第14話:子猫、初恋を知る
「涼介センパイ……私を恋人にしたいって思ってくれてます?」
それは愛絆にとっても、悪戯めいた心が招いた言葉だった。
優しく気を遣ってくれる涼介に甘えたい。
もっと相手の気を引きたい。
それは無意識な想い。
愛絆の中にもある乙女心から発せられた言葉。
だが、その相手が涼介であったことが彼女の不覚だった。
「思ってるって言ったらどうする?」
「へ?」
「愛絆ちゃんが俺の恋人になってくれるのかな?」
思わぬ返しに愛絆は顔を赤らめる。
――じょ、冗談だよね?
こちらの冗談を本気で取らないでもらいたい。
焦る彼女を追い込むように涼介はそっと彼女の手に触れて、
「……俺は本気だよ?」
「え、あ、いや……」
「愛絆ちゃんは可愛いから。力になりたいと思うし、傍にいてあげたいとも思うんだ」
「涼介センパイ、待ってください。あのですね、これは……」
突如湧いた甘い雰囲気。
この流れに逆らえない。
涼介に迫られて愛絆は戸惑うばかりだ。
「愛絆ちゃんはどうなのかな」
「わ、私? え、えっと」
あたふたとするだけで、何も言えず。
――マズい、私。本気で先輩に口説かれてる!?
想像もしていなかった展開になってしまった。
これまでの人生で異性に告白されたこともなければ。
当然のように口説かれた記憶も経験も皆無である。
そんな愛絆が今、目の前の涼介から熱い眼差しを向けられている。
どうしようもなく、追い詰められた彼女は、
「そ、外に行きましょう」
またしても逃げた。
――無理、無理!? どっちにしてもこんな人目のある場所じゃ無理~!?
返事をするにしても、ここでは無理だった。
「いいよ、外に行こうか」
涼介も無理にこの場所で、とこだわらなかった。
――とりあえず、この流れを変えたい。
お店を出ると彼女は足早に街を歩く。
逃げ続けている子猫。
「つ、梅雨が終わればもう夏ですね。今年も暑くなりそうです」
「……そうだね」
「明日も雨が続くようです」
「ここでいいかな? 人目もないし、話を仕切り直せるでしょ」
駅前の公園は子供が数人遊んでいるだけで他に人影はなかった。
「人目のない場所なら話も続けていいんだよね?」
――に、逃がしてくれない。今日のセンパイ、本気すぎる!?
唖然とする愛絆は小さくため息をつく。
「逃げさせてくれないんですか?」
あえて言葉にすると彼は意地悪く笑いながら、
「逃げさせてあげない」
――センパイ、意外とイジワルさんだ。
それでも、最初のきっかけを作ったのは自分自身だ。
なぜ、あんな台詞をなぜ吐いてしまったのか。
「センパイの意地悪」
「やだなぁ、俺はただキミを励ましたかっただけなのに。隙を見せたキミが悪い」
そう言われると返す言葉がない。
「愛絆ちゃんは猫みたいに逃げやすいから、ちゃんと捕まえておかないといけない」
「え?」
「寛太からのアドバイス。その通りだった」
――お兄ちゃん、帰ったら仕返ししてやる。
寛太を責める前に自分がピンチだと気づいて彼女はベンチに座る。
気持ちを落ち着かせながら愛絆は涼介を見上げた。
いつもと変わらない爽やかな笑み。
「愛絆ちゃんを困らせたいわけじゃない。そんな顔をしないでほしいな」
「冗談を冗談で返してくれればこんな顔をしませんでした」
「俺、愛絆ちゃんの事が好きだからさ」
「は!? せ、センパイ!?」
さらっと告白されて、慌てふためく彼女だが嫌なわけではない。
ただ、単純に恥ずかしいだけなのだ。
こんな風に異性に想われることに。
「なんで、私なんですか。私なんてお菓子好きの引きこもりボッチですよ」
「そんな言い方しなくても」
「世間的に見て、あまりいい印象を抱けるような人ではないと言う事です」
愛絆は自分への自己評価が低い。
長所よりも欠点の方が多く言えてしまうほどに。
涼介はそんな愛絆の弱さを知っている。
「俺が愛絆ちゃんの事を知ったのって、何年か前のお菓子のコンクールだったんだ。そこで優勝したキミを初めて見た時、すごい子だなって思ってた」
「……そうだったんですか」
「寛太の妹だって知った時は驚いたな。そして、今はこうしてお近づきになれた」
涼介にとって愛絆はずっと興味の対象だった。
興味の対象が好意の対象に変わるのに時間はそうかからなかった。
「笑顔で楽しそうにお菓子作りをするキミに魅入られたんだ」
「でも、そのお菓子作りもやめてしまった私には価値なんてありません」
「愛絆ちゃん」
シュンっとする愛絆を彼は慰める。
「私はただの面倒くさいだけの女の子ですから」
自分にはお菓子作りしかないって事は分かっている。
青春も人生も、すべてをそれだけに取り組んできた。
友達は少ないが、ライバルと言う友達が愛絆には何人もいる。
だが、そんな彼女たちとの関係すらもこのままでは失いつつある。
お菓子作りと言う情熱を失った今の自分には何の価値があるのか。
「そんなことはないよ」
「……涼介センパイ、え? な、何を?」
愛絆をぎゅっと抱きしめて、涼介は彼女に言う。
「キミは十分に魅力的な子だよ」
まるで子供に言い聞かせるように、優しい声色で彼は言った。
愛絆の心に少しでも響くように。
「今はただ情熱を失っているだけに過ぎない。この胸に、この心に、またあの情熱が戻る時が来るのを俺は望んでいるんだ」
「情熱が戻るときなんて」
「来るよ。またキミの心にはあの情熱が蘇る。人間ってね、好きなものはそう簡単に捨てきれないモノなんだから。だから、大丈夫だよ」
抱きあげられた子猫のように、身動きできないでいた。
伝わるのは彼の温もりだけ。
「愛絆ちゃんは自信を持つべきだ。キミは素敵な女の子だっていう自信をさ」
「持てるわけないじゃないですか。私なんて、全然ダメで――んっ」
自己否定する彼女の唇は、
――センパイ!? え? わ、私、キスされた!?
思わぬ形で、涼介の唇にふさがれてしまう。
「んぅっ」
人気の少ない公園でのキスに愛絆の心は大きく揺れ動く。
――分かってたことがもう一つだけあるんだ。
それは涼介と言う男の子に初めて会った時から心を奪われていたということ。
特別な感情。
ずっとモヤモヤとしていた気持ちが“初恋”だったのだと愛絆は知った――。