ライヒスタークで旗めいて
偉大なる革命が成就してから6年の年月が過ぎた頃。私は、革命の色彩と、工場と農場の労働者を表すシンボルを持った象徴として誕生した。
私は、党の指導と人民の団結の表象として祖国の各所に掲げられた。
工場で、農場で、食堂で、学校で、病院で、駅舎で、街路で、広場で、公園で、警察署で、消防署で、軍事基地で。
偉大なる連邦のありとあらゆるところで、私は掲揚されたのだ。
正確にいえば煌びやかなガラスで彩られた前時代的な建物には、私の姿はない。そこはただ消え去るべき場所だから問題はなかった。
私の誕生から1年後、偉大なる革命の始祖が身罷る。大変残念なことだ。弔意を示すために、私は定位置から3分の1ほどで風に舞っていた。
星の名を持つ新たな指導者が革新的な計画経済の遂行を開始する。私は泰然と立ち並び、連邦が大いなる発展を遂げるのを見届けた。
1938年から1940年にかけて、私が掲げられる範囲は拡大した。北欧へ、東欧へ、中欧へと。ジュネーブにある国際的な政治的虚構からは姿を消すことになったが、痛痒は感じなかった。
翌年、危機が勃発する。大祖国戦争。帝国の電撃的な侵攻。各個撃破される軍。人為的な暴風が発動して吹き荒れると、連邦は危機的状況に陥る。
私は風に立ち向かいながら、天を仰いで願う。空から舞い降りる大将軍よ、寸刻を惜しんで顕現せよと。
過去の経験に基づく、苛烈な焦土戦術が実行された。革命の寵児を退けた作戦を革命の旗手達が行う。実に皮肉なことだ。
軍と人民は一丸となり防戦を行った。私も戦場でその身を晒して同志達を鼓舞し続けた。大地に降り注ぐ雪風がカラダを凍らすのを感じながら。
天の時、地の利、軍と人民の不断の努力が合わさり、暴風の速度が漸く落ちた。クラースナヤ・プローシシャチと呼ばれる広場から僅か50キロのところで鉄の嵐が止んだのだ。
偉大なる祖国を汚す外敵の計画は頓挫したのだ。
戦争の転換点で、戦略予備が満を持して投入され、私が共に前進したものだ。
月日が流れ、大祖国戦争が始まって4年の時が過ぎたころには、かつて私が存在していた大地に舞い戻り、私はかつての国境線を踏み越えていた。
そして偉大なる革命の父祖の名を頂いた都市から東方へ1500キロほどの場所。私の目に大きな都市が映る。
帝国の首都、絶え間ない空爆と砲撃に晒されたその都市には、かつての栄光はない。崩れ落ちた煉瓦、割れガラス、燃える電信柱――半ば廃墟と化した市街には、敗残兵、老人あるいは少年たちで構成された国民兵が潜んでいる。
市街戦というものは大概にして凄惨なもの。一街区ごとに発生する必死の抵抗を、多量の火力と優れた連携を用いて丁寧に丁寧に、実に丁寧に排除してゆく。
区画に残る半壊した建物の屋上。バサリと私が掲げられる。
それを見て投降する者、敗北主義者として味方に撃たれる者。
帝都は、確実に私色に染まってゆく。
残る拠点は少ない。帝国国会議事堂はその一つ。
1800年代後半、10年の時を掛けて建造された新バロック様式の建造物。国家の威信をかけて建造されたそれは、実に豪華絢爛なものだったと聞く。
だが、私の眼前にある建物に飾るような美々しさなど残されてはいない。そこは11年前の大火の後も修復される事もなかったし、今なお、わが軍の砲爆撃に晒されてもいたからだ。
首都陥落が目前に迫ったその時、議事堂は実に醜い化粧を施されていた。周囲には塹壕が張り巡らされ、窓には煉石が押し込まれ、正面玄関には瓦礫を積み上げたバリケードが構築されていた。
議事堂は、不毛な抗戦のための、ただの防塞と化していた。
ヒュゥ――
私に向かって、議事堂の方から風が吹いてくる。風に吹かされて踊るのは大好きだが、このような風は好みではない。
その風には、親衛隊、水兵、青少年団で構成された最後の部隊が放つ臭いが乗っていた。それは、最後まで帝国のために忠誠を尽くすこと、死んでゆくことに、どこか快感すら感じているような――これは狂気の臭いというやつだ。
なんとも忌まわしい風なんだと風に皺をよせた私は、議事堂の上でその風にはためく存在に気づく。
黒い十字。第三帝国の旗印。
彼は嬉しげに旗めいていた。実に実に実に嬉しげに。彼も狂気に取り付かれているのだろう、きっと。
取り付く島もないな、そのように独り言ちた私の耳に、攻撃開始のホイッスルの音が届く。
同志達がウラァァァァァァァァァァァ! と声を張り上げ前進を始める。
まぁ、そこで狂気の風に靡いていれば良いさ。
私が君に替わり議事堂に掲げられる、その時までは。