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1.球体と私とヤンデレ



 何だろう、これ


 岡部小百合18歳。短いけどそれなりに人生経験を積んできた18年の歳月を持ってしても、全く理解出来ないものに遭遇中。



 延々と広がるのは浅い水溜まりだ。歩くとぱしゃんと波紋が広がっていくのに、足元は全く濡れないほど浅い。まるで鏡のように綺麗なのに、反射しているのは小百合の姿だけである。

 何故なら、空には何もないのだ。白っぽい景色が延々と広がるだけで、ここが屋内なのか屋外なのかも分からない。

「どうしよう」

 困りきって周囲をぐるりと見回すと、先程までなかったものを発見した。

「丸い……」

 球体。それとしか表現できない。表面はつるりとしてるようでいてのっぺりともしてそうだ。色も景色と同じく白っぽいとしか言えない。真珠のように光沢があるわけではないけど、まるで艶がないわけでもない。

「ごめんなのじゃ」

「ぎゃあ!」

 球体が喋った。私も喋った。女性らしさというものが皆無な悲鳴だ。名前と違って、女子力の無さにはちょっとした自信がある。

「ちょっと間違えただけじゃい。ちょっと間違えて、お主の存在を消滅させちゃっただけじゃて」

「ちょっとどころじゃない内容が聞こえてきたんですけど!?」

「あ、わしこういうものじゃて」

 しんっと場が静まり返る。

「どういうもの!?」

 名刺か何かが出てくると思いきや、球体はつるりとのっぺりを合わせた、のるりとした見た目のまま何も変わらない。

「わ、わしじゃてごめんなのじゃと思うて、人間寄りの挨拶を目指したのに……」

「気遣うところを盛大に間違ってますよ!?」

「あ、わし神と申すのじゃ!」

「崇め奉りたくなる要素皆無ですね!」

 思わず思考をそのまま叫んでしまった私の前で、球体がプルプル震え出した。

「こっちが悪いと思うて下手に出れば!」

「下手って意味分かってます!?」

「わしじゃって怒るんじゃもん! かむちゃっかファイアなのじゃ!」

「もしかして、ムカ着火ファイアー!?」

「そうとも言うんじゃて!」

「そうとしか言いませんが!? 何そのどっかの半島みたいなファイアー! 半島みたいなのはインフェルノですよ!」

 球体は、肩もないのにしょんぼりと何かを落とした。

「間違えたんじゃて……げにまっことしょんぼり丸じゃ」

「なんか日本を今一度洗濯しそうな丸は置いておいて、いい加減説明してくれませんかね!?」

 いつまで球体に突っ込んでたらいいのか、それこそげにまっことしょんぼり丸だよ!




 球体もとい神様の言い分はこうだ。

 神様の仕事である世界の管理をちまちましていたら、うっかり私の存在をデリートしてしまい、慌ててバックアップを取った状態が今だという。身体はまだ修復してないし、周囲の人や物との関係性も皆無らしく全部これからだ。

「なるほどなるほど! オッケー理解……できるかーー!」

 お前なぞ、球体で充分だ、この球体!

 ここにちゃぶ台があったら華麗にひっくり返してやっただろう。怒髪、天を衝くとはこういうことを言うんだなと、かろうじて冷静な思考の端っこが頷いた。


 がなった私に、球体はふるふる震えて少し小さくなった。

「ご、ごめんじゃて」

「ごめんで済んだら黒糖饅頭もフィナンシェも要らないんですけど!?」

「……お主、安いおなごじゃて」

 球体に憐れまれた気がする。にっこり笑って拳を握りこめば、わたわたと焦りだす球体。

「じゃ、じゃから、わしなりのお詫びを用意したじゃて!」

「お詫び? 柏餅? 桜餅? 栗饅? 水羊羹? プリン? オペラ? 絞り出しクッキー?」

「食べ物じゃないて……」

「がっかりだて……」

 この夢みたいな空間で、甘味食べ放題とかそれこそ夢のようだと思ったのに。

「もうやじゃ、このおなご……食い気ばかりじゃて……」

 食い気の何が悪い。三大欲求の中で生に直結してる素晴らしい欲じゃないか。

「わしがお主と世界の微調整を済ましとる間、わしが管理しとる別の世界で遊んでこんかと言うつもりじゃったんじゃ」

「球体が管理してる世界? そっちでも消されそうだからやです」

「消、消さんもん消さんもん消さんもん!」

 顔があったら真っ赤になってきーきー言ってるんだろうなぁと思う声で、球体が跳ねている。ガラスっぽいのにゴムみたいな跳ね方だ。これ、結局何なんだろう。

 好奇心に負けて触ってみたら、のるりとした感触がした。

 同時に足元が揺れる。

「え!?」

「契約成立じゃて。これよりお主は、わしの加護を手厚く纏って遊び放題じゃ!」

「加護の効果って何!?」

「運がよくなる」

「クーリング・オフでお願いします」

「わしクリーニングできんのじぇ、却下じゃ」

「ちくしょう!」

「了解じゃてーー」

 何を了解しおった、この球体!

「いいもんじゃぞ? 皆がきゃっきゃっうふふして可愛がってくれるし、ちやほや世話してくれるし、イケてるおのこもお主にメロメロじゃ! ほれあれじゃ! バーレムじゃ!」

「カタカナ疎いなら無理に使うな! ハーレムですよハーレム!」

「そうそれじゃてー……」

 分かってるのか分かってないのか、不安しか残らない声を聞きながら、私の視界はホワイトアウトした。



 土の匂いと鳥の声で目を覚ます。何がわしの加護厚きだ。いきなり巨大植物繁った森っぽいところにいるんですが!? あの球体!

 とにかく起き上がろうとして、見事にすっ転んだ。何だ? 何が起こったんだ?

 自分がどうして転んだのか分からず、慌てて起き上がろうとしたらまた転んだ。しかも派手に転んで、鞠みたいにぽんぽん転がる。

「ふ……」

 訳が分からなくてわたわたしていると、予想外に近い場所から人の声がして跳ね起き、た、つもりが勢いが付きすぎて反対側にひっくり返る。

 その拍子に笑った相手が見えた。

 わあ、イケメン。随分巨大だけど。

 コスプレがと思ったけど、イケメンの長い真珠色の髪が風に靡いて木に引っ掛かる。一瞬痛そうな顔をしたから、まさかの本物だ。

 イケメンは髪を木から外すと、優しそうな笑顔を向けた。

「どこから来たの?」

 一瞬私に話し掛けられたと思ったけど、どうせ私の後ろに誰かいて、返事をして恥をかくというパターンなんだろう。その手には乗りませんとも!

「あ……行っちゃうんですか?」

 毅然とイケメンに背を向けると、途端に寂しそうな声になった。そして、私の背後には誰もいなかった。

 もしかして私が呼ばれたのだろうか。木を悠々と超えるイケメンの大きさから考えれば、ここは巨人の国!

 なら、私の小人具合が珍しいのだろうか。

 いくらイケメンが相手でもこの大きさは怖い。本能が後ずさるよう警告する。

 じゃりっと後ろ足で一歩下がると、とても悲しそうな顔をされるので心が痛む。

「……大丈夫ですよー、なんにも怖くないですよー」

 絹っぽい高そうな服が汚れるのも構わず地面に膝をついたイケメンは、まるで子犬を呼ぶように指先を揺らして唇を尖らせる。ちっちっちっ、と、独特の舌打ちで呼ばれて、憤慨するでもなく、ほいほいと歩を進めてしまったのは別にイケメンが可愛かったからじゃない。断じて違う。いや……その、可愛いけどね?

 逆光になっているとはいえ、彼の顔色がとても悪く見えたのだ。

 言葉が通じる保障もないのに、思わず「大丈夫?」と聞いてしまったほどだ。


「くきゅーあ」


 予想とは全く違った音になった。

「君、どこから来たの? お母さんは? 迷子ですか? 首輪はありませんね」

 そんなものあって堪りますか。

「くきゅぅ、きゅああ! うにゃぁあああん!」

「ふふ……可愛い」

 一所懸命言葉にしようとしているのに、喉から出るのは子犬のような鳴き声だ。一体どういうことだと首を傾げていると、その様も気に入ったのか、イケメンにいきなり抱き上げられてチューされた。

 こうして私のファーストキスはあっさり終わりを告げた訳だが、この時の私はそれどころではなかった。

 イケメンの碧眼中の自分を見つめるのに忙しかったのだ。


 そこにいたのは、18年間苦楽を共にしてきた、かろうじて鼻が一番高いですよー感溢れる日本人ではなかった。

 くりりとしたアーモンド型のつぶらなお目目(白目なし)、つやっつやなお鼻(真っ黒)、全ての音を逃がさないといわんばかりにぴんっと立ったお耳(中はピンク)。

 そして、知らず知らずはっはっと洩れる息と一緒にちらちら見える、立派な糸切り歯(犬歯)とピンクの舌(健康的!)。

 私はどこからどう見ても子犬だった。

 柴犬だ。そこは譲れない。

 知らぬ間に人間であることは譲っていたようだけど、柴犬であること。

 そこだけは譲らない!






 鏡に写った自分をまじまじと見つめる。

 全体的にはころころしてるけど、顔つきはちょっと狐っぽい。色は黒だ。子犬の柴犬の鼻回りは黒いが、黒柴だと全部黒いから分からない。

 両脚は白ソックスを履いたように白い。左後ろだけハイソックス。尻尾は左に一回転半。ちっちゃくっても立派な尻尾だ。くりくりと丸まった固まりごと振ってみる。視界の端でくりくり揺れる貴様は、よもや敵か!?

 謎のふわふわを追いかけようとして、はたと気づく。これ、自分の尻尾だ。鏡で見ていなかったら永久なる鬼ごっこを開始するところだった。危ない危ない。

 鏡にぽふりと肉球を当て、ぷぅーと嘆息する。

 あの球体め……確かにちやほやしてくれるさ。皆からモテモテさ。

 可愛いからね! 子犬がね!



「アンナ、アンナー?」

また一つ心底溜息をついたのに、出てきたのは鼻から抜けるような間抜けなぷぅー。

こっちは落ち込んでるのに、それを見た人はというと。

「今日も可愛いですねぇ。あ、アンナ、こちらを向いてください」

 にこにこだ。ご機嫌も頗る良い。表情なんて緩みきって、瞳なんて落ちてしまいそうだ。

 ただし、顔色は悪い。

 この人は、イケメン改めてレオン。20歳前後のイケメンだ。真珠色の長髪だけでも見惚れるのに、その上口調丁寧、声音柔らか、性格温厚、そしてイケメン。

 神様から愛されたかのようなイケメンっぷりだが、神様は彼に健康を与えてはくれなかったらしい。

 私が庭に現れるまでは、床から頭を上げることすらままならなかったという。私から見たら悪い顔色も、彼らからすると頗る良いということからも、彼の日常が伺えた。

 病気がちで子犬にデレまくる彼を、私はこっそりヤンデレだと思っている。(身体的に)病んでるデレでヤンデレ。間違ってはない。


「姉上からお下がりを頂いたので、今日はこれをつけましょう」

 ちょいちょいと手招きする彼の手には高そうなリボンが握られている。

 手招きに合わせて、とてとてと近づくとぽてりと転んだ。四足って難しい! 頭重い! 足短い!

 未だ上手く歩けない私が「ぷゃあ」と不満を漏らせば、ただでさえ甘かった顔が蕩けた。そのままひょいと抱き上げられる。

「怪我はないですね? え? ふふ……大丈夫ですよ。すぐに上手に歩けるようになって、この庭を走り回ることができますよ。ええ、本当です」

 細い指で器用にリボンを結び終えたレオンは、私を膝に乗せたまま庭を眺めている。男の人の膝に乗せられて優しく撫でられるなんて! とドキドキはしない。ああ、しないとも。だって私は犬。しかも子犬。

 断じて、名付けの際にひょいっとひっくり返されて「ああ、女の子ですね」と言われたからではない。寧ろ忘れたい。


 そこにある感情が何であれ、優しく撫でられる手には幸せしか感じない。どうせ子犬としか思われてないのだし、素直に指にじゃれついて遊ぶ。彼もまた楽しそうに笑い声を上げ、私の腹を擽った。

 私が現れた巨大植物の森は、よく見れば普通の植物が彩る綺麗な庭だった。稀に見たことのない物もあったけれど、概ね奇っ怪と思える物はない。

 寧ろ奇っ怪なのは私かも知れない。あの球体の加護なのかどうなのかは分からないが、それまで頭も上げられなかったレオンが、私が現れた日には自分で歩いて庭まで降りたという。家中お祭り騒ぎだった。なるほど、あの絹みたいなしゃらしゃらは寝巻きだったんですね。



 レオンが暮らすこの家が一般的なのかの判断はつかない。だって私はここから出たことがない。でも、たぶんお金もちなんだろうなーとは予想をつけている。

「レオン様、そろそろ風が冷えて参りました」

 柱の陰からすっと現れたのは、白髭執事(長髪)のジョフリー。老年に差し掛かった男で、帽子を被れば少年に見えるほど小柄な人だ。

「そうですよ、レオン様! ここは冷えますぜ!」

 野太い声で庭を掻き分け現れたのは熊、ではなく、白髭庭師(短髪)のジョフ。老年に差し掛かった男で麦藁帽子を被れば野生の熊に見えるほど大柄な人だ。

 何が恐ろしいって、この二人が双子で、更にジョフリーが兄なことだ。

 ジョフリーとジョフは、この家に仕えている人達だ。といっても、この家に住人は使用人を数えても後二人しかいないが。

「まだ、もう少し駄目かな?」

「駄目です」

「駄目ですね」

 二人のジョフに間髪入れず返されて、レオンはしょんぼりと肩を落とした。

「最近は聖獣様のおかげで頗る体調が良いのだけれど、仕方がありませんね。アンナ、部屋に戻りましょう」

 レオンはたまに私を聖獣様と呼ぶ。というより、この家の人達はそう呼ぶ。

 この世界では柴犬は見たことのない犬種だそうだ。真っ黒の犬なので、一つ間違えば悪魔呼ばわりされてもおかしくなかったと気づいた時は、現れたのがこの優しい人達の前で良かったと心底思った。

 あの球体のおかげとは思いたくない。

 頭を撫でていた手がぷくりとしたお腹に回される。抱き上げられると気づいた私は、拙い動きでそれを避け、転がるようにレオンの膝から逃げ出した。

 そしてベンチから落ちた。後ろ足が引っ掛かったおかげでは怪我はせず、ぽてりと地面に落下する。

「アンナ! 大丈夫ですか!?」

 血相を変えたレオンの手を、全速力で避ける。擬音はたぶん、てててて、だ。

「アンナに、嫌われっ……」

「坊ちゃまーー!?」

 がくりとうなだれたレオンに、タブルジョフが血相を変える。

 違うんです、レオン。私は単にこのリボンのお礼を直接伝えに行きたいからであって、決して、そう決して頭を撫でている反対の手が、くるりと左に一回転半した尻尾を伸ばしては離して伸ばしては離してを繰り返されることから逃げた訳じゃありません。ええ、断じて。

 この思いよ届け!

「うにゃぁあああん!」

 駄目だった。


 私はなんとかこの気持ちを伝えるべくジェスチャーを試みる。視界の端でひらひらしてるリボンの端をちょっと歯に引っ掛けてアピール。リボンが目立つようにくるりと一回転。

 あ、これ意外と楽しい。

 リボンが解けないよう工夫しながら、自分ルールでタイルの上から出ないようコンパクトに回る。最終的には目が回ってへたりと尻餅をついたが、やり切った感に溢れた顔でどや顔を披露することができた。

「アンナ、可愛いです」

 うっとりと褒められた。

 元気でましたか?



 本来の目的を思い出すまで、三回もリボンの舞を披露してしまった。足元はちょっとふわふわしている。

 そういえば、目的の人物のいるは場所が分からない。私は後ろ足を崩しておすわりして、耳を澄ませてみる。本来犬は、人間には到底感知できない匂いや音に反応できる。けれど元が人間だからか、私は主に目で判断してしまう。そういえば犬は白黒の世界を見ていると聞いたことがあったけれど、普通に色の判断もできていた。

 話が逸れた。私の耳は人外的な能力を発揮してはくれないけれど、普通に音を捕らえる分には何ら問題はない。

 耳をぴんと立てて集中する。くりくり動かしていると、門の辺りで人の声がする。

 頑張った耳の疲れを取るために、後ろ足でかかかっと掻いて、ついでにちょっと嗅いで、ころころ走りはじめた。

 ここの人達は犬は繋がない主義のようだ。そういう文化なのかもしれない。私は基本的に首輪もしたことがない。レオンがリボンを結んでくるのは「アンナは女の子ですから」と「僕が楽しいからです」だそうだ。


 わりと自由に行き来できるので、渡り廊下から外れて庭をつっきる。近道だ。

 目の前にでんと立ち塞がる植木などなんのその。こんなもの犬からすればヘの河童。

 要は潜ればいいのだ、潜れば。

 お尻が大きくてつっかえたが、なんとか反対側に顔を出すことが出来た。

 そこにはたっぷりとした金髪を巻いた若い女の子と、メイドさん四人、馬車の横には外国のガイドブックに載ってそうな衛兵さん六人。それらと対峙しているのは、たっぷりとした真珠色の髪を見せつけるように首元から掬い上げたアリア、そしてたっぷりとしたお腹のお肉を揺らした中年女性のマーサがいた。

 アリアはレオンのお姉さんで、マーサはこの家唯一のメイドさんだ。

「アリア、貴女の所業は許されないわ! いずれ神の罰を受けるでしょう!」

「あらぁ? わたくしの一体何が許されなくって?」

 アリアは、きりっと言い放った金髪さんをはんっと鼻で笑う。

「貴女、わたくしが知らないとでもお思い? 全部知っていますのよ? 伯父様が貴女方姉弟にと遺してくださったものを、貴女がすべて奪ったということを!」

 高そうな扇子をぱしんと閉じ、金髪さんはこの世の終わりみたいな声を上げた。

「ああ! なんと浅ましい! 血を分けた実の弟に遺された遺産を奪い取る所業は、恐ろしく、悍ましいわ! まるで鬼のようだわ!」

「あらぁ? おかしいですわぁ。両親の遺言は『全額アリアに譲るものとする。アリアはコルアール家の為に尽くし、活かすべし』とのことでしたのよ? 嫌ですわぁ、フレイさん……貴女がご利用なさった情報網、腐っていらっしゃるんじゃなくって!?」

「ご心配なさらずとも結構でしてよぉ? 貴女程ではございませんから!」

 おーほっほっほっほっ!!

 双方甲高い声を上げて輪唱していたが、ほんの僅かな差で高笑いを止めたのはアリアだった。

 ふふんと鼻を鳴らしたフレイは、すぐにはっとなって振り向く。そこにはちょうど屋敷から出てきた御婦人の集団が、何事とかと好奇心たっぷりの顔で何かを囁き合っていた。

 すいっとドレスの裾を持ち上げて御婦人方に挨拶を済ませたアリアは、顔を真っ赤にしたフレイに小声で囁く。

「まあ、フレイさん。お里が知れましてよ……?」

 瞬間、つけている紅より赤くなったフレイは、「帰ります!」と宣言してさっと馬車に乗り込んだ。メイド達が慌てて用意をしている間に、アリアはマーサに指示をだす。

「マーサ! 塩を!」

「はい、お嬢様! ふんぬぁ!」

 そこは日本と同じ対応なんだなーとか思ってる間に、マーサは塩の入った壺ごと放り投げた。間一髪馬車には当たらなかったが、音に驚いた馬がいなないた為、中は相当揺れただろう。何より凄いのは、壺は割れなかったのだ。マーサは当たり前のように大きな壺を回収した。

「これこそまさに、一昨日きやがれ、ですわ!」

 踵を地面にえぐり込むように身を翻したアリアは、すぐに私に気づき、ぱっと笑顔になった。

「まあ、アンナ! いらしたの?」

 ひょいと抱き上げられ、胸元に乗せられる。いい匂いがします。後、大変柔らかいです。

 リボンありがとうとぐいぐい身体を押し付けていると、自分の毛が鼻に入ってくしゃみが出た。

「あらまぁ、可愛らしいこと。お礼を言ってくださるの? ふふ、嬉しい」

 優しく頬を弧ねられて、も一つくしゃみ。

「でも、いけませんわ、アンナ」

 突然窘められて首を傾げる。その様子に目を細めたアリアは苦笑した。

「興奮したフレイが扇子を投げてくるかもしれませんもの。それに、アンナはこんなに可愛いのですから、浚われてしまうかもしれません」

 そんな馬鹿なと思うけれど、アリアは真剣に心配しているらしい。仕方なくこくりと頷くと「可愛い!」と身悶えた。

「フレイは従姉妹ですの。これまでずっとレオンのことを死人の先頭と馬鹿にしてきたというのに、両親が亡くなった途端これですもの。全く、困ってしまいますわ」

 ふぅ……と悩ましげに吐かれた溜め息をこっそり真似る。ぷぅ。なんか鼻水出てきた。

 惜しみなくレースのハンケチーフで拭いてくれアリアが、病弱な弟に代わってこの家を守っていると私は知っている。

 屋敷の維持、レオンの薬代、それなりのお付き合いまで上手に回している。彼女の両親は、生前からきちんと話し合っていたという。自分達にもしもが合った場合、遺産を狙った醜悪な輩をそこでストップしてほしいと。そしてアリアは約束した。命を繋ぐことを精一杯とする弟のため、悪名を背負ってでもこの家と家族を守り抜くと。



 そんな彼女が憧れる生き物は、両親が健在の頃に移動動物園で見たゴリラだそうだ。あれくらい強そうなら、全てを守れると思ったという。

 そのおかげて、危うく私の名前は『ゴリランス』になりかけた。レオンが『女の子です』と言ってくれたおかげで難を逃れたが、愛する弟から『ゴリラから離れてください』と言われたにも拘わらずこっそりこう呼んでいることを、私だけが知っている。

「さあ、あなたを独り占めしているとレオンが拗ねてしまいますね。参りましょうか」

 ね? と少女のように微笑むアリアは可愛い。美人だ。

その口から零れ落ちる可憐な声音で、彼女は私を呼ぶ。



「ゴリアンナ」



 改名願います。




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