第7話:それぞれの思惑
「我が妹、愛絆に興味があるようですな、涼介殿」
教室で寛太は涼介に笑いかけながらそう言った。
桜瀬愛絆。
寛太の妹にして、涼介が気になる女の子である。
「前から興味はあったよ」
「知ってる」
「噂以上にお菓子大好きな女の子だったな」
涼介が愛絆の存在を知ったのは先日の勉強会が初めてではない。
「……寛太がよく愛絆ちゃんの話をするだろ。それで気になってたのは事実だ」
「俺、そんなに話をしてたっけ?」
「お前に自覚ないけどね」
彼は苦笑いをする。
寛太の口癖は「妹がさぁ」である。
何かと妹の話題をするので、シスコン疑惑もクラス内であったりするほどだ。
実際はシスコンではなく、生意気な妹に苦しめられているだけなのだが。
「昔、一度だけ愛絆ちゃんの事を見た事があるんだ」
「どこで?」
「何年か前。スイーツストリートのコンテストで彼女は優勝していた」
駅前の洋菓子専門店が並ぶ通りを“スイーツストリート”と呼んでいる。
そこで行われたコンテストで愛絆は見事に優勝。
だけど、優勝しても、喜ぶ素振りもなく当然と言った表情が印象的だった。
彼女は自信に満ち溢れている。
そう誰もが見えたのだ。
「あの子は才能がある子なんだなって思ったよ」
「一目ぼれでもしたか?」
「そこまでは。ただ、可愛い子だとは思ったけど。あの時の顔を不思議と覚えていてさ。この前、会った時に『あぁ、やっぱりあの子なんだなぁ』と思ったわけですよ」
「そうだったのか。今も昔も成長してないだろ。お子様体型だしな」
涼介は「そっちの意味ではなくてね」と苦笑いしながら、愛絆に失礼な物言いをする寛太をたしなめる。
確かに記憶にある愛絆と、現在の愛絆はほとんど容姿的に変わりはなかったが。
それを口に出すほど、涼介は寛太のようにひどくはない。
「愛絆ちゃん特有のお菓子作りのスタイル。情熱みたいなものがあるだろ」
「年がら年中、自分のためだけにお菓子を作ってるだけさ。他人のために作ろうともせず。コンクールとかに出るのも自分の実力を認めてもらいたいだけだしな」
「彼女はパティシエが自分に向いてないって思っているようだ」
周囲からは当然のようにパティシエになるように期待される。
あれだけの実力があるのだから、誰だって不思議に思うことだ。
「基本的に愛絆は打たれ弱いからなぁ」
「そうなのか?」
「自分のお菓子で悪い評価でもされたら落ち込み続けるぜ。そういう他人の評価がすごく気になる子ではある。他人に振舞って、マズいと言われるのが嫌なんじゃないか」
「……それで他人のためにお菓子を作らない、と」
愛絆はよくコンクールに参加するが、それは勝つと言う自信があるからだ。
完成品の自信がない時は潔く辞退もする。
“おいしくない”。
その一言を言われるのを極端に嫌うのだ。
「お菓子作りを失敗することを恐れてる?」
「パティシエって言うか、何でもそうだけど、大事なのは経験だろ。失敗も成功も経験を重ねてこそ、一人前になる。そこから逃げてる限り、愛絆は成長できねぇよ」
「寛太が物凄く真面目な事を言った。明日は豪雨か竜巻か」
「めっちゃ、俺に失礼だろ」
だが、寛太の言うことも一理あった。
失敗無くして人は成長できない。
その失敗を恐れている愛絆は、勝てる勝負しかしないとも言える。
「なぁ、涼介。アイツに興味があるのなら、どんどんちょっかいをかけてやってくれよ。気になるなら恋人にしてもいい。俺は愛絆の成長に期待してるんだ」
「……寛太」
「アイツが本気になるところを俺は見てみたいのさ」
寛太は寛太なりに妹の成長に期待している。
涼介もそれに頷いた。
同じ頃、『リピュア』の店内にて。
平日の午後も女性客でお店は賑わいを見せている。
お持ち帰りだけではなく、店内の飲食スペースも客で溢れて繁盛していた。
「ようやくお昼のピークも終了。一息つけそうですね、店長」
「そうね。まどか、愛実。ふたりとも今のうちに休憩に入っておいて」
「はーい。愛実先輩、先に休憩もらいますよ」
「どうぞ」
一息ついた厨房で夏姫が何やら考え事をしている。
愛実は気になって尋ねてみた。
「どうしたんですか、店長? 難しい顔をしちゃって」
「この店を立ち上げて3年目。お店も安定もしてきたし、そろそろ私も旦那との子供が欲しいと思い始めてるのよね」
「あのイケメンの旦那さんですか。落ち着いた雰囲気のある人ですよね」
店長である夏姫は既婚者である。
数年前に付き合っていた恋人と結婚した。
同時期に独立してこの店を始めて、ずっと忙しい日々が続いていた。
「うーん。育児となると、さすがにしばらくは前線に立てないし。その間、誰かに店のメインを任せられるかしら。と悩み中なわけよ」
「あっ、私は無理ですよ」
「うん、愛実じゃ無理なのは分かってる」
「……ぐふっ。そんなにあっさり言わなくても。私、頑張ってるのに」
まだ自分の実力では店を率いるのは無理だと分かっている。
だが、それを言葉にされるも結構辛い。
「こういう時、女性って悩ましいわ」
子育てと仕事の両立は難しい。
現状としては愛実を含めて、スタッフのパティシエの腕も一流だ。
しかし、この店は夏姫という有名パティシエがいてこそのお店でもある。
このお店の経営を傾かせるわけにはいかないのが彼女の悩みだった。
「仕事か子育てか。悩みどころよねぇ」
「素敵な旦那がいるから、いいじゃないですか。しかも、公務員で安定した生活、羨ましい。こっちは彼氏もいないんですけど」
「この前まで付き合ってた人は?」
「束縛系なのでフリました。いちいち時間にうるさい男は苦手なんです」
むしろ、愛実の方が相手を束縛したがるのに、と内心、夏姫は思った。
そんな話をしながら、彼女はもう一つの悩みを口にする。
「愛実。パティシエになりたいって思ったのはいつの頃だった?」
「私ですか? んー、中学生の時ですかね。テレビでもよく登場している有名な諸塚さんに憧れて自分もなりたいって思ったのが最初かも」
一流のパティシエである諸塚シェフ。
よく雑誌やテレビに取り上げられる、世界的にも評価をされる有名人である。
「私も同じ年頃かな。高校卒業後に製菓の専門学校に行きたかったの。でも、親や教師には猛反対されて、勢いで家出までしちゃったりして。懐かしいなぁ」
「あら、店長にも若い時には、突発的に家出なんていう若さゆえの過ちなんてあったんですねぇ。まぁ、誰だって若い頃はやんちゃのひとつもしますよ」
「……何度も若さを強調しないでくれる? 私は今でも十分に若いんだから」
「は、はひ……」
営業用スマイルで迫られて、失言を後悔する愛実だった。
今でこそ、人気パティシエの夏姫も最初から順風満帆だったわけではない。
日本だけではなく海外での修業時代を経ているため、様々な苦労が多かった。
それでも彼女はパティシエになりたいと言う夢を叶えたのだ。
「愛ちゃんも今、同じことで悩んでいるんじゃないかな」
「え? 桜瀬さんが?」
「将来の夢を考える年頃だもの。今が人生の最初の分岐点だわ」
まだ高校1年生ながらも、愛絆も選択する時期が近づいている。
「愛ちゃんには弱点がある。それさえ克服できれば……」
「弱点?」
「一言でいえば、メンタルが弱いこと。心の強さが今の彼女の課題でもあるわ」
昔から可愛がっている愛絆の事を夏姫は良く知っている。
「店長は桜瀬さんがなぜ、パティシエになりたくないか理由を知ってるんですよね? どうしてなんですか?」
その言葉に夏姫は少しだけ躊躇を見せる。
「私が答えていいのかしら。まぁ、愛実ならいいか。愛ちゃんは中学時代に有名パティシエが審査するコンテストに出たの」
「彼女なら、どんな規模のコンテストでも上位に入れるんじゃ?」
「えぇ、実際に決勝戦まで行ったわ。愛絆ちゃんの腕前はプロも評価するものだった。ただ、決勝戦で彼女はプレッシャーもあったんでしょう。些細なミスをしてしまった」
普段ならしない生地の配合の甘さ、些細なミスだった。
しかし、完成したケーキの味にわずかなバラつきが生まれてしまった。
当時の審査員のひとりは子供相手でも辛口コメントで愛絆を審査したのだ。
「結果としては準優勝。ただ、その一人を除いては高評価だったのにね。本当に一皿だけが味にバラつきが出て、美味しくなかった。彼女はそのミスを忘れていない」
「桜瀬さんって、結構打たれ弱い所がありますからね」
「一度のミスで、彼女は審査員にボロボロに責められたわ。『作り方が未熟で、美味しくない。他の審査員の皿のケーキは美味しいのに、わざとしたんじゃないか』って」
「うわぁ、キツイ」
「その時の失敗した苦い記憶が、今の彼女の心に刻まれたままなのよ」
愛絆が失敗を恐れるのはその時の事が影響している。
緊張に負けて、してはいけないミスをした。
「パティシエはお客様に美味しいお菓子を提供するお仕事。ミスはしてはいけない。一人前になるには当たり前の事だもの」
「ミスなんてしていたら、お客さんもいなくなってお店も寂れますからね」
「プロとアマチュアに差があるのだとすれば、常にお客の期待に応えられるかどうかだもの。プロを名乗る以上は常に期待も不安も抱えていかなくちゃいけない」
凹んだり、傷つきやすい、”ガラスの心”じゃいられない。
夏姫も一人前になるまでに、涙を何度も流して辛い想いを経験した。
数え切れないほどの失敗を繰り返して経験を積み、今と言う自分がいる。
「愛ちゃんにはあの頃の苦い記憶が忘れられないんでしょう」
「ひどい話ですよ。子供の心に傷をつけるなんて……その審査員のパティシエって?」
「貴方の憧れ、一流シェフの諸塚さんだけど」
「はぐっ!?」
憧れの人物の発言が愛絆を傷つけたのだと知り、愛実はショックを受けた。
「あ、あの人は辛口コメントはしますけど、根は良い人なんですよ」
夏姫もフォローするように柔らかな口調で、
「あとで彼に会う機会があったから聞いてみたのだけど、彼も悪気があったわけではないの。彼女の成長を願ってあえて辛口だったみたい」
「そうなんですか?」
「期待してなきゃ辛口にもならないわ。『プロの世界は甘くない。へこたれている時間なんてない。失敗を悔やむより、ひとつでも成長を見せて欲しい』って言ってたもの」
「彼の想いは逆にあの子にはプレッシャーになってしまっているのかも……」
プロのパティシエが作るケーキの味にバラつきなどあってはならない。
これから先に期待するがゆえに、そのための覚悟を問われたのだ。
ただ、それを受け止めるには彼女まだ幼かった。
「あの一件で愛ちゃんはそれまでの自信もプライドも全部、壊されたみたいな気持ちになったんでしょう」
「私なら立ち直れないかも」
「それ以来、何度コンクールで優勝を重ねても、二度と自分からパティシエと言うプロのステージに上がりたいとは言わなくなったのよ」
「そんなことがあったなんて」
愛絆に隠された過去。
「その程度のミスなんて今でもどこかの自称、パティシエさんがやらかすのに」
「……い、痛い。その冷たい視線が心に突き刺さります。私もプロですよ」
ミスは誰でもする。
そのミスを繰り返さないために、努力を重ねるしかないのだ。
「こほんっ。それが桜瀬さんの弱点なんですね。難しい問題です」
「今の彼女に足りてないのはプロになる覚悟。そのための強い心。パティシエという職業になりたいのなら現実から逃げてはいけないわ」
「さすが、店長。一流のパティシエですものね」
「愛ちゃんは昔の私によく似てるのよ。夢を叶えられずにいた事を周囲のせいにしてばかりいた自分にね。悩んで苦しんで、前に進めずにいるんだわ」
かつての自分と重ね合わせてしまうからこそ。
愛絆の事を夏姫はすごく可愛がっているのだ。
「彼女にはステップアップして欲しい。ここで立ち止まって後悔して欲しくない。例え、荒療治になるとしても彼女のために行動した方がよさそうね」
「荒療治?」
小首を傾げる愛実。
愛絆を想う夏姫だからこそ、ある思惑があった。
「そのために、愛実には悪役になってもらおうかしら?」
「えー。私、桜瀬さんに嫌われるのは嫌ですよ」
「私が悪役になったら、愛ちゃんに嫌われたショックで店を回せなくなるけどいい? お店的に大ピンチになってもいい?」
「それは困るので、私がなります。はぁ……それで、何を企んでいるんですか?」
夏姫の企みが思いもよらぬ事件を巻き起こすことになる。
季節は初夏、それぞれの思惑が交錯しあう中で。
愛絆にとって試練の日々が始まろうとしていた――。