2.月と私とヤンデレ
犬はあっという間に成犬になる。ちょっと大きくなったなぁと思っていたら、いきなり手足がにょきりと伸び、そこからは手足に合わせるように全体ががっしりしていく。
私は美味しいものをたくさん食べさせてもらっていた分、ありがたいことに広い庭を好きに走り回らせてもらったので、太りもせず柴犬らしいきゅっとしたくびれを手に入れた。
恐らく見た目は生後半年程だろう。大きさは成犬と似てきたが、まだまだ顔が子どもで、何より軽い。
お手洗い? 乙女にそんなこと聞いちゃいけませんが、こっそりお庭の隅っこに失礼している。ちゃんと埋めているのだが、たまに自分のを掘り出してしまい悲鳴を上げたりもする以外、概ね平穏な毎日だ。
私の朝は、レオンの顔を眺めることから始まる。レオンは必ず私と眠るからだ。アリアが望んでも必ずである。
その都度断られるアリアは、嬉しそうに言うのだ。『この子が何かを譲らないなんて初めて。ありがとう、ゴリアンナ!』と涙を浮かべて喜ぶ。
とりあえずゴリアンナはやめてください。
レオンは睫毛も真珠色だから、結構近づかないと長さまで分からない。ちなみに、結構長い。
人間の時だったら、男の人をこんな至近距離で見つめるなんてとんでもない話だが、今の私は犬。何て素敵な呪文。今の私は犬、今の私は犬。
突然ぱちりと碧眼が開く。間近で宝石を見たことないけど、きっとレオンの瞳のほうがエメラルドより綺麗だ。
ちょっとぼんやりしたエメラルドグリーンが、私に焦点を絞っていくと、ふんわり笑った。私はこの笑顔が苦手だ。だって、必殺の呪文が効かない。心臓がばくばくする。人ってこんなに綺麗に笑えるんだってびっくりしたほど綺麗な笑顔なのだ。
「おはようございます、アンナ」
「うにゃぅ」
「アンナ、おはようのキスは?」
肉球を額に当てて熱を計って早々、ベッドから飛び降りようとした私を細腕が抱え上げる。その拍子に重さが胸にダイレクトにかかったのだろう。レオンはちょっと噎せた。
「うわん!」
色んな抗議を込めて、ちょっと強めに鳴いてみた。
途端にエメラルドグリーンが悲しげに曇る。
「して、くれないのですか?」
この顔に弱いと分かってしてるとしか思えない。
今の私は犬、今の私は犬!
魔法の呪文を唱えて、レオンの頬っぺたに鼻スタンプをプレゼントした。これで嬉しそうになるんだから、私は一体何を望まれてるんだろう。
レオンが着替えてる間に庭にダッシュ。朝の運動って大事。
掘った土で汚れた足はジョフの所に行けば洗ってくれる。
ついでにお手製のボールを投げて遊んでもくれるのだが、このボールが大きすぎてくわえて運ぶと顎が疲れる。ちょっとした大玉転がしの気分だ。
「今日もいい天気だなぁ!」
「わあん!」
帰りに花を選んでいるアリアにご挨拶。一種類選ぶのも役目だ。 今日は元気に橙色な気分。花の名前は知らないけれど、花びらが八重で可愛らしいお花を前足でちょんと触る。それだけで、五分咲きだった花は満開になった。これも球体の加護だろう。
初めての時は、本犬である私は四つ足全部突っ張って驚いたというのに、他の皆は聖獣だしであっさり納得したことに更に驚いた。
「まぁ! わたくしも同じです! 気が合いますわねぇ」
「うにゃあ!」
毎日こう言ってくれるけど、両手をぱんっと合わせてこどもみたいに笑ってくれるから、私も嬉しい。しかも今日は抱きしめてくれた。柔らかいです。
一輪銜えて台所を覗くと、マーサが汗だくで皆のパンケーキを焼いている。今日のジャムは何だろう。戸棚にずらりと並ぶ色とりどりのジャムは、みんなマーサのお手製だ。
本来犬は食べちゃいけない物があるけど、私は聖獣だから大丈夫らしい。聖獣の縛りが今一分からない。
カリカリベーコンをお皿に移したマーサが私に気づいて笑い声を上げた。
「ありゃまぁ! ごめんよ、いつからいたんだい?」
受け取ってくれた橙色のお花は涎塗れでした。面目ない。
細く可愛い小鬢に一輪飾り、マーサはよしと頷いた。
「さあ、今日も一日働くよ!」
「あん!」
マーサの元気に当てられて、私も元気よく返事をする。元から元気? もっともだね!
レオンの部屋に戻る前に、掃除道具等を片付ける小屋に寄り道だ。毎日微妙に場所は違うが、ジョフリーは大抵この辺を掃除している。門や玄関前はもっと早い時間に終わらせているのだろう。
私の姿に気づいたジョフリーは、小柄な身体で素早く落ち葉を集めた山の前に移動した。
「来ましたね!」
「わんっ!」
竹箒をゆらゆら揺らすジョフリーに、私も前身をべたんと落として腰を上げる。尻尾は当然ふりふりだ。
「おいでなさい!」
「あんにゃあー!」
ジョフリーが掻き混ぜる葉っぱに飛び掛かる。前足でべたんべたん押し潰しても次から次へと降ってくる。最終的にはへそ天で、葉っぱをくわえながらうにゃうにゃしていた。しかも葉っぱの山は散らからず、きちんと一箇所に集まっている。ジョフリー恐るべし。
「おかえりなさい、アンナ」
「きゅあ」
レオンの部屋に戻れば、既に着替え終わっていた。今日はちょっと遊びすぎたようだ。
ちなみにレオンの服は毎日新品だ。何故なら、成長に合わせて作ってきたのに、出番があるのは寝巻きだけという悲しい事情があったのだ。
毎日出番がある寝巻き以外の服に、みんなは涙目で喜んでいた。勿論私もレオンが元気で嬉しい。
そのレオンはというと、頭が入るかどうかという隙間だけ開いた窓を眺めていた。
「うーん、壊れました。押しても引いても動きません。後でジョフに直してもらいましょう。ああ、ジョフに習って僕がしてみるのもいいですねぇ」
先の予定を立てられるのが嬉しくて堪らないのだろう。目を細めて庭を眺めるレオンの足に擦り寄ったら、あっという間に抱っこされた。抱き癖がついたらどうしてくれる。
「姉上は随分ご機嫌ですねぇ。あのまま庭中の花を摘む気でしょうか」
くすくす笑って促された先では、いつもならとっくに花瓶に活けているはずのアリアが、まだ花を抱えてうろうろしていた。
「……ああ、分かりました! 今日はアレックスが帰って来るのでしょうね」
一人で合点したレオンは、私を抱いたまま部屋の中心へと移動する。比較的シンプルな部屋の中で存在感を発する、レース貼りの可愛い籠がぱかりと開かれた。中には大量のリボンが詰まっている。「わたくしにはもう可愛すぎますから」とアリアが譲ってくれた物、だけではない。最近ではレオン自らカタログを取り寄せてお買い上げーしている私のリボンだ。
日本で見たようなシンプルな物ではなく、端まで丁寧な刺繍とレースで構成され、尚且つ鮮やかで繊細な色合いに染め上げられた、素人目に見ても一級品なリボン達。
そりゃ可愛い物は好きだ。可愛いと素直に思うし、可愛いが詰まった籠を見たらうっかりテンションが上がる。
しかし。
「今日はどのリボンがいいですか? アンナはどの色も映えて綺麗ですし、迷ってしまいますね」
私よりテンション上げているレオンを見ると、比較的に冷静になってしまう自分もいた。
今日は、銀糸で編まれた繊細なリボンに決まった。見るからに高そうなので、どこかに引っかけてしまわないよう気をつけて、心なしかちょっとお澄まし気味だ。
抱っこしようとするレオンを丁重に断り、ちゃっちゃっちゃっと爪の音を響かせる。
この家では、人数が少ないからかアリアとレオンの人柄なのか、みんな揃ってご飯を食べる。レオンが毎日顔を並べることが出来てみんな涙目だ。
今日のメニューは、マーサ特製のふわふわパンケーキ山積みに、マーサ特製ミルクジャム、木苺ジャム、ちょっとラム酒の入った林檎ジャム、バラジャム。甘さ控えめ系で私はあんまり食べないからよく分からないけど緑のジャムと茶色のジャム、紫のジャム。そしてハチミツ。カリカリベーコンにバター入りのふわふわスクランブル、野菜スープに果物。
そして、いつも朝一番にアリアが活けてくれるお花。……今日はちょっと、かなり、量が多いけど。
アリアも何だかそわそわしてる。アレックスって人は、もしかしてアリアの彼氏だろうか。野次馬根性がむくむく芽生えたが、はたと気づく。今の私は犬だった。
皆が揃った食堂で、レオンが一番入口から遠い窓際に座った。
彼がお祈りの言葉を言おうとした瞬間、アリアが椅子を蹴倒して立ち上がった。
「アレックス!」
あら可愛い。アリアの顔がぱっと輝く。
皆の視線が窓を向いたので、私も精一杯背伸びして二本足で覗き込む。背伸びすることに必死で尻尾にまで意識が届かなくなり、尻尾はてれーんと垂れた。
「わたしが」
すっと食堂から出ていったのはジョフリーだ。あっという間に門に辿り着いた彼の執事服だけ見える。
一生懸命覗き込んでいると、脇に掌が入ってきてひょいと抱え上げられた。この感じはレオン。さすがレオン。私が見やすいように抱き上げてくれるとは!
そう感動していたのに、レオンはくるりと窓に背を向けて椅子に座り直してしまう。
「ぷくぅ!」
抗議の声を上げる。
「アンナは、僕よりアレックスに興味があるのですか?」
そうですね、毎日会う人より初めて会う人のほうが気になります。
素直に頷けば、むっとした顔をされた。何故。
「アンナ」
「きゅ」
「パンケーキ食べますか?」
「きゅけこけこけこ!」
木苺ジャムたっぷりつけたパンケーキを目の前で振られて、思わず力が入る。レオンの膝上に飛び乗って尻尾をくりくり振る。
くれるんでしょ、くれるんだよね、くれないわけがない。
「はい、あーん」
美味しい美味しい美味しい!
さっきまで自分でも食べていたのに、どうして人が食べていたものを貰うほうが美味しく感じられるんだろう。
もうパンケーキはないのに名残惜しくてレオンの指を嘗めていると、初めて聞く声が食堂に響いた。
「うわ、レオンが起きてる上に目茶苦茶幸せそう」
大きな鞄を肩から下ろした赤髪の青年は、鋭い目を真ん丸にして、大股で食堂を突っ切った。
そのままレオンの顎を掬い取り、右に左に向けてぐっと顔を寄せる。
「未だかつて見たことない顔色だな、おい。ちょっと舌出してみ? ほれ、あー」
まじまじと観察している青年にレオンは苦笑した。
「お久しぶりです、アレックスさん。でも、どうぞ姉上を先に」
示されるままに振り向いた青年が見たのは、半眼になったアリアの姿だった。
「どったの、アリア」
「レオン! わたくしはアレックスがわたくしを優先したら決して許しませんわ!」
アリアのお怒りポイントが今一分からない。
「アリア」
「な、何です」
「お前どんな顔しても可愛いなぁ。すっげぇな、おい!」
この男、すっげぇな、おい!
思わず口調が移るくらいやり手だ、この男!
虚をつかれたアリアの顔が見る見る間に真っ赤に染まる。
「可愛い可愛い。お前ほんといつでも可愛いなぁ。ねぇ、何で?」
「し、知りません!」
皆は見慣れた光景らしく、マーサが彼の分の朝食を選り分け、ジョフリーがお茶を入れた以外は何も変わらずご飯を食べ続けていた。
「アレックスは薬師です。数えきれない医師が僕に投げた匙を広ってくれた、唯一の人ですよ。今だって、半年もかけて世界中の薬草を探しては送ってくれていたのです」
そして、と言葉が続く。
視線の先を辿れば、思いっきりちゅーしてきたアレックスを張り飛ばすアリアの姿。
「姉上の婚約者です」
何ともコメントできない雰囲気だったけど、とりあえず彼がいい人だということは分かった。それだけ分かればいいや。
そう思っていたが。
「あ、これが手紙にあった聖獣様? あ、雌か」
ひょいっとひっくり返された瞬間から私の中で奴は敵になった。毛皮があるから裸は気にならないけど、腹周りとお股は駄目だ。
絶対にだ。
渾身の後ろ足キックをお見舞いしてやったと思ったら、レオンに掬い取られるように奪い返されていた。
「アレックスさん! レディに何てことをするのですか!」
そうだそうだ!
ただし、あんたも昔やったがな!
「アレックス! ゴリアンナに何てことを!」
「……ゴリアンナ?」
秘密の名前をうっかり暴露してしまったアリアと、しっかり暴露されてしまった私の間を視線が行き来する。
「ア、アレックスの馬鹿ーー!」
顔を真っ赤にしたアリアの一撃は、快晴の空に景気よく響き渡った。
積もる話もあるだろうと、私はその後の団欒を遠慮して、レオンの部屋(私の部屋でもある)でごろごろ遊んでいた。たまには一人の時間も必要です。
一人なのをいいことに、タオルを裂いて編んだロープ状のおもちゃを銜え、お腹丸出しでごろごろしてうにゃうにゃ遊ぶ。誰もいないので気兼ねなく大股開いて背中を床に擦りつける。この時お腹を撫でてもらえると最高だけど、人間のプライドが邪魔して、結局実現には至っていない。そもそも、この遊びは一人の時にしかしてない。
存分にごろごろした後は、バスタオルくらいの大きさのタオルを両前足でしっかり押さえ、一本一本牙に引っかけてぴーと引っ張り出す。地味だが意外と楽しい。たまに歯の間に挟まって、悪役もびっくりな悪人面で、くっちゃくっちゃと糸を外す作業をしなければならないが。
タオルがすっかり「タオルだった何か」に成り果てた頃、前足を揃えて腰を上げ、伸びーとストレッチする。遊びも一旦休憩だ。
開きっぱなしの窓からは、たまにどっと笑い声が聞こえてくる。楽しそうで何よりです。いつもは庭整備に勤しむジョフも、今日は中から出てこない。
「きゅぁーーーぴぃーーーー」
欠伸してたら超音波っぽい声が出た。
口をにゃむにゃむ動かし、ちょっとお昼寝しようかなと思った私の耳に、いきなり水音が鳴り響いた。
飛び起きて窓を見れば、さっきまで晴れていた空が一転して真っ黒になり、ばららららと大粒の雨をたたき付けていた。
慌ててベッドに飛び乗り、窓を閉めようと前足で引っ張るもびくともしない。そういえば壊れたと言っていた。病弱とはいえ、成人男性が動かせなかったものを、この不器用な前足でどうにかできるはずもない。
爪が当たった木枠が虚しくかちゃかちゃ鳴り響く。わたわたしている間に風まで出てきた。このままではレオンのベッドがずぶ濡れになってしまう。 ご主人様、という認識はないものの、一宿一飯どころじゃない礼を返す場所はここか!
私は勢いをつけて窓に突進した。
通り雨的な集中豪雨はすぐに通りすぎた。
総出で屋敷中の窓を閉めていたレオンが、そういえば自室の窓が壊れていたと思い出し、これまた何故か総出で駆け上がってきた皆が見たものは。
背筋をぴんと伸ばし、隙間にぴしりと縦に嵌まった状態でどや顔してる私の姿だった。私と窓の間には隙間などない。なんせお肉がぴたりと封鎖しているからね!
即、お風呂に連行された。
アレックスのお土産の石鹸は、犬的にはただの臭い何かだったので、わざと傍でぶるぶるぶるしてやった。
色んな意味ですっきりした。
毎日が楽しかった。毎日変化のない穏やかな日々が何より幸せだった。
変化がないといっても、寝込まなくなったレオンが、今までアリアが一人で行っていた仕事を手伝い始めたり。ジョフが季節に合わせた庭作りをモットーに木まで移動を始め、一人で運んでいるとまるで木が歩いてるみたいだったり。マーサが新しい手法で焼いてみたパイが爆発したり、ジョフリーが髭を整えようとした背中をジョフに叩かれて斜めにカットしてしまい、大規模な兄弟喧嘩になったり。アリアが刺繍したハンカチを貰った瞬間に鼻をかんだアレックスが張り倒されたりと、毎日忙しかった。
でも毎日が変わりなく平和で、恙無く幸せで、平穏だ。
否、平穏、だった。
私がこの世界に来て、もう一年が経つ。そんなにも長い間、球体は何をしてるのかと思うかもしれないが、球体は既に幾度も私の前に現れていた。
球体が現れるのは、満月と新月の二晩だ。そう、今夜のようなー……。
夜なのに煌々と明るい空に月が二つ。一つは音も立てずに、すぅっと窓の傍まで下りてくる。
この時だけ、私は人の姿を取れると知った。裸だけど。
そっと背後を見れば、月明かりだからではごまかせないほど青白い顔色したレオンが眠っている。
「今回はどうするのじゃて?」
もう何度も聞いた球体の問いは、毎度苦い。
レオンを起こさないよう気をつけながら返す言葉も、いつもと同じだ。
「……どうにか、ならないんですか」
「ならぬじゃて」
返る言葉も同じ。もう幾度も繰り返した。繰り返し繰り返し、月が満ち欠ける度に諦めきれず。
「お主が離れればそやつは死ぬ。そやつはお主が発するわしの加護で生き延びておるに過ぎんのじゃて。現に、お主と離れれば弱り切って戻ってこようて」
その通りだ。ここ数ヶ月、急にアリアとレオンは出掛けるようになった。着飾っていくのにちっとも楽しげではなく、寧ろ死地に向かうような沈痛な面持ちで。そして、出掛ける頻度は増え続け、出掛けている時間も同様だ。
今日だって、つい三日前に出掛けたばかりだというのに、朝からつい先程まで帰ってこなかった。死人だってもっと健康的な顔色をしていると叫びだしたいくらい酷く弱り切って、唇を噛み締めて叫び泣き出すの堪えるアリアに支えられて帰ってくる。
私も連れていってと裾にかじりついて縋っても『アンナはここで僕らを待っていてください』そう言って、いつも通り優しく笑うだけだ。
「始まったものは終わるが務めじゃて。これを定めたが何かは、わしも知らんじゃも」
「神様、なのに」
「わしがわしの都合で変えられるは、わしが定めたことのみじゃて。終わりを創ったも、始まりを創ったも、わしじゃないもん」
この球体が憎い。
今まで生きて築いた18年間をうっかりで消されたときは考えもつかなかった感情だった。
「まだ、ここにいる」
「分かったじゃて」
あっさりと消えた球体がいた場所を睨みつける。
いつまでもそうしていたって仕方がない。ふーと肺が空になるまで息を吐いて、ぶるぶるぶると身体を震わせることで犬の姿に戻る。視線の位置が下がり、地面を踏みしめる足は四本もあって揺るがない、はずなのに。
青白い顔を覗き込む。眠っているのに苦しそうなレオンにこっちまで苦しくなる。いっそ変わってあげたい。この無意味に健康で元気なパワーを分けてあげられたらいいのに。
屋敷中が沈んでいる。レオンはつらそうな様子で『大丈夫ですよ』と笑うけど、それを受けた皆は苦しそうに項垂れる。
どうしたらいいんだろう。何かできないのかな。
ぐっと奥歯を噛み締めて俯く。
球体なんて嫌い。神様なんて大っ嫌い。
こんな結末しかないんだったら、どうして出会わせた。こんな終わり方をするのなら、こんな最後しかないのなら、どうして私達を出会わせたんだ。
この人達の存在を、この世界を知らなければ。
レオンを知らなければ、好きになんてならなかったのに。
こんな、苦しいだけの終わりしかないのなら、あのまま消滅してしまったほうがよかったのに。