プロローグ 1 お土産はトナカイのぬいぐるみだからね?
「黒の魔法使いカルナック」に続いていく予定の前日譚です。
成田空港は、快晴だった。
大勢の乗客でごった返している中を、泰三はスーツケースを引きながら歩いていた。
並河泰三は四十五歳。
貿易会社を経営している。
筋肉を鍛え、顎髭をしっかりたくわえているのは、仕事で海外に行くことが多いからでもある。日本人はたいがい童顔とまではいかなくとも幼く見えるようだから。
腹の探り合いをしつつ込み入ったビジネスの話をするのには、威厳が必要なのだというのは彼の経験則だった。
中年である。若い頃に比べれば体力の衰えも感じないことはないが、反面、まだまだ若い者には負けないという自負もある。
自分で自分の限界を作っていては何も始まらないのだ。
海外への出張も慣れているので困る事も無い。
有能な秘書の青年もついている。
いつもの海外出張だ。
ただ一つ、常と違うのは、彼の一人娘、香織の存在だった。
空港の出発ロビーに立っていると、注目を浴びないではいない。我が娘ながら、華やかな美人だ。
腰まで届く長い黒髪、色白で、切れ長の目はきりりとして理知的な美しさ。
今は、沈んだ表情をしているけれど、それはそれで、憂いに満ちた薄幸の美女のようで、たまらないのである。
……絶対、当分、嫁にはやらん!
ごくありふれた海外出張。
いつもなら香織は空港までは来ない。
だが今日は、彼氏も一緒に見送りに来ているのだ。高校の同級生同士で、真面目な交際。いずれ正式に婚約をと、泰三も理解は示していた。
ひとり娘の香織は、高校三年。志望する大学への推薦も決まっている。
泰三が気になるのは、彼氏が少々頼りなさそうな小柄な美少年であることだ。優しげで誠実そうなのはいいのだが。
(香織、彼氏を顔で選んでないか?)
内心の不満を抑えつつ、香織と、彼氏である少年を見やる。
「そろそろ搭乗時間ですね」
彼氏が、言う。
「うむ。それにしても、沢口くん。君まで見送りに来なくてもよかったんだぞ。学校はどうしたんだ」
「香織さんの大事なことですから。おれは彼女を支えます」
生真面目な表情だった。
傍らに立っている香織は、うつむいて目線を合わせない。
「……パパのバカ」
視線を床に落としたまま、ぼそりと言った。
「あんなに、行かないでって言ったのに」
「しょうがないんだ。今回の会議は、どうしても私が出席しないとおさまらなくてね」
言い訳になってしまう。
ため息が出た。
もちろん、泰三だって望んで行くわけではないのだ。
経営している貿易会社の海外支店が、とんでもない高額の損失さえ、出さなければ。
「そんなの現地の誰かにやってもらえばいいじゃない!」
突然、香織が顔をあげた。
……こうしてみると、確かに似ている。
香織と、二年前に亡くなった妻の沙織は。
どちらも、人間離れした美しさだ……
香織の、綺麗な顔が、悲しみの表情に覆われる。
次いで、憤りへと変わって。
「なんでパパが行くの? それにヘンよパパ! 今までだったら、私の言うこと聞いてくれたわ。いろんな占いに、全部出てるの。お願い、行かないで!」
ガツンッ!
泰三は胸に釘を打ちこまれたように感じた。
そうだ、どうして私は。
今までなら香織の忠告を聞いていたはずなのに。
なぜ今回は、強硬なまでにスケジュールの変更を受け付けなかった?
「かおり」
やっぱり行くのをやめようと、言いかけた瞬間。
「社長。まいりましょう。搭乗手続きを急いでおかないとなりません」
秘書の青年が、刻限を告げた。
まだ香織は納得していないようだが、どうしようもなかった。
「お義父さん」
沢口くんが、口を開いた。
……いや、「お義父さん」は、まだ早くないかね?
いずれ遠くない将来には、そうなるのだろうが。
「道中、お気をつけて」
あらたまった表情の、彼氏。沢口充くん。
「……パパ。無事に帰ってきて。お土産はトナカイのぬいぐるみにして」
香織は、ぬいぐるみの土産をねだる。
子供っぽいところもあるんだな。
意外に思った。
「ああ。必ず。大きなトナカイを買ってくるから」
「ぬいぐるみだからね?」
「はは。もちろん」
旅立つ刻限の空模様は、青空から一転して暗雲に覆われつつあった。
この時点で早くも、泰三は後悔していた。