第3話 魔法使いレナトゥス
「あのー大丈夫ですか? 意識はありますか?」
ゆっくりと状況を飲み込み始めた俺は、とりあえず少女の肩を揺すって話しかけてみた。
こういう状況になった時、やるべきことは安全の確認と、意識の有無の確認。定期的に学校でやらされる研修の成果が少し現れたようだ。
しかしその少女は普通に呼吸もしているようだし、特に外傷も見当たらない。寝ているだけなんだろうか。
どちらにせよ救急車を要請したりする必要はなさそうだ。
「じゃあとりあえず鍵を......」
俺の部屋の鍵を強く握りしめているその右手から、鍵を引っこ抜こうとするが、なかなか放してくれない。
そもそもこいつはなんでこんなところで寝ているんだ。
顔を見る限り、俺より年下。おそらくは中学生だろう。酔っぱらって寝込んだなんてこともあるまい。そしてなにより、さっきからあえて触れていなかったがこの服装は明らかに異質だ。
黒いローブに身を包み、髪は奇抜な緑色で、複雑に編み込んである。ほどけば腰ぐらいまで伸びていそうな長さだ。魔女を想像させるようなこの服装は明らかにコスプレだろう。
こんな平日にコスプレパーティーして、飲み物買いに来て寝転んでる女なんてどう考えてもヤバイ。とっとと鍵だけ持ち帰りたいところだが、強引に引き抜いて起きたら面倒なことになりそうだ。
「どうしたもんか......」
俺が対応に困り、その場をウロウロしていると、その少女はゆっくりと瞼を持ち上げ、俺に視線を向けた。
これまた奇抜な緑の瞳だ。だが不思議と違和感はない。顔だちもよく見れば日本人らしくない。緑髪に緑眼でも、これ自体は生まれつきのものだと言われれば納得できるほど自然だ。
「あの......」
俺は恐る恐る話しかけてみる。そのハーフみたいな顔だちの少女は俺の顔をまじまじと見つめるだけで何も返答しない。
「あれ、もしかして日本語が通じない? ハ、ハロー、アイムファインセンキューアンデュー?」
「あなたは誰なの?」
俺のたどたどしい英語に対して、流暢な日本語が返って来た。その少女はゆっくりと起き上がり、自分の質問の返答を待つように俺の顔を覗き込む。
美少女と呼んで一切差支えないだろうその子を前にして、この上ないほどの醜態を晒してしまったことを恥じつつ、俺は深呼吸して落ち着きを取り戻した。
「俺は、明励 秀雅。あんたが握ってるその鍵の持ち主だ」
俺は少女の右手を指差しながら自己紹介した。少女は自分の右手にある鍵をまじまじと見つめ、顔に近づけて匂いを嗅いだりし始めた。
「何を......なさってるんですか?」
「これが鍵? 鉄っぽい匂いもしないし、こんなにグニャグニャ曲がるのに?」
「ああ......その鍵がおかしな鍵だってことについては同感なんだけど、それでも俺が部屋に戻るために必要なんだ」
少女はぐるりと振り向いて、背後の自販機を見つめた。
「てっきり、ここから飲み物を取り出す道具かと......」
「あんたは留学生? 自販機のシステムがわからないってのも珍しい気がするけど」
「ジハンキ? そうか、これが機械。人間の命令を忠実にこなす鉄の塊ってわけね」
「......はい?」
俺は妙なことを口走る少女に困惑していたが、そんなことはお構いなしという様子で、少女は自販機をなでたりさすったりしている。
「それで、中の飲み物はどうやったら手に入るの?」
「お金を入れて買うか、うちの留学生なら学園マネーでログインすれば買えるけど」
「専門用語が多すぎてよくわからないの。あなたが代理で手に入れてくれない?」
「はぁ......おごってくれってわけですか」
なぜかなかなか鍵を手放さない少女の言うことを、とりあえず聞いておくことにして、俺は自販機の認証シートに触れて生体認証で入金した。
「どれでも好きなものをどうぞ」
「え? 私がお願いしたのは、飲み物を手に入れてほしいって......」
「ボタンを押せばいいでしょ? ほら、どれがいいんだよ」
「じゃあ、このトリプルサイダーとやらを」
俺はそのジュースのボタンを押し、下に転がり落ちてきたジュースを取り出して手渡した。
「ありがとう」
おごらされて、妙な手間もかけさせられたが、素直に感謝されると文句は言いづらい。
「それじゃあ、その鍵を返してくれよ」
「ああ、そうだったの。どうぞ」
ようやく手に握った鍵を放してくれた。ペットボトルの蓋を開けるためにはどうしても両手を使う必要がある。これなら鍵は手放さざるをえない。
「ちょっと......これであってるの? 全然開かないんだけど......!」
少女はペットボトルの蓋を握って、顔を真っ赤にして踏ん張っている。
「恐ろしく非力だなおい。ちょっと貸してみ」
別に特別開きづらいわけでもなく、受け取ったペットボトルを俺がひねると、いとも簡単に開いた。
「わぁすごいの! なにかコツでもあるの?」
「コツ? 特にないけど、でも確かに初めてだと力の入れ方が難しい......のか?」
目の前の少女の世間知らずぶりに驚かされつつ、俺はこれ以上面倒ごとが増える前に家に戻ることにした。鍵も手に入ったし、これ以上こいつに振り回される筋合いはない。
「ちょっとちょっとどこへ行くの!?」
「は? 家に帰るんだよ」
「じゃあ私も帰るの!」
「はいはい、気を付けてね」
「ん? あなたの家に帰るんだよ?」
何をおっしゃるというように当然の顔でふざけたことをぬかす少女を見て、俺は言葉が出なかった。