兎と侍女と黒薔薇
またしてもギリギリ投稿です……
もうちょっと余裕を持って書きたい……
手は左手を上にして臍の前で組み、腰は45°で真っ直ぐに折る。
侍女の基本的な礼である。
扉が開いた瞬間、待機していた侍女全てが揃ってその姿勢をとる様は、まるで軍隊の行進を見ているようである。
勿論、ローズマリーもその中に入っていた。
基本的に、王族の顔を拝顔するのは不敬に当たるので、侍女たちは礼をしたままである。名無しであれば、そのまま王族が通りすぎるのを待てばいい。しかし、名付きである彼女たちは主人を部屋まで先導しなければならない。ではどうやって主人を見分けているのか。
足、である。
その日着ているドレスで見分けている人もいるらしいが、全員のドレスを毎日覚えるなんて面倒なこと、ローズマリーはしている暇などなかった。
(――踵を鳴らして歩いてる、ってことは陛下か……親指の骨が浮きだっているのはフリージア様……外股で“いかにも”なのがエリオット様……脂肪が靴にちょっと乗っているのがレイニア様で……色が白くて血管が青く浮いてしまっているのがユーリ様……甲にほくろがあるのがアイリーン様……)
いつものようにマリアンヌを待っていたローズマリーの目の前に、突然立ち止まる黒いブーツ。
完全に男のもの。
100%、マリアンヌではない。
と、いうか、誰かはすぐわかった。しかし、ローズマリーの頭が理解するのを拒む。
(うぅ……この足は、もしかしなくても……)
「顔を上げてくれないか?」
降りてくる、優しい声。
普通の侍女であれば心を躍らせるだろう。しかし、男の子であるローズマリーは、むしろ泣きたい衝動に駈られた。
(あぁ、これで気づいていないフリをしてやり過ごす選択はなくなった……)
声をかけられたのだ。しかも、目の前で。
気づかないはずはない。
気づいていないフリなどできるはずがない。
それでも、このままマリアンヌが出てくるのを待っていようか、という考えがローズマリーの頭をよぎった。
(いや、ダメだ。マリアンヌ様に甘えてばかりいては)
待っていれば、マリアンヌはきっと助けてくれる。
(でも、それじゃいつまで経ってもマリアンヌ様の信頼は得られない)
ローズマリーは顔を上げる覚悟を決めた。
ところが、その決意が体を固くし、優雅とは言い難い勢いで顔を上げてしまう。
栗色の髪が宙を舞い、思いの外至近距離にいた人物の顔を掠める。
ブロンドの髪の下で、サファイアの瞳が笑った。
ゾクリと、背中を悪寒が走る。
ローズマリーの頭の中で警鐘が鳴る。
しかし、ローズマリーが引くより速く、目の前の人物が動いた。
目にも留まらぬ速さでローズマリーの腕を掴むと、思いっきり引っ張る。
まだ少年のローズマリーの力では到底敵わない。体はあっさりとその腕の中に収容されてしまう。
「おはよう、ローズマリー」
耳元で囁かれた、甘い朝の挨拶に鳥肌が立つ。
「朝から誘惑するなんて、いけない子だ。ふふ……こんな刺激的な挨拶、初めてだよ。いったい誰に教わったんだい?」
(男を誘惑するかああぁぁぁ!!)
というローズマリーの絶叫は、彼の心でのみで木霊した。
その代わり、口から出たのは当たり障りのない挨拶。
「……おはようございます、ルーファス様。あの、離していただけませんか?」
顔を上げてそう問えば、ルーファスは困ったように首を横に振る。
「そんな可愛い顔をしてお願いされたら、余計離せなくなってしまう」
ローズマリーには、特に可愛い顔をしたつもりがなかった。
どちらかというと、迷惑そうな顔をしていたはずである。
この顔をルーファス側から見るとどうなるか。
自分の胸くらいしかない美少女が、困ったように眉を下げて、潤んだ瞳で見上げてくる――
(よし、襲おう)
というルーファスの気持ちも、分からなくはない。
しかし、そんなものローズマリーにとって迷惑以外の何ものでもないわけで。
「ご冗談が過ぎます、ルーファス様。もうマリアンヌ様もいらっしゃいますし」
ローズマリーは必死に逃れようともがくが、ルーファスはより一層腕に力を入れて離さない。
「大丈夫。ローズマリーは小さいから、私で隠れて見えないさ」
(いや、見える見えないの問題じゃないですって!!むしろ見えなきゃまずいですって!!)
「わ、私がいなかったら、マリアンヌ様がお怒りになります」
「そんなに怯えて……可愛いいな。でも大丈夫。私がマリアンヌに話をつけよう」
「……それは、お止めになったほうが(殺されます)」
「私を心配してくれるのか?ありがとう、ローズマリー。……確かに、マリアンヌは頭もキレるし、腕も立つ。いかに私といえど、苦戦を強いられるだろう……だが、ローズマリー、私はお前を離しはしない。何があっても」
「あら、そう。それでは仕方ないわね」
涼やかな声が、今まさにローズマリーの唇を奪おうとしていたルーファスを止める。
「マ、マリアンヌ……」
「マリアンヌ様っ!!」
一人は恐怖に顔を青く染め、一人は歓喜に顔を輝かせ、廊下に佇む黒薔薇と対峙する。
黒薔薇は冷笑を浮かべると、側にいた衛兵に手を差し伸べる。
「貴方、剣を貸してくださる?ローズマリー、もう少し辛抱してね。今、その穢らわしい腕を切り落としてあげるわ」
途端、ズザーッという音をあげて、ルーファスがローズマリーから離れる。
「お、お前、本当に剣を渡そうとしたな!!危ないだろ!!マリアンヌは平気で私の腕くらい切り落とすぞ!!」
「随分簡単に手を離すのね」
「これは想定外だ」
「残念だわ。貴方の腕を切り落とせば、これから餌食になる何十という女性たちを救えたというのに」
心底残念そうに、マリアンヌが言う。
「何を言うんだ、マリアンヌ。いっておくが、俺は無理強いをしたことは一度もないぞ」
「誰がどう見たって、ローズマリーは嫌悪感を抱いていたけれど」
「ふ、マリアンヌはまだまだ子どもだな。女性の『いやいや』は『もっとして』て意味なんだよ」
ね、とマリアンヌの後ろに控えているローズマリーにウインクをする。
「……御目出度い頭だこと」
「……いや、そんな残念なものを見るような目をするなよ、実の兄だぞ!!」
「安心なさい、ルーファス。貴方のことを残念だなんて思っていなくてよ。滅べばいいと思っているだけで」
「いやいや、もっと質悪いだろ!!ていうか、少しは敬えよ!!俺、これでも次期国王候補だからな!!」
その言葉に、マリアンヌが目を細める。
「意外ね」
短い一言。けれど、とても重い、一言。
「いつから、王位継承に興味を持ち始めたの、ルーファス?昔は『そんなもの、俺には関係ない』と言って憚らなかった貴方なのに」
2年ほど前まで、ルーファスはそんなものに興味を持っていなかった。
頑張れ、とレオナルドを応援すらしていたのだ。
その彼が、最近では有力貴族との会合を頻繁に行うようになり、陛下のご機嫌とりにも積極的に参加している。
何がルーファスを変えてしまったのか、マリアンヌはずっと気になっていた。
そんなマリアンヌの問いに対する応えは、意外なものだった。
「お前の、せいだろ」
「…………わたくしの、せい…………?」
自嘲ぎみに、ルーファスは微笑む。
「自覚なしかよ……でもそう思ってるのは、俺だけじゃないさ。…………お前が、本当にレオナルドだったら――いや、お前が本当に男だったらってさ」
読んでいただき、ありがとうございました。
まぁ、今回でレオナルドって誰じゃい!っていう疑問にはお応えできたかと!
次回、もうちょっとレオナルドについて掘り下げます!