十一
「さ、風呂上がりに冷えた牛乳をどうぞ」
「なにこれ?」
「ラークモーのお乳だよ。栄養満点! クレディス王国で買ってきたの」
「え? あんな端っこまで? いったいどうや……ああ、転移魔術を使ったのね」
クレディス王国はこの大陸で唯一港をもち、別大陸と交易をしている国だ。
以前、召喚者三人を連れて食事にいった場所だね。
更にそこで色々な食材も買ってきたので、あとで料理も出す予定だ。
「ささ、一気にどうぞ。私も飲みますから」
「ええ、いただくわ」
母が牛乳を一気に飲んだ。
俺も一緒に飲む、うむ、美味い。
やっぱり冷えた牛乳は美味しいね。ついでにアルコールを混ぜてカルーアミルク風にしても良かったな。
「……トイレ行ってくるわね」
「あ、どうぞ」
しまった、母は牛乳飲むとお腹がぐるぐるする人だったか。
失敗したなぁ、乳製品ってバター、チーズくらいしか出回っていないからなぁ。
あ、トイレももちろん完備している。汚物は穴の中に埋めてあとで、火の大精霊に焼却して貰えばいいからね。
さすがにウォシュレットは無理だったけど、トイレットペーパー代わりの藁半紙を用意している。
さて、母が戻ってきたら次はリラクゼーションルームで、マッサージを受けてもらおう。
なお先生は闇の大精霊である。この子何故か人体に詳しいんだよね。
そして軽く仮眠を取って貰って昼食だ。
今日のメニューはハンバーグとパンにサラダだ。クレディス王国で買った高級肉をミンチにして、イルガルという鶏のような動物の夢精卵を使うのだ。
卵は産みたてのを昨日買ってきて、水の大精霊に冷やして貰っているから安心である。外においておくと氷っちゃうからね。
と、その時だ。
ゴゥ、という音と共にマグマ対策の壁が壊れた。
え? 何が起こった?
慌てて外に出てみると、突然ものすごい冷えた冷気が上から降ってきた。
一瞬で建物の出口付近が凍り付く。上を見上げると、羽の生えた巨大な生物が飛んでいた。
あ、こいつあの時のワイバーンか。
こんなところまで縄張りだったの? これまたやけに広いな。
もしかしたら別の個体かも知れないけど……。
更に氷の息吹が俺に向かってきた。俺は大丈夫だけど、建物がちょっとやばい。
土の大精霊が魔力を籠めたものだから頑丈だけど、あくまでそれは建物という概念では頑丈という意味だ。
ワイバーンのブレスに耐えられるか、と言われればノーである。
そして実際、あちこち凍り付いている。
これはちょっとやばいかな。
前回は生態系が崩れると思って見逃したけど、ここまで縄張りが広いのなら今後も襲われる可能性が高い。
俺がいるときならどうとでもなるけど、居ないときに建物が壊されるのは非常に残念だし、これは排除したほうが良いだろう。
火の大精霊に任せれば簡単に討伐できるけど、あまり周囲の気温を変えるとこれまた何か起こりそうだし、ここは俺がやるか。
身体の奥に眠っている精霊王の血の力を引き出す。
ワイバーンが急に変化した俺を見て慌てて逃げだそうとしていた。
でも、逃がさない。
マグマが吹き出している穴を握りつぶしたように、ワイバーンに手を向けてきゅっと締めた。
お見せできません、というモザイクがかかりそうな肉塊になり、そして地面へと落ちる。
すまんな。
さて、残った死体はどうしようか。
たぶんワイバーンの鱗やら牙、尻尾の毒とか素材になると思うんだけど、ぐちゃ、と潰してしまったし、もう使い物にはならなさそうだ。
これもトイレの穴に突っ込んであとで纏めて焼却しよう。
そう考えてたら、建物から母が飛び出してきた。
そして俺の姿を見て唖然としている。
あー、そういやこの姿を見せるのは初めてかもしれない。滅多に使うなって言われてるからね。
俺と分かるだろうか、まさか魔物と勘違いして攻撃してくるだろうか。
ちょっとだけびびっていると、母はすたすたと近づいてきた。
母はやはり母だった。別人のようなこの姿でもきちんと俺と分かってくれたらしい。
そしてため息を付いて一言だけ漏らした。
「ロヴィーナ……貴女、せめてその格好でも服くらいは着なさい」
そうか、金色になっているけど身体のラインはくっきり分かるもんな。
よく考えたら、見る人が見れば素っ裸に見えてしまうかもしれない。
ちゃんと突起物とか下半身の大事なところものっぺりとしているので、分からないとは思うけど……。
だが素っ裸と思ったらちょっとだけ恥ずかしくなってきた。
「あっはい、ごめんなさい」
この姿になってもちゃんと服を着ているように変化しよう。
でもどうやってやればいいのだろう?
仮面を被ったライダーのように、脱着可能な衣類の魔道具でも考えてみようかな。
♪ ♪ ♪
アリッツァの娘、ロヴィーナ。
生まれて数年で精霊王から精霊名を授かった、精霊に愛されし子。
幼少の頃から大精霊を召喚し、しかも信じられない事にそれをまるで従者のごと扱っていた。
エルフにとって精霊とは上位の存在であり、決して従者ではない。
幼少の頃から事あるごとに諫めたものの、まるで言う事を聞かず、あげく何故諫められるのか、という表情をしていた。
そんな娘がいきなり精霊王の血を継ぐ事態となった。
精霊の血はエルフたちにもほんの僅かだが混じっている。だからこその寿命の長さなのだが、まさか半精霊となるとは思ってもなかった。
それどころか、遍く精霊たちの王、精霊王の血を継ぐという。
最初、娘からそれを聞いていったい何の冗談なのかと思ったが、その後精霊王自ら説明されそれが事実だと知り、どうしていいのかもう分からなくなった。
そして娘は精霊の力を制御すべく精霊界へと赴いた。
夢だと思っていた。
未だ娘は迷宮都市で本屋を経営しながら探索者になっている、と思い込んでいた。
だが数年した頃、精霊化した娘がやってきて、そこで改めて本当に精霊の血を継いだ事実に気がついた。
あげく娘は、私を召喚すればいつでも帰省できるから便利になったね、と宣ったのだ。
もう何がなんだか分からない日々が続いた。
そして五十年近くが経過し、とうとう娘の本体が帰ってきた。
外見は全く変わっていない娘を見て少しだけ安堵し、そして内面に眠っている力に気がつき、恐れた。
水の大精霊を遙かに超えた力だったからだ。そんな力を振るえば街どころか国ですら危険になるだろう。
更に悪い事に娘の性格は一切変わっていなかった。前よりも遙かパワーアップした力を気軽に使えば、王都など軽く消し飛ぶ。
まるで爆弾だ。
本当なら逃げたかった。
それでもアリッツァはロヴィーナの母親なのだ。
自分が娘を愛さなければ、一体誰がこのような爆弾娘を愛してくれるのか。
そう思いながら、日々戦々恐々と暮らしていくうちに、娘は宮廷魔導師となった。
眠っている巨大な力もきちんと制御しているし、召喚魔術は言うに及ばず、一般的な魔術の腕もアリッツァを遙かに超えている。
自重、という言葉を覚えたのか、殆ど大精霊は召喚していない。
これなら大丈夫だろう、と思っていたら、娘が数年ほど他国へ出張となった。
宮廷魔導師は外交官として他国へ赴く事もあるので、特段不思議な事ではない。
ただミーパル神聖王国にて、別世界から召喚された者たちの見極めと監視、という裏の仕事を任された事が心配だった。
しかも表向きは召喚者たちの指導員として、だ。
正直常識知らずの娘に指導を任せるなんて、その召喚者たちには気の毒だと思ったが、王の決定に異議を申し立てる事はできない。
酷い目にあっているだろう、と思いつつもアリッツァにはどうすることもできなかった。
不安な日々を過ごすうちに、彼女が報告のため戻ってきた。
帰宅したら鍵が開いていたので娘が帰省したのかと思いリビングへ行くと、大精霊三体とお茶を飲んでいた。
更に詠唱すらせず、腕を振っただけで土の大精霊を召喚し、椅子を追加で作って貰っていた。
火と水の大精霊にもアリッツァ用のお茶の準備を手伝わせていたし、自重、という言葉をどこに置き忘れたのか、と思った。
それでようやく決心がついた。
旅に出ようと。
自分はハイエルフの血を半分引いており、娘も精霊の血を継いでいる。あと千年は自分も娘も生きているだろう。
それだけの長い期間、どうやって娘と付き合っていくのか、自分はどうするべきなのかを見つめ直す旅だ。
親子の絆は切っても切れない。例え娘が精霊王の血を継いでも、自分の血もそこに入っているのだ。
そしてその日の晩、娘に旅に出ると告げた。普通に娘は賛成してくれた。
しかも自分に見せたいものがあるから数日待ってくれ、とまで言ってくれた。
もう少しで出来る、と言っていた、と言うことは今その何かを作っている最中なのだろう。
もしかして自分へのプレゼントだろうか。
それで多少は安心した。自分のために見せたいものがあるなど、やはりロヴィーナは自分の娘だと。
そして案内された先が、吹雪で一面銀世界の山の近くだった。
しかも一瞬で移動したのだ。
何が起こったのかと思った。
更にこれだけ吹雪いているにも関わらず、一切寒さを感じない。
おそらく娘が何かしているのだろうと思ったが、アリッツァではそれが何なのか理解できない。
またそこにあった巨大な建物。ドワーフのような繊細な建築物ではなかったが、それでも立派な建物だ。
娘は温泉施設と言ってたが、どうやら巨大な風呂場らしい。
なるほど、雪の中で風呂とは洒落ている、とさえ思った。
そこに入ると、いきなり闇の大精霊が出迎えてくれた。
更にはあちこちに小精霊やら中精霊たちがいる。
これら全て娘が召喚したのだろう。とんでもない魔力量である。
里にいるハイエルフやエルフ全員集まっても、果たしてこれだけの精霊を召喚できるかどうか怪しい。
奥へ入ると、まさしく巨大な風呂場だった。
普通風呂といえばシャワーが一般的であり、国によっては湯に浸かる事もあるが、岩盤風呂など聞いた事が無い。
またサウナ、と呼ばれるものも初めてだった。どうやら蒸気で室内の気温を上げて汗を流すものらしいが、汗を流して何が良いのか理解出来ない。
娘が言うには、汗が出る小さな穴に貯まった垢を落とすためらしい。説明を聞いても、そんな小さな穴の垢など落として何が良いのだろうか、やはり理解できなかった。
だが自分を歓待してくれている我が子の気持ちは十分に伝わった。
大精霊を使用人のように扱うのは正直どうかと思うが、それでもやはり娘は自分を愛してくれているのだ。
どれだけ力を持っていても娘は娘だ。
旅に出るのはやめようかと、心が揺らいだ。
「さ、風呂上がりに冷えた牛乳をどうぞ」
風呂からあがると娘が、白い液体の入ったコップを手渡してきた。
聞けば動物の乳らしい。
動物の乳なんて飲んでもいいのかは分からないし、そもそも赤子が飲むものと思っていた。
ただクレディス王国は大陸外から様々な文化が入ってきている国なので、大人が乳を飲む習慣もあるのだろう。
そう考えて牛乳を飲み干した。
——あら、なんだかお腹の調子が……まさか毒?
アリッツァは第三級まであがった元探索者だ。
ただ何十年と昔であり、吸収した魔素も時間経過で徐々に抜けていくが、それでも並みの一般人に比べ遙かに強靱である。
当然毒耐性も持っているので、普通の毒なら一切効かない。
ならば単にこの乳が痛んでいただけだろう。
そしてトイレへと入った時だ。
突然建物が揺れた。
何事かと思い、その気配を探ると上空に何やら威圧の高いものが飛んでいるのに気がついた。
——飛行タイプの強力な魔物ね、厄介だわ。
空を飛ぶ魔物は厄介だ。
天井のある迷宮ならばともかくここは外であり、遙か上空から攻撃されれば対抗手段が殆どない。
しかしここには精霊がそれこそ山のようにいる。
風の精霊か、あるいは大精霊なら上空を自由に飛べるし、防備面は完璧だ。
最強と名高い帝国軍の精鋭を率いても、この施設を落とすことなど不可能だろう。
だから安心して用をたしていたら、上空にいた気配がまるで子供どころか赤子に感じるくらいの、とんでもない力を感じた。
それこそ世界の破滅を感じるほどの大きさだ。
こんな力を振るえば天変地異をおこせる。まさしく神のような存在だ。
慌てて用を済ませ建物外へと飛び出たら、今まで見たこともない金色の精霊が居た。
だがアリッツァはこの金色の精霊がロヴィーナだと直感で分かった。なにせ自分の血を分けたたった一人の娘なのだ。
これが娘の本体なのだろう。
普段の姿が精霊で言うところの召喚された分身体であり、これこそが娘の本当の姿なのだ。
やはり旅に出よう。
娘の中に眠っている力の一端は理解していたつもりだったが、それは認識が甘かった。
たった一人で国どころか世界さえ相手取れる。
もやは神だ。
神相手にどのように付き合っていけばいいのか、よく考えよう。数十年では済まないかも知れないが、納得できるまで考えよう。
だが最後に娘には伝えたい。
「ロヴィーナ……貴女、せめてその格好でも服くらいは着なさい」
「あっはい、ごめんなさい」




