第5話 〜騎士の持論、あるいは入団儀式〜
豪華な装飾を施されたヴァロワ公爵家専用馬車に繋がれた芦毛馬が嘶く。
「公爵閣下、公世子様、いつでも馬車を出発させる準備はできております」
「なら、そろそろ行こう。クロヴィス皇王宮まで頼む、ガヴローシュ」
「はッ、お任せくださいませ!」
御者の名はガヴローシュ・ラマルク。かつては港湾都市ファンテヌエットの沿岸警備隊に所属する軍人だったが、海賊との戦闘で足を負傷し、軍人引退を余儀なくされている。ヴァロワ公爵家専属御者になったのは、彼が騎馬の扱いにも秀でていると知った父上が、自ら彼を訪問して雇ったためである。
「本日正午、皇都軍港コンコルドより、第九次調査隊が進発する。イスパニア領に次ぐ我が国の新たなる植民地獲得のため、不屈の意志でもって調査隊は翡翠海を西へ! 西へ!」
布告官が声を張り、布告を読み上げる皇都中央の噴水広場を馬車が進む。クロヴィス皇王宮は噴水広場から北に進んだ小高い丘の上にあり、噴水広場から道が続いている。宮廷の隣にあるヴァロワ公爵家邸宅からは道が続いておらず、宮廷に行くためには噴水広場に出て進路を変更するしかないのだ。
朝から噴水広場には露店が広がっており、店主達が声を張り上げている。まだ朝も早いため客も多くはないが、もう半時間ほど経過すれば噴水広場は人々の喧騒に包まれるだろう。城下街が賑やかな国は良い国だと私は思う。
噴水広場に聳え立つクロヴィス聖皇の石像の傍をを廻り、クロヴィス皇王宮へと続く街路に入る。この街路に入れば、宮廷はすぐ眼の前である。私達の乗る馬車に気付き敬礼する兵士達に、私も馬車から顔を出して敬礼で返礼する。
「公爵閣下、公世子様、まもなく皇王宮に到着致します」
馬車は宮廷の正門を潜り抜け、皇国軍兵舎群の前を通り過ぎる。更に各庁舎群の前を通り過ぎると、皇王宮の本宮廷は眼の前である。本宮殿の入口を迂回し、裏に廻ると停馬所がある。本宮廷内において勤める貴族は、この停馬所の傍にある裏口から入ることになっている。本宮廷の正面入口を使用するのは、外国の大使や使節団、陳情のために訪れた市民ぐらいである。
停馬所に着くと、既に数台の馬車が停められている。私達よりも数分前に停馬所に着いたのか、馬車から降りる準備をしている一団が眼に入る。今世の母上の実家であるブリュメール子爵家の紋章が刻まれている馬車である。
ところで、一言に貴族と言っても、二種類の者が存在する。一つは、皇王により与えられている領地を統治する領主貴族。一つは、皇王により官職を与えられ、皇都クロヴィス・デ・ロワのクロヴィス皇王宮において務めを行う宮廷貴族である。ヴァロワ公爵家、カペー公爵家、ブルボン公爵家は勿論、今世の母上の実家であるブリュメール子爵家も宮廷貴族の一つである。
「義父上、おはようございます」
「うん? おお、婿殿か。おはよう。シャルルも相変わらず息災かね?」
「はい、お祖父様。私は相変わらずの息災ですよ。ご安心ください」
「ふむ、それは良いことだな」
私の祖父、先代ブリュメール子爵のルイ・ジョルジュ・ド・ポンメルシーは、約五十年前の大陸戦争以前から皇国に仕えており、現在でも五元老の一人として皇国を支えている重鎮である。当主を継ぐ前に若くして病で死去した嫡子に代わり子爵家当主を務め、現在は当主の座を私の従兄弟のマリユス・アンジョルラス・ド・ポンメルシーに譲り、先代当主としての助言をしている。
「お祖父様、マリユスの姿が見えないようですが……」
「おお、マリユスか。ふむ、マリユスなら宮廷に着いた途端に治安憲兵隊の兵舎に一直線だわい。指揮官の地位が板に付いてきたようで安心したよ」
「ああ、そうでしたか。私もマリユスを見習わなければなりませんね」
皇国には、正規軍である皇国総軍の他にも三つの準軍事組織が存在する。一つは皇王直属の近衛騎士団、一つは執政直属の治安憲兵隊、一つは守衛庁所属の守衛連隊である。近衛騎士団の役割は皇国の君主である皇王の警衛。治安憲兵隊の役割は皇都クロヴィス・デ・ロワの治安維持と違反者の逮捕。守衛連隊の役割は各都市や、各都市の行政官庁舎の守衛である。
私の従兄弟であるマリユスは、子爵家当主と併せて治安憲兵隊の指揮官をも務めている。私とマリユスは、二人とも責任ある立場の人間として、互いに認め合う間柄である。これほどまで私がマリユスに好意的な感情を抱いているのは、私が転生する以前の親友に似ていることも影響しているだろう。ラ・フォルテール。もう彼は転生したのだろうか。だとするならば、彼には幸福な人生を歩んでいてもらいたい。
「では、私もマリユスを見習い、ここに父上を置いて先に行くことにします。今日は新人が着任する日でもありますのでね。行こうか、ダルタニアン」
「ウィ、承知致しました」
「父上、お祖父様、失礼します。私には近衛騎士団に着任する新人への洗礼という大役が控えていますので」
「うむ、結果報告を待つとしようか。なあ、婿殿よ。儂は孫に恵まれているようだな。シャルル、リア、マリユス、立派な次世代ばかりではないかね」
「はい、義父上。私の教育は間違っていなかったようで安心します」
「二人とも気が早すぎると思います」
ダルタニアンを連れて宮廷の屋外を歩く。近衛騎士団の兵舎は、正門から見て右側に、治安憲兵隊の兵舎に隣接して建てられている。正門から本宮廷までの間にあり、停馬所から少し徒歩で引き返さなければならない。正直なところ不便だが、仕方がないのだ。
近衛騎士団の兵舎は真紅の騎士団旗が掲げられ、白馬に跨る騎士の姿が描かれている。皇国建国から十年後の近衛騎士団創設時に皇室専属宮中画家ウジェーヌ・ドラクロワ一世によって描かれたものであり〝皇紋章の騎士〟と名付けられている。
近衛騎士団の兵舎の前庭には、既に騎士達が揃っており、二人一組になり訓練試合をしている。若い三人の騎士に向かって、なにやら話していた騎士団長が、私達の姿を認めて号令する。
「近衛騎士団総員、整列!」
騎士団長の号令に合わせて、総ての騎士が訓練試合を中止して瞬時に整列を完成させる。流石に皇国全土の優秀な人材を揃えた騎士団である。一切の無駄な動作がない。立ち姿は美しく、整列する様は正に壮観である。
「近衛卿閣下に敬礼!」
「ご苦労、フォーシュルヴァン大佐。騎士達よ、もう訓練に戻って良いぞ」
「御意。総員、訓練再開!」
近衛騎士団長の名は、オノレ・ド・フォーシュルヴァン。彼は近衛騎士団の副指揮官を務めている。皇国の東部に所領を有するテルミドール男爵家の嫡子である。しかし、現在は父親であるテルミドール男爵フォーシュルヴァン卿から勘当されており、男爵家の後継は次男に移っているようだ。
テルミドール男爵は色々と黒い噂が絶えない人物だが、それら黒い噂とは一切無縁なのがオノレである。誰よりも男らしく、誰よりも軍人らしい軍人であり、近衛騎士団に彼を慕っている者は多い。本人曰く、領民を顧みずに重税を課すテルミドール男爵に嫌気がさし、散々罵倒して出奔したという。
「大佐、この三人が新任か?」
「はい、そうです。左からアルノー・ミレー少尉、リュック・リュカ少尉、ダミアン・ベッソン少尉の順です」
「ふむ、そうか。若き三人の騎士よ、私から君達に一つ質問がある」
「質問……ですか?」
ミレー少尉が訝しむ。質問など必要ない、早く訓練に参加したい。そんな表情をしている。他の二人を見ると、やはり同じ表情をしている。しかし、この質問は私が新任の騎士に必ず問う質問だ。抜かすことなどできない。
「騎士にとって、皇国軍人にとっての最上の使命とは、なんであろうか?」
「皇王陛下の剣となり、皇国に仇なす敵を打ち倒すことであります。それが我等にとって最上の使命であります」
次に答えたのはリュカ少尉。その表情は険しく、下らない質問をされていると思っているのだろうと分かる。他の二人も同じ気持ちだろう。
「そうか、他の二人も同じ答えか。君達は軍人として正しい。至極正しい。新任にしては上出来だ。しかし、その答えは、私から言わせれば残念ながら最適解ではない。なぜか分かるか?」
私はオノレに目配せする。彼が私の眼を見て頷いたのを見ると、どうやら私の言わんとしていることを理解してくれたようだ。これだから優秀な副官は手放せないのだ。私の意を理解してくれている。新任が配属される度に私が行っていることなので、彼も覚えているらしい。
「総員円陣隊形、剣衾!」
オノレの号令とともに、訓練試合を行っていた騎士達が訓練を中断し、私とオノレ、そして三人の新任の周囲に円陣を敷いて包囲した。
一糸乱れぬ動きで騎士が円陣隊形を組む間、三人の新任は困惑した様子で忙しなく周囲を見渡している。こんな新任の様子も見慣れたものだ。
「こ、近衛卿閣下! これはッ、なんのつもりなのですか!」
ベッソン少尉が意を決して言った。当然の疑問だろう。私とて、いきなり味方の筈の屈強な騎士に包囲されれば困惑する。誰であってもそうだろう。
「これより、アルノー・ミレー少尉、リュック・リュカ少尉、ダミアン・ベッソン少尉の近衛騎士団入隊の儀式を執り行う。儀式内容は三人の新任騎士と近衛卿閣下による模擬戦。審判は近衛卿閣下の信任において、近衛騎士団長オノレ・ド・フォーシュルヴァンが厳正且つ公正な判断のもと務める」
オノレによる口上の後、円陣隊形を敷いた騎士達の「応!」という雷鳴とも思える咆哮が木霊する。騎士達による三回の足踏みの後、私はゆっくりと〝ジャン・ヴァルジャン〟を鞘から解き放った。解き放たれた〝ジャン・ヴァルジャン〟の声が耳を突き抜けた。
「というわけだ。新任騎士諸君、遠慮せず打ち掛かってくるといい。三人を同時に相手してやってもいい。さあ、如何する。掛かってこい、小童共」
三人の新任の顔が紅潮した。公然で侮辱されたと思ったに違いない。士官学校を上位成績で卒業し、早々に少尉に任官された三人だから、プライドは高いだろう。明らかに私の放った言葉に対して怒りを感じている。私とて、そこまで年齢差のない者に「小童共」と呼ばれれば腹が立つ。
全員ではないが、士官学校卒業早々に近衛騎士団に配属された新任騎士達の大半が同じような傾向にある。皇国における花形である近衛騎士団に配属されたのだから無理もない。しかし、それでは困るのだ。そのような騎士が一人でもいれば、部隊は簡単に崩れてしまう。最強は最弱へと、いとも簡単に変貌することができるのだから。
自惚れているであろう新任達に現実を見せる。ここで一度、天狗の鼻っ柱を圧し折らなければならない。そして、彼等が初々しい士官候補生だった頃の初心に回帰させる。それこそ私が毎回行っている儀式の最たる目的だ。正確且つ円滑に皇国の少数精鋭部隊である近衛騎士団を運営するためには、絶対に必要不可欠な儀式なのだ。
「どちらか一方の降参宣告、あるいは一方の武器破損等による戦闘続行不能をもって決着とする。誤って対戦相手を死亡させた場合、その理由の如何を問わず失格とし、無条件敗北とする。また、対戦相手を死亡させてしまった場合において、明確な殺意によるものと判断された場合、近衛騎士団を除隊処分とし、以後の入隊を禁ずる」
私は上着を脱いで剣衾に近づくと、それを剣衾に紛れているダルタニアンに手渡した。
「シャルル様、お気をつけて」
「ふふ、ダルタニアン、誰に向かって言っているんだ。自分の主人が新米に負けるような男に見えるのかな」
「いえいえ、とんでもないことですよ。所謂、社交辞令です。しかし、怪我には気をつけてくださいね。シャルル様に傷を付けて帰った日には、私はリア様に縊り殺されてしまいますから」
「そうか、そうだな。では、私は忠臣のため全力を尽くさねばならないな」
ダルタニアンと言葉を交わし、新任騎士達に向き直り、彼等に〝ジャン・ヴァルジャン〟の切先を突き付ける。それと同時に新任騎士達も剣を抜いた。構え方は悪くはないが、無意識に腰が引けている。これでは、いくら構え方が正しくとも勝負にはならない。刃を削がれた擬きしか使用したことがない彼等にとっては、初めての真剣による対戦である。緊張するのも無理はないだろう。これから矯正すれば良い。
私がオノレに眼で合図をすると、彼は力強く頷いた。右腕を頭上まで大きく振り上げ、一拍置いた。
「模擬戦開始!」
オノレが右腕を振り下ろすと同時に、ベッソン少尉が飛び掛かってきた。力はあるようだが、闘争は力だけで相手を制することなどできない。剣を持つ両腕に力が入り込み過ぎるあまり、足が完全に疎かになってしまっている。これならば一撃を避け、そのまま相手の足を転ばすのは容易い。
私はベッソン少尉の振り下ろした剣の一撃を僅かに身体を捻ることにより避けると、その状態でベッソン少尉に足を掛けて転ばせる。ベッソン少尉の恵まれた体躯が地面に転がり、鈍い音を立てた。
「あぁ? 今、俺なにされた?」
「この間抜けベッソン!」
ベッソン少尉を罵倒しながら剣を手に飛び掛かってきたのはリュカ少尉。ベッソン少尉に比べて、足元に関してはしっかりしているようだが、振る剣の軌道が緩い。この程度ならば、態々避けるまでもない。
私は構えを解き、右腕の力を抜く。そして、私に向かって振り下ろされる剣に精神を集中させる。リュカ少尉が狼狽える様子を見せた瞬間に私は左腕を振り上げ、その剣を掴んだ。
「なッ、剣を掴むなんて! それでも貴方は騎士なのですか!」
「悪いが、実際の戦闘に作法など存在しない。残念だったな、ルーカス」
「俺は皇国のガリア人だ!」
「そうだったな。許せ、リュカ少尉」
言葉と同時に、私に出来得る渾身の力で左回し蹴りを見舞ってやる。これで少しでも眼が覚めてくれれば幸いだ。
しかし、こんなことを士官学校卒業直後の小童に求めるのは間違いだと私も分かってはいるのだが、闘い甲斐がない。もう少し強い相手と闘いたい。例えば、《此方の世界》での私の生涯における最後の好敵手となった、かの騎士サン=ジョルジュのような。
このようなことを考えている辺り、私は戦闘狂の類なのだと思う。平和が一番だと願いながらも、心のどこかでは熾烈な闘争を求めているのだから。
いや、そんな私の心境よりも今は、眼前の戦闘に精神を集中しなければ。
「さあ、どうした? まだ私は一度も〝ジャン・ヴァルジャン〟を振るってもいないぞ?」
残っているのは、アルノー・ミレー少尉ただ一人のみだ。二人の前例を見ているからか、流石に眼の色が変わっている。もはや彼は私を侮ってなどいない。
ミレー少尉は注意深く私を見据えている。また、それと同時に、先程までは欠片も見せなかった緊張の色を私に見せている。良い傾向である。
戦いであれ、闘いであれ、戦闘時は常に緊張感を持たなければならない。しかし、その緊張に呑まれるようでは駄目だ。常に緊張を感じ、それでいて、如何に緊張を緩和できるか。それこそが勝者と敗者を分ける決定的相違だと私は思う。実戦であれ、訓練であれ、模擬戦であれ、それに変わりはない。
「行きます! だあぁッ!」
裂帛の気合いとともに真っ直ぐに振り下ろされる剣。二人の前例を見ていることもあって、油断はない。先程の二人と異なり、足元のバランスと剣の軌道が安定している。
そして、流石は士官学校卒業生首席といったところか。振り下ろされる剣の速度は私の予想以上に速い。私の方こそ彼に対して油断していたようだ。しかし、それでも経験の豊富な者から見れば牛の歩みのようなものである。
「そこそこ速い。だが、それだけだ。近衛騎士団では通用しないぞ」
私は振り下ろされる剣を〝ジャン=ヴァルジャン〟で防ぐと、そのまま彼の剣を絡めて弾き飛ばす。剣がカランと音を立てて地に落ちると同時、私は対敵の首に愛剣を突き付ける。
「勝負あり! 勝者、近衛卿閣下!」
オノレの宣告とともに、私はミレー少尉の首から愛剣を離した。彼はホッと息を吐くと、腰が砕けたのか、よろよろと地に座り込んだ。
「筋は良い。だが、それでもまだ近衛騎士としては乳児に等しい。これからの君達の研鑽に期待する」
「「「ありがとうございます!」」」
「うむ。さて、では君達の近衛騎士団における教官となる者を紹介しよう。シャリフ、こちらへ来てくれ」
「はッ!」
私の言葉に応じて進み出た騎士は、この近衛騎士団における唯一の他人種であり、黒色人のシャリフ・ハビブ・アル=ハフィ曹長である。
近衛騎士団はガリア人の君主の守護を司る精鋭である。それ故に、入団をする者はガリア人が優先される。その中でも、他人種として唯一、近衛騎士に任官されているのが彼だ。つまり、それほど彼という騎士が優秀な人物だということである。
下士官ではなく、もっと評価されるべき人物なのだが、私に階級の決定権がないのが残念でならない。シャリフのような人物なら、大尉あたりが妥当だろうと思うのだが、やはり、黒色人であるということは不利に働くのだ。
「彼の名はシャリフ・ハビブ・アル=ハフィ。階級に関しては君達より低い曹長だが、私が近衛卿に任命される前から近衛騎士を務めているベテラン中のベテランだ。君達にとって良い教官になることだろう。さあ、挨拶を」
「小官が、少尉殿達の教官を任されたシャリフ・ハビブ・アル=ハフィだ。手加減はできない。よろしく頼む」
「「「よろしくお願い致します!」」」
「……随分と素直になったな」
アルノー・ミレー少尉、リュック・リュカ少尉、ダミアン・ベッソン少尉。彼等はまだ幼い雛だ。だが、これからの研鑽によって立派に成鳥へ成長することだろう。それまで、私は期待して待っていようと思う。
「おめでとう。もはや君達は近衛騎士団の一員だ。これからは、私は君達のことを名で呼ぼうと思う。アルノー、リュック、ダミアン。君達は近衛騎士団の仲間だ。これからよろしく願う」
「……あの、近衛卿閣下」
「ん、アルノー、どうした?」
「近衛卿閣下は、質問に対する我々の答えが最適解ではないと仰りました。その最適解をお教えください」
「ああ、そうだった。すっかり忘れてしまっていたよ。まだ私は歳ではないのだがね。気を付けねばならないな」
そう、最も大切なことを私は忘れてしまっていた。私が最も伝えたかったことは、そのことではないか。模擬戦に夢中になって、すっかり頭の中から消えてしまっていた。
これは私の持論なのだが、軍人は敵を打ち倒すことが使命なのではない。軍人は君主や貴族など、地位の高い者達を守ることが使命なのではない。
「我々皇国軍人にとって最上の使命。それは、民を守ることだ。力無き者達を守ることだ。愛する祖国と、そこに暮らす愛する人々を守ることだ」
むしろ、それ以外に、なにがあるというのだろうか。軍人の使命とは倒すために戦うことではない。守るために戦うことだ。高貴な者達を守るために戦うのではなく、力無き国民達を守るために戦うことだ。
その務めから逸脱し、守るべき対象である力無き者達に対して剣を向ける国は、私は国として認めない。ただの人間の寄せ集まりに過ぎない。そんなもの、ただの人殺しの徒党と同じだ。あまつさえ、あどけない表情の子どもに剣を握らせることなど、そんなことは決してあってはならないことだ。
「よく覚えておいて、それだけは絶対に忘れることのないようにな」
彼等の眼を見る。眼を見る限り、私の言ったことは、しっかりと理解してくれたようだ。これで大丈夫だろう。
さて、楽しい運動の時間は終わり。これからデスクワークの時間だ。私はあまりデスクワークは得意ではないのだが、仕方ない。しかし、その前に、そこの茂みに隠れている兎を捕らえて、本宮殿の執務机に座らせなければならないだろう。まったく、少しは懲りてほしいものだ。
きっと、今日という日も多忙な一日になることだろう。
「ルーカス」解説
「ルーカス」とは「リュカ」のドイツ語形である。
本作では、
フランス語=ガリア語(皇国語)
ドイツ語=ライン語(帝国語)
つまり、ガリア人の軍人であるリュカに対して、ライン人の言語の名で呼ぶという侮辱である。これは誰でも怒るだろう。