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第15話:嫌いにはなれない

 

 愛絆と涼介が付き合い始めた。

 その事実を寛太が知ったのは数日たってからの事だった。


「ジー」


 朝から朝食を作る愛絆を生温かな視線で見つめる。


「どこかの兄の視線がウザい」

「お前さん、俺に何か言っておかなきゃいけないことはないか?」

「……警察に通報してもいい? 変な人が私をジロジロとみてるんです」

「変な人じゃないっ。実兄です。通報はやめてください」


 愛絆が簡単に口を割るはずもなく、寛太の方から切り出した。


「涼介と付き合い始めたんだって?」

「ノーコメント」


 つれない返事も折りこみ済み。


「照れるなよ。いやぁ、お前に男ができるなんてお兄ちゃんは驚きだよ」

「……別に。涼介センパイはどこかの変態の兄と違って良い人だもの」

「俺の過小評価には文句を言いたいが、アイツが良い奴なのは認める」


 中学時代からの付き合いがある寛太も信頼している。


「例のコンテストまで残り一週間と少しだな。本気で出ないつもりか?」

「お兄ちゃんに関係ないでしょ」

「玲奈は頑張ってるぞ。俺も味見役として協力している」

「ふっ。お兄ちゃん程度が玲奈ちゃんの役に立てているの?」


 鼻で笑う愛絆だが、その横顔がどこか寂しそうだ。


「素直じゃない奴。お前はお菓子作りをやめられない」

「お兄ちゃんに言われる事じゃないし」

「なぜかって? お前は心の底からお菓子作りが好きだからだよ。好きなものを嫌いになるのは難しい。愛絆、今、自分が何を作ってるのか分かるか?」


 愛絆が朝食を作っているのはいわゆるフレンチトーストだ。

 牛乳と卵にパンをひたして、焼くだけのお手軽スイーツ。

 シンプルなのに香り豊かで美味しい、朝の定番メニューだ。

 

「ふ、フレンチトーストはお菓子ではありません」

「バナナはおやつに入りません的な?」

「この兄ウザいっ。チクチクどうでもいいことを指摘してきて。私の姑か」


 出来上がったばかりのフレンチトーストを食べながら不機嫌さを隠さない。


「兄として心配してやってるんだよ」

「ふんっ。お兄ちゃんに私の何が分かるんだか」

「だがな、世の中、もっと苦しい事や挫折する事なんて山ほどあるんだよ。その度にお前は逃げるのか? 嫌な事から逃げたって何も成長できねぇよ」


――自分の事を棚に上げて偉そうに説教しないで。


 寛太のそう言う上から目線な発言が彼女は嫌いだった。

 だが、彼の言葉が正論であるがゆえに胸に深く突き刺さる。


「挫折して嘆いて、苦しんでるのは分かるぜ。だけどさ、せめて、好きなものからくらいは逃げるなよ。お菓子作りはお前のすべてだろ?」

「……うっさい」

「幸い、お前の傍には信頼できる男がいるんだ。相談してみろよ。たまには自分の気持ちに素直になってみろ。この猫系女子め」


 寛太は笑いながら、愛絆の皿からフレンチトーストを一枚、盗み取る。


「美味いな。お前の料理、俺は好きだ」

「……っ……」


 顔をしかめる妹が悩み苦しんでいるのを兄はただ応援するのみ。

 もう一度立ち上がるのを彼は期待し続けていた。






「寛太って、愛絆ちゃんの前だといいお兄ちゃんをしているよね?」


 帰り路を歩く涼介からの言葉に彼女はあからさまに顔をしかめた。


「それはないですよ」

「良いお兄ちゃんだと思わない?」

「上から目線で説教するだけの変態の兄です」

「でも、嫌いじゃないんだろ?」


 何も言えなくなった愛絆は拗ねる。

 地面に落ちていた缶を軽く蹴って、


「……お兄ちゃんの話はどうでもいいんですよ」

「愛絆ちゃんはどうしたいんだ? ちゃんとコンクールに出たい?」

「それは……」

「うちの姉も気にしてるよ。期待されてた分、期待を裏切ったことが怖い?」


 夏姫や愛実の期待に応えられなかった。

 それは確かに愛絆の心を深く傷つけた。

 お菓子作りをやめて二週間。

 毎日のように続けていた事をやめてしまって、何となく自分の中で不完全燃焼をしているモノがある事にも気づいてる。


――お兄ちゃんに言われなくても分かってるんだ。


 自分はお菓子作りが好きで、それをやめられない。


――才能なんてどうでもいい。私はただ作っていたいだけ。


 プロのパティシエになりたいとか、コンクールで優勝したいとか。

 そんな目標なんてどうでもよくて、今はただ自分のしたいようにしたい。


――どうしたって、お菓子作りだけはやめられないや。


 今の愛絆の心にあるのはお菓子作りへの情熱。


「一度やめてよく分かりました。私はお菓子を作るのが心底好きなんだって」

「好きな事はやめられない?」

「お兄ちゃんが言う通りかもしれません。私にはやめることができない」

「……それが愛絆ちゃんの出した答え?」


 小さく彼女は頷いて「私、お菓子を作るのが好きですから」と答える。

 涼介はこの二週間、愛絆の傍にいてくれた。

 無理強いするわけでもなく、答えを急くわけでもなく。

 ただ心の折れた彼女を支え続けてくれた。


――センパイのそういう所が好きなんだ。


 彼女に与えてくれる安心感。

 それこそが愛絆が彼に惹かれている所でもある。


「それじゃ、俺のために作ってくれる気になってくれたわけだ?」

「え?」

「約束したよね。次に作りたいって気持ちになったら、お菓子を作ってくれるって」


 涼介に言われて愛絆は小さく頷いた。


――センパイになら作ってあげたいかも。


 いつかの約束。

 それをしてもいいと思えるようになったことが愛絆の一番の変化だった。


「……センパイのために、作ってもいいですよ」

「ホントに?」

「私は自分勝手な人間だと思います。お菓子作りをやめると言いだしたり、また始めると言ったり。こんな面倒な私に付き合ってくれるのはセンパイしかいませんから」


 そう言って愛絆が笑う。

 涼介は嬉しそうに「愛絆ちゃん」と呟いた。


「もう一度、始めます。私が私らしくいられるためにも……」


 愛絆の宣言。

 ただ、それは以前までの彼女には見らなかった心境もある。


――誰かのために、か。私にもそんな気持ちになることがあるなんて。


 笑顔の彼女に涼介はホッと胸をなでおろす。

 どんな形であれ、再び笑顔を取り戻せたのだから。

 

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