花街産まれ
初投稿です。よろしくおねがいします。
昔から母や薔薇園の女将、はたまた薔薇園で働くねえ様がたに
「ロゼはほんとに手のかからない子ね」
と幼いころから言われ続けてきた。
確かにわたしと同じ花街産まれの子供たちに比べて、なぜかわたしはいつも一歩引いたところにいた気はする。
みんながいたずらをしようとするのを軽くたしなめてみたり、これをやったら必ず怒られる、と幼いながらも理解し、自分はそそくさと退散するなど、まあずる賢い子供だった。
無邪気さももちろんある。
だけど、子供特有のわがままやぐずりはほとんどなかったのだと思う。
王都からそう遠くないところに娼館、薔薇園 は存在する。
薔薇園に限らず、娼館勤めの娼婦が客なのか、はたまた相瀬を交わした恋人なのか、子を成すことはそう珍しいことではない。
そんな娼婦を母に持ち、娼館が集う場所、花街で産まれ育つ子供のことを花街産まれと言う。
花街産まれの子供たちには決まった父親という存在がいないのが特徴だ。
わたしもまた、花街産まれの子供であった。
このあたりの娼婦のなかで、5本の指に入るであろう売れっ子である薔薇園の娼婦を母に持つわたしは、母譲りの綺麗な緑色の瞳と透けるような白い肌をしている。
髪は残念ながら母様のようにサラサラな金髪ではなく、どこの誰ともわからない父親譲りなのだろう、くるくると癖っけのある赤毛だった。
わたし達、花街産まれの子供の将来はほぼ決まっているようなものだ。
女ならば娼婦。
男ならば駒使いか娼館の用心棒。
運が良ければお金持ちの客に身請けして玉の輿ってこともなくはないが、花街産まれは花街で産まれ、花街で育ち、花街で散って逝くことが多い。
それが悲しいことだとも嫌なことだとも考えたことはない。
わたし達にとってはそれが普通なのだから、外の世界を知らない限りそんなことは考えもしない。
たまに外から売られてきたねえ様が「帰りたい、ここから出して」と夜な夜な泣いていることも珍しくはないが、何が不満なのかわたしには全くわからなかった。
ここ花街の何がいやなのかな。