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母様と使用人

 ある日わたしは見てしまった。


「か、かあさま?」


「あら、ロゼ。お勉強はどう?」


 おっとりとした色気ある微笑みを惜しみ無くわたしに向ける母様はいつも通りだったけれど、その状況が、全然いつも通りじゃなかった。


「レ、レイヤ様!お嬢様が!」


「まあ。ロゼはこんなこと気にするような子じゃないのよ?ねえ、ロゼ?」


「え、えっと~…」


 母様の部屋に入るときは、花街のときの習慣があるからノックとかそんな礼儀正しいことはしない。それについて今まで母様に何か言われたこともなかったし、今日だっていつも通りに、はいるよーと軽く声をかけて母様の部屋のドアをあけた。


 だけど、そこにいたのはベッドの上で寝転ぶ若い筋肉質な男の使用人と、その人にのし掛かる母様。


 母様の下で使用人はわたしが来たことに動揺しているのか、顔を真っ赤にして母様を押し退けながらあわてて起き上がったが、母様が使用人の膝の上から下りることはなかった。


 これはいったいどういう状況なんだろう?


 確かにこんなことぐらいじゃ花街にいたときに、もっと過激なことをしていたねえ様がたを見たこともあるのでそんなに気にはならいけれど。状況的には服がはだけている使用人と母様をみるに、まあ、そういうことをする最中だったのは明らかである。

 おまけにこれは母様が襲っている。間違いない。さすが母様。



「レイヤ様!どいてください!」


 こんな子供の前で!といっこうに自分の上からおりない母様に焦れたのか、使用人は母様を軽々とその太い腕で持ち上げ隣へと移動させた。

 「あん」と不服そうにベッドの上に下ろされた母様は「シャイね」と色っぽくため息をつきながら服装を正しはじめた。


 一方、使用人のほうもすぐに立ち上がり服を整えていたが、その光景をずーっと見つめていたわたしとふと目が合うとさっと顔色を青くかえた。


「お、お嬢様、これは、その、違うんです!レイヤ様がよろけてしまい自分が受け止めたのであって、そこがたまたまベッドの上だっただけでして!」


 転んで受け止めて服がはだけます?と言いたくなったけど、使用人の顔があまりにも青いからそれを言うのは可哀想に思えた。

 それに、もしかしたら使用人の言ったことは本当で、だけど、それに興奮した母様がこれ幸いと彼にちょっかいをかけたのかもしれないし。いずれにせよ、このことをお父様にバレるのは、いくら母様が娼婦上がりだと知っていても、今はお父様の愛人でここに暮らしているのだからこの使用人はただではすまないだろうし、母様もきっとお父様に悪い印象をあたえてしまう。


 花街にいたころとはもう立場が違う。


 本当なら、母様がつまみ食いをしていい立場ではないのは、貴族の教育を受けてきたわたしにはなんとなくわかる。貴族は簡単に平民を罰してしまうから。


「このことは旦那様には……」


 そう言っておろおろしている使用人を見てから、ちらりと母様の方へと視線を移した。それに気づいた母様は、にこりとわたしに笑いかけるだけでこの状況などなんにも気にしていない様子だ。


「母様。」


 咎めるように母様を呼ぶと、少しいじけた顔をされた。何それ可愛い。だけどそんな顔しても注意するところは注意しなければ。


「いくらなんでも軽率すぎだよ。入ってきたのが他のひとならどうするの?…せめて鍵をかけるとか。」


「だってここって退屈なんだもの。ロゼ以外に話し相手もいないし、ロナウドだって全然会いに来てくれない。本当、つまらないわ。」


 だからちょっとくらいいいじゃない。


 母様にそう言われると正直わたしはむっとしてしまった。

 わたしは毎日毎日勉強で休む暇もなかったというのに、勉強は大切よ、と言っていた母様が退屈だと暇をもて余している。


 …なんか、不公平じゃない?


 確かに花街でちやほやされてきた母様は、ここではあまり相手にしてくれるひとがいなくて暇をもて余しているのだろう。お父様も本邸のメリッサ様のご機嫌とりや、お仕事が忙しいみたいだし。


「母様、見つかって厳しい罰が与えられるのはその人なんだからね。母様だって、いつメリッサ様や他のひとに理由をつけられて追い出されるかわからないんだから。やるならやるで、バレないようにしてくれなくちゃ。」


 わたしの言葉に使用人は驚いたような顔をしていたが、母様は変わらずいじけ顔。


「ロゼったら、すっかり貴族みたいになっちゃって。さみしいわ。」


「母様。」


「わかったわ。今度はちゃんと鍵をかけるから、もうこの話はやめにしましょう?…あなたも、安心して、ロナウドには言わないわ。ね、ロゼ?」


 最後に使用人に笑顔を向けた母様はそう言ってわたしに同意を求めた。

 もちろんはなからそんなことをお父様に言うつもりがなかったわたしは頷く。彼は何も悪くない。ただ、母様の毒牙にまんまと引っかかってしまっただけなのだ。


 ガタイがいいから老けてみえるけど、よくみればまだ幼い顔つきをしている。使用人の中では若いな、と思っていたけど、わたしが思っている以上に若いかもしれない。

 

 ここには、母様の毒牙を危惧してか、若い男の使用人は少ない。


 たまたま彼を見つけてしまった母様がこの機会を逃すはずがなかったのだ。…可哀想に。


「おしゃべりしにきたけど、今日はもう夕食の時間になるから部屋に帰るね。あなたも、ほら出るでしょう?」


 彼にとっては惜しい場面かもしれないけど、今日のところは下がってもらう。

 もうすぐメイドさんがこの部屋に夕食の準備の知らせにくるはずだから、このままここに留まらせておくわけにはいかない。

 わたしが促したことで、勢いよく返事をした使用人は、わたしのあとに続いて母様の部屋から出た。



「母様が美しく魅力的なのは今に始まったことじゃないけど、やるなら人目に気を付けてくださいね。」


 わたしより高い位置にある使用人の顔を見上げてそう告げると、またしても驚いた顔をしていた彼に、何か変なことでも言ったかと首を傾げる。

 すると、彼は少し目を泳がせたあとに「レイヤ様に近づくなとはおっしゃらないんですか?」と恐る恐る聞いてきた。


「近づくな?どうしてそんなことをわたしが言うの?」


「いや、だって、その。ご自身のお母様と使用人が、その、そういうことをするのは嫌ではありませんか?」


「………いや?」


 嫌ではない。だってわたしはそういうのが当たり前の環境で育ってきたし、むしろ、今の母様はきっと全くと言っていいほどに今はそういうことをしていないと思う。

 それを不憫には思っていたのだ。母様ともあろう人がどの男とも夜を過ごしていないなんて、なんてもったいない。一夜ともにするだけでどれ程の値段がするお人だと思っているのか。それが何もない。信じられない。


 まあ、本当ならば、母様を買ったお父様が率先して相手をしてくれればいいのだけど、今はそうもいかないみたいだから。

 女は男あってこそ美しいって花街のねえ様がたは言っていた。


 母様が美しくあるためならば使用人だろうとお父様だろうとわたしは構わない。



「別に。母様が美しいのだから男が放っておかないのも仕方がないと思うし。だからだめとは言わないけど、他のひとに見つかって大変な思いをするのはきっと母様よりもあなただから、気をつけてね。」


 もう一度念押しをする言葉を告げて、わたしはいまだに驚いている顔をしている彼をおいて今度こそそこから歩き去った。



 同じ屋敷内にいたとしても、勉強にいそがしいわたしは、メイドやメヒュー夫人、アドニスお兄様以外に会うことはそうそうない。

 だから、彼に会うことはもうないだろうと考えていたんだけど、そんな日も立たずに彼にまたしても会う機会が訪れた。



「あ。」


「え?」


 前者の声がアドニスお兄様のお見送りをして屋敷に戻ろうとしていたわたしで、後者はその道中にある渡り廊下から見える庭で木の形を整えていた彼だ。


 どうやら彼は庭師だったらしい。


 本邸と離れをつなぐこのバカ広い庭の手入れをしていたのなら、確かに日差しが苦手なわたしや母様に会うことはそうそうないだろう。

 いつも離れの玄関でお別れをするお兄様を天気の悪かった今日、たまたま気まぐれでわたしが見送りをしただけ。

 だけど、まさかその行為が彼に再び会うことになるとは思わなかった。


 まあ、同じ屋敷内にいるならありえないことじゃない。


 このまま無視して通りすぎてもよかったんだけど、声をあげてしまった手前、なんだか話しかけなきゃいけない雰囲気な気がする。


 相手は使用人なんだから、花街育ちとはいえ、今は侯爵令嬢なわたしが彼を無視したところで何も文句は言えないんだろうけど、これはわたしの気分の問題だ。気分の。



 わたしが声をあげたことによってわたしの存在に気がついたらしい彼は、振り替えってわたしを視界に入れた途端に、ザッと一気に顔の色をかえた。…それはもう真っ青に。


「お、お嬢様!」


「ごきげんよう。へえ、あなた庭師だったんですね。」


 彼もまさか再びわたしと会話をすることになるとは思ってもみなかったらしい。その体に似つかわしくないぐらいに動揺している。目の動きがせわしない。


「あ、あの、お嬢様。あの時はとんでもないところをお見せして大変失礼しました!」


 頭をガバッと下げた瞬間に被っていた帽子が吹っ飛んできた。


 …これはなんだろう、地味な攻撃かしら?


「母様も言っていたけど、別にわたしはあれぐらい気にしないので大丈夫ですよ。その後は母様とは会っているんですか?」


 吹っ飛んできた帽子をスカートが地面につかないように慎重にしゃがみ、彼の帽子を拾ってあげる。

 「あ!すんません!」と慌てる彼にその帽子をわたし訪ねると、彼は、帽子をぎゅっと握りしめたまま勢いよく頭をふった。


「いいいいいってないですよ!あれは本当にたまたまで!メイド長に頼まれて自分はレイヤ様のお部屋にお花を届けにいっただけで、本来ならレイヤ様本人じゃなくて、メイドに渡すはずだったんです!なのにあの時は部屋にレイヤ様しかいなくて……。」


 ……なるほど。それで母様に襲われたと。


「…もったいない。あなたきっと母様のお眼鏡にかなったのに。その機会を棒にふるなんて。」


 母様に、なんの見返りもなく誘われるだなんてそんな幸運そうそうないのに。


 思わずぼそりと呟いた言葉は、独り言のつもりだったがしっかりと彼には聞こえていたらしい。

 戸惑ったように「あの…」と声をかけてきた使用人に、「なんでしょう?」とお嬢様スマイルで振り向く。



「確かお嬢様はまだ、11歳だとお聞きしたのですが…。」


「?そうですが何か。」


「いえ!その!…ずいぶんと、大人びた感情をお持ちなのだなと。」


「……」


 確かに大人びているとは花街でも小さい頃から言われてきたけど…。


 じっと、彼の顔を凝視すれば、それがただしっかりしてるね、大人びてるね、てなかんじのニュアンスじゃないのはなんとなくわかる。わたしの眼力に負けたのか、再びすんません!と頭を下げた彼に、やっぱりあまりいい意味で言われたわけではないんだろうな、と思う。


「そう言うあなたはいくつなんですか?」


「自分ですか?自分は16になります」


「見えない…」


「よく言われます。」


 思ったとおり、見た目よりもずいぶんと若かった。


 16歳でこの体格になるにはいったいなにをどうしたのかが気になる。

 日々ちからしごとや喧嘩をしている花街の男どもは、結構若いうちからたくましくなっていくこたちが多いけれど、花街生まれの男子はもともとがきれいな子たちが多い。だから、筋肉がついても、彼のようにあからさまなマッチョになるひとは少ないのだ。



「庭師なのにずいぶんと逞しい身体をしているんですね。」


「ああ、自分は最近まで田舎の畑を手伝っていたもので。」


「田舎?」


「はい、城下からは馬車で5日ほどかかる村で育ったんです。まあ、あれですよ。出稼ぎってやつで。俺んちは兄弟が多いぶん、貧乏だったんで。」


「…そうなんですか。」


「そこらの店で働ければいいと思ってたんですけど、まさか、侯爵家の庭師を紹介されるだなんて思ってもみなくて。だからすんません、俺、礼儀とかなんもわかんなくて…。」



 ぎゅっと握った帽子がどんどんしわくちゃになっていく。

 ちょっと、気をつけてね。その握力で握ればきっと一生そのしわはとれないわよ。



 なんだか立場は違うけど、全く別の世界へ来てしまったという似通った状況に勝手にわたしは親近感を感じてしまっている。


 ここで働く使用人たちは、やはり侯爵という上位貴族のもとで働くために、それなりの身元のしっかりした家のものが雇われている。

 そのため、必要最低限、花街育ちのわたしなんかよりは全然礼儀作法は完璧だしキチキチしているひとが多い。そんななか、花街の時のにい様ほど悪くはないにしろ、彼らを思い出させる言葉遣いや仕草にここにきてはじめて、ほっと気の抜ける相手を見つけてしまった。


 気を引き締めてお嬢様スタイルでしゃべっていたけど、崩してもいいかな?崩してもきっと大丈夫だよね?



「わたしだってそんなの、最近まで知らなかったし。今だってこんなお堅いところに息がつまりそうなの。」


 丁寧な言葉遣いを捨て、いつも通りの話し方に戻す。すると、目をぱちくりとさせる使用人。ああ、そういえば、まだ彼に名前を聞いていなかった。



「遅くなっちゃったけど、わたしはローゼマリー。一応コーグリッシュ家の長女ってことになってるけど、最近まで自分が侯爵家の血をついでるなんて知らなかったから貴族としてはまだまだなの。ロゼってよんでね。」


 え…あ…と突然のわたしの自己紹介に狼狽える彼にわたしはすぐさま「お兄さんの名前は?」と聞いた。


「サ、サンスです。」


「サンス!あのね、サンスわたしおねがいがあるの!」


「お、お願い?」



 いったい何を言われるんだと恐々しているサンスに、わたしは彼の大きな手をとってずいぶんと高い彼の顔を満面の笑顔で見上げた。


「わたしのお友だちになって!!」




サンスが声をあげたのは、それから5秒後でした。




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