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第8話:挫折のショコラ

 人生で初めての挫折。

 苦い記憶と言うのを愛絆は今も忘れられずにいる。

 中学時代にも愛絆はお菓子作りのコンテストに出続けていた。

 諸塚シェフが審査するコンテストに出た時の事である。

 普段は緊張などしない愛絆でも、一流のパティシエが相手となると話は別だ。

 ちょっとしたミスから、ケーキ作りを失敗してしまった。

 自信のあるスペシャリテ、ガトーショコラ。

 だけど、生地の配合、焼き加減、少しずつのミスが生んだもの。

 普段ならばしないミス、緊張感と驕りが招いてしまった。

 それも、諸塚シェフの分だけ失敗作になってしまうなんて悪夢としか言えない。

 審査は当然、諸塚シェフの点数のみが低評価になってしまった。

 

『キミにはプロとしてのパティシエになるために欠けているモノがある』


 諸塚から言われた言葉が今でも愛絆は忘れられない。


『それが何かをよく考えなさい。それが分からなければキミはパティシエになる資格はない。キミは、パティシエに向いていない』


 思いもしなかった辛辣な評価。

 自信があったゆえにショックも大きかった。

 あれ以来、愛絆は自分の中でプロになる夢を封印してきた。

 自分に欠けているモノ。

 彼から言われた何かがまだ分からない。

 ただ、自分の趣味として続けるだけならば誰からも責められることはない。

 彼女は現実から逃げたままでいた――。






 その日の夜、愛絆は『リピュア』に向かっていた。

 七夕コンテストのお題が決まった、と夏姫から呼ばれていたのだ。

 お店の営業が終わる時間帯、事務所の方へと足を向ける。

 

「こんばんは、夏姫さん」


 彼女を待ち受けていた夏姫。


「愛ちゃん、待っていたわ。こんな時間に呼び出してごめんね」

「いえ。それで、話って……?」

「もう少しだけ待って。レナちゃんも呼んであるの。彼女も次のコンテストに参加するって聞いたわ。あの子が参加するとと愛ちゃんもやる気があがるものね」

「あちらの腕前もいいですから。良いライバルですよ」


 玲奈は愛絆の大事な友人であり、ライバルでもある。

 お互いにやる気を上げてくれる存在だ。

 少し遅れて玲奈がお店にやってきた。


「お二人とも、お待たせしましたわ。それで、お話とは何ですの?」

「二人が揃ったところで厨房の方へ行きましょうか」

「「……?」」


 玲奈と愛絆は顔を見合わせて不思議そうな顔をする。

 厨房には愛実が準備をして待ち構えていた。


「お疲れ様です、メグさん」

「あー、やっと来たねぇ。さて、と。店長。この子達に話は?」

「まだよ。ふたりとも、今からちょっとした勝負に参加してもらえるかしら?」

「勝負ですか?」


 ふたりに「今から愛実とお菓子作りで対戦して欲しいの」と本題を切り出した。


「七夕のコンテストまであと3週間。テーマは『七夕をイメージしたロールケーキ』と発表されたわ。ふたりにとってはお手の物。お題自体は問題ないわね」

「ロールケーキ。幅広い選択ができます。そこで、前哨戦というわけですか?」

「近日中に大会もないし、競い合う経験は一つでも積んだ方がいいでしょ」

「そうですわね。ですが、どうして、愛実さんと勝負なのですの?」

「プロのパティシエに今の貴方達がどこまで通用するかという意味を込めて。あと、愛実ならば相手として気負う事もないでしょう?」


 愛実が膨れっ面で「それは余計なひと言です」と嘆く。

 本職のパティシエと勝負する機会は今の愛絆たちにはほとんどない。


「素人ばかりのコンテストでは実力を測る機会もない。良い経験になりますわ」

「玲奈ちゃんはやる気だねぇ」

「当然です。愛絆さんもやりましょうよ。これはチャンスですわ。それに、愛実さんならば、今の私達でも勝てる可能性がありますわよ」

「私への過小評価がひどくない? あのね、私は確かに二年目だけど本職なんだよ?」


 愛実の経歴的には彼女達に見劣りするが、これでも二年のパティシエの経験がある。

 プロとアマチュア、そこには経験値と言う目に見える差がある。

 愛絆もパティシエと付き合いはあってもこういう経験ができる機会は少ない。


――本番前の前哨戦に、プロが相手してくれる。面白そうじゃない。


 多いに興味を持って返事をする。


「メグさんと勝負なんてテンションがあがりますよ。分かりました。私も参加させてもらいます」


 夏姫は愛絆の快諾を喜んだ。

 これで準備は整った。


「そうだ、先に言っておくけど、愛実。貴方は勝って当然なんだからね? プロのパティシエとして働いている以上、素人に負けは許されないわ」

「うわぁ、平然と笑顔でプレッシャーをかけてくるし」

「プロとアマチュアの差を見せて。ここで負けてたらアンタのパティシエ人生に関わるわ」

「なんで、私のパティシエ人生をかけて勝負しなきゃいけないんですか!」

 

 無理やり参加させられて、この展開なら嘆きたくもなる。

 顔を引きつらせる愛実をよそに愛絆は不思議がる。


「それにしても、こんな風に勝負なんて珍しいですね?」

「前々からしてみたいって思っていたから、いい機会だわ」

「え?」

「何でもない。ほら、三人とも準備をして」


 夏姫は柔らかな微笑を浮かべながら、


「勝負してもらうお題はアップルパイよ」

「アップルパイか。王道ながらもお手軽なスイーツですね」

「だからこそ奥深い。思う存分アレンジを加えて頂戴。味の評価は私がするわ」


 課題のアップルパイに愛絆は昔を思い出していた。


――そう言えば、アップルパイって……あの時の……。


 それはまだ夏姫に出会った頃だった。

 彼女も当時は自分のお店ではなく、修行中のお店にいた時代。

 スイーツストリートでの小学生向けのお菓子コンテストでのこと。

 パティシエになりたての夏姫は審査員のひとりとして参加していた。


――あのコンテストは夏姫さんと親しくなったきっかけでもあったなぁ。


 アップルパイと言う課題で、愛絆はローズアップルパイに挑戦した。

 けれども、まだ技術が追い付かず、失敗してしまったのだ。

 会場の片隅で悔しくて、辛い顔をしていた愛絆を見かねて、


『ねぇ、お姉ちゃんが作り方を教えてあげようか?』


 夏姫が声をかけてくれたのだ。

 その後、夏姫に教えてもらったのを機会にふたりは親しくなっていった。

 愛絆と夏姫の最初の出会い。

 一緒に作り、綺麗に焼きあがった時、ふたりで笑いながら食べたのを思い出す。

 

「オッケー、愛ちゃん?」

「了解です。それじゃ始めましょうか」


 愛絆たちが調理を開始する。

 厨房に響く調理音。

 三人とも手際よく、ボールに小麦粉を入れてかきまぜる。

 調理の手を止めずに愛実は夏姫に問う。


「お題のアップルパイって店長はよく提案しますよね」

「まぁね」

「へぇ、夏姫さんのお気にいりなんですか?」

「新人パティシエとか入ってきたときには必ずさせてる気がするなぁ」


 愛実の指摘に夏姫は「私にとって試験と言えばこれなのよ」と答える。

 彼女は懐かしそうに昔を思い出しながら、


「私にはパティシエの師匠がいるんだけど、その人に初めてテストしてもらったのがアップルパイだったの。彼女にはいろいろな事を教えてもらったわ」


 今でこそ一流パティシエの夏姫も当時は何もかもが未熟だった。

 技術だけではなく、パティシエになるために必要な心構えも教わった。

 アップルパイは夏姫には特別なもの。

 愛絆にとっての原点がシュークリームだと言うのならば、夏姫の原点はアップルパイと言えるものだ。


「試験も最初はダメ出しされまくってた。苦労した分、思い入れもあるのよ」

「夏姫さんにとってはアップルパイが思い出の味と言うことですね」

「というか、初恋の味。これを作った事で、私は旦那への想いに気づかされたりしてね。いろいろと思い出があるのよ」

「なるほどなぁ。店長も若い時には苦労をしたと……ハッ!?」


 自らの何度かめの失言に愛実は顔を青ざめる。

 夏姫は愛絆を溺愛しているが、愛実には厳しい。

 それはこういう些細な言葉が影響もしている。


「今も若いけどね? うふふ……愛実は一番じゃないとお店から追い出しちゃうかもねぇ?」

「本気で怒ってらっしゃる!?」


 夏姫に威圧されてげんなりとする。


「い、一番になりますよ。『リピュア』のパティシエとして意地を見せます」

「当然よねぇ。だって、私よりも若いんだもの」

「うぅ……ごめんなひゃい。調子に乗りました」


 自業自得、言葉の重みをかみしめる愛実だった。

 玲奈も愛絆も同情はしてくれなかった。

 それぞれ生地が出来上がり、リンゴを敷き詰めていく。


「アップルパイっていくつか形状がありますけど、どれでもよろしいのかしら?」


 今さらながら、と玲奈から質問をされる。

 アップルパイと一言で言っても、国によって形状が異なる。

 スライスしたリンゴを敷きつめるタイプ。

 リンゴを煮詰めてパイ生地で包み込むタイプ。

 作りやすいお菓子だからこそ、アレンジもしやすい。

 

「どれでもいいわよ。貴方達の美味しいと思うお菓子になればそれでいいわ」

「では、私はパイ生地タイプを。こちらの方が得意ですからね」

「愛ちゃんもレナちゃんも失敗してもいいから、今の自分にできる精一杯の物を作って見せてくれるかな。私は貴方達の成長が見たいのよ」

「はいっ」


 夏姫の期待に応えたいと愛絆も腕を振るう。

 ちらっと隣で調理する玲奈の方を見ると彼女はリンゴだけではなく、カスタードクリームを作り始めている。


「ふーん。玲奈ちゃんはカスタードを混ぜるタイプにするんだ」

「この組み合わせが私は一番好きなんです。どこまで甘さを引き出せるか」

「いろんな意味で追い込まれてるメグさんは……あれ?」


 彼女はリンゴを切ることなく、皮をむいて丸ごとパイ生地で包み込んでいく。

 小ぶりな林檎を丸ごと使うアップルパイ。


「メグさん……リンゴ丸ごとひとつをパイに?」

「私だってやる時はやるってところを見せなきゃね」

「なるほど。そう言うタイプできますか。ふふっ、面白いですわね」

「こっちにもパティシエの意地とプライドがあるんです。ふたりとも、悪いけど一番は当たり前のように私がもらうから」


 愛実は「そうじゃないと私の立場と居場所がなくなるもん」と気弱に言った。

 かなり自業自得な所はあるけども、地味に進退問題になりつつあった。

 

「大胆に見えて繊細な作業。中身もただのリンゴだけじゃないみたい」

「さすがプロ。見た目も華やかです。そう言う愛絆さんは……え?」


 玲奈は愛絆の作るアップルパイを見て、少し言葉に詰まる。

 それはある種の違和感のようなものだった。


「愛絆さん?」

「どうしたの、玲奈ちゃん?」

「い、いえ、何でもありません。美味しそうですわね。さすがです」


 だけど、玲奈はそれが勘違いだと思い込むことにした。

 その後は真剣モード、3人とも沈黙してしまう。

 愛絆が作ろうとしているアップルパイは王道路線のものだ。

 リンゴを砂糖と煮詰めて甘さを引き出していく。

 食べた時にリンゴの触感を楽しめるように形を残すのも大事だ。

 出来上がったパイ生地で包み込む。

 いかにも王道とも言えるアップルパイは見た目にも綺麗で美味しそうだ。


「あとは焼き上げるだけ。いい感じになりそう」

 

 オーブンに入れて、あとは焼くのを待つだけとなった。

 そんな自信を持つ愛絆を夏姫は複雑な眼差しで見つめている。


「愛ちゃん、やはり貴方は……」


 誰にも聞こえない声で彼女は小さく呟いた。

 夏姫が以前から感じていたものがあった。

 それが今、確信になってしまったのだ。

 そして、3人ともアップルパイが焼き上がり、ついに審査の時を迎えた。

 


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