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第4話:パティシエ

 「リピュア」でくつろぎのひと時を過ごす。

 スフレを食べ終わり、レモンティーを飲んでいた時の事だった。

 

「愛ちゃんー♪」


 むぎゅっと後ろから愛絆を抱擁する女性。

 すらっとしたモデル並みのスタイルの良さ。

 そして、女性客で賑わう店内でもひときわ目立つ美人な容姿。

 この店の店長、夏姫はお気にいりの少女の来店を心から歓迎する。


「夏姫さん、こんにちは」

「来ていたのなら、言ってよ。愛ちゃん。新作はもう食べた? 味はどう?」

「チーズスフレ、美味しかったです。焼き加減もちょうどよくて、ふんわりと口の中で溶けてしまうような感じも素敵でしたね」

「ありがとう。愛ちゃんの太鼓判ならいけそう」


 そう言って、にこやかに微笑む。


「愛実の提案したルセットだから世間的な評価が気になって」

「えー、これはいけるって店長も認めてくれてたんじゃ!?」

「……そうだったかしら?」

 

 愛実には冷たい夏姫だった。

 夏姫は若くして今の地位を手に入れたパティシエであり、評判も高い。

 愛絆が子供の頃から憧れているパティシエでもある。


「相変わらず、店長は桜瀬さんが大好きだなぁ。他のお客様のご迷惑になります。店内でのハグはご遠慮ください」

「やだ。だって、可愛んだもの。ホント、愛ちゃんは可愛いわ。この子の猫みたいな可愛さは抱きしめずにはいられない。ふふっ」

「私も夏姫さんのことは好きですよ。ただ、抱きしめられるのは恥ずかしいです」

「えー、いいじゃない」


 夏姫に満面の笑みで抱きしめられ続ける。

 まるで姉妹のような関係。

 愛絆も慕う彼女に好き放題されるのは嫌いではない。

 その様子に涼介は隣の姉に尋ねる。


「……姉さん。この店長さんって、愛絆ちゃんの事がお気に入りなのか?」

「そうよ。あえて言うなら、娘を可愛がるお母さんみたいな感じ」

「聞こえてるわよ、愛実。誰がお母さんですか。そこまで年が離れてません」

「口がすべりました。妹を可愛がるお姉ちゃんみたいな感じです」


 愛実は失言で給料を減らされたくないとすぐさま訂正する。

 まさに溺愛と言う言葉がよく似合う。

 涼介はペットを可愛がるようにしか見えなかったが。


「愛ちゃん。今度、若手向けのコンテストがあるんだけど、出てみない?」

「いいですよ。望むところです」

「愛ちゃんの腕前なら十分に上位に食い込めるわ」

「上位どころか常に優勝狙いですけどね」


 意外に負けず嫌いな所のある愛絆である。

 様々な洋菓子コンテストでも上位入賞は常連であり、腕前は確かなものだ。

 そんな様子を眺めていた涼介は小声で、


「愛絆ちゃんってパティシエにはなりたくないんだよな?」

「不思議な事にね。誰もが後押しする逸材なのに、もったいない」

「そうなんだ」

「この辺のお店のパティシエが争奪戦するくらいに優秀な将来有望株なの。それでも本人にはその気がない。そんなのもったいなさすぎるでしょ」


 愛実もことあるごとに誘うが、やんわりと否定される。


「でも、コンテストとかにはよく出るんだ?」

「経験豊富で優勝も多いわよ。お菓子作りの実力を高めることには熱心なの。ただ、それをパティシエと言う職業に向ける気はないだけ」


 どれだけ優勝を重ねても、あくまでも趣味としてのお菓子作り。

 それが変わらない愛絆のスタイルだ。


「自分の腕や実力を高めたい。だけど、それを職業にはしたくない、か。何か事情でもあるのかな? 姉さんはその辺の事情を知っている?」

「私は知らないわ。ただ、目の前でハグしまくっている夏姫さんは知ってるみたい」


 夏姫も当然、彼女にはパティシエになってもらいたい。

 だが、それを強制しないのには彼女なりの理解があるようだ。


「……涼介。アンタから彼女にパティシエになるように勧めてみて」

「それ、多分無理っぽい。彼女って誰かに影響されるような子じゃないよ」

「だよねぇ。あの子、ああみえて頑固な所があるし。ぐぬぬ、とても魅力的な人材なのに」


 少し合って話をしただけだが、涼介もそう感じている。

 簡単に誰かになびいたりする子ではない。


「愛絆ちゃんは自分の中に曲がらない信念みたいなものがあるんだ」

「……それを捻じ曲げてやれって言ってるのよ。男でしょ」

「言葉が乱暴すぎませんか、姉上?」

「こういうのは男の子が関わると良い感じに変化するものよ」

「ホントに?」

「恋せよ、乙女。ああいう多感な時期の女の子っていうのは恋ひとつで大きく変わるんだから」


 微笑む姉を涼介は「俺にできるのかねぇ」、と内心思う。

 愛絆は夏姫に抱き付かれたまま、お菓子作りのアドバイスを求めていた。


「なるほど、今回はガトーショコラで勝負するわけね?」

「新作で行きたいんです。夏前ですからチーズケーキというのもありなんですが、私としては自信作で行きたいと思って」

「いいじゃない。ショコラ系は愛ちゃんの“スペシャリテ”だもの」


 夏姫の口から出てきた《スペシャリテ》と言う言葉。

 涼介には馴染みのないものだ。


「あの……スペシャリテって何ですか?」

「得意料理って意味よ。お店で言うと看板料理かな。その人が最も得意とする料理だったり、お菓子だったりするもの。これが自慢の一品って感じ」

「つまり、愛絆ちゃんはチョコレート系が得意なんだ?」


 愛絆は頷いて答える。


「はい。私にとってはショコラは得意分野ですからね」


 彼女はお菓子作りの中で最も得意とするのがチョコレートを使ったものだ。

 愛絆は自分のために料理をする子だ。

 つまり、ガトーショコラは大好物でもある。


「子供の頃からチョコレートが好きなんです」

「ショコラティエって職業があるくらい、チョコも奥深いものだもの。桜瀬さんのショコラは本気で美味しい。プロの私から見ても悔しくなるくらい」

「愛ちゃんのスペシャリテ、楽しみね。初夏の七夕にコンクールがあるからそれまでに準備しておいて。テーマは後日に発表されるからまた連絡するわ」

「はい。今度も頑張りますよ、夏姫さん」


 愛絆の挑戦、次なるコンクールを目指す。

 努力と向上心。

 やる気を見せる姿に涼介は惹かれていた。






 お店を出て、違うお店のお菓子を食べたりして。

 デートらしいデートを重ねていく。

 愛絆は涼介に「付き合ってもらって、ありがとございます」とお礼を言う。

 同じことを寛太に付き合ってもらった時は数店目でリタイアされた。

 最後までお店に付き合ってくれたのは彼だけだ。


「さすがにこれ以上は無理っぽいけど。ホント、愛絆ちゃんはお菓子が好きなんだな」

「私に興味があるのはお菓子しかありませんから」

「食べるだけじゃなく、作るもの上手。今日、一日、いろんなお店を回ったけど、愛絆ちゃんってすごく期待されてるんだよな」


 いろんな人から彼女は期待されている。

 “パティシエになってほしい”。

 見守る彼らの想いを感じることができた。


「……ねぇ、愛絆ちゃん。機嫌を悪くしないで欲しいんだけど、どうしてパティシエになりたくはないのかな? それに理由があるんじゃないのか?」


 愛絆の言葉の端々に涼介が感じるもの。

 彼女の本心が知りたい。

 立ち止まると、涼介に向けたのは寂しげな表情だった。


「みんなが言ってくれます。パティシエになった方がいいよって。ですが、私は自分には向いてない職業だって思ってるんです」

「どうして?」

「だって、パティシエはお客様を自分のお菓子で満足させるのがお仕事なんですよ。私にはその気がないんです」


 愛絆は人見知りする方であり、対人関係が苦手である。

 それ以前に、お菓子はあくまでも自分が食べるためのものでしかない。


「私はこれまで、誰かに食べさせてあげたいって思って作ったことはありません。誰かのために、その気持ちがなければパティシエにはなれません」

「……愛絆ちゃん」

「普通の人はお菓子を作るのが好きで、いろんな人に食べてもらいたいって気持ちが溢れています。そういう想いがあるからこそ、パティシエになれるんです」


 だが、愛絆は違った。


「私にはそう言う感情がありません。自分が美味しいと思えるようなものを作りたい。それだけしかないんです。だから趣味のままでいいです」


 それは彼女の大きな欠点でもある。

 人に対して何かをしてあげたいと思う事がない。

 それは愛絆の性格的な問題でもある。


「誰かのために作ろうとしない、こんな私がパティシエになれると思いますか? なれるはずがないんです。パティシエは憧れですが、私には無理ですよ」


 愛絆には人の期待に応える自信がない。

 あくまでも自分のためにしかお菓子を作らない。

 それこそが彼女がパティシエになろうとしない理由でもあった。


「つまらない話はもういいですよね?」


 はっきりと、これ以上話す気はないと言われてしまい、涼介も言葉が出なかった。

 どんなに才能があったとしても。

 彼女はパティシエと言う職業には性格的に向いてない――。

 それを自分自身でも分かっているからこそ、彼女はなろうとしないのだ。






 デートと言う形のお菓子めぐりは終了。

 涼介と別れた後の愛絆はちょっと落ち込んでいた。


「……つまらない話をしてしまったかな」


 他人に話す事ではなかった。

 自分がパティシエに向いてない、と逃げ続けていることに。

 結局は心の弱さも原因なのだ。

 周囲からは期待されるが、それに応えるだけの自信もなく。

 さらに、人に対してお菓子を作ってあげたいと言う根本的な感情も沸いてこない。

 だから、パティシエにはならないと勝手に決め込んでしまっている。


「センパイに嫌な思いをさせてしまったかもしれない」


 そんなことを考えていると携帯電話にメールが入る。

 涼介からのメールだった。


『今日は楽しかったよ。一緒に過ごせてよかった。スフレも、その他のお菓子も美味しくて、いい休日が過ごせたね』


 涼介は愛絆に対して、パティシエになってもらいたいと本気で思えていた。

 だからこそ、こんな言葉を最後に付け足していた。


『……今度、俺のためにお菓子を作ってくれない? ダメかな?』


 携帯を持つ手が軽く震えてしまった。


――そんなことを言われても、どうすればいいのか分からないよ。センパイ。


 俯きながら、小さく彼女はため息をつく。

 どう返事を返せばいいのか、愛絆には分からなかった。

 

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