逃れた真実3
35
「あーあーあーあー。みっともねえな」
男が言う。ここは暗く、広さのつかめない部屋。大小様々なモニターや、丸い水槽のようなモノが乱雑に置かれた場所。
男はその中の大きなモニターの前に座り、モニターに映し出された、『緑黄座』の館内の映像を見る。
「ま、計画通りって事で処理しちまうか。所詮コイツもただの実験動物。俺様の素性がバレるといけねえから、記憶だけ消させてもらうぜ」
男は、手元にある赤いボタンを押す。すると、モニターに映っていた、『緑黄座』の正面玄関付近に仰向けで倒れる少女が、自らの頭を押さえて絶叫する。
「殺しはしねえさ。あンなヤツでも大切な実験機材になるンだからな」
男は立ち上がる。男の身長はおよそ180㎝前後。アキレス腱辺りまである白衣を着いる。最近の流行を意識したような、整髪剤で固められた髪型に、死んだ魚のような目つき。
彼は、床から数ミリだけ宙に浮いていた。
それは、彼の履く靴と、この床との関係にあった。電磁力で互いを反発させているのだ。
男はクルリと回転し、背後へ振り返る。
そこには一人の少女が立っていた。
身長は130~140㎝ほどの小柄で、セーラー服を着ていた。ベリーショートの髪型に、足には靴はなく裸足で、まるで野生児を思わせる風貌だった。
しかしそんな少女の顔からは活発的とは思えない、暗いモノがあった。そして何よりも目立っているのはその左手だった。
少女の左手は、生身ではなく、機械。金属で出来た、動く義手であった。
「おい、失敗作」
男は少女に声をかける。
「は、はい、お兄様」
少女はそんな男に怯える事もなく、むしろ呼ばれた事に喜びを感じているように表情を明るくした。
「マリアは呼ンできたのか?」
「はい。ご命令通り、連れて参りました」
失敗作と呼ばれた少女は、明るい表情で、背後の金属製のスライドドアのスイッチを押す。静かに扉は開き、そこには紺の修道服を着た少女が立っていた。
修道服の少女は数歩前へ進み、男のいる部屋へ入ってくる。
「何かご用でしょうか? 源蔵様」
修道服の少女は、とても澄んだ、歪みのない声を発す。それを聞けば誰もが彼女の虜になってしまいそうな、透き通った声。
「シスター・マリア。貴様に任務をくれてやる」
「…喜んで」
修道服の少女は、腰まである金髪を揺らして源蔵と呼んだ男の元へと近づく。彼女は、両目の色が非対称で、右が碧眼、左が赤眼。
「―――了解致しました。神の仰せの通りに」
マリアは一礼すると、部屋を後にする。
残された男と少女。
「貴様にもう用はない。消えろ」
「は…はい」
少女は、本当に、純粋に悲しそうな表情を浮かべ、部屋を立ち去った。
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昨日未明、川橋町北地区の一軒家で、小学生の男の子と、その両親である男女が何者かに殺害されました―――
遺体の外傷は多く、その全てが刃物による物で―――
しかし遺体の傷は何種類かの刃物によるもので、今分かっている中でも、刃渡り20cmほどの万能包丁、刃渡り1mほどの刀、そしてチェーンソーのようなものと、ノコギリのようなもので切られた部分がいくつか存在しており―――
警察は、現場にいたとされる被害者宅の長女と思われる、地元の中学校に通う水城 亜美さん14歳を、重要参考人として任意同行―――
被害者の名前は、水城 猛さん45歳、水城 理恵子さん38歳、そして二人の息子である水城 勇太くん11歳―――
その後の調べから、現場には犯行に使われたとされる刃物が見つからず、捜査は難行している模様です―――
警察は、現場近辺を重点的に調べるとのことです
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(11月28日 18:20)
南地区。娯楽施設が異様に多く並ぶそんな場所に場違いに存在するバー『LU LA LA』の扉が開かれる。カランコロンと優しい木の音を立てて入店してきたのは、白いパーカーに身を包み、紫のプリーツスカートから白く細い二本の脚を覗かせる塩中 優希だった。
瞬間、奥の扉が開け放たれ、塩中の身長の半分ほどの、頭にゴツいゴーグルを引っ掛けた少女が塩中に飛びついてくる。
「優希!!」
少女の目には、何故かうっすら涙が浮かんでいた。
「ど、どうしたの朋香?」
塩中は、首に手を回してしがみつくように抱き寄せてくる綾部に、焦りながら質問する。
「ああ良かった…本当に良かった…」
綾部は、その腕の中にある塩中の存在を確かめるように顔をうずめていく。
「ねえ聞かせてくれる? 何があったのよ」
ハッ!! として、綾部は塩中から離れ、必死に訴える。
「ねえ優希、優希って姉妹いるッ!?」
小さな拳を握り締め、力強く塩中を見つめて問いかける。
「え、何で?」
「いいからッ!!」
戸惑う塩中だが、綾部に急かされるように答える。
「…ええいるわ。双子の妹が一人。でも最近家を出ちゃってね、ここ数週間音信不通なのよ」
でもどうして、と疑問を返そうと思ったその時、綾部は頭に引っ掛けてあったゴーグルを外し、カウンターに乗って塩中の目に当てるようにしてレンズの内側を見せる。
そこに映っていたのは、『緑黄座』で闘う寺地と亜美と喜市。そして、粉塵の中から現れた“塩中”の姿だった。
「…ッ!! 沙…希?」
塩中は、その映像に映る妹・沙希の姿を見て驚愕する。
「なんでッ!?」
思わず荒くなる口調。綾部はゴーグルを再び自分おデコに引っ掛ける。
「今、優希の妹が爆弾を使って、てらっち達と戦ってる。目的は分からない。今の映像も、音声が取得不能になってしまったから映像だけだったけど」
「じゃあ寺地達と連絡は!?」
「出来ない。多分、てらっちのトランシーバーとスピーカー自体が壊れちゃったんだと思う」
「行か…なきゃ」
塩中は、なんとか状況を飲み込み、その口を動かした。
「行かなきゃ。寺地達の所へ」
「ダメだよ優希」
「何でッ!?」
思わず塩中の声が強くなる。綾部はそれに少し怯え、肩をすくめる。その時だった。
「おい寺地班」
バーの奥、本拠地に繋がる出入口から男が顔を出した。『ルーレット』の一員だ。
「なんか寺地のヤツから電話入ってるぞ」
綾部は唖然とするが、塩中はそれを聞いたと同時に素早く本拠地へと入る。そのまま受話器が放置された電話へと手を伸ばす。
「宗也ッ!? 沙希は…妹は無事なの!?」
塩中は、受話器を耳に当てると寺地の声を聞くより先に問う。
『あ、ああ? そのマジモン声は塩中か』
「そこにいるのも塩中って意味ではマジモンだけど」
『ああ、そうだったな。お前の妹なら保護した』
「…そ、そう」
綾部は、これほど安堵した塩中の顔は初めて見た。
『だが、無事かどうかは分からねえ』
何を聞かされたのか、安堵に緩んでいたハズの塩中の表情が硬直し、そして緊迫を帯びたモノへと変わるわずかな変化に、綾部は気づいていた。
「どういう意味よ」
『お前の妹…沙希だったっけ? コイツ、床にねじ伏せて俺らがその場から去ろうとした時、急に甲高い声張り上げて気絶しちまったんだ。まさか変な薬でもやってんじゃねえだろうな』
「なん、ですって…?」
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(11月28日 ??:??)
昼と呼ばれる時間帯が、少しずつ夜と呼ばれる時間帯へと変わっていく、日が傾きかけたそんな時刻。
川橋町の繁華街を、二人の男が歩いていた。
歩道と車道の間を並行して等間隔に植えられている街路樹から漏れる傾いた日差しが、何故か儚さを覚えさせた。
男の一人、髪をオールバックにし、アゴにヒゲを蓄えて首にチェーンのようなネックレスを掛けた大男が口を開く。
「『南地区』も悪くないな。でも何だ? さっきまで人っ子一人見なかったのに、急に賑わってきた」
それに、肩を並べて歩く、白いパーカーに黒のカーゴパンツ、コンクリートが敷き詰められた大都会ではかなり浮いてしまう草履を履いた男が答える。
「…先程まで、この南地区一帯の娯楽施設に爆弾が仕掛けられているという脅迫電話があったらしい。おそらく、人の大半がそちらへ野次馬に行ったのだろう」
「渡部、よく知ってるな。ずっと俺といたのに」
「…すれ違う人々の会話やそこらで屯している若者の噂話を素通りしただけで入手するのは我ら『墨影』の専売特許であろうが」
「そんな古臭いしきたり忘れちまった」
「…そんな考えを持つからお主は闘うのに必要のない無駄な知識まで身につくんだ」
「でも今じゃそんな俺がいなきゃ身動きが取れないってのが『墨影』の本音だろ」
「…調子に乗っていると、足元を救われるぞ、省輔よ」
「分かってる」
省輔の真剣な返答に、少し田中の表情を伺いながら沈黙する渡部。
「…時に省輔よ」
「なんだ?」
「…我らはこのような所で散歩など嗜んでいていいのか? 川橋町一帯は『ルーレット』や『ノウズ』の監視下にあるのだろう? もし我らの姿が敵に知れたらどうするんだ? お主も言っていただろう。“『南地区』に入った時点で奴らは我らの行動を把握済みだ”と」
「大丈夫だ。俺以外は顔が割れていないし、俺の顔を知っているのはあの最終兵器と変わり者の小学生くらいだ。それに、」
「…それなら尚更」
「言っただろ、お前の顔は割れてない。それに最終兵器が自分から進んでこの街を監視したがるとも思えない。変わり者の小学生の方は尚更、俺がこうして歩いていても友達と遊んでいるようにしか見えない。というかそもそも俺の顔を覚えているかどうかも曖昧だしな。そうと分かれば、出来るだけ敵陣を隅々まで調べておくのが賢明だろう?」
「…」
渡部はそれ以上何も言わない。その背は、まるで背中で語る侍のように大きく、勇ましかった。
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(11月28日 ??:??)
「ヒ…ッヒヒ、全く参謀は無茶な仕事押し付けやがる」
ここは、どこかの大きな地下施設。しかしここに来ると、誰もが今自分は本当に日本にいるのか、と疑問を抱いてしまう光景だろう。
ここは射撃場なのだ。横に10m程伸びるカウンターのような台に、等間隔に仕切り板が立てられ、個人で練習できるようになっていた。しかし、前に広がる、100mほどの射撃の的が乱雑に置いてある空間に仕切りはなく、どこのカウンターについても狙う的は同じモノとなる。
そのウチの一つに、男はいた。
短い髪の全体を覆うように被った黒いバンダナ。丸いレンズのサングラスをしていて、その両腕は、服の上からでもわかるほどの太い筋肉質を持っていた。
彼・増田 純一の手に銃はない。握られているのは、ビー玉程の鉄球。この鉄球は特殊なモノで、大きさのわりに重さは2kgほどある。
そう、普通のビー玉よりは“正確に投げる事が出来るのだ”。
増田は大きく振りかぶる。まるで、凄腕のピッチャーのように足を振り上げ、それを急速に下ろすと共に、右手に持つ鉄球を勢い良く放つ。
ヒュンッ!! と、風斬り音が聞こえる。
30m先にある、人型の的の頭部に鉄球は直撃し、木製の的の頭部をことごとく粉砕した。
彼は接近戦ではなく遠距離戦、“投擲”に長けた男だ。その磨きあげられた腕は、強力かつ速球かつ正確で、100m先の的なら、目標との誤差5cm以内で撃ち抜く事が出来る。
しかし彼は“補強”していた。彼の肩、今は服で見えないがその内側には、両肩に一枚ずつ湿布のようなモノが張り付けられている。
これは、精密にプログラムされた電気信号で筋肉を伸縮自在にする事で身体能力を飛躍的に増強するモノだった。この“湿布”は、非売品で、とあるルートで手に入れた、ワケありな品物である。
故に、安全の保証はない。
しかし、
「ヒヒヒ、こうでもしなきゃこっちが死んじまうぜ」
増田は自らの肩がひきつるような感覚を覚えるが、肩をクルクルと調子を確かめるように回してなんとか抑える。
彼の訓練は今日も続く。ただ一人で、射撃場に風斬り音を響かせる。