鮮血の青年
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その日の僕は、見えない血液に塗れていた。
見えない傷から溢れ出したその深紅の液体は、見るたびに嫌気が差す。
周囲の人々には見えない僕の傷。
僕にしか見えない生々しい傷。
こんな傷、一体いつついたんだ。
行きかう群衆の中、僕の歩んだ道には大小の赤い斑点が連なり、線の道のようなものを作り上げていた。
立ち止まって後ろを振り返ってみれば、一部の通行人たちが僕を邪魔そうに見つめる。
それに対して僕は、地面に染み付き通行人たちの足によって、さらに色の範囲を広げていくその深紅に嫌悪感を抱いていた。
《精神的障害による幻覚》
そんな考えが脳裏に浮かぶが、あの事件の事はもう吹っ切れている。
爺ちゃんにまた会いたい。其の一心でこの二年調べを続けてきた。
だったら何だ。原因は何だ。呪いか。
否、そんなもの存在するはずが無い。
あんなもの、ただのオカルト好き共による妄想話の結晶だ。
僕は再び足を進めた。大きな溜息を着き、爆発しそうな頭を抱えて。
「…ほんと、何なんだよこれ…」
まるで行き場をなくした子供のように、僕の歩く速度はとても遅かった。
一歩、一歩が無駄に重く感じる。
原因不明の幻覚に謎の喪失感、気だるさ。
睡眠はちゃんと取っていた筈だ。
…はは、ただの危ない人じゃん。
不本意だが、口元にはにやけに近い笑みが浮かんでいた。一体何が面白いんだか。
自分の身体なのに、自分の事が分からない。可笑しな話だ。
ふと、無意識に視線が横へと移った。その、まるで第三者に操られたかのようなその感覚に、何だ、と一度止まってその光景を瞳に映してみれば、
_____僕の目はすぐに大きく剥いた。
……其処にいたのは、紛れも無い。―――――――血塗れた己の姿。
「え…っは?」
見えている。
状況の処理に脳が追いつかなかった。
外からは、見えないんじゃ無かったのか?
反射的に背後を顧みれば、未だ続く通行人の歩行
否、自分が見てるから、この姿が鏡でも見えるのか?
一気に浮かび出てくる疑問の数々。
再び前方に首を戻せば、冷や汗が全身を包み込む様な感覚に襲われた。
定まらない視線の先、其処にあったのは巨大な一枚鏡。
その高層ビルの壁の一面だけが大きな鏡と化した様なソレは、さっきからウダウダ言っている僕の赤い姿をはっきりと映している。
そして其の背後、先程から僕の血なんて見えていないと思っていた進む群集は、光の宿っていないその瞳で、ずっと、僕の事を見つめていた。
その、どこと無い威圧に思わず腰が引ける。
そして、それらの視線の焦点はどう考えても僕自身で、反射神経か、背中に逆立った鳥肌がビリビリと震えた。
溢れる冷や汗、その量も尋常ではない。
鏡を見たその瞬間から、まるで世界がガラリと変わったかのように、肌を包むこの世界の空気はべったりと僕に張り付いて来た。
それは、まさに蜘蛛の巣に引っ掛った獲物の様。
僕は比較的汗をかく事に抵抗はあまりないはずなのに、僕は何故か、このじめじめとした空気の感触が嫌で嫌でたまらなかった。
まるで、ナニカに腕を掴まれて、この身の血が当たり前な世界に強制的に引きずり込まれている様な、そんな感覚が僕を襲う。
其の時、突如、ふ、と全身の身体が抜けた。
其れに対し、迫る焦りと恐怖心。だがそんな気持ちとは裏腹に、支える力を失った膝はカクンッと折れ、身体の重心は後ろへと倒れていった。
流れる冷や汗が、近くなる地面に向かって滴り落ちる。
何故、自分はこんなにも焦っているのだ。
分からない。
分からない、自分の事なのに。
地面に倒れちゃいけない、とにかくそんな感じがした。
本能が、そう伝えているんだ。
でも身体が脳の指示を受け付けない。
結果、動けない。
倒れて行く時間はとても長く、スローモーションを思わせる速度で目の前の風景を変えていった。
光を遮る赤黒い雲。
鼓膜を震わす嫌なざわめき。
募る恐怖心。
重くなる瞼。
停止する思考。
「……誰、か」
声帯から絞り出した其の声は、何故か枯れていて、自分が今まで聞いてきた中で、一番弱弱しく感じられた。
「―――――――――――」
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