二
「眠い……」
今日も本屋で店番。
お昼はパンに肉とサラダを挟んでサンドイッチ風にしたものを食べたけど、昼下がりの今は眠気マックスだ。
ぺちぺちと頬を叩くも、全然眠気が取れない。
どうせ客なんて来ないし、ここは軽く寝ちゃおうかな。でも椅子に座ったまま寝ると、起きた時にケツが痛いんだよ。
自室で寝るとなると店を閉めなきゃいけなくなるし、勝手に閉めると父親がうるさいからな。
ああ、そういやそろそろ食材が無くなるか。眠気覚ましに買い物行こうかなぁ。それなら店を閉めても問題はない。
朝食で残ってた卵はなくなったし、サラダと肉、パンも俺が昼に全部食べた。
残りは確かジャガイモ少しとカボチャが一個あったな。
ジャガイモはフライドポテトにするとして、カボチャは……中をくり抜いて野菜とか突っ込んで蒸かすかな。
蒸かすならそろそろ準備しないとな、あれ時間かかるし。
……よし決めた。今日は店じまいして買い物にいくか。
そう決めた矢先だ。
店の扉がバーンと開かれた。
え? 客? これまた珍しい。
そう思って扉のほうを見ると、魔術師風の姿をした二十代前半くらいの人族の女性が佇んでいた。
帽子を被り手には杖、黒色のローブを着ているけど、その上に革製のプロテクターを付けている。
あ、こいつ探索者だな。
首都リブベスクに探索者が訪れる事は少ない。
迷宮のある街で一通り必要な物は買えるし、魔石の売買も探索者ギルドという国の機関があり、そこを通して売るのでわざわざリブベスクまで来る必要はない。
っていうか交通費で赤字になるかもな。
「ここって魔術関連の本を扱ってる?」
ツカツカとカウンター、俺の座っているほうへ近づいてくる。
あれ、ぱっと見て二十代前半かと思ってたけど、もうちょっと若いな。二十才前後くらいかな?
黒く長い髪がカウンターの上に落ちる。
魔術師は自分の髪も媒体として扱う。いざという時の触媒にもなるからだ。このため性別問わず髪を伸ばしている者が殆どだ。
俺も髪はそれなりに伸ばしているからね。
「はい、うちの両親は魔術師なので、昔勉強用に使っていた本がありますよ」
「へー、覗いてみるもんだね、結構あるじゃないか。試しに一冊見ても良いかい?」
「お客さんも魔術師なら分かると思いますが、本は貴重品なので丁寧に扱って頂ければ構いませんよ」
店内は広いけど、本は盗難防止のためカウンターの内側に並べられている。
このため、客はカウンター越しに並んでいる本を見てタイトルを告げるのだ。
という事で、適当に一冊チョイスしてカウンターの上に乗せた。タイトルは迷宮に巣くう魔術を使う魔物一覧、である。
それなりに上手な魔物の挿絵も描かれているし、探索者にはおあつらえ向きな品だ。
「ふーん、結構網羅しているわね。お嬢ちゃんも魔術師かい?」
「まだまだ勉強中ですけど、一応は初級くらいなら一通りは使えますね」
「ほぅ」
魔術は大きく五段階に分かれている。
初級、中級、上級、最上級、そして遺失級だ。
遺失級というのは遙か数万年の昔、古代文明が発達していた頃に使われていたらしい魔術で、今では使い手がいないそうだ。ロストマジックとも言う。
現代の魔術とは根本から異なっているらしく、一部では魔術ではなく魔法、と言っている。
魔術はあくまで術であり、術者の力量で現象を起こすのだが、魔法は世界の法則であり、個人では到底真似できないほどの大魔術? 大魔法? があるらしいよ。
ま、予想は付くけどね。火に酸素を送ればより強力になるとか、その辺が魔法の類いじゃないかなと思ってたりする。
公言はしないけどさ。
そして初級魔術を一通り使えるようになれば、晴れて一人前の魔術師となる。
ここから自分の特性にあった、よりランクの高い魔術を覚えていくのが一般的だ。例えば火属性の魔術は上級で、それ以外は初級などだ。
ちなみに俺の魔術の腕は全部初級である。
これ以上のランクの魔術を覚えても、街中じゃ使う機会はまずない。
両親がやっている宮廷魔術師の仕事だって、ドワーフたちの作る道具に魔力を如何に乗せて魔道具とするか、という研究が主体だからね。
魔術のランクを上げるよりも、アイデアと魔道具の知識が重要なのだ。
「まだ十才くらいだろう? それで初級を一通り使えるのなら凄いものだ」
エルフやハーフエルフは二十才くらいまでは人とほぼ同じ形で成長する。若干人よりは遅いけどね。
そしてそれを超えると外見はほぼ固定され、死ぬ近くになるまで変化はなくなる。
つまり十代後半くらいの外見になるまでは、ほぼ見た目通りの年齢って事だ。
「両親が宮廷魔術師ですから」
「なるほど、教育環境が良かったと」
人間の国だと魔術を覚えるのは大変らしい。
まず魔力を持つものが少ないし、持っていたとしても、魔術を教えてくれる人がいない。
このため、自然と魔術師を家庭教師に雇えるくらいの金持ちか権威を持っている人が魔術師となる。
実は父親も権威を持ってる家庭の生まれだ、俗に言う貴族って奴だな。最も三男坊だったから家は継ぐ事はできず、こうして他国の宮廷魔術師となったようだけどね。
もちろん他国に渡って宮廷魔術師になれるほどの腕を持つ者は少ない。
でも継ぐ家がない者は金を稼がなきゃいけないので、魔術を使った仕事をする。
目の前にいるおねーさんも、そのために探索者という仕事についたのだろう。探索者って強ければ儲かるらしいからね。
「成人したら探索者になるかい?」
「迷宮都市サザンクロスには、一度見学しには行きたいですが、探索者は無理ですね。私は一人娘ですし両親の後を継ぐつもりです」
「そうか、残念だ。ちなみにこの本っていくらだ?」
「三万五千メルです」
魔石一個が八百メルで、本一冊が三万五千メル。凄まじい値段だよね。
しかもこれって単なる図鑑であり、本の部類の中ではかなり安い方なのだ。
高い奴だと十万や二十万はする。金のない一般家庭が魔術を覚えられない訳だよ。
「ま、それくらいか、妥当な値段だな。よし、買うよ」
「ありがとうございます!」
おねーさんが懐から袋を取りだし、無造作に机の上へ銀貨四枚を置いた。
ちなみに鉄貨一枚で一メル、それが十枚で大鉄貨一枚となっていく。鉄貨、大鉄貨、銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨、白銀貨、白金貨の順番だ。
一般家庭で使う貨幣はせいぜい銀貨までであり、それだって大きな額の、例えば家具などのものを買うときくらいしか使わない。
普通に食材買う時も銅貨数枚もっていれば十分お釣りが出るからね。
えっと、釣りが大銅貨五枚と。
手元にある引き出しから釣り銭を出そうとしたら、止められた。
「いいよ、釣りはとっときな。お嬢ちゃんの小遣いだ」
「えっ? いやさすがに額が大きいですよ」
「つい先日大物倒して儲かったんだよ。その幸せのお裾分けってやつだ。とっとけ」
「……はい、ありがとうございます! ではその代わりといっては何ですが」
両手のひらを前で重ね合わせ、集中する。
イメージは海。
そして身体の奥に眠っている魔力を引き出しつつ、精霊への呪を唱えた。
≪静かなる大海原を擁し、癒やしと生命を司る大いなる水の精霊よ。ソリューシアの名において彼の者に祝福を与えん≫
ぶわっと俺の身体から魔力が溢れだし、それが一点へと収束していく。
次第に形取っていき、人間サイズの、女性の姿へと変化していった。
「……水の……大精……霊?」
水の大精霊が手をあげ、おねーさんへとかざすと、水色の光がおねーさんの身体を包み込んだ。
大精霊の祝福。
この街は盆地のため、常に気温が高く乾燥している。雨量も少なく作物が育ちにくいのだ。
女性に取ってはお肌の大敵である。
しかし水の大精霊の祝福があれば、その心配はもういらない。
今回は軽く掛けただけなので一週間もすれば戻るけど、その間は熱の遮断や日光を少し遮ったり、周囲の空気を洗浄したり湿気を含ませてくれるのだ。
とても便利である。
あ、水の大精霊さん、ありがとねー。
俺が手を振ると、お辞儀をして消えていった。
「は……ははっ、すごい……大銅貨五枚以上の価値があったわ。お嬢ちゃん、本当に探索者にならない? あたしが責任もって育てるよ」
数分ほど絶句していたようだが、ようやく復帰したらしい。
確かに大精霊はエルフの国以外じゃ珍しいらしいね。母親にも滅多に使うな、と言われたけど、なんせ大銅貨五枚だ。これは大精霊の祝福をお裾分けしても罰は当たらない。
でも、探索者にはなりません。
「先ほども申しましたが、私は両親の後を継ぐつもりなので」
「うーん、残念だ。だが機会があればまた会おう。あたしの名は、第三級探索者のパシリア=フォル=イグラードだ。サザンクロスを訪れた時、是非声をかけてくれ」
おや、家名とミドルネームまである。
やっぱり貴族か。
「私はロヴィーナ=ウェストフォレスト=ダイルシン=ソリューシアです。サザンクロスへ行った時は是非案内してください」
名前長いよね。
これ両親の家名が入っているからなんだ。ウェストフォレストが母親の、ダイルシンが父親の家名で、ソリューシアってのは精霊名だ。
最初どっちの家名にするか言い争って、結局どっちも入れちゃえ、って事で俺の名前はこんなに長くなった。
あと精霊名ってのは大精霊以上の精霊たちと交信する場合に使う名であり、これを持つものは大精霊や精霊王に認められた存在となる。
とは言ってもエルフなら精霊名を持つ人は結構いるんじゃないかな。母親だって持ってるからね。
♪ ♪ ♪
なんだあのハーフエルフの小娘は?
未だに驚愕から抜けられない。
パシリアは第三級探索者だ。探索者は第十級から始まり第一級が最高となっている。
しかし第一級は国に対し非常に大きな貢献、例えば街を救っただとか、過去一度しか討伐されたことのないエリアボスを倒しただとか、そういった事が無い限り任命されない。このため第二級が事実上の頂点となっている。
第三級といえば、頂点一歩手前まであがった探索者であり、迷宮都市でも最上位に近い強さを持っている一流の探索者だ。
そして現在迷宮都市サザンクロスにいる魔術師……というよりも精霊術士の中で大精霊を召喚できるものは居ない。
第二級にエルフの魔術師が一人いるものの、彼女ですら中精霊が限度だ。最も彼女は中精霊を数体同時に召喚するが。
欲しい……うちのクランに是非とも欲しい人材だ。
パシリアは迷宮都市に十三人しかいない第三級探索者の一人であり、大手クランのサブマスターをしている。
しかしここの所低迷続きで、先日ようやく五十五階層を突破したところだ。
最大手のクランたちに差を付けられている。
今回首都リブベスクを訪れた理由は、五十五階層にいたレアモンスターを発見、討伐し、その素材を献上するためにやってきた。
その報奨金を得たので、休暇も兼ねて首都を散策していたのだが、ドワーフの国では珍しい本屋を発見したのでちょっと覗いてみるだけのつもりだったが。
まさかあんな逸材を見つけるとは。
パシリアの属しているクランは魔術師が少ない。
探索者においての魔術師は大火力を担当する。魔力量という制限はあるものの、大量の魔物を一気に討伐が可能なのだ。
そして迷宮の五十階層より下はとにかく魔物の数が多く、前衛だけでは非常に突破しにくくなっている。
このため、五十階層より下を目指すクランは魔術師をたくさん入れる。しかし五十階層に到達出来るようなレベルまで育てるのはなかなかに難しい。
五十階層以下は第三級以上、最低でも第四級は必要だからだ。
そこまでの才能を持つ魔術師はなかなかいないのが現実だ。
六十一階層にいるエリアボスはドラゴンだ。
そして水の大精霊の祝福は、そのドラゴンブレスすら防ぐと聞いている。
過去一度しか討伐記録のないエリアボス。あの娘を手に入れれば、もしかすると討伐出来るかもしれない。
ただし、あの娘は見たところまだ十才程度であり、今すぐに探索者にはなれない。成人を迎える十五才までは探索者として登録できないからだ。
だが逆に言えば数年は猶予がある。
今のうちに唾を付けておき、成人となった瞬間に探索者として……。
「機会があれば、と言ったが、あれは嘘だ。暇が出来たら訪れよう」
そう心に強く思った。
♪ ♪ ♪
「あら、カボチャの良い匂いね」
「今日も美味そうな匂いだな」
「お帰りなさい!」
今日のメニューは、カボチャをくり抜いて中にコケ鳥の肉と卵を入れた親子丼風だ。それとパンに野菜の入った鶏ガラスープである。
ただし調味料は塩のみ。うーん、醤油が欲しいぜ。
「そう言えばお父さん、今日一人お客さんがきたよ」
「本当かい!?」
「探索者の魔術師で、迷宮に巣くう魔術を使う魔物一覧、を買っていったよ」
「ああ、あの図鑑か。さすが探索者だな」
「うん、お金は引き出しの中に入れておいたから、あとで店にいって確認して」
「了解」
お釣りの大銅貨五枚は俺の懐だけどね、ふっふっふ。
このお金は何に使おうかな。
どこかの喫茶店でデザートを食べるのも良いけど、やっぱり貯金かな?
いや、水の大精霊においしい水とか買ってあげようかな。
この辺り一帯は盆地で雨量が少なく、地下水に頼っている。そのため国外から持ってこられた水は結構な値段がするのだ。
でも大銅貨一枚あれば二百ミリリットルの小さいコーヒー缶サイズくらいなら買えるからね。
よし、デザート食べて水買って、残りは貯金だ!
今日来た探索者が、今後しょっちゅう絡んでくる事を知らず、俺はどんなデザートにするか今から悩んでいた。
「あ、ロヴィーナちゃん今日水の大精霊召喚したでしょ? 契約している水の小精霊が教えてくれたわ。ダメと言ったはずなのにどうしてかな?」
「えっ、あの……そ、その……」
その後、お釣りの件も白状させられ、全て没収となりました。ひでぇ。