初恋は……
髪を切った。あいつが好きだと言ってくれた、腰まである長い髪を。顔の横で揺れる茶色を見ていると心まで軽くなった気がした。大事に抱き続けたはずの初恋は、黒髪と一緒にどこかへ消えたのだろうか。
「なるほど、だから髪を切ったのか。君もなかなか奥ゆかしい考えを持っているなあ。おかげで私はしばらくコーヒー片手に立ち往生してしまった」
目の前の黒髪でショートというには長い、ミディアムの女性は男勝りな口調で楽しげに、口の端を上げて笑っている。初対面のときには見下されているように感じたこの笑い方は、彼女が心の底から楽しんでいる時に見せるものだと今では知っているからあまり気にならない。……いや、この状況で笑われるのはすごく気になるけれども。
「あなたは私を髪の長さで判別しているの? まったく、失礼ね」
「そんなことはないよ。時間はかかったけど、ちゃんとわかったし。そもそも髪型だけでなく、烏の濡れ羽色が今どきな茶色になったんだ、印象はだいぶ変わる。雰囲気も心なしか明るくなったように感じるぞ?」
「そう、かな? 自分ではよくわからないんだけど。むしろ、ずっとあったものが無くなったっていうのが何か不安で……」
肩にも届かなくなった髪をさわりながら、曖昧に笑う。外見につられて性格も明るくなればいいんだけど、すぐには無理のようだ。
優はストローから口をはなすとさっきとは違う、近所に住むゴシップ好きのおばさんのように目を輝かせ、にやにや、というような擬音つきの笑顔を見せた。
「ゴシップ好きのおばさんって! 君意外と毒舌なとこあるよなあ……。じゃなくって、今の君を三浦が見たらどう言うのかな。なんて説明するつもりだ、幼馴染サマ?」
「う」
それは美容院に行く前さんざん悩んで、結論が出せないままうやむやに放置した問題だ。私は嘘をつくのは得意ではない。毎年エイプリルフールに嘘をつくがすぐ見破られてしまうのだ。とくに、幼稚園からの幼馴染である三浦吉希と、この、親友である優には通用しない。優には私が吉希にずっと片想いしていることを言ったことがあるから、この不毛な恋に終わりを告げるためだと説明できるけど吉希に対してまさかそんなことは言えない。理由は隠して、「イメチェン」と言って押しき……れるかなあ。
「君がそれでいいならいいけどねえ。告白してすっぱり振られたほうが諦めれるんじゃないかなあ」
「友人として仲良くしてたいの。変に遠慮とかされたくないし。それに、もう私は大丈夫! すっぱりきっぱり諦めたよ」
正確に言うと「諦めようとしている」だけど。恋心は君と一緒に捨てたはずなのに、吉希のことを考えるだけで胸が高鳴る。
「告白は別に迷惑じゃないと思うが。……あ、じゃあアレを見てもなんとも思わないんだ?」
優が指さした方向を見ると吉希と、吉希と同じサークルの綺麗な先輩が談笑しながら歩いていた。今私たちがいるこの店は大学への通り道にあるから、きっと今から大学へ行くのだろう。
「あれが君がジェラシーを感じちゃってる相手か。そして、初恋の相手が幼馴染で関係を壊したくない……と、うだうだ悩んでいたらいつの間にか出現していたライバル」
「なんで話していない私の心の中の葛藤も、三角関係になってしまったという今の状況も把握しているの!?」
「幼馴染どうしの恋愛の悩みの九十%以上がそういうものだと思うよ。実際私はそれで悩んでいる人間を知っている。見ていればそれくらいわかるさ」
言われなくたって君が悩んでいるであろうことはわかるさ。そう呟いて、コーヒーを飲む優。さすが、というべきかな? というか私以外にも幼馴染を好きな子がいるなんて、そっちも驚きだ。ぜひその子とはお友達になりたい。
「それより、あいつが大学行くってことは君も授業があるんじゃないか? 行かなくていいの?」
優はサークルは同じだけど学部は違う。吉希とは同じ学部だったから履修登録を一緒にした。そのとき受ける授業も揃えたから……
「次の授業、出席確認あるやつじゃんっ! ごめん、また後で!」
あわただしく一人の女性が店を去った後、もう一人の女性が呟いた。
「ほんっと鈍感だな、二人とも。さっさと告ってくっつけっつーの。……つらいだろ、私が」
その独り言はそよ風に乗って、大空の向こうへ消えていった。