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第16話:愛情のミルクレープ


 例の七夕ケーキコンテストまで一週間。

 休日の昼下がり、愛絆は涼介を家に招いていた。


「今日は家族はいないのかい?」

「両親は出かけていますし、バカの兄は……」

「寛太なら最近、できた彼女と仲良くデートだろ?」

「え?」


 彼女とデート。

 涼介の口から出た言葉に愛絆は思わず顔をひきつらせた。


「違うの? 愛絆ちゃんの友達じゃなかった?」

「……玲奈ちゃんと一緒にいるのは確かなようですけど、恋人じゃないですよ」


 そもそも、未だに玲奈と寛太が付き合うと言う想像をしたくない愛絆である。


――玲奈ちゃんをあんな変態に奪われるのは嫌だわ。


 ど変態男に親友を取られたくない。

 愛絆の中で実兄への好感度はゼロに等しかった。


「この前、一緒にいる所を見たんだけど仲良さそうだったけど」

「仲が良いのは事実ですよ。だけど、付き合うまでは行ってないはずです」


 玲奈はああいうことには奥手な性格である。

 寛太も年下には恋愛対象をに見ていないので、付き合うことまでには至っていない。


――ふたりにはすれ違っていたままでいてもらいたいもの。


 素直に恋の応援のできない彼女であった。


「そっか。俺の勘違いか。それは失礼。でも、寛太もまたあの子と一緒なんだな」

「玲奈ちゃんは次のコンテストのお菓子作りをしているみたいです」

「キミだってそれに参加するつもりだろ?」

「……」


 何も答えらなかったのは彼女が悩み続けているからだ。

 お菓子作りを再び始めたとはいえ、コンテストに参加できるかどうかは未定だ。


――だって、審査員があの諸塚さんだもん。


 愛絆にとってトラウマ的な出来事の張本人。

 有名パティシエである彼と再び会うことへの恐怖。

 臆病な彼女にはその最後の覚悟がまだできていない。


「それよりも、ケーキを作ったんです」

「こうして愛絆ちゃんの手作りケーキを食べるのは初めてだね」

「他人のために作りたいって思えたのも初めてですよ」


 自分のためにしかお菓子作りをしてこなかった。

 そんな愛絆にとって初めて、誰かのために作ったのが今回のケーキだった。

 昨夜から作り始めていた自信作。

 最初はもう一度作れるか不安だったが、作り始めたら不安は消えた。

 なんだかんだ言いながらも、愛絆はお菓子作りが好きなのだ。


「椅子に座って待っていてください」


 彼女は冷蔵庫で冷やしているケーキを取り出してくる。

 いわゆるミルクレープと呼ばれるケーキだ。

 何層にも重ねた薄いクレープ。

 一枚一枚の間には生クリームを挟み込み、約20枚ほど重ねたものを冷蔵庫で冷やす事で完成する。


「ミルクレープか。案外、手間のかかるケーキだよね」

「そうでもないですよ。コツさえつかめば簡単です」


 クレープを焼いては重ねる、その作業は手間がかかるが、その味わいは格別だ。

 ちなみにミルクレープはよく勘違いされるが、ミルク・クレープではない。

 ミル・クレープというフランス語で“千枚のクレープ”と言う意味である。

 今回はさらにフルーツも挟んで、色合いも鮮やかなものに仕上がっていた。


「甘そうで美味しそうだな」

「紅茶を淹れるので少しだけ待っていてくださいね」


 涼介は紅茶を淹れる愛絆の横顔をそっと見つめて、


「でも、どうせなら、ケーキを作る所を見たかったな」

「そうですか?」

「俺、愛絆ちゃんがお菓子を作る時に見せる笑顔が好きなんだよ」


 普段は笑顔を見せない彼女。

 そんな愛絆が唯一、自然と笑顔をこぼれさせるのはお菓子を作る時だけだ。


「涼介センパイ」

「自分でも気づいてるだろ。お菓子を作る時のキミは楽しくて、楽しくてしょうがない」

「えぇ。私にとってはこれだけが取り柄みたいなものですし」


 紅茶を淹れ終わり、「どうぞ」と涼介の前に差し出す。


「子供の頃から、私はお菓子を作ってばかりいたんです」

「青春のすべてをそれに傾けていたんだな」

「どんなにやめようとしても、やめられないんですよ」


 今回の件で少しだけお菓子作りをやめた時期を愛絆は経験した。

 それは結果的に自分がどれだけお菓子作りを好きなのかを自覚させられた。


「私、プロのパティシエになるのが怖かったんだと思います」

「周囲から勧められても踏ん切りがつかなったのはそれが原因?」

「プロになるということ。それは常に人からの評価を気にし続けなくてはいけないと言う事でもあります。私はそう言うのが苦手ですから」


 ただでさえ、打たれ弱く、メンタルが弱いと言う弱点がある。


「心の弱さを言い訳にして逃げてきました。向き合おうとしてこなかった」

「それでも、愛絆ちゃんはパティシエになるべきだと俺は思うな」


 涼介はミルクレープを切り分けて、口に入れる。

 程よく甘く、触感のいい生クリームの味が口に広がっていく。


「美味しいよ。こんな美味しい物を作れるキミが自分だけのために作るのはもったいない。皆に食べてもらいたいって、俺はつい思ってしまうんだ」

「ありがとうございます、センパイ」


 弱い心の自分を受け入れてくれる。

 甘えさせてくれる涼介に愛絆は素直に心を許している。


――センパイのこういう所が私は気に入っているんだ。


 涼介はケーキを食べ終わると、愛絆に「そう言えば」と切り出す。


「俺達って付き合ってるってことでいいだよね」


――微妙に避け続けていた話題が来た!?


 そう、愛絆は未だに彼に対して告白の返答をしていない。


「い、いいんじゃないでしょうか」

「俺は愛絆ちゃんが好きなんだけど、そちらはどうなのかな?」

「どうかと言うと?」

「俺のことを好きなのかってことだよ」


 はっきりと言葉にされると照れくさくなる。


――この人は時々、私をイジメて楽しんでる気がする。


 意地悪っぽく迫る涼介に愛絆は困惑させられる。

 好きか嫌いかで問われれば好きだ。

 愛絆の中で明確な気持ちは確かに存在する。

 だけど、それを言葉で表すのは恥ずかしさの方が勝り、言葉にできていない。


「俺の事を好きなら好きって言ってほしい」

「……あ、後片付けをしなくちゃ。あっ」


 逃がさないとばかりに愛絆の身体は涼介に抱きしめられていた。

 背後から抱きしめられて、逃げ場を失った子猫は顔を赤らめることしかできない。


「こうして捕まえておかないと愛絆ちゃんはすぐ逃げるから困る」

「困るのはこうされてる私なんですけど」

「逃げるキミが悪い。愛絆ちゃんの気持ちが俺は知りたいんだ」

「……センパイは私の傍にいてくれる、優しい人です」


 辛い時に傍にいてくれたことが愛絆には大切だった。

 自分は面倒くさい性格をしていると自分でも思っている。


――それでも、センパイはこんな私を好きだって言ってくれて。


 それが嬉しくて、自分の中にも同じ気持ちがあるのに気付いていた。


――想いは言葉にして伝えなきゃ意味がない。


 それを愛絆は知っている。

 勇気を出して、恥ずかしさを我慢しながら、精一杯の想いを伝える。


「――好きです」


 愛絆が消え入りそうな声で呟いた。

 遠く離れていれば聞こえない声。

 だけど。

 これだけ間近ならば、相手の耳にはちゃんと聞こえていた。

 愛絆を抱きしめながら、涼介は安堵した様子で、


「よかった。ちゃんと言葉で聞けて嬉しいよ」

「センパイ……」


 振り向いた彼女の隙をついたように涼介はキスをする。


「んぅっ」


 突然のことに驚きつつも、愛絆も自然とキスを受け入れる。


「少し生クリームの味がします」


 彼女の発言に「そう言うこと言うのは反則だ」と彼は笑う。

 不器用な愛絆を支えてくれる。

 そんな涼介がいてくれるのなら、彼女は頑張れる気がした。


「センパイ。私、コンテストに出てみようって思います」

「ホントに?」

「貴方が傍にいて支えてくれるのなら」

「キミの活躍を俺は期待しているよ。頑張ってほしい」


 応援してくれる涼介の期待に応えたい。

 たった一人では無理でも、彼と一緒ならば前へ進める。


「私はただのアマチュアです。だから、挑戦しなきゃダメなんですよね」

「キミならやれるさ」

「……はいっ」


 自分で自分の可能性を潰しているようでは、これから先、どうしようもない。


――私にできるのは、美味しいお菓子を作る事だけなんだから。


 彼女にとっての大切な気持ちはそれに尽きる。

 愛絆の挑戦が再び始まった。





 さて、ふたりがいちゃついてるリビングから扉を一枚隔てた向こうの先。

 偶然にも、その光景を眺めていた兄、寛太は呆然と廊下に立ち尽くしていた。


「ぐ、ぐぬぬ……まさか我が家で妹のいちゃつきを見る羽目になるとは」


 忘れ物をして取りに戻れば、このありさまである。

 リビングで生々しくキスをする光景を目撃するとは寛太も予想外だった。

「そりゃ、愛絆に彼氏ができるのは良い事だし。涼介は信頼できる良い奴だ」


 しかし、それでも、兄としては複雑な心があるようで。


「……親のいない家に彼氏を連れ込んで何やってるんだか」


 それがショックというか、何というか。

 愛絆もどこにでもいる女の子なのだと思い知らされるような。

 とにかく複雑な気持ちを抱かさせられるのだった。


「アイツが元気になったのならそれはそれでよし。と言う事にしておこう」


 これから先、彼女がまたお菓子作りを始めるきっかけとなったのならば、彼女達の恋愛を応援してやるつもりでいた。

 だが、しかし。


「生クリームプレイだと……?」


 違う意味で寛太は「羨ましい事をしおって、涼介め」と苛立ちに似た感情を抱く。


「……さて、うちの我がまま姫が本気になったぞ。玲奈の方も何とかしなくては」


 玲奈の味見役としてこれからまた付き合う約束が寛太にはある。


「完全復活か。今度の勝負、面白くなりそうだな」


 復活した妹に安心しつつも、今、自分が応援している玲奈にも勝ってもらいたい。


「玲奈にも負けないように言っておかないとな」


 愛絆の復活を確認した寛太はこっそりとその場から立ち去るのだった。

 なお、嫌がらせのようにあとで涼介に、


『我が家での生クリームプレイの禁止』

 

 と、メールを送っておくことを忘れてはいなかった。

 

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