値切り屋
あああぁぁぁ!!
ついに皆さんとの約束を破ってしまいましたあああぁぁぁ!!
ごめんなさい!
見渡すかぎりの、人、人、人――
久々に道に溢れる人々の中を歩き、セオは足の怠さと息苦しさを感じていた。
(ここが屋内でなくてよかった)
もしここが密閉度の高い屋内であったなら、酸欠で倒れてしまう人がでていただろう。それほどの人の多さだった。
ここは、王都モーリタニアにある、ヴィッセル港。
アルシュタイン王国三大港の一つ。
貿易の中心。
人と、物と、言葉と、文化の交わる場所。
セオは、ドレスを受け取りに城から出てたついでに、ヴィッセル港に広がる市場で必要な物を買おうと思い、ここに来ていた。
現在の時刻は午前8時。
まだ朝の業者しかいない時刻にも関わらず、この人の多さ。
(とっとと買い物済ませてここを脱出しないと、圧死しそうだな)
セオは目当ての場所へと歩を速めた。
石を積み上げて作られた、セオの身長の4倍はあろうかという巨大な門。門から伸びる壁は、どこで途切れるのか正面からでは判断できないほど長い。
関所さながらの堅牢な造りの建物だが、その門に掲げられた看板にある『クウェスト商会』の文字によって、ここがアルシュタイン王国一の貿易商であることが分かった。
セオが門に近づくと、門番と目が合った。陽に焼けた肌に、鋭い眼光。黒い髪は刈り上げられ、鍛えぬかれた体が威圧感を醸し出している。しかし、何よりも目をひくのは、右目から左頬にかけて走る3本の傷痕。
彼はセオを一瞥すると、ニヤリと凄みのある笑みを浮かべる。
「来たな、値切り屋」
「そんな職業ありません」
きっぱりと言い切るセオを見て、男は豪快に笑う。
「ウチを相手に、値切りなんかするのはおめえぐらいだよ」
「そっちがぼったくり過ぎなんですよ。俺は適正価格にしただけです」
「取れるとこから取るのは当たり前だろ?……にしても、珍しいな、こんな朝から。いつもは大体夜だろ」
マリアンヌの使う香水や化粧品、肌着などは全てクウェストから仕入れており、その仕入れはセオ自身が行っていた。マリアンヌの肌に触れる物は、他の者に任せたくなかったからだ。しかしそうなると、必然的にローズマリーとしての勤務が終わった後、つまり夜又は夜中に来ることになる。
「奇跡的にお休みをいただけたんです。ガゼルさんこそ、今日は朝番なんですか?」
ガゼルというこの男は、セオが夜中にやってくると必ず門番をしていた。
「いや、夜勤やって、もうすぐ交代だ。俺は夜勤専門だからな」
「な、長いですね。お疲れ様です」
ガゼルは素っ気なく「慣れればたいしたことない」と返すと、思い付いたようにセオに聞く。
「お前、飯食ったか?」
「いえ、まだです。市場で何か食べようかと」
「じゃ、後で一緒に食うか?旨い店があるんだ」
「本当ですか!是非ご一緒させて下さい!」
市場の店がほとんど閉まった後にしか来ないセオは、実はあまり市場の店について詳しくなかったので、ガゼルのこのお誘いは素直に嬉しかった。
門の前で待ち合わせる約束をして、セオは門の中へと入っていった。
クウェスト商会の内部には、幾つもの小屋が建てられている。それぞれ扱っている商品ごとの小屋だ。例えば、入って右の小屋には『布』という看板が掲げられている。これは、この小屋では『布』全般を取り扱っている、ということだ。客は、自分の必要とする物の小屋に入り、その担当者と直接交渉をするのだ。
クウェスト商会は麻薬など違法な物以外なら、市場に出回る商品を全て扱っている、といわれる大商会である。そのため、建っている小屋の数は千を超え、まるで壁の中に一つの町があるようだった。
ちなみに、門から遠いほど敷居が高くなるよう建物は配置されていて、奥のほうまで進める客も絞られているそうだ。
セオはどこまで行こうと一度も咎められたことはないし、門ですら顔パスだったが。
セオがまず入ったのは『花』の看板を掲げた小屋。
ドアを開ければ、たちまち花の芳醇な薫りに包まれ、少し頭がクラクラした。
「いらっしゃい」
部屋を埋めつくす花の間から、日向を思わせる声が聴こえ、少し遅れて、その声の主がひょっこり顔を出した。
例えるならば、向日葵。
見ている者まで元気にするような明るさと、真っ直ぐな姿勢は多くの人に好感を抱かせる、そんな女性がそこにいた。
「おはようございます、エレナさん」
セオが挨拶すれば、エレナは大輪の向日葵のような笑顔を向ける。目尻に寄るシワすら、彼女には魅力的だった。
エレナは花を傷つけないようにかき分け、セオの元にやって来ると、問答無用で彼を抱き締めた。
「暫く見ないうちに、大きくなって」
エレナは体を離すと、左手でセオの頬を撫でた。右手は使わない。エレナには、右腕の肘から下がなかったから。
最初は抱き締められた時の感触に慣れず、少し気まずかったセオだが、今ではその感触にも慣れて、今度は母親にしてもらうような気恥ずかしさを感じていた。
「3ヵ月じゃ、そんなに変わりませんよ」
「育ち盛りなんだ。3ヵ月でも変わるさ」
セオは苦笑した。
どうもエレナはセオを客というよりは、息子か弟とみている節があった。
「白い薔薇が欲しいんです」
あまり雑談しているとガゼルを待たせてしまうことになるので、セオは単刀直入にきりだした。
エレナも商人。商談がはじまると、先程とは違う洗練された笑みをセオに向けた。
「一重に白薔薇と言っても、たくさん種類がございます。用途を仰ってくだされば、僭越ながら私がお選びいたします」
「髪飾りにしたいんです」
「生花を髪飾りに、ですか?」
「はい。あまり大き過ぎず、枯れにくい薔薇はありますか?」
エレナは暫し考えるような仕草をする。
「……畏まりました。枯れにくいよう、こちらで処理してからお届けいたします」
「ありがとうございます。使うのは一週間後。届け先は、いつも通りでお願いします」
「……彼女にでもあげるのかい?」
商談が終われば、すぐにこれである。
「違います。主人のためです。ていうか、私用でクウェストには来れませんよ」
「はは、そんなつれないこと言わないでおくれよ。そうさね、お前さんが結婚する時の、花嫁さんのブーケはプレゼントしてあげるよ」
「高いのでお願いします」
セオがそう言えば、エレナは「それでこそ値切り屋だ」と言って笑った。
つられて、セオも笑った。
それからいくつかの小屋に立ち寄り、最後にセオが向かったのは、『化粧品』の看板を掲げた小屋。
こここそ、セオが『値切り屋』と呼ばれるようになるきっかけとなった場所だった。
一度深呼吸して、セオはドアを開けた。すぐに「いらっしゃいませ」という穏やかな声が掛かる。部屋には複数の人がいたが、その部屋の中心で愛想のいい笑顔を浮かべた恰幅のいい中年男性は、しかしセオの顔を見ると、ピタリと表情を止める。
セオはニッコリと天使のように笑うと、男性の薄くなった頭部をなるべく見ないようにしつつ、挨拶をする。
「おはようございます、ロベルトさん」
「……ようこそお越しくださいました、セオ様……」
(絶対、歓迎されてないよな)
とはセオも感じていたが、あえて気づかなかったフリをした。
「白粉と、口紅と、頬紅を見たいんですが」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
セオは奥の小部屋に通された。そこは応接間のように座り心地の良さそうなソファがテーブルを挟むように置かれていた。所謂VIPルームというやつだろう。
素直にそこに腰を下ろすと、ロベルトは一旦部屋を出る。
セオが購入するような高級品は、小屋には出さず地下の倉庫に置いてあるらしい。
戻ってきたロベルトの腕には複数の袋が抱えられていた。
「実は、本日とても珍しい品が入ってきまして」
「珍しい品、ですか」
「ええ、恐らく、セオ様も初めてご覧になるのではないかと。何せ、長年この商売をさせていただいている私も、初めてお目にかかった品でして」
ロベルトはもったいぶるように言うと、セオの前に一つの小さな袋を出した。
セオはそれを受け取ると、袋の口を開いた。
「これは……?」
セオの戸惑うような表情を見て、ロベルトは満足そうな顔をする。
(今日こそ勝てる!)
内心でガッツポーズをしたロベルトであった。
彼はセオからぼったく……いや、こちらの言い値で買わせたことがなかったのだ。
「そちらは、真珠を磨り潰して粉末状にしたもので、パールパウダーといいます。顔につける他にも、胸元や首筋につけることもできます」
小さな袋の中には、白くキラキラ輝く粉末が入っていた。
セオはロベルトに許可をもらってから、自分の手の甲に少量つけてみた。
粉末は、ザラザラとした感触もなく馴染むように肌に広がり、キラキラと星のような輝きを放っていた。
「……とても貴重な物ですから、やはりお値段のほうも張ります。しかしこれさえあれば、夜会の主役は決まったようなもの。皆の視線を釘付けにするに違い」
「本当ですか?」
自分が熱弁をふるっている時に被され、ロベルトは多少苛立ちを覚えたが、そこはぐっとおさえる。
「ええ、夜会で目立つこと請け合いです」
「いえ、そうではなく」
セオは少し身を乗り出すようにして、続ける。
「コレを、つまり、パールパウダーを初めて見た、というのは本当ですか?」
セオの琥珀色の瞳に見つめられ、ロベルトは居心地の悪さを感じてしまう。
(この少年は、コレを他所で見たことがあるのか?)
そんな考えが頭を過るが、すぐに否定する。
(そんなはずがない。商人ならともかく、この少年は、ただの小間使い……こんなレア物にお目にかかる機会など、あるはずがない)
パールパウダーは、つい1ヵ月ほど前に初めてアルシュタインに輸入された物だった。しかも2袋だけ。他の業者に持っていかれ、ロベルトは地団駄を踏むくらい悔しい思いをしたので良く覚えていた。
「ええ、本当でございます」
動揺を悟られぬよう、ロベルトはにこやかにそう言った。
セオはロベルトの様子を見逃さないよう、じっと見つめていたが、ふと目を伏せて「残念です」と呟いた。
セオの言わんとすることを図りかね、首を傾げたロベルトを置いて、セオは立ち上がると部屋のドアに手をかけた。
「セ、セオ様!?」
セオの突飛な行動にロベルトは驚き、慌てて彼を止めた。
「ロベルトさんとの取引を、止めさせていただきます」
「な、なぜ、そんな急に!?わ、私が何か?!」
「……ロベルトさん……僕は、パールパウダーを1ヵ月ほど前に見たことがあります」
この言葉に、ロベルトは目を丸くする。
「ただの小間使いがお目にかかれる物ではない」という彼の考えは、至極当然のものであっただろう。
しかし、彼は失念していたのだ。
このセオという少年が、城で働いているということを――
セオは1ヵ月前、このパウダーをフリージアが着けているところを見たことがあった。
実際にパウダー状の物を見たのは初めてだったし、『パールパウダー』という名前であることも今知ったのだが、フリージアの名付きであるミアにそういうパウダーがある、という情報はもらっていた。
女の戦いは、いかに美しく自分を飾り立てるか、である。そのため、『どこで仕入れているか』『どこの仕立て屋を使っているか』などの情報は機密事項であった。当然、ミアもどこで仕入れたかまでは教えてくれなかったが、クウェストのロベルトならば持っているのではないか、と予想して、セオはここに足を運んだのだった。
ただ、このロベルトという男は、毎回セオを貶めようと画策するので、最初から「こんな物はあるか」とは聞かなかった。聞けばこちらの足下をみてくるに違いなかったから。
そんなセオの思いも知らず、ロベルトは意気揚々とセオの望んでいた物を持ってきてくれたのだ。
袋を開いた時、セオもまた心の中でガッツポーズを決めていたのである。
勿論、すぐに飛びついたりはしない。
こちらは弱みを見せず、相手の弱みを握るのだ。もし無ければ、作ればいい。
「……ただの小間使いである僕ですら知っていた物を、貴方は初めて見たと仰りました……貴方の腕を、もう信じることはできません……」
セオは酷く辛そうな顔をして、ロベルトを見る。
勿論、演技である。
しかし、オスカー俳優顔負けのセオの演技に、ロベルトはすっかり騙されてしまった。
「お、お待ち下さい、セオ様!!その件は、何と言いますか、言葉の誤でして……」
「……では、どういう意味だったと?」
「……そ、それは、その……これほど良質な物は初めてという意味でして……」
「僕は、きちんとパールパウダーを見たのは初めてか、と聞きました」
「……ええ」
「それに対し、貴方はこう答えましたよね?『本当でございます』と」
「……はい」
「なぜ、そんな嘘を?」
ロベルトは答えなかった。ただダラダラと汗を流し、顔を赤くしていた。薄くなっている頭が、汗のためか輝いていた。
セオは唇の端を持ち上げる。
「……僕は、貴方との取引中止を望んでいるわけではありません。貴方さえ誠意を見せてくださるなら、考え直してもいいのですが」
ここまで来て、ようやくロベルトは嵌められたことに気づいたのであった。
口をへの字に曲げて、セオを睨んだロベルトは、心の中で絶叫した。
(また負けたぁぁぁぁ!!)
結局、セオはパールパウダーや白粉、口紅などを通常価格の4割引で購入することになった。
ロベルトは、もう泣きそうであった。
「とても良い買い物ができました。ありがとうございます」
(天使の皮を被った悪魔めっ!)
ロベルトは引きった笑みを向けつつ心の中でセオを罵った。
「品物は、いつもの所に送って下さい」
「畏まりました。大食堂のヘイゼン様宛てですね。……しかし、いつも思うのですが、セオ様の仕えるお方は、どなたなのです?」
このクウェスト商会の人たちは、セオが誰に仕えているのか知らなかった。ただ、城に住まう王族の誰かに仕えていると聞かされていた。
先程も説明したが、女にとって自身を飾り立てるものは機密事項であった。他の者に知られれば、真似をされるか、妨害されるか、という暗い結末が待っていた。
だから、セオはセオとして買い付けに来ていたし、買った物は誰の物か分からないよう、ヘイゼンの元に送っていた。
それに
「知らないほうが良いこともあります」
取引先である彼らにも、嫌がらせなどが来るかもしれないのだ。
ロベルトも、それは分かっているのだろう。
「失礼しました」
とだけ言って、すぐに手続きを開始した。
と、そこに
ドタンッ!!
と激しい音を立てて、人が小屋に転がりこんできた。
ロベルトは眉根を寄せ、乱入者を鋭く睨む。
「お客様の前だぞ」
ロベルトの低い声に「すみません」と畏縮しつつも、彼はロベルトの耳に口を寄せた。
何事か囁かれたロベルトは、途端に険しい顔になる。
ロベルトは「すぐに行く」と小さく応えると、セオに向き直る。
「申し訳ありません。急を要する事のようで」
「僕のことはいいです。早く行ってあげて下さい」
セオにそう言われ、ロベルトは「ありがとうございます」と頭を下げると、小屋を飛び出していった。
(何があったんだろう)
『化粧品』の小屋を出ると、ロベルトと同じように駆けて行く人がいて、セオは少し不安になった。
駆けて行く人について行こうかと、足を踏み出したセオを、後ろから掛けられた太い声が止める。
「おい、セオ。どこに行く?」
振り返った先にいたのは
「ガゼルさん……」
「なかなか来ないからよ。……やっぱここか……で、今日はどっちが勝ったんだ?」
どうやら待ち合わせ場所になかなか来ないセオに業を煮やして、迎えに来てくれたらしい。
「そんなことより、何かあったんですか?」
辺りを見回して不安そうにするセオに、ガゼルは「ああ」と呟くと、淡々と言った。
「船が一隻、沈んだらしい」
はい、中途半端ー
でもこれ以上長くできなかったんです……
腹黒セオ君、いかがだったでしょうか?
まぁ、清いだけではマリアンヌの侍女は務まりませんから(笑)
次回もセオ君中心の話になります!
ではでは、読んでいただき、ありがとうございました!