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第11話:スタートライン

 友人達との遊びの帰り道。

 涙を流す愛絆と出会ったのは偶然だった。

 心に苦痛を伴う痛みを抱えて。

 大粒の涙を瞳から零す愛絆を放っておくことなんてできず。

 理由は何も聞かず、彼女が泣き止むまで傍にい続けた。

 その後、涼介は愛絆を家まで送り届けたのだった。


『……私、もうお菓子作りをやめます』


 帰り際、彼女は小さな声ながらも、はっきりとした口調で言い放った。

 何があったのか、涼介には分からない。

 けれども、彼女にそれだけの想いをさせた出来事があったのだけは理解した。


「良くない天気だな。明日は雨か?」


 梅雨が近づくせいか、雨の気配を感じさせる夜空。

 自室の窓を開けると涼しい風が吹き込んでくる。


「愛絆ちゃんが泣くなんてね」


 涼介は自室のベッドの上に寝転んで、天井を見上げた。

 クールで強気な印象を抱く愛絆が涙を流す。

 あんな光景に出くわすのは想像外だった。


「何があの子に会ったのか、気になるな」


 本人は言葉少なく、何も語らなかったので聞かなかった。

 そんな彼に電話が入る。

 相手は愛絆の兄である寛太からだった。


『妹がさぁ、何か失意のどん底にいるんだけど、なんで?』


 いつものように寛太の口癖である「妹がさぁ」だった。


「俺に聞かれても。俺の方が知りたいよ」

『だって、お前が連れて帰ってきたんだろ? 本人がそう言ってたぞ』

「俺はただ、泣いてた彼女を慰めて送っただけだよ」


 寛太が疑問に感じるように、涼介も不思議だった。

 何があったのかはどちらも知らない。


『アイツ、泣いてたのか』

「辛い目にでもあったような感じだったな」

『……愛絆が妙に俺を気遣ってからおかしいと思ったんだ』



 家に帰るなり、「お兄ちゃんは年下の子が合うと思うよ。そっち方面で彼女探してみれば?」とか、言われるとさすがの寛太も驚きを隠せない。

 ……後輩の顔として玲奈の顔が思い浮かんで、ちょっと照れくさくもなったりする。


『とにかく、アイツが俺の恋の応援するなんてありえん。こっちも調子が狂うぜ』

 

 心配して欲しいと言っておきながらも、されるとされるで困る寛太だった。

 

「今はどういう感じなんだ? 何してる?」

『部屋に閉じこもって、熟睡中』

「寝ちゃったのか」

『何があったのか知らないが、あんな落ち込んだ愛絆は久々だぜ』

「手がかりになるか分からないが、お菓子作りをやめると言ってたよ」


 今の彼らにはそのヒントしかない。

 知る限りの状況を彼に伝える。

 寛太は「あの愛絆がねぇ」と複雑な気持ちを電話越しに吐露する。


『愛絆にとってお菓子は人生そのものだぞ。作るのも食べるのも大好きなアイツがやめるなんてありえないなぁ』

「……好きな事をやめるなんて気持ちに追い込まれる何かがあった?」

『そういや、お前の姉ちゃんってパティシエだろ? うちの妹とも親交があるようだし、話を聞いてみてくれないか? 何か知ってるかもしれない』

「姉さんか。分かった、仕事から帰ってきたら聞いてみるよ」


 愛実ならば事情を知ってるかもしれない。

 涼介はその可能性に期待する。


『今の愛絆は弱ってるし、何だかんだでお前を信頼してるっぽいから頼んだぜ』

「……寛太」

『どんな事情があってお菓子作りをやめたのかは知らない。どうせ俺には話さないだろうし。でも、俺はアイツがお菓子作りをやめて欲しくない』


 それは兄としての寛太の本音。


『生意気で面倒くさがりな我がまま姫だけど、お菓子作りに情熱だけはあった』

「好きなものに夢中になれる。それは幸せなことかもしれない」

『俺は愛絆のように、あそこまで夢中になれるものがない。部活動もしていない、趣味もない、恋人もいないからな。だから、素直に羨ましいと思っていたんだ』

「どんな形であれ、情熱を向けられるものがあるっていいことだよな」


 ほとんどの時間をお菓子の事だけを考えて生きていく。

 好きなものに夢中になりすぎて、時に周囲が見えなくなったりして。

 でも、愛絆のその姿を見ていた寛太はそれが羨ましいと思えることもあった。

 自分にはないものを妹は持っていたのだ。


『アイツ、笑うんだよ』

「え?」

『普段はむすっとして、不機嫌そうな面構えしてるのに。お菓子を作ってる時だけはいつも笑顔で笑うんだ。不機嫌な顔をして作ることなんてなかった』

「俺も見たよ。すごく楽しそうにお菓子を作るあの子の笑顔。可愛かったな」


 微笑みの愛絆。

 そう、彼女は楽しそうにお菓子作りをする。

 それゆえに、微笑みをかかさないのだ。

 あの笑顔を取り戻してやりたい。

 それこそが彼らの共通の望みだった。






 家に帰ってきた愛実から涼介は事の詳細を聞き出した。

 料理対決をして、彼女のお菓子が本来の出来ではなかった。

 それを責められてしまい、傷ついた愛絆はお菓子作りをやめると宣言した。

 そして、逃げ出したところを涼介と出会ったのだ。

 ある程度の事情を知った涼介はどうしてやればいいのか悩む。


「……桜瀬さんを泣かせて傷つけるつもりは店長にはなかったと思うの」

「ただ、やる気を出してもらいたかった?」

「昔のように挑戦的な気持ちを持ってもらいたかったんだ。コンパクトにまとまりすぎてる、安定して失敗を恐れてしまってるようじゃこの先はないもの」


 パティシエなりたい、そう口にしていたあの頃のように。

 情熱とやる気を取り戻して欲しかった。

 夏姫が愛絆に望んだ想いはそれだけだった。

 だが、しかし。

 期待するが故の行動が裏目に出た。

 打たれ弱い愛絆の性格がそれに耐えられなかった。

 愛実は彼女に再びお菓子作りの情熱を取り戻して欲しいと切望する。


「……今は無理かもしれない。でも、いつかは必ず戻ってきてほしいわ」

「愛絆ちゃんは戻ってくるさ。だって、本当にお菓子作りが好きなんだから」

「そう願ってる。だけどね、こんな事は言いたくないけど、夢中になっているものから目が覚める時って現実ではよくあるじゃない」


 それまで必死になって頑張っていたゲームに飽きたり。

 夢中で部活の練習していたのに、あっさりとやめてしまったり。

 人は冷めてしまうと、もう一度同じような情熱を取り戻すことが難しい。


「私が心配してるのは桜瀬さんの心の傷よ」

「これを機会にして、本当にお菓子作りをやめてしまう?」

「そういうこと。私だって、知り合いに何人も同じような経験をしてやめてしまった人がいるもの。自分には才能がない、向いてないって。一度でも思い込むと人って簡単に立ち直れるものでもないから」


 心がくじけた時、早めに対処することが大切だ。

 何事もひとりだけで立ち直るのは難しく人の手を借りるのが必要な事もある。

 愛実は涼介の肩を軽く叩きながら、


「涼介……貴方からも励ましてあげて。こういう時、理解してくれる身近な人って言うのは何よりも大切で心強いものだもの」

「俺に何ができるのかな」

「今は傍にいてあげて。あの子の話を聞いてあげて。小さなことから積み重ねてあげれば、いつかは大きな力になれるもの」


 涼介は愛絆の笑顔を思い出しながら、自分にできる事を探す事にした。

 その夜、涼介は愛絆に一通のメールを送った。


『明日、一緒にお昼を食べようか』

 

 それだけの簡潔なメッセージ。

 翌朝になり涼介のもとに愛絆から『はい』と一言だけ返事が返ってきた。

 たったそれだけの言葉だったけれど。

 それは、ふたりの運命が交わりあうきっかけとなる。

 初恋が始まるスタートライン――。

 

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