八
「おー、すっげー、これが異世界か!」
見渡す限りの草原。
そよ風が吹くと草花がそれに合わせて、さーっと動いていく。
日本ではこのような場所なんてそうそうないだろう。というか地平線まで草原が広がっているところってあったか?
何せ生まれてから今まで、ずっとリブベスクから出たことがなかったのだ。
こんな世界が広がっているとは、予想していたけど、実際目にするととても感動ものである。
「なんもないな」
俺が感動していると、精霊王がそれを打ち消すような言葉を吐いた。
なんだよ、こいつ。感情が薄い奴だな。
そう、今日はいよいよ他国へ本を買い出しにいく日なのだ。
両親に、俺が一人で他国に行くと伝えたところ、最初は猛烈に反対された。
仕方が無いのでこいつに説得して貰おうと呼び出したら、途端にうんうん頷くだけの反応になった。
そして両親が正気に戻る前に、飛び出した訳だ。
「で、マーキングってここでいいのか?」
「ああ……じゃなくてうん、地図によればここから一時間も歩けばベスガット共和国の首都に着くらしいから。さすがに街中へ瞬間移動したら目立つし、ここなら見つかりにくいと思うよ」
この大陸には六つの国が存在する。
そしてドワーフの国である、サイサランド鉱山王国に隣接しているのがベッカー帝国と、ここベスガット共和国だ。
共和国の名の通り、ここはいくつか小さい国や街が一つにまとまって出来た国であり、その分多種多様な種族が住んでいる。
ちなみに母親の出身であるエルフ里もこの共和国の一部らしい。
なぜこの国にしたのかと言えば、ここならハーフエルフがいても目立たないからだ。エルフの里も国の一部になっているからね。
ついでに、この世界では珍しい黒髪黒目のおっさんも目立たない。
なお見た目十才くらいの少女の俺と、アラサーくらいのこいつが一緒に歩いていたら、前の世界だと多分通報されるだろうな。どうみても親子にはみえんし。
そのおっさんが、ペッと唾を吐いてから「終わったぞ」と伝えてきた。
おい、それでいいのかマーキング。唾を吐くなんて不良だな。
「それじゃ行こう……行きましょう。ちなみにパラウスさんってここに来たことある?」
「ないな。俺が行くような所はエルフの里くらいなもんだ。そこでも数百年に一度とかそんな頻度だし」
「俺……じゃなく、私が言うようなセリフじゃないけど、精霊界に閉じこもってないで少しは外に出よう……よ。引きこもりは身体に悪いよ」
街中に入るのだ。
こいつを精霊王とか言うわけにはいかないので、さん付けで呼ぶ事にしたんだが普段『お前』とか『こいつ』とか『おいおい精霊王さんよー』とかしか言ってないからものすごく違和感がある。
それに話し方も前の世界と同じ感じだったのを無理矢理変えているので、ちょっと微妙に会話しずらい。
こいつの顔を見て話すと、つい友達感覚でのしゃべり方になってしまうんだよな。
「すっげー違和感あるな」
「安心してください、私もです」
「別にばれてもいいじゃん、悪い事してる訳じゃないんだろ?」
「余計な混乱は避けたいのです。特にここの国にはエルフの里があるし、首都ならエルフだって居ても不思議じゃないからね」
それに出かける間際の両親、特に母親の顔がすごい事になっていたからな。
あれがこいつに会った時のエルフの標準的な顔だとすると、多分厄介な事になると推測できる。
俺はここには本を買いにきただけなのだ。スムーズにクールにさっと終わらせて、ついでにささっとお土産買って帰るのだ。
お土産は必要なのか、だって?
そりゃ旅行にいったらお土産は買うだろ? 気配り心配りだ。お土産を渡すことでスムーズに話が進む時もあるのだ。
両親の二人分とエルセ、ついでにグラッピス分もあれば十分かな。
あっ、ついでによく呼ぶ大精霊分も買っておこうかな。
そうして一時間ほど歩いたけど、まだ街に着かなかった。そろそろ体力がきびしくなってきたぞ。
おかしい、地図間違ってんのか!?
「単にお前の姿が子供だからだろ」
地図を恨めしそうに見てたら、精霊王がそれに気がついたのか、ごく当たり前の回答を述べてくれた。
あ、そうか。
そういやそうだった。
この一時間って大人の、しかも旅慣れた足の時間であって、子供姿の俺ではもっとかかるよな。
そう思った途端、どっと疲れが押し寄せてくる。ダメだ、そろそろ限界に近い。
「しゃーねぇな。ほら持ち上げてやるよ」
「ちょっ、まっ!?」
いきなり俺を抱き抱える精霊王。これってお姫様抱っこじゃねーか!
うっわ、うっわ、すげー恥ずかしい!
っていうかズボンで良かった。
「暴れんな、落っことすぞ。それとも空とんでいくか?」
「そんな事をしたら目立つに決まってるじゃないですか!」
「なら大人しくしてろ。ほらかっ飛ばすぞ。いい加減俺も焦れてたからな」
途端猛スピードで走り出す精霊王。
風圧でちょっとだけ息が苦しい。これ時速何キロでているんだ?
「着いたぞ」
数分後にはもう街のすぐ側に着いていた。
はっや。
まだ疲れは取れていない、っていうか数分だからな。でもここまでくれば、あとは根性だ。
……街に入ったら昼食にするか。
ベスガット共和国の首都ベスガット。
元々ここは豪族が治める街だったが、隣町やその近くの町などと共同で運営をしていくうちに中心となっていき、今では共和国を名乗るまでになったらしい。
鉱山王国の首都リブベスクは殆どが石で出来た建物であり、ドワーフが手がけただけあってどれもこれも凄まじく芸術性が高く、更に機能面でも飛んでいる。
そしてベスガットはレンガと木を組み合わせた建物が主流だった。町に城壁はなく、門番もいなく、そのまま素通りできる。
ぶっちゃけ見た目だけならリブベスクのほうが数段は上だ。ここはさすがドワーフ、と言っておく。
でも俺がイメージしていた異世界ものの町並みは、このベスガットだ。
大通りは石やらレンガで作られているが、一旦脇道に逸れると地面を固めただけの道路となる。水はけとかどうなんだろうね。
そんな街中を精霊王と二人で並んで散策していた。
「お腹空きました、足が疲れました、休憩を所望致します」
「なんだよそれ。お前が案内役だ、好きなところに入ればいい」
「じゃ、あそこで」
俺が見つけたのは、レンガ造りの食堂だった。アメリカの西部劇なんかで良くある両開きのドアがあって、中からは歓声が聞こえてきている。
更には肉を焼いた匂いがここまで漂っているのだ、これは空腹に対する暴力である。
中に入るとむわっとした熱気に包まれた。
そして酒の香りと肉の焼ける匂いが漂う。うぇ、匂いだけで酔っ払いそうだな。
それでも俺はドワーフの国の首都リブベスク生まれだ、酒の匂いなんてあちこちから漂ってくる街に住んでいるのだ。これくらいじゃへこたれない。
客層は人間が大半でたまに獣人やドワーフなんかも混じってる。
幸いエルフは居なさそうだ。
しかもそれぞれ何らか武器を持って、更には鎧やローブ姿が多かった。
あー、もしかしてここ、探索者向けの店かな?
空いてる席に座り、ぱっとメニューを見ると非常に暴力的だった。
ざっくり日本風に言えば、ステーキ、からあげ、ビーフシチュー、骨付き肉、フライドポテト、酒、パンで終わり。
なんだこりゃ、おかずが肉類とポテトしかないじゃん。
仕方が無いので、からあげを数個とパン、他に水を注文した。ちなみに精霊王にも同じものを頼んでおいた。
こいつは食わなくても問題はないが、さすがに食堂にきて俺だけ食べるのはちょっと周囲の目によろしくない。
「でっか……」
そして運ばれてきたからあげ。
一つ一つが巨大だった。野球のボールよりちょっと大きいくらい?
なんだこの店は。大盛りってレベルじゃねぇぞこれ。
ちなみにお値段二人分で四十メル、やっす。
料理を運んできた人にお金を払い、じっくりとからあげを観察する。
表面は衣が付いている、パン粉だなこれ。味付けは塩のみで、更には小さくカットされた柑橘系の果物が置かれている。
からあげにレモンは邪道か? 俺はどっちでも構わないけどな。
探索者は身体が資本だ。そのため探索者はものすごく食うらしい。探索者向けの食堂はそんな彼らに応じるため、とにかく味よりも量を重視するようだ。
質を落として値段を下げ、大食らいの探索者たちの胃を満足させるのを主眼にしているらしい。
一人たった二十メルでこれだけの量が運ばれるのを実際目にすると、確かに聞いたとおりだと納得したわ。
質よりも量、ということで味は期待出来なさそう。
そう思いつつおそるおそる齧り付いてみると、できたてはさすがに美味かった。何の肉かさっぱり分からんけど。
「食い終わったぞ」
その声に反応して正面を見ると既に精霊王は食い終わってた。
あれ、料理が運ばれてまだ一分も経ってないよな。
口へ全部放り込んで分解したなこいつ。
確かにこいつにとって魔力がない食べ物は意味がない行為だけどさ、もう少しなんとかならないのかね。
「なんだおっさん、めちゃくちゃ食うのはえぇな!」
食うの早いよ! ってツッコミを入れる前に、隣のテーブルに座ってた兄ちゃんが口を挟んできた。
まだ二十才くらいでがっしりとした肉体に、申し訳程度に付けてる部分鎧、テーブルには大きな剣を立てかけている。
この人も探索者か。
そういやベスガット共和国にも迷宮あったな、すっかり忘れてた。
「当然だ、食う速度なら負けんぞ」
「はっはっは、確かに俺でも勝てねぇわこれ。しかしおっさんたち親子か? 全然似てねぇな」
「いや違うぞ。こいつは知り合いでな、今日はこいつの買い物に付き合ってきたんだ」
「ほー、なるほどな。しかしこんな店に子供を連れてくるのは良くないと思うぜ」
「こいつが選んだのだ、女の要望に応えなければ男が廃ると聞いている」
「はははははっ、おっさん良い奴だな! でもこの子供、ハーフエルフか。将来美人確定だし、おっさんの言い分も納得だ!」
なんだか探索者の兄ちゃんと精霊王の会話が弾んでいる。
俺は黙々とからあげを処理するのに精一杯で口を挟めない。
からあげ一個で十分だな、これ。胃が満腹になる前に油で嫌気が来る。
「ところで人間よ、本屋はどこにあるか知っているか?」
「おっさんも人間じゃねぇか。それとも他の血が混じっているのか? ま、どうでもいいか。本屋ならこの目の前の通りをずっとまっすぐ行けば何件かあるぜ。うちの魔術師が良く通っているらしい」
「ほぅ、それは助かる。感謝しよう。ん? どうした?」
からあげ一個とパン半分食べたところで、これ以上胃が受け付けなくなった。
限界だ。
美味しいんだけどね、一個がでかすぎ。
お土産に包んで持って帰ろうと一瞬思ったけど、これからまだ本屋を探して街中を歩くのだ。荷物になるし時間が経つと痛んだりするかも知れないので、仕方無く皿ごと精霊王に差し出した。
「もう限界、これ量が多いです、あと全部食べて」
「なんだ仕方のない奴だな、ほれ任せろ」
手でからあげを掴んで一気に口へと放り込んでいく。まるでブラックホールのように消えていくからあげ。
そして十秒かからず全ての料理が消えた。
「…………え?」
隣にいた兄ちゃんも驚いている。
たぶん食べているところを直接見てなかったのだろう。
これは俺も驚いた。
「どうだ、早いだろう?」
「い、いや早いってレベルじゃねぇぞ。食べるっつーか、吸い込む、だよなこれ。一体何モンだよおっさん」
「はっはっは、それは秘密だ。男たるもの秘密が多いほうがかっこいいらしいぞ」
「お、そ、そうか」
腹一杯のときに、こいつの吸い込むところを見てたら、ちょっと気持ち悪くなってきた。
これ以上入らないよ、と訴える胃を無視して水を飲む。温い。美味しくない。
水の大精霊を呼んで水を貰いたい気分である。
暫くは動きたくない。
「吐きそう……」
「おいおい、大丈夫か?」
「お腹いっぱいで動けない。お願い運んで。あと近くにどっか休めるところでちょっと横になりたい」
「全く仕方の無いやつだな」
「お姫様にはこの店の飯が合わなかったようだな」
隣の兄ちゃんもちょっとだけ心配そうに、俺を見ている。
人の優しさが身にしみるぜ。
「楽しかったぞ人間よ、ではな」
「おう、おっさんもお姫様の介抱、しっかりしてやれよ!」
精霊王に運ばれて店の外に出る。
うぇーっぷ。
運ばれる時に揺れるけど、その揺れだけでも胃が逆流しそうだ。
全部食べなきゃ勿体ない、と思って限界まで食べたのが悪かったかなぁ。
美味しかったよ、うん、美味しかったよ。ただ油が多すぎて気持ち悪くなっただけだ。
もう探索者向けの食堂には行かない。
そう心に強く思った。
あ……ごめん……げrrrrr。
「うわわわわっ!? お前こんなところで吐くな!!」