奇襲と反撃2
6
(11月28日 12:30)
「ねえ、キレていい?」
亜美はガチャ、と右手の指を五本の千枚通しに変化させる。東地区の駅前近くにある笹川児童公園の木陰から亜美と寺地、喜市の三人は公園の中央に設置されたゴミ箱を監視している。
亜美は約束と違っている事にイライラしているが、寺地はそれを横目に苦笑する。
「まあ待て。襲撃予告は確かにあったらしいから。しかもまだブツ運びは完全終わったワケじゃねえからな」
「来ました」
喜市が言う。亜美と寺地の二人が、自然と公園の入口に視線が向く。公園の入口からはちょうど塩中が入ってきた所だった。アタッシュケースもちゃんと持っている事から、寺地たちが目を離していた間に襲撃はなかったと思える。
「塩中、止まれッ!!」
寺地が咄嗟にトランシーバーに叫ぶ。亜美が不意に寺地の顔を見ると、今までに見たことのない険しい表情をしていた。
「やられました、か…ッ」
喜市は帽子の縁を摘み、少しだけ視界を広げる。
「ッ!?」
亜美は即座に気付く。
辺り―――人が誰一人いない。しかし、なぜこうなるまで誰も気付かなかったのか。それは、今まで何の違和感も覚えなかったからである。人込みが群がる中、自然とその群が解け、自然と人がいなくなった。まるで水に入れた氷が、いつの間にか溶けていたかのように、誰も気に留めない現象。しかし確実に状況を変化させた現象。
ポタリ。塩中の額に浮かんだ汗が、頬を伝い、地面に落ちていく。
誰も動かない。小鳥のさえずりさえ聞こえない。音が、消えたかのように思えた。
『てらっち…マズイ事になったよ』
綾部の声が、皆のスピーカーに届く。
『笹川児童公園の四箇所の出入口全て固められた』
「どんな、奴らだ?」
寺地がトランシーバーに言葉を発する。
『どんなって言われてもな…普通の、そこら辺にいそうな人達だよ。でも全員大柄な男達』
「そ、それは―――」
寺地が言葉を言い終える事はなかった。寺地達三人が身を隠していた木陰に突如、ドッッッッ!!! と音を超えた音を立てて、目を覆いたくなるほど眩い光が放たれた。寺地は不意に目を覆い、視界が完全に遮断される。
「クソッ! 閃光発音筒か…。何も見えねえ!! オイ、お前ら大丈夫か!?」
「は、はい。なんとか…」
喜市が、何も見えない視界の中、声を返してくる。しかし、亜美の声が聞こえない。
「おい水城…お前は?」
「-――」
一切の返答がない。その時だった。爆音で聴覚もやられていたが、甲高い耳鳴りの中、かすかに複数人の怒号と悲鳴が聞こえる。
「オイなにグズグズしてんだ!! サッサと逃げるぞ!!」
亜美の怒号が耳にかすかに入る。誰かに身体を起こされるのを感じた。早足でこの場を去る。その間にも、ゴン、ドンッ! という衝撃から、視界の外で何かが行われている事を途切れ途切れで確認する。
聴覚が回復した。
「ったく。ほらちゃんと走れ!」
体格からして、おそらく亜美に肩を貸されて寺地は走る。薄くまぶたを開いた。視界も大分回復してきた。
そんな中、肩越しに後ろを確認すると、何人もの民間人と同じ服装をした大男達が地面に倒れ伏せていた。
そして隣、並走する人物を見ると、塩中に肩を貸された喜市だった。
そうやって目を慣らしていくと、視界が大分回復してきた。
「サンキュ。後は自分で走れる」
寺地は亜美の肩から手を抜き、自力で走り始める。
「どうしてお前は平気だったんだ?」
「私はアンタら以上に命狙われてきてんだ」
「経験の差か…」
パンッ!! 乾いた轟音が、公園に響く。拳銃の発砲音だった。
「おいおいここは法治国家日本だぜ!? んな物騒なモン振り回してんじゃねえよ!!」
ヒュンッ!! と弾丸が亜美の頬スレスレを飛来した。
「私の癇に障ってんじゃないよ」
ジャキン、と金属の鋭い音を立てて、亜美は右手を刃渡りおよそ一メートルの日本刀の刃に変え、左手を丸い回転刃に変形させる。
亜美は足を止め、背後に迫る大男達、約10人と対立する。
「おい水城!!」
寺地が叫ぶ。
「先に行って。この先にある公衆トイレの女性用の方、奥から三番目の故障中の個室。そこに抜け道があるってさっき綾部がトランシーバーで言ってた」
亜美はそれだけ言うと、歪んだ笑みを顔に貼り付け、男達へ向かっていく。
寺地は数秒佇んだが、塩中と喜市を連れて公衆トイレへ向かう。
7
(11月28日 12:55)
亜美の前に立ちはだかる男達は全員拳銃を持っていた。
パパパパンッ!! とそれぞれの銃から弾が放たれる。
キィィィンッ! と鋭い金属が擦れる音を響かせると、亜美はそれらの弾を一挙に切断する。亜美の動体視力、運動能力は並みの人間とは桁違いである。
亜美は、拳銃から弾が放たれる時、その銃口に光る火花を認識し、そしてどの軌道で弾が飛んでくるのかを全て把握する事ができる。そう、まるで機械のように。
そしてそれらを、着弾する前に全て無力化する。まさに、最凶である。
「んなクズ鉄で私に傷を付けられるとでも思ってんの?」
亜美の目が、真っ赤に光る。先程まで茶色の瞳をしていた彼女が、まるで眼球の色素が抜けたかのように真っ赤に染まり、そして若干の光を帯びる。
剥がれない、歪んだ笑み。
そう、これが、凶悪と恐れられる理由。最終兵器と称される理由。
真っ赤で冷酷な瞳で敵を捉え、その両手を持って切り刻む。彼女の前に立ちはだかり、無事で済んだモノは、いない。
「やっと私の出番が来たんだから、ちゃーんと楽しませてよ」
誰に向けて放たれたモノでもない、冷徹な、死の通告。
男の一人が引き金を引く。その瞬間を、亜美は見逃さなかった。
パンッ!! と放たれる弾丸。
「甘い」
ギュゥゥウウウウイィィィィィイイインッ!! と音速で回転し始める亜美の左手に位置する回転刃。
その刃は、音速の力を得ると同時に亜美の手から放たれる。拳銃の弾丸をも超える速さで、劣るスピードを帯びて向かってくる弾丸を切断し、そのまま放った男の首元めがけて飛んでいく。
ズシャリ。
肉と骨を裂く、生々しい音が重く鳴る。男の首は数メートル上空へ吹っ飛ばされ、地面に転がる。まるで人形のように。そして胴体は大量の鮮血を噴水のように噴き出してその場に倒れる。胴体は反射でピクピクと痙攣している。
だが、死んでいる。一人の男が死んだ。亜美よりも大きく、何倍もの体重を持つ大男が。しかも拳銃をふるって小柄な女子高生を襲った大男が、一瞬でその命を奪われる。
しかも残虐なやり方で。
これが最終兵器と恐れられた少女の正体。本当の、姿。
「ッヒ」
少女の口が、耳まで裂けるような勢いで、快楽に溺れた笑みを形作る。
「はァやァくゥ。次はだァれ?」
ギラリと亜美は前に立つ全員に視線を向けた。男たちは動けない。蛇に睨まれた蛙。動けば、死ぬ。
「ひぃいいッ!! よ、寄るな! 来るな化物!!」
パンパンパンパンッ!! と連続して引き金を引く男。その内の数発は全く見当違いの方向へ弾丸は飛び、数発届くはずだった弾丸は、その少女の手により完全に無力化される。
そして、もう一発。パァァァンと乾いた発砲音を響かせて放たれた弾丸。それは確実に亜美の眉間へと向かい、そして貫くはずだった。
しかし、亜美は一歩も動かない。
ヒュンッ、と亜美は弾丸が額に着弾する寸前にその姿を消した。虚しい風斬り音を立てて弾丸は後方数百メートルの樹木へと突き刺さる。
「馬ァァァ鹿ァァァ」
歪な罵倒の声は、男の背後から聞こえた。すぐ後ろ。まるで、耳元で囁かれているかのように。
グチャリ、ズリュリュリュリュリュリュリュ-――
亜美の左手の回転刃が音速で回転し、引き金を引いた男の頭の頂点から突き刺さり、そのまま強引に肉と骨を巻き込んで下へ下へと押し込まれる。
ブッシャァァァ!! と鮮血が噴き出る。亜美は、その返り血を、まるで浴びるかのように被ったが、そんなのは全く気にしない。笑みを作る口に入ろうが、眼鏡に飛ぼうが拭き取ろうともせずに、ただ目の前の敵の死を、楽しんでいる。
ドン、と亜美は後ろからその背中を蹴り飛ばす。死体はだらしなく前にドサッと倒れ込んだ。
しかしそこでは終わらない。亜美の右手、日本刀の刃にあたる部分を、グチャグチャの肉塊になった後頭部へ突き立てる。まるで魚の首でも取るかのように。
ペロリと、亜美は口の周りについた血液を絡めるように舐めとる。鉄の味。ネチョネチョした粘膜が、口の中に広がる。亜美はまるでその食感を楽しむように飲み込む。
「あ、ハハハハ。ギャッハハハハハハハハハハハハハ!!!」
豪快に、本当に楽しそうに笑う。彼女はもう人間ではなかった。本当の意味で、人の心を持っていなかった。無機質に光る二つの赤い目。それが赤い光の帯を引きながら、次の獲物へ狙いを定める。
男たちは何もできない。あまりにも無力で、アリのように容易く踏み潰される。
男達の中には、耐え切れず嘔吐する者もいた。しかし亜美はそんな事を気に留めない。
すぐ右手の日本刀の刃を振り回せば、届く位置に何人もの男がいる。もし遠くへいても、左手の回転刃がその逃走を許さない。
冷酷に動く殺人機が、次々と鮮血を浴びていく。
8
(11月28日 12:55)
ドガガガガガガガガガッ!!
大男の一人が持つ短機関銃が火を噴く。間一髪の所で、寺地、塩中、喜市の三人は公衆トイレの入口に構えられている巨大なコンクリの仕切板に隠れる。
仕切板は弾丸を浴びるように当たり、ボロボロにメッキが剥がれながらも、全く微動だにしない。
「ったく、女子便に入るとは気が進まねえな」
吐き捨てながらも、奥から三番目の、故障中の貼り紙がされている扉を、施錠を壊して強引に開ける。
そこにあったのは、一見何の変哲もない洋式の便器がそこにあった。
「寺地さん、そこ」
喜市が床のタイルを指さす。それは、地面から数ミリ浮いていた。バキ、と音を立ててそのタイルが剥がれる。その一枚のタイルを剥がすと、それに連なった周りのタイルが一緒になって、まるで絆創膏を剥がすように簡単にめくれていく。そこには、金属のハッチがあった。
「ここか」
引っ込んでいた取っ手を引き伸ばし、ハッチを開ける。そこは、鉄製のはしごが下へ伸びている、暗闇だった。カツ、カツ、カツと寺地に続いて喜市、塩中と下へ降りていく。
「塩中、タイルと扉元に戻しておいたよな」
「ええ。バレたら元も子もないし」
三人は、地下に着く。薄暗く、とてもかび臭い所だった。
9
(11月28日 13:00)
「参謀、捕獲隊の連中が次々とやられてます!」
東地区、笹川児童公園の近くにある空き地に、数名の男がいた。
その中心となる人物、田中 省輔が、大勢の男達を指揮する。
「これほどまでとは…。最終兵器、侮っていた」
「どうしますか。水城 亜美個人を捉えるのは非常に困難かと。それと、奴は『ルーレット』に所属しています。『ルーレット』の連中がいつ動き出すか分かりませんし」
「危険分子は早期に叩いておいたほうが良いか…」
田中は考える。彼には、『ルーレット』の組織自体を壊滅させるにはかなりの抵抗があった。
(くっ…だからあの時我々と行動を共にしていればこんなことには…ッ!)
田中は心の中で毒づく。
「参謀、ご指示を」
部下の男が、田中を急かす。
(決断せざるを得ない…俺は『墨影』の一員であり、その参謀。畜生ッ!!)
田中は犬歯を剥き出しにして苦悩する。
「参謀!」
「まだだ…まだ、追うな。今日は引き上げろ。これ以上仲間を失うワケにはいかない」
「了解」
『墨影』は消え去る。大事を起こしたにもかかわらず、あっさりと東地区からその面影を消す。
10
(11月28日 13:00)
薄暗く、かび臭い隠し通路をひた走る寺地、塩中、喜市の三人。
「緊急事態発生ッ!! 緊急事態発生!! 『ルーレット』の構成員、全員本拠地に集まれ!! 任務中だろうが休暇中だろうが例外は認めねえ。強制出動だ!! そしてレベル5の警戒態勢を引いて戦闘に備えろ!」
寺地は、自分の携帯電話に向かって叫ぶ。それは『ルーレット』に所属する全ての人間の連絡先に通じていた。
『てらっち…一応、敵の詳細つかめたお』
「報告しろ」
『敵の組織名は「墨影」。構成人数は不特定多数。“暗殺”を主に行い、隠密性に長けている…だって』
「隠密だと? 予め人払いをしていたとはいえ、公共の場のど真ん中で閃光発音筒ぶっぱなすような奴らだぜ?」
『…それと、二十年前に起きた“分裂”の残党勢力の一つらしいお』
「まあ、『墨影』って名前に隠密や暗殺って事はまさか、とは思ってたがな」
『でも私が入手出来た情報はここまで。他は全く情報が得られない』
「サンキューな。とりあえず俺はここを抜けて本拠地へ向かう。お前はレベル5の警戒態勢を」
『把握』
トランシーバーの通信が途切れる。
「追っ手は来てないよ。早く本拠地へ戻らなきゃ」
塩中が背後を確認して言う。薄暗いとはいえ、等間隔に照明は点いているので数メートル先までなら確認ができる。