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熊とチワワと牙



お待たせしました!


長くなってしまいましたが、どうぞ!!






 ソフィーナ城の東端に建設された兵舎。そこでは多くの衛兵や近衛騎士が生活しており、その彼らの大きな胃袋を支えているのが、隣接された大食堂だ。


 食事時には人でごった返す大食堂に、しかし人影はまばらだ。

 それもそのはず。

 現在の時刻は夜11時。夜勤の兵士は出勤しているし、他の者達も明日に備えて就寝しているのが普通だ。

 当然、調理場にもほとんど人がいない。唯一(料理人か?)と思わせるほど大柄で、ガッシリとした体格の男性が忙しそうに働いていた。体格を裏切らない強面の顔には汗が滲んでいる。


 彼の名はヘイゼン・オーグ。

 この大食堂の料理長を務めていた。


 彼は忙しく動かしていた手を止めると迷惑そうな顔で、調理場の椅子に腰掛け小さくなっている生き物に声をかける。


 「……おい、セオ。辛気臭い空気を撒き散らすなら外でやれ。料理が不味くなる」


 セオ、と呼ばれた少年は、膝に預けていた頭をゆっくりと持ち上げると、潤んだ琥珀色の瞳でヘイゼンを見つめる。


 その、まるで迷子の子犬のような表情に、ヘイゼンは「うっ」と言葉に詰まる。彼はセオのこの顔に滅法弱かった。


 いや、ヘイゼンでなくとも、この女の子顔負けの可愛らしい顔を前にして、セオを無下にあしらえる輩などいないだろう。


 「大将……俺は、友達も守れない、情けない男なんです……」


 可愛らしい顔に似つかしくない男っぽい言葉で女々しいことを言うセオに、ヘイゼンは溜め息をつく。


 (どっちかにしてくれ……)


 「弱っちいのは前からだろ。何を今さら」


 「弱いことを嘆いているんじゃなくて、情けないことを嘆いてるんですッ!!」


 セオが猛然と抗議してくるが、ヘイゼンは取り合わない。


 「俺に言わせりゃどっちも同じだ」


 「違いますよ!全然まったく欠片も同じじゃないですよ!」


 「あーうるさい!キャンキャンキャンキャン……お前は盛りのついた犬か?!」


 「盛ってません!犬でもありません!セオです!」


 「知ってらぁ!」


 精神の弱い者なら失神してしまうヘイゼンの大声に、しかしセオも負けじと言い返す。それだけで、このセオという少年の神経の図太さが知れる。


 この大食堂に勤める料理人たちの間で、セオは「大魔王に対抗できる天使」として崇められていたりする。本人はそのことをまったく知らないし、「天使」なんて呼ばれていると知れば激怒するだろうが。




 「熊とチワワのケンカだな」


 睨み合う両者に割って入る、飄々とした声。


 セオとヘイゼンは同時に声の方に顔を向ける。


 「……アル」

 「師匠!」


 アレクセイ・ハイドラ――25歳という若さにして近衛騎士団団長を務める、王国一の剣の達人である。


 アレクセイはアメジストの瞳を細め、形の良い唇に意地の悪い笑みを浮かべる。


 「セオとケンカすんのは止めとけって。おっさん顔怖いんだから、一方的に虐めてるみたいだぜ?」


 年上に対するものとは思えないぞんざいな物言いに、しかしヘイゼンは怒らない。立場なら、アレクセイのほうが上なのだ。


 「お前が、来るのが遅いからいけないんだろうが」


 最も、ヘイゼンは立場などまったく気にしていないので、アレクセイに対しても他と変わらない態度で接する。それを許容しているアレクセイのほうが寛容である、という評価ができよう。


 「なんだよ、セオ、良い子にしてなかったのか?」


 アレクセイはツカツカと調理場に入ると、セオの頭を乱暴な手つきで撫でた。セオは肩にかかる髪を後で一つに纏めていたので、当然のように栗色の髪がグシャグシャになる。


 「あぁ!……だーかーらー、髪結んでる時にグシャグシャ撫でるの止めて下さいってばっ!結び直さなきゃならないでしょ!」


 セオはアレクセイの手から逃れるように席を立つと、キッと乱暴者を睨む。しかし、チワワのように可愛い彼がそんなことをしてもまったく迫力がないので、アレクセイもまったく悪びれなかった。


 「邪魔だし切っちゃえば?」


 セオはムスッとしたまま髪をほどいた。

 クセとは無縁の、サラサラとした栗色の髪が少年の顔を縁取り、ますます彼を少女のように見せていた。


 「……お前、本当に女みたいだな」


 「人が気にしてることを平然と言わないで下さい。俺だって普通に凹むんです」


 「んじゃ、ますます切ればいいだろ?いっそ坊主にするか?」


 ゆらり、と近づいてきたアレクセイから逃れるため、セオは慌ててヘイゼンの後ろに隠れた。


 「お前のほうがよっぽど弱い者虐めしてるじゃねえか」


 溜め息をつくヘイゼン。


 「俺のはお節介だよ。だって誰がどう見たって、邪魔以外の何ものでもないぜ?」


 セオを指差して言うアレクセイを、セオは再び鋭く睨みつけた。



 (好きで伸ばしてるんじゃないですよ!)


 と、セオは声を大にして言いたかった。しかし、それは許されない。

 言えば理由を問われるとわかっているから。


 (……女装して侍女やってるなんて、口が裂けても言えない……)



 彼の名はセオ。


 しかし


 彼のもう一つの名は、ローズマリー。


 黒薔薇の、唯一の侍女。




 ローズマリーとなる前、彼は“ヘイゼンの使いっぱしりのセオ”として働いていた。


 ヘイゼンは見た目によらず、酒に弱い上に酒癖が悪かった。そんなヘイゼンの暴力に耐えつつ、毎日ボロボロになりながら働いていたセオを、いったいどうやってマリアンヌが知ったのかは分からない。しかし、確かに黒薔薇が現れて、セオをヘイゼンから奪ったのである。そのついでに、ヘイゼンを国外追放しようとしたが、それはセオが全力で止めた。


 ヘイゼンは酒が抜ければ謝ってくれたし、酒か入らなければ実に良い兄貴であった。それに、早くに母を亡くしたセオの面倒をみてくれた恩人でもあったから。


 セオの必死の懇願により、ヘイゼンは国外追放を免れ、王宮料理人から大食堂の料理長への降格だけで済んだ。


 以来、ヘイゼンにとってもセオは恩人となり、


 「……それぞれ人に言えないことだってあるだろ」


 このように、いつもセオの味方をするようになった。


 「ふ〜ん、まぁいいけどさ。それよりおっさん、飯。腹と背中がくっつきそうだ」


 腹部を擦り、ヘイゼンがかき混ぜている鍋を覗こもうとしたアレクセイの頭を、巨大な手が鷲掴む。

 ヘイゼンは迫力のある顔に凄みをプラスし、低い声で言った。


 「働かざる者食うべからず、って言葉、知ってるか?」


 「いや、ちゃんと仕事してきたけど……」


 「てめぇの仕事のことなんざ、知らん。俺が言ってるのは、『セオを強くする』って約束のことだ」


 「正確には『剣を教える』ね……」


 アレクセイは週に3度、セオに剣を教えていた。これは、セオがヘイゼンに「剣を使えるようになりたい」と相談し、ヘイゼンがアレクセイに「ただ飯」を提供する代わりに引き受けさせたものだった。


 「俺に言わせりゃどっちも同じだ」


 「……おっさん、その大雑把過ぎるとこ直したら?――っいてぇ!!」


 鷲掴んでいる手に力を入れたらしく、アレクセイが悲鳴をあげる。が、ヘイゼンは取り合わない。


 「ちっともセオは強くなっていないようだが?」


 「ちょっとは強くなりましたよ!剣の腕だって、上がったんです!ねえ、師匠?」


 このままではアレクセイの頭が握り潰される、と判断したセオが助け船を出すが


 「…………」


 返事はなし。


 「ちょっと、師匠?」


 「…………いや、嘘はどうかなって」


 「…………大将、握り潰しちゃってください」


 「ま、待て!まて待て待て!!早まるな!!俺の話しを聞け!!」


 握り潰そうとしたヘイゼンの手が止まり、アレクセイは安堵する。


 いくら彼でも、丸腰でこの熊との対決は厳しい。しかも、自分は今急所である頭を押さえられている。林檎を紙屑のように握り潰すこの男なら、人間の頭すら握り潰せるかもしれない、というアレクセイの危機感は、あながち間違っていないだろう。


 「何だ?墓標に刻んでほしい言葉ぐらいは聞いてやる」


 「……あのさ、俺がセオに教えたのって、たった半年だぜ?半年で一人前になられたら、俺たち商売上がったりだから」


 「……つまり、手抜きをしていると」


 「なんでそうなるんだよ!!半年で一人前になれる奴なんかいないって話だろ?!」


 「……近衛騎士団団長なのに?」


 「剣の腕がいいからって、教えるのも上手いとは限らない――まぁ、でも、剣を振えるとこまでいったんだから、褒めてほしいね。他のやつならとっくの昔に諦めてただろうぜ」


 そう言われて、セオは項垂れる。

 確かにアレクセイの言う通りだった。


 最初、セオは剣を1分間構えることすら出来なかった。剣を振るえば、逆に剣に振り回されて尻餅をついていた。理由は簡単だ。腕力が無さすぎたのだ。

 この状態を目の当たりにしたら、普通は「諦めろ」と説得にまわる。

 逃げずに教え続けたアレクセイは、確かに指導者としての資質を持っていたのだろう。


 セオの状態を目の当たりにしたことはなくとも、何となく想像できたヘイゼンは、アレクセイの頭から手を離す。

 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は首根っこを掴まれ、大食堂の外に放り投げられてしまう。


 バランスを崩しながらもどうにか体勢を立て直し、顔面打撲を逃れたアレクセイに、ヘイゼンは冷たく言い放つ。


 「……何にせよ、剣の稽古が先だ」


 「んな?!腹減って死にそうなんだけど!」


 「一食喰わなくても、死にゃしない」


 ヘイゼンはセオも大食堂から追い出すと、バタン!とドアを閉めた。


 「〜〜んの、鬼っ!!」


 無慈悲に閉められたドアに向かって吼えるアレクセイの横で


 「……でも、ちょっとは剣使えるようになりましたよね?」


 ボソっと呟くセオだった。





*******





 カッ!!



 暗闇に響く、乾いた音。


 直後に二つの影が離れ、木の棒のような物を突き合わせる。


 一つは、背が高く広い肩幅から、成人男性だと分かる。隙のない構えはもはや芸術品のようで、彼の技量が窺えた。

 もう一つは、背が低く体の線が細い、少女のような少年である。簡単に折れてしまいそうな腕は小刻みに震え、頼りない肩は激しく上下していた。


 (くそっ!)


 セオは心の中で何度目か分からない悪態をついた。


 体が思うように動かない。

 足は鉛で出来ているかのように重く、腕は痺れて感覚が無くなっていた。今、木刀を構えていられるだけで奇跡に近い。


 見るからに辛そうなセオに、しかしアレクセイは休む間を与えない。


 一歩踏み込むと、上段から斬りかかる。セオはその剣を受けることはせず、巻き込むようにして左に反らし、自身は右へ逃れた。しかし、その動きを予想していたかのようにアレクセイの左足がとんでくる。

 動かなくなった足を補うため、重心を大きく右に取っていたセオに、成す術はなかった。防衛本能で腕で防御するものの、細腕ではたいした効果はなく


 「が、はっ!」


 腕の上から叩き込まれた蹴りが鳩尾に入り、セオの口から苦痛の声があがる。剣が手を離れ、カランという音が響いた。


 そのままの勢いで地面を転がり、それでも必死に起き上がったセオの目の前に、木刀の切っ先が突き付けられる。


 「今日はここまでだな」


 静かに告げられた稽古終了の合図に、セオは大きく溜め息をつくとその場で横になってしまう。


 蹴られた腹部と腕が焼けるように痛い。

 こみ上げてきた胃液を嚥下したせいか、喉がヒリヒリする。

 足は棒にでもなってしまったかのように、思うように動かせなかった。


 ぐったりと横たわるセオの傍に腰を下ろし、アレクセイはダメ出しを始めた。


 「まあいつものことだが、筋力が全然足りていない。前に言ったロードワークと筋トレは必ず毎日するんだぞ。それから、普段の生活の中でも、筋肉は鍛えられる。今どの筋肉を使っているのか、考えながら働け。それだけで大分違うからな。あと、なぜ剣を離した?」


 アレクセイの鋭い視線がセオに突き刺さるが、今のセオにはアクションを起こす体力は残されていない。


 「いいか、お前みたいなヒョロっ子が、素手で敵とやり合うなんて自殺行為だ。何があっても剣を手離すな。離す時は、死ぬ時だと思え。――いや、今のお前じゃ、剣があったところで意味ないか……」


 (……本当のことだとしても、酷いです、師匠……)


 口を開くのも辛いので、心の中で反抗するセオだった。


 そんなセオなどお構い無しで、アレクセイは少し思案すると「よし!」と名案が浮かんだかのように顔を輝かせ、手を叩く。


 「いいか?俺のお墨付きが出るまで、お前は闘うな。逃げろ。……そんな不服そうな顔するなよ。大丈夫だって!その顔で『お願いがあるんです……』て言って近づいて、急所をおもいっきり蹴りあげりゃ、お前、足は速いんだからさ、逃げられるって!」


 飛びっきりの笑顔のアレクセイを、セオは全力でぶん殴りたかった。

 今、動かない体が恨めしい。


 「さて、俺は食堂行って飯食うけど、お前どーする?送るか?」


 セオは首を横に振る。


 本音を言えば、背負って部屋まで連れていってほしかった。しかし、セオの部屋は東の塔だ。それをアレクセイに知られるわけにはいかないし、男としてのプライドがあった。


 「そっか。んじゃ、気をつけて帰れよ」


 そう言って立ち上がったアレクセイに、セオは「ありが、とう、ございました」と礼を言った。


 「おう」


 立ち去りつつ片手を挙げてそれに応えたアレクセイは、三歩目で足を止めると、セオを振り返った。


 「……お前さ、黒薔薇様の下で働いているんだろ?」



 セオは、セオとしてマリアンヌの傍で働いていることになっていた。


 今までいた人間が突然姿を消すのは不自然なので、ローズマリーとしての仕事が終わったら、セオとして生活するように、と決めたのはマリアンヌだった。

 セオの知り合いには「マリアンヌの下で働いている」ということにして、具体的な内容を聞かれたら「詳しくは口止めされている」と誤魔化せばよかった。マリアンヌを敵に回してまで追及してくる命知らずは、この城にはいなかった。


 何か聞かれても、適当に誤魔化そう、と思いつつ、震える手で体を起こす。

 体がギシギシと軋むように痛んだが、セオは気づかなかったふりをして、顔を上げた。


 「はい、そうですけど……」


 月を背にするようにして立つアレクセイの表情はセオには見えなかった。


 「あの方は、お元気か?」


 小さく呟くような問いだったが、セオの耳にはしっかり届いた。


 力強く頷くと、アレクセイは「そうか」と呟いて、そのまま食堂へと歩いて行った。




 独りになったセオは再び地面に寝転がる。もう少し休んでからでないと、歩けそうになかった。


 (師匠とマリアンヌ様は、知り合いなのかな?)


 可能性は充分にあった。

 マリアンヌの剣の腕前は国中が知っていた。当然その練習相手は近衛騎士団が行っていただろう。


 (でも、なんだか少し、切なそうだった)


 顔は見えなかった。

 でも、声が少しだけ、苦しそうで。


 (なんか、胸がモヤモヤする……胃液を飲み込んだからかな?)


 彼が胸に広がる感情の名前を知るのは、もう少し先の話。




 (……綺麗な夜空だ)


 上空に広がる満天の星空に、少年の意識は逸れて。


 (……マリアンヌ様の、瞳みたいだ)


 主人とよく似た星空を、少年はしばし眺めていた。








読んでいただき、ありがとうございました!

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