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黒薔薇と盗人



またしても約束を破ってしまいました… 

あとちょっとなのに、いつも間に合わない……


ではどうぞ!






 東の塔の10階。大きな窓の窓枠に膝を抱えるようにして座ったマリアンヌは、ぼんやりと外を眺めていた。一見、闇夜にしんしんと降る雪を眺めているようであったが、窓に映った彼女の顔を見れば、何も見ていないのだということが分かる。

 マリアンヌは、目で見ることの出来ない、もっと遠くを見ていた。


 (今、貴方はどこにいるの?誰といて、何をしているの?)


 その背中からは哀愁が漂い、まるで戦地にいる恋人に想いを馳せる儚げな少女のようだった。

 実際は、想い人はお使いに出ているだけなのだが。



 「……逢いたい」


 ポツリと、口から本音が零れた。


 ローズマリーの休暇は3日。

 たった3日だ。しかも1日目はマリアンヌを起こしてから城を出ていて、3日目の昼過ぎには戻ると言っていたから、まったく顔を見ないのは2日目の今日だけ、ということになる。


 それでも、マリアンヌはローズマリーが恋しくて恋しくて、狂ってしまいそうだった。


 ローズマリーを想うだけで心臓がぎゅっと縮み、そわそわと落ち着かない。注意していなければ、爪を噛んでしまいそうだった。


 (まるで薬物の禁断症状のようね)


 “依存”という意味では、大して変わらないだろう、とマリアンヌは思う。


 いや、正確には“執着”だろうか。


 マリアンヌはローズマリーが手に入るのであれば、他のことなどどうでも良かった。誰がどうなろうと構わなかった。国かローズマリー、どちらかを選べと言われたら、一瞬も躊躇うことなくローズマリーを選ぶ自信があった。


 それほどに、彼を欲していた。


 渇望、していた。



 それなのに、マリアンヌは彼を比較的自由にさせていた。なるべく彼の意見を尊重してきた。いや、だからこそ、と言うべきかもしれない。



 マリアンヌは怖かったのだ。



 ローズマリーに拒絶されることが。


 ローズマリーに失望されることが。


 ローズマリーに憎悪されることが。


 何よりも恐ろしかった。



 そうならないための、ギリギリの譲歩。ギリギリの我慢。


 けれど、日を追うにつれ、マリアンヌのローズマリーに対する執着は強くなっていく。やがて彼を鎖で繋いで閉じ込めてしまうのではないだろうか、という危惧が、マリアンヌの中にも芽生えていた。


 そんなことしたくない、と思う自分と、自分だけのものにしてしまえ!と叫ぶ自分。


 どちらが本心なのか、マリアンヌにも判断がつかなかった。





 トントン


 

 気づかれたくないのではないか、と思ってしまうほど弱々しいノック音。

 それがささくれ立ったマリアンヌの心を逆撫でするとなぜ気づけないのか、マリアンヌには理解できなかった。


 (まぁ、無神経だから仕方ないのかしら)



 「入りなさい」


 素っ気ない声を受け、ゆっくりと扉が開く。


 現れたのは、オレンジ色の髪の侍女。

 快活さが滲み出るような彼女の目からは生気が失せ、目の下には見事なクマができていた。頬はすっかりこけてしまい、顔色も悪く、まるで生ける屍のようだった。


 一体、この2日間に何があったのか……あまり考えたくなかった。


 「……お茶を、お持ちしました……」


 消え入るような声で告げたアンナを見て、マリアンヌはわざと驚いたように手を口に当てた。


 「あら、お茶だけ?あんまり遅いから、わたくし、お菓子でも用意しているのかと思ったのだけれど……たかがお茶を淹れるだけで、一体何分時間を使うのかしら?」


 優しげな声とは裏腹の、棘だらけの言葉を受けアンナは小さく体を震わせた。


 「……た、ただいまご用意」


 「結構よ。わたくしを干からびさせるつもり?」


 軽やかに窓枠から降り、マリアンヌはテーブルへ移動する。


 アンナは息を殺してマリアンヌの元へ行き、震える手で紅茶をティーカップに注ぐ。カタカタと食器がぶつかる音が部屋に響き、その度マリアンヌの眉根が寄る。

 マリアンヌの視線に耐えつつやっとの思いで淹れたお茶を、アンナはマリアンヌの前に置く。しかしマリアンヌは動こうとしない。当惑したアンナが口を開こうとした、その時


 「何を呆けているの?毒味なさい」


 マリアンヌの鞭のような声が空気を震わせた。


 アンナは茫然とマリアンヌを見つめる。それはただの名無しであるアンナには許されぬ行為であったが、今のアンナに、そのことに思い至るだけの余裕はなかった。


 「どうしたの?頭が悪いだけでなく、耳まで悪いのかしら?」


 不機嫌さを隠しもせずそマリアンヌに言われ、アンナはハッとする。


 「こ、この紅茶の葉は、ローズマリーが用意したものです。水は、私が井戸から汲んできたばかりのもので、その、毒味は必要ないかと……」


 「あら?貴女の存在を、忘れては困るわ、盗人さん?」


 残酷な微笑みを浮かべたマリアンヌを、アンナは腹部に力を入れて見つめ返す。


 「……それは、どういう意味ですか?」


 「頭が悪い人の相手は疲れるわ。何から何まで説明されなければ理解できないの?あぁ、でも盗みを働くくらいお馬鹿さんですものね、分からなくても仕方ないかしら」


 そこで一旦言葉を切り、マリアンヌは侮蔑を込めた視線でアンナをなぶる。

 アンナの小さな拳はきつく握られ、小刻みに震えていた。恐怖ではなく、怒りによって。


 「貴女が毒を盛った可能性があるでしょう?だから毒味を、と言っているのよ」


 「私は毒など盛っていません」


 「その言葉をわたくしが信じるとでも?」


 斬って捨てるような言葉に、アンナは負けそうになる。


 アンナだって、マリアンヌが自分のことを信用していないことぐらいわかっていた。

 自分がしたことを思えば、それは仕方ないことだと、自覚もしていた。


 (でも、これはあんまりよっ!!)



 アンナは貧しい平民の出だった。口減らし同然に家を出され、王都にやってきた。運よく王城で働けることになったが、そこで待っていたのはお伽噺に出てくる白馬の王子様ではなく、厳しい現実だった。

 身分の低いアンナに与えられる仕事は、ゴミの処理や水場の掃除、兵達の汗と泥にまみれた衣服の洗濯など、汚なく辛い仕事ばかりだった。歳も若かったことから、先輩たちとも上手く付き合えず、孤立していた。毎日泣いて、毎日心の中で誰がを罵っていた。

 そんな時だった。一人の少女がやってきたのは。


 人形みたい、というのが、アンナが彼女に対し抱いた第一印象だった。

 琥珀色の瞳は驚くほど澄んでいて、栗色の髪は陽を浴びてキラキラ輝いていた。

 友達になれたらいいな、と素直にその時アンナは思った。けれど、それはすぐに嫉妬に換わった。


 自分と同じ平民の出でありながら、いきなり名付きとなった彼女。しかも誰もが憧れる、黒薔薇の。


 名無しは皆、彼女に嫉妬した。中でもアンナのそれは群を抜いていただろう。今までは不特定多数へ向けられていた負の感情が、一気に彼女に向けられ、最早憎しみと呼べる感情にまで成長していた。


 (私はこんなに辛いのに、こんなに大変なのに、なんであんたは悠々と黒薔薇様の傍にいるのよッ!!)


 だから、彼女が黒薔薇からもらったという銀の懐中時計を前にした時、アンナはそれを自分の懐に入れた。

 罪悪感はなかった。苦労している自分への当然のご褒美だと、苦労することを知らない彼女への当然の報いだと、そう思っていた。


 けれど、それはあくまでアンナ一人の思いだった。


 翌日には、アンナは黒薔薇の前に引き摺り出された。

 初めて近くで見た黒薔薇は、自分と同じ人間だとは思えないほど美しく、神々しかった。けれど、艶やかな唇が紡ぎ出した言葉は


 「知っているかしら?この国の法律では、盗みを働いた者は腕を切り落とされることになっているの」


 腕をなくしたら、この先侍女として働いていけない。いや、城の外でだって、働くことはできないだろう。でも、故郷に帰ることはできない。

 死刑判決に等しい処罰に、アンナは絶望した。


 けれど、アンナの腕は切り落とされなかった。その前に、被害者である彼女が黒薔薇に頼んだのだ。私に処罰させてほしい、と。そして、彼女がアンナに与えた罰は


 「私と友達になって下さい」


 黒薔薇は心底呆れて、アンナは思わず笑ってしまった。

 そして、アンナは出された手を握ったのだった。




 「――私の犯した罪は、既に許されたはずです」


 だってアンナは確かにローズマリーと友達になったのだから。けれどマリアンヌの応えは冷ややかだった。


 「許されたから、貴女の犯した罪が無かったことになるとでも?」


 アンナはきつく口を結んだ。

 そうでないことは、アンナにだって分かっていた。


 「罪とは、一生背負っていかねばならないもの。例え被害者に許されたとしても、周は事実を忘れないわ。これから先、何かが無くなるような事件でも起きれば、真っ先に疑われるのは貴女でしょうね。ローズマリーは貴女を信頼しているようだけれど、わたくしはまったく信用していないの」


 「……だから、毒を盛ると、本当にそう思われるのですか……?」


 「用心するに越したことはないでしょう?」


 屈辱だった。

 アンナだって、この城で働く侍女だ。王族に、城に、忠誠を誓い、ここで働くことに誇りを持っていた。マリアンヌの言葉は、そんなアンナの誇りを傷つけるものだった。


 (……いいわよ、飲んでやるわよ、こんちくしょー!!)


 アンナは、やけくそ気味にティーカップを掴むと、一気に中身を煽る。本来毒味は一口でいいのだが、そんなこと今のアンナには判断できない。むしろ


 (飲みたくないなら飲むなっ!!)


 という心境であった。


 ガチャン、と音を立てて、ティーカップを置き、手の甲で口許を拭う。それは侍女としてあるまじき態度であったが、もう、アンナの理性はぶっ飛んでしまっていた。


 (売られた喧嘩は買わぬが恥よっ!!)


 キッとマリアンヌを睨んだアンナ。しかしマリアンヌは怯むことなく、嘲笑を浮かべる。


 「貴女、沸点が低すぎるのではなくて?その様子だと、どうせつまらない理由でカッとなって、ローズマリーに手を上げたのでしょう?」


 「いいえ、あれはローズマリーがいけないんです。誰彼構わず笑顔を振り撒いて人を落とす、あの子がいけないんです!あの、人ったらしがいけないんです!だって、天使みたいな顔で『可愛い』なんて言われたら、誰だって」

 「今、何と言ったの?」


 頭に血がのぼっているせいで、アンナはローズマリーを叩いた事実をあっさりと認めてしまった。

 勿論、全てマリアンヌの計画通りである。わざと相手を怒らせ、冷静さを失わせる――基本的な技法であったが、アンナのようなタイプには効果覿面だった。

 しかし思わぬ単語を耳にし、マリアンヌはアンナを鋭く睨む。


 アンナはまだマリアンヌの様子が変わったことに気付いていない。


 「だから、私に向かって『可愛い』とっ!?」


 凄まじいスピードで何かが顔の横を横切り、アンナは身を竦める。


 ガシャンッ!!


 後で起こった音に振り返れは、そこにはつい先程まではティーカップだった物の残骸が散らばっている。


 そこでようやくマリアンヌにティーカップを投げつけられたのだ、ということに気付いたアンナは、慌ててテーブルに視線を戻した。しかしそこにマリアンヌの姿はない。


 (一体どこに……?)


 視線を動かせば、部屋の奥、ベッドの脇に佇むマリアンヌを見つけることができた。


 (とりあえず、謝ろう!)


 マリアンヌは言葉こそ辛辣であるが、理不尽な言い掛かりをつけてくることも、暴力に訴えることもしない人であった。だから、彼女からカップを投げつけられた時、アンナは水を浴びせかけられたように正気に戻ったのだった。自分の態度が如何に無礼極まりないものであったかようやく理解し、それがマリアンヌの逆鱗に触れたのだと、そう解釈した。

 しかし、アンナはマリアンヌに言葉を掛けることが出来なかった。声を発する前に、アンナの視線は一点に釘付けになってしまったから。


 マリアンヌが枕の下から引き摺り出した物。


 黒くて細長い、それは――


 (っ!!?)


 アンナの判断は素早かった。

 脱兎のごとく扉まで走り、力任せに開くとそのまま転がるように廊下に飛び出した。すり抜けた扉に、ダンッと何が突き刺さるような音がしたが、確認する時間も勇気もない。涙を浮かべながら階段を駆け降りる。


 (殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺されるっ!!!!)


 今のアンナの頭を占めるのは、恐怖だけだった。

 生存本能だけが、彼女の体を突き動かしていた。


 呼吸の仕方も忘れ、足がもつれて何度も転びそうになる。後ろからマリアンヌが追ってきているのか、今どれほど離れているのか、確認したくても怖くて出来ない。

 (振り返った先に漆黒の瞳があったらどうすればいい?私が振り返るのを待っているかもしれない!いたぶるためにそうしているのかもしれない!)


 半狂乱の頭では何も考えられない。一つ分かっているのは、立ち止まっては駄目だということ。


 走る


 走る


 走る


 ここが何階なのか、自分が誰なのか、生きているのか、死んでいるのか、曖昧になってきた、その時。


 突然、下から人が現れた。

 服装から察するに、衛兵だろう。

 なぜ衛兵が塔の中にいるのか、という疑問は、アンナには思いつかなかった。ただ


 (助かった!!)


 という安堵だけが彼女の頭を占めた。


 一方の衛兵は、死神に追われているかのような蒼白な顔で転がり落ちてくる侍女を見て、思考が停止していた。いや、思考だけでなく、体や表情まで固まってしまっていた。


 (な、なんだなんだ?!)


 人がいるいも関わらず、その侍女は止まる気配をみせない。いや、むしろこちらに向かってきているようだ。しかも、なんだか恍惚とした表情を浮かべて……


 普通の人であれば引き返していただろう。しかしこの衛兵、デューイ・マグワイヤーはそうはせず、彼女を受け止める姿勢をとった。彼女に引くよりも、尋常でない何かが起きたのだ、という判断をした彼の騎士道精神には、拍手を贈るべきだろう。


 アンナはデューイの腕の中に飛び込んだ。その体をしっかり受け止めたデューイは、彼女の無事を確認する前に聞いていた。


 「何があったんだ?!」


 「マ、マリアンヌ様が、マリアンヌ様がっ!!」


 それ以上は恐怖で言葉にすることが出来ないアンナであったが、デューイはそれを“マリアンヌの危機”と勘違いした。


 デューイはアンナをその場に放り出し、階段を駆け上がっていく。


 一人になる恐怖から、アンナは咄嗟に彼に手を伸ばすが、空を掴むだけで終わった。


 「待って!!置いていかないでっ!!」


 腰が抜けしまい、彼に追い縋ることも出来ないアンナは大声で懇願したが、それも壁に反響しただけ。


 「ううぅぅっ」


 アンナはくしゃりと顔を歪め、必死に沸き上がる感情に耐えた。色んな感情がごちゃ混ぜになっていて、何なのか、言葉で表すことは出来なかった。けれど、耐えなければ涙腺が崩壊するということは予想できたので、歯を食いしばっていた。


 と、そこに足音が聞こえてきた。どうやら下からのようだ。アンナは体を硬直させたが、現れた人物を見て、緊張が解けていく。そして、あっさりと涙腺が崩壊したのだった。












終わりかた微妙~

もうちょっとどうにかしたかったけど、どうにもならなかったんです。

文才が欲しい……


皆さんの中にはアンナ嫌い、という方がいるかもしれません。

でも著者はアンナが結構好きです。

一番人間臭くて、リアルだなって思います。

彼女思春期真っ最中だし、普通こんな感じじゃないですか?(私の偏見?)


「デューイって誰?」と思われた方、醤油のことです。



次回は暴走する黒薔薇さんがメインです!




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