第1章 12 『誓い』に応える
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「精霊様!」
彼女が動転したように叫ぶ。
「納得できないという顔だな。コマラパ、いや、ティトゥ?」
銀髪美女の姿をした精霊は、『愛し子』と呼んだ黒髪の少女を片手で引き寄せ、庇うように自分の背後に立たせた。
おれを警戒しているのか?
「ティトゥ……思い出しました、精霊様。生贄になってセノーテに落とされる前の、おれの名前だ。けれど泉に落ちて青竜様の従者になってからは、仮の身体と一緒に捨て去った。この世界に生まれてからの記憶も、今のおれには、ないんです」
「それも知っている。我々、精霊は、世界そのもの。ここで起こることは全てを掌握している」
精霊様は、憐れむような目で、おれを見た。
「青竜の従者。さぞや、おまえは疑問でいっぱいになっていることだろう。時間のゆとりはないが、可能な範囲で答えてやろう。それでどうだ」
「はい。お願いします」
おれは精霊様の足下にひざまずいた。
「ですが、おれのわがままで青竜様にご迷惑をおかけすることはできません。おれがここにいるのは、勝手に迷い込んだからです」
「なるほど。従者としては、あっぱれな心がけであるな。ではまず、名乗っておくとしよう。小僧。私の名前はグラウケー。人間たちの王の一人から贈られた名である。私は精霊が人間と接する場合の、全権代表だとでも思ってもらえばよい。幸いにも青竜は、白竜に30年前の詫びを入れるために会見中だからな、口出しできぬ」
「はい」
ひたすら平身低頭するおれだが、耳に入ってきたのは意外な言葉だった。
「だから、私はおまえを、今、ここへ招いた。良い機会だし」
「……え?」
「あっははははは! どうだ、このきょとんとした顔は! やっぱり、人間というものは面白いな!」
真面目くさったクールビューティーな顔から一転、手を打って豪快に笑う、銀髪の精霊、グラウケー。
黙っていれば『仕事のできる、いい女』的なオーラをびしばしと放っているというのに、熟女どころか、まるで、小学校レベルのいたずらっ子だ。
「グラウ姉様! 何を笑ってるんですか! コマラパが、困ってます!」
真っ赤
「案ずるな『愛し子』よ。どうやら、時は至った。いくら世界が隔てても、おまえたちは何度でも巡り会うようにできているのだな」
「意味がわかりません、グラウ姉様」
「ふふふ。むくれるでない、幼き身とはいえせっかくの美貌が台無しだぞ」
笑いながら精霊グラウケーは彼女の頬を指でつついた。
「おまえたちが、ふたり共にこの『精霊の白き森』に導かれた場合は、試練を課すことになっている。『忘我の先祖還り』そして『白竜の巫女』よ」
おごそかに、グラウケーは両手を差し上げ。
おれの額に、指を当てた。
「私はおまえに『誓い』を強制する。おまえがこの世界に転生した理由を、果たすのだ。たとえ覚えていなくとも」
「……グラウ姉様! それは!」
彼女の声が、胸に響く。胸の深いところまで届く。
「……『誓い』?」
これは、どういうことだ。
グラウケーが紡ぎ出す、音節の一つ一つが、銀色のもやになって。まるで彼女が白竜様のために織っていた、あの領巾のように、おれにまといついて。
「この子に名がない理由を教えてやろう」
心臓が掴まれるような、痛みが胸に食い込んだ。
まずい!
青竜様から教わった、警告されていることがある。
世界には魔法が存在するのだ。そして「呪い」が。
中でも『誓い』は、強制力が強いのだ。
青竜様の従者でいるうちはともかく、もしもいずれ外部の世界に遣わされることがあったなら、他者から受けるかもしれない「呪い」に気をつけろと。対処の仕方は、これから教えてもらう予定だったのだ。
「名前の無い状態であるならば無敵。だが誰かに名付けをされたならば、とらわれる。つまり弱くなるのだ。……この子は生まれてすぐに死んで、精霊の仲間になった。白竜には、身柄を預けてあるのみに過ぎない。そこで課題だ。おまえは精霊を儚き人の世に留め置きたいと、望むのであろう?」
「グラウ姉様。彼は、まだ、そんなこと口にしていません。それでは彼を私のために縛ることになります!」
「彼は望んでいるとも。そうだろう、コマラパ? 真実を我に告げよ」
額を押さえられているのは、そういうことか。
おれの心の内など、グラウケー様には手に取るようにわかるのだろう。
「はい。おれは、彼女と共に生きたいです」
自然に、言葉が口をついて出た。
「聞いただろう『愛し子』よ。現在の彼は真実しか告げられない。確かに望んでいるのだぞ。では、おまえはどうしたい?」
「わ、私は……」
彼女が、おれを無言で見つめる。
その、まっすぐな長い黒髪。アクアマリンの瞳。
ふしぎだ。初めて見たような気がしない。
もう離したくない。
もう二度と。
……なぜ、そう思うんだろう?
「私も、彼と一緒にいたい!」
ついに、彼女は叫んだ。
「彼のこと、すごく懐かしいの。もう、離れたくないって思うの。でも、なぜなのかは、ぜんぜんわからないの!」
「よしよし。やっと、本音が言えたね」
優しい顔で、グラウケーは彼女を抱き寄せ、頭を撫でた。
「では、小僧。儚き存在である、おまえ。この子の名前を、あててみよ」
「グラウ姉様? あてるって、私には、名前は……」
困惑を隠せない少女へ、精霊は言う。
「ないのではない。これまで明かされなかっただけだ。あててみるがよい。正しい名前を明かすことができたならば、『愛し子』は、おまえのものだ」




