い寄せられるってんなら......! これも吸い寄せるんだろ!?」
マグネースが少し顔をしかめる。磁力の能力を解除し、しきりに咳をし始めた。
「なんだ......? 何か飲み込んだか? 小さい金属片か何かを投げた......?」
「うちの鍵だよ。本当に気づかず飲み込むとはな。やっぱりこれ欠陥品だろ。子供が口に入れたらどうするんだこれ」
「あぁ!? それが何だってんだ? 磁力を利用して、気づかれないように投げ込んだんだろうが、それに何の意味がある? 飲み込んじまって気持ち悪いが、その程度がお前の攻撃か?」
「金属は金属でもそれはほんの小さなもの。魚の骨を飲んじまったような不快感があるだけだろ? でもそれ、手でしばらく持ってると鍵のサイズに戻るようになってんだ。どういう意味か分かるか?」
マグネースは自分の胸元を抑え、苦しみ始めた。眉をひそめ、血の混じった唾を吐き出す。
「お前の体内で元のサイズに戻るんだ。結構痛いだろ?」
「て......んめぇ!!」
「でも倒れるほどじゃない。喉に傷がつく程度かな? それでも一発殴るには充分な隙だろ!」
よろめくマグネースの顔面に渾身の右拳を叩きこみ、今度こそベランダの外に吹き飛ばす。数秒のタイムラグの後に下でクッションの膨らむ音がして、そこに何かが落ちる音も聞こえた。
「欠陥技術も役にたったな......あとで苦情言っとくか」
俺は散らかった自分の部屋を改めて見て、いまいち現状がつかめないまま、深くため息をつくしかなかった。