奇襲と反撃
1
(11月28日 10:00)
午前の寒気が残る時間帯、小柄な少女はレジ袋を片手に街を歩いていた。朝食をコンビニで買った帰りであった。彼女は例によって制服姿だ。
『~♪』
不意に、スカートのポケットで携帯電話が振動するのを感じた。亜美は携帯を取り出し、その画面を見る。そこには、非通知とだけ表示されていた。躊躇することなく、通話ボタンを押す。
『水城、喜べ。初仕事だ』
寺地の声だった。スピーカーの向こうでも寺地のニヤけている顔が思い浮かぶ。
「内容は」
『とりあえずバーに来い。話はそれからだ』
亜美は返答せずに通話を切る。足を運ぶ方向を家から『LU LA LA』へと変える。
飲食店やコンビニが多く点在する『仰謝街』を抜け、遊園地や動物園といったこども向けの施設が集まる場所、『南地区』の一角に密かに佇むバーへ向けて亜美が歩く。
(…なんだ)
亜美は違和感を感じていた。それは、つい昨日と一昨日に感じた違和感。
背後。
何者かに付けられているような妙な感覚が亜美を襲う。肩越しに背後を確認する。やはり前と同じく、なんの変哲もない景色。道行く親子連れ、並んで歩く男女の学生。普段通りの、何気ない景色。しかし、その中に何かがある。
尾行や奇襲は、亜美にとって何でもない、もはや“日常”の一つとして処理されてしまう。彼女はその特異な力のせいで、いくつもの組織や個人に狙われ、その存在を消されようとしている。それは自覚しているのだが、“どうしてそうなったのか”や“その組織や個人はどこの誰なのか”などは今まで全く関心がなく、調べようともしなかった。
しかし昨日、寺地から聞かされた『マッヅ』という名の狂気に満ち溢れた組織の事を聞き、元の体、人間らしい生身の身体へ戻れる術があるかもしれないと思った亜美は、とりあえずその『マッヅ』と接触するために、同じ裏の組織である『ルーレット』に加担することに決めた。
よって彼女は、『ルーレット』の一員として、成すべきことを行う。
亜美は『LU LA LA』へ繋がる道を反れ、人込みの多い大通りへと向かった。当然背後にいる“何か”もそれを追い、人込みの中へ入っていく。
しかしその時点で亜美の策にはまっていた。
亜美は、自らの身体を金属の刃物へ変える力の他、『意識しないと視認されない』という別の特異体質を持っている。
つまり、人込みに紛れれば、あとはその小柄な体格を利用して身長の高い人間が多い場所に入ってしまえば相手の視界からは逃れる事が出来る。
亜美は人と人の間をスルスルと抜け、人込みの中を縦横無尽に行き来し、追っ手を巻いてから、『LU LA LA』へと通じる交差点へと抜け出す。
その時にはもう亜美を襲っていた“違和感”はなくなっていた。どうやら成功したようだ。亜美は、見失うと再び見つけるには相当敏感な者でも連れてこない限り不可能である。
交差点の信号は赤だ。休日なので車の数が多い。信号無視をしようならば即道路のシミになるだろう。
「あまり我らを侮るな」
「ッ!!」
亜美はすぐ背後から聞こえた声に、背筋が凍りつくのを感じた。振り返れない。振り返れば、やられる。そう思った亜美は、硬直する。背中に何かを押し当てられるのを感じた。
「交差点を渡ったら、右へ曲がれ。そして一つ目の角を曲がり、その路地裏にある空き地へ迎え。忘れるな、俺はお前を見失いはしない」
野太い声が聞こえてくる。男は言い終わると、フッと、まるで風のように気配を消す。
逆らえなかった。あの水城 亜美が、だ。姿の見えないスナイパーに背後から狙撃されてもそれを華麗に交わし、迎撃をして殺害した、あの最終兵器が、まるで蛇に睨まれた蛙のように、身動き一つ取れなかった。
亜美は歯軋りを立てながら悔やむ。
(クソったれ…)
信号が青に変わる。まるでこれからの展開を後押しするかのように、状況は進んでいく。
交差点を渡りきり、右へ曲がる。幸いなことに、こっちの道は、『LU LA LA』とは正反対なので本拠地がバレる事はないだろう。
そして、一つめのゲームセンターとコインランドリーの間の路地へと曲がっていく。すると、コインランドリーの後ろにあった、小さい空き地に出た。
亜美は空き地へと足を踏み入れる。何もない砂地、近くで工事を行なっているのか、隅には鉄材が置かれていた。
背後から、この静寂を打ち破り一つの足音が聞こえる。亜美はゆっくりと振り返る。
とても大柄な男だった。風貌は、そこら辺にいる一般人と同じ、ラフな格好だ。しかしその上からでもわかるほどの筋肉質の持ち主だった。
髪型はオールバックで、日本人らしい真っ黒な色。首元にはチェーンのようなネックレスをしていた。
アゴヒゲが少し生えた、大学生ほどの男だった。
「何モンだよアンタ」
亜美が問う。男の風貌に動じることはなく堂々とした口調で。
「先ほどの無礼、お許しください。しかし貴女とこうして話すにはああするしかなかったのです」
男の意外な態度に亜美は少しだけ唖然となる。
「…で、あそこまでして私としたかった話ってなに」
「俺、『墨影』という、暗部組織の一員で、田中 省輔と言う」
「自己紹介はいいからサッサと要件を話してくれない? 私これから行くところがあるんだけど」
「それは『ルーレット』の本拠地ですな」
「…どうでもいいだろ」
「これは、我々『墨影』の判断ではなく、あくまで俺個人の独断で行なった行為です。単刀直入に言う。俺と共に、我が組織の本拠地へ来ていただきたい」
「…は? 話が飛躍しすぎててなにがなんだか分からないんだけど。ちゃんと順を追って説明してくれる」
「我ら『墨影』の中に、ミシンという通り名のスナイパーが“いました”」
「?」
亜美は田中の語尾に少し違和感を感じたが、黙っていた。
「貴女もご存知のはずです。一昨日、その方は亡くなった」
「…一昨日」
そう。あの夕暮れの帰り道で、亜美が迎撃したスナイパーのことだ。
「で、その復讐に私を殺そうっての? 逆恨みもいいとこね」
「仕方ないんだ…こうするしか、ないんだ」
「どういう意味よ」
「俺が貴女を連れていかないと、貴女を匿ったとして『ルーレット』も潰されかねないんですよ!!」
田中の怒号が、建物の間でコダマする。亜美は正直驚いた。理由は分からない。
「はあ? 別にアンタ達にとってどこの組織が潰れようと知ったことじゃないでしょ。私からしてもそうだし」
亜美は歩き出す。男を無視してその隣から空き地を出ようとする。
「待ってください!!」
田中は亜美に迫る。ガチャン、と音がした。それは亜美の手が変化した音。日本刀のような刃物が、田中の眉間に向けられていた。
「しつこい。今度はスナイパーだけじゃなくてアンタも殺すことになるよ」
亜美は刀を横へ水平に払う。それと同時に刀は生身の手に戻る。そして静かに歩き出す。
亜美が路地を出るのを目で追うと、田中はその場に跪いた。
「クソッ!!!」
地面を思い切り殴りつける。その想いの源はどこから来ているものなのか、まだ誰にもわからない。
2
(11月28日 10:45)
場違いな場所に建てられたバー、『LU LA LA』の入口に付けられた、入店を知らせるベルがカランコロンと涼し気に響く。
亜美はカウンターへ入り、奥の扉を開ける。その先は、相変わらずだった。広い空間にオフィスデスクやソファ、観葉植物やテレビなど、仕事をするのに不便のないよう、適当にモノを詰め込んだごちゃごちゃした空間が広がっている。
「おうやっと来たか」
中は、亜美のグループである寺地、喜市、綾部、塩中がそれぞれオフィスチェアやソファなどに腰をかけていた。
「ちょっと『墨影』とか言う奴らに邪魔されてね」
「『墨影』?」
意外にも反応したのは綾部だった。綾部はその小さな身体を、大きなYシャツ一枚で被っている。無防備と言えば無防備だが、彼女は外での活動をあまりしないようなので家着という感覚でいいのか。
「何か知ってんの?」
「え、あ、いや…なんでもないお」
寺地の以外の人間が疑問符を頭に浮かべる。
「そんなことより宗也。今回の依頼ってなに? 私もまだ聞いてないんだけど」
塩中が長い髪をハラリと手で払うと、腕と足を組む。
「ああそれが」
寺地は頭を掻く。どことなく申し訳なさそうに肩を竦ませるのがわかる。
「極秘の“ブツ”を運んでくれってさ」
「はぁ…また運び屋?」
塩中が肩を落とす。綾部は、ふんふんと頷いて、『ラボ』へと向かった。どうやら準備でもするようだ。トン、トンという階段を登る木の音を聞き、ブツブツとボヤきながらも、セッセと依頼を受ける準備をする。
「寺地さん。今日はなにを? いくら極秘と言っても、ブツの詳細を渡さなければ仕事は引き受けられないという話ですよね」
喜市が寺地の隣で囁くように尋ねる。
「ああ、なんだっけな…あ、確か電波を受信する時に使うアンテナの部品だ」
「はあ…アンテナ、ですか」
「ああ。指定が細かくてな。確か、11時半に南地区の岸沼神社前っていうバス停の近くに一斗缶を置いてあって、その中に仕込んでるからそれを受け取り、12時半に東地区の笹川児童公園の燃えないゴミのゴミ箱に運べと」
「ほう…本当にずいぶんと細かいですね」
「まあ俺らはなんでも屋だし、依頼を受ける条件も揃ってるし、報酬ももう貰ってることだしな」
寺地は自分のオフィスデスクを指さす。そこにはアタッシュケースがドンと置かれてあった。
「え…いくらですか?」
「うーん…ざっと2、3千万?」
「「ッ!?」」
それを聞いた皆が凍りつく。
「ちょ、アンテナの部品を運ぶだけで3千万!?」
塩中が驚愕の声を上げる。
「寺地さん、その依頼主って」
「ああ。それがな、分からないんだ。変声加えた非通知からの通話のみでの指示だったから」
そこで、ソファの上であぐらを掻いていた亜美が口を開く。
「で、今回の依頼はアンタらが言ってた所の『私が暴れられる』モノなの?」
「ああ。それは保証するぜ。なんてったって極秘のブツだからな。依頼主によれば、今日それを運んでる途中で奪取するという予告があったって話だ」
言い終わると、パンと寺地は手をたたく。時計を見ると11時ちょうど。
「はい。任務開始するぞー。塩中は荷物を受け取り、指定の場所へ運べ。喜市は笹川児童公演へ先回りしてゴミ箱周辺の監視。このような場合、一番襲撃されやすいのは最終地点。よって抜かりないように。そして綾部は町中の監視と何かあった時の司令を頼む」
綾部はこの場にはいない。二階に登ったのだが、寺地が言うと、スピーカーでも取り付けられているのか
『把握』
彼女の声が聞こえる。
「そんで」
寺地は亜美へと視線を移す。そして区切って言う
「俺と水城は塩中の後を付けて常に見張ってる」
「…いいんじゃない」
「そんじゃま、開始」
寺地は片手を横へ振るう。
亜美の初陣が開始される。野に放たれた野獣のような力を秘め、凶悪な笑みを浮かべながら亜美は『LU LA LA』を出る。
3
(11月28日 11:10)
古風な瓦造りの屋根から溢れる午前の暖かな日差し。その日差しに照らされ、一人読書をする男の姿。い草のほのかな匂いが漂うこの空間に、大柄な、袴を着込んだ日本人らしい男が畳の上に正座し、読書に励んでいた。
彼の目の前は軒先になっており、そこにある小さな庭には小池があり、そこには数匹の鯉が優雅に泳いでいた。こんな狭い空間にいるのに、実に心地よさそうで、自由を感じさせた。その池には鹿威しが取り付けられており、コン、という乾いた音が等間隔で耳に届く。
男は書物のページを捲る。それに合わせて、背後の障子が開かれた。
「隊長。『ルーレット』が行動を開始しました」
入ってきたのは同じく大柄な男。しかしこの和風な場所には似つかわしくないラフな格好で畳の上に立っていた。
「おお省輔か。報告ご苦労。いつもいつもすまないな」
「いえ。参謀としての俺の役目ですから」
「そうか…少しでも私に力があればいいのだがな」
「貴方様はお体が弱いではないですか。無理をしないでください。そのための我々なんですから」
「…信頼しているぞ、省輔。では、手はず通り作戦に取り掛かってくれ」
「了解しました」
田中は一礼すると、障子を静かに閉め、部屋を後にする。
「仲間の命を奪われたんだ。黙っているのは男ではない」
男はそう呟くと、再び書物へと目を移す。
鹿威しの乾いた音が、病弱な彼の背中を更に寂しげに彩っていた。
4
(11月28日 11:15)
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ―――
コンピュータのキーを打つ音が何重にもなって騒音を奏でるこの空間は、地下に建設された巨大な施設。
コンピュータの核となるゴツゴツした巨大な円柱の装置を中心に螺旋状に広がるいくつものコンピュータ。そしてその前に座りそれを操作するたくさんの人達。
コンピュータの稼働音と、人がキーを打つ音が何重にも重なり、ささやかな騒音となっている。
そんな中、一際大きなコンピュータを操っている男がいた。
その机だけ、仕切板がついており、その仕切板にいくつかのモニターが備え付けられ、特殊なキーボードも二つあった。それを二つの手で巧みに操作し、一つ一つそれぞれのモニターに表示される情報を認識していく。
「差水さん。情報の開示要求がきました」
螺旋状のコンピュータに不自由なく通えるために備えられた通路から、一人の男が彼に声をかけてくる。
「やっぱり来たか…」
男は手を止め、モニターから視線を外す。眼鏡を掛け、ジトっとした目で声をかけてきた男を見る。肩まである短髪に、癖のある前髪。彼は眼鏡の位置を指で調整すると、立ち上がる。差水と呼ばれたその男は、どこかの学生なのか、Yシャツにセーターを着込んでいた。
「どこに行かれるんですか?」
「ん? 僕の部屋だけど」
「情報の開示要求の方はどうしますか」
「ああ、適当にやっといて。情報の漏れが最小限に収まるように心がけてね」
「了解しました」
差水は眠い頭を掻いて、大きな口を開きあくびをする。
(それにしても僕らの所へ開示要求に来るとは中々考えがある奴だな)
差水は、コンピュータが大量に置かれた部屋を出て、自分の休憩室へと向かう。
(いや。でもここらじゃ最大の情報網はウチだから、妥当な考えか…)
差水は少しだけ考えを巡らせると、もうどうでもいいという結論に至ったのか、もう一度大きなあくびをした。
自分の休憩室に入ると、学校の保健室にありそうなパイプ足のベッドに寝転がり、少しの仮眠を取ることにした。
5
(11月28日 11:30)
『岸沼神社前』。ここのバス停は、南地区の中でも最も外れに位置する場所。よって娯楽施設などはなく、周りは山々で囲まれている。もちろんバス停に並んでいる人もおらず、鳥の鳴き声と木々の葉が擦れる音が異様に聞こえる寂しい所だった。
そのバス停、バスの時刻表が立っている所の根元に、不自然な一斗缶がポツンと置かれていた。日光をギラギラと反射するその金属の物体は、異様なオーラを放っていた。
『辺りに不振な人影とかはない。サッサと中身取っちまって、運び終わらせようぜ』
耳にはめた小型のスピーカーから、トランシーバーで発信された寺地の声が、塩中の耳を打った。
塩中はトランシーバーを持っていない。不自然に喋って付け狙う連中に気付かれないようにだ。よって塩中はどんな不満があってもただ黙って聞いていなければならない。
(受信を切るスイッチがついてないのが欠点ね…)
塩中は口の中でそんな事をボヤきながら、一斗缶の中身―――アンテナの部品(?)を取り出す。なにやら手のひらサイズの、細い円錐型の部品だった。金属の円錐には、螺旋状にいくつかの細い針金のような物が巻き付けられていた。ただそれがポツンと一斗缶の中に入っていた。
塩中は色々疑問を浮かべつつもそれを手に取り、予め持っていた小さいアタッシュケースに収める。
「ブツを受け取った。これから塩中は人通りの多い南地区の中央部へ向かい、そこからバスに乗り、東地区へと向かう」
寺地がトランシーバーに言葉を発す。それは、綾部に向けてのものだった。
『確認したお。監視カメラ良好。マイクも順調で小鳥のさえずりまでバッチリ聞こえますぜ旦那』
耳のスピーカーから綾部の可愛らしい声が聞こえてくる。寺地は応答しない。伝えるべき事は伝えた。後は不振な人物の影がないかくまなく監視してくれることを祈るばかりである。
「喜市。そっちには問題ないか?」
『こちら喜市。はい、特に変わった人物や変化はありません』
「さすがに開始時間に受け取り場所に張らないわな…。了解した。監視を続けてくれ。お前が活躍するのはどうやら終盤のようだ」
『了解しました』
ザッという一瞬の雑音と共に喜市の声が途絶える。
寺地と亜美は、木陰に隠れて塩中の背中が見えなくなるまでジッとしていた。
「これ、私に一番向いてない仕事だと思う」
「ま、お前が暴れない状況で終わるのが一番良いんだがな」
「…ッチ」
「そんなに暴れたいか」
「それが私だからさ」
「まるで暴れるタメに生まれてきたみたいな言い方だな」
「フン。案外、そうなのかもね」
そこで二人は、塩中の背が南地区中央部へ繋がる曲がり角を曲がったのを確認した。
「さ、行くぞ」
「…」
亜美は黙って寺地の背中を追う。付かず離れずの距離を保ちつつ、二人は塩中から目を離さない。それを後押しするようにヒュウウと風が吹いた。