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「ジェミれ、カス」  作者: ロータスシード


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第四章「ちょっと貸して」

翌日の放課後、由奈は教室に残った。

 凛は「明日」とだけ言った。時間も場所も言わなかった。由奈は一応、最後のホームルームが終わっても席を立たずにいた。正直、来ないかもしれないとも思っていた。「明日」が「また今度」と同じ意味だという可能性を、昨夜の布団の中で三回ほど検討した。

 でも凛は来た。

 クラスの人間がほとんど帰った頃、鞄を持ったまま凛が戻ってきた。由奈の机の前に立って、「スマホ」とだけ言った。

「え?」

「Gemini。今どうなってるの」

 由奈は慌ててスマホを出して、これまでに生成した画像を開いた。最初の一枚から、直近の一枚まで、黙ってスクロールして見せた。

 凛は立ったまま、画面を見ていた。何も言わなかった。由奈はその沈黙が「どう受け取られているのか」を読もうとして、読めなかった。

「小説、読んだ?」と凛が言った。

「え、冊子の? 自分で書いたから——」

「私が読んだかどうか」

 由奈は一瞬止まった。

「……読んでないと思う」

「送って」

 由奈は、言われるまま原稿のデータを送った。凛はその場で読み始めた。由奈は何も言えなくて、机の木目を見ていた。

 十分ほど経って、凛が顔を上げた。

「ちょっと貸して」

「え、スマホ?」

 凛は答えずに、由奈の手からスマホを取った。


 凛は由奈の隣の席に座って、Geminiの画面を開いた。

 由奈は横から見ていた。凛がプロンプトの入力欄に何かを打ち込み始めた。由奈が三日間使っていた言葉とは、明らかに密度が違った。

 なんか、長い。

 由奈はそう思った。長いというか、細かかった。由奈が「夜の海辺」と書いたところを、凛は「外洋に面した砂浜、人工光源のない漁村の外れ、月齢は三日月、潮が引いている」と書いていた。

 由奈が「普通の女の子」と書いたところを、凛は「中学の制服の着崩れ、片方だけほどけかけた靴紐、海風で乱れた髪、体重が右足に偏った立ち姿」と書いていた。

 そんなに書けるの。

「表情は?」と凛が、画面を見たまま言った。

「えっと……泣きそうなんだけど、泣いてない。泣くのを、こらえてるとかじゃなくて、泣くことすら思いつかない感じ」

 凛は一度止まって、由奈の顔を見た。それから画面に戻って、打ち込んだ。

 「虚焦点。涙腺に力が入っていない。感情が行き場を失って、ただ遠くを見ている目」

 由奈は黙った。

 それだ。

 声に出す前に、凛が送信した。


 画像が出てきた。

 由奈は画面を見た。

 三日間、何十回と生成して、そのたびに「なんか違う」と思い続けてきた。でも今、画面の中の女の子は——

 由奈の小説の中にいた。

 月明かりだけが落ちる砂浜。片方ほどけかけた靴紐。海風に乱れた髪。そして、泣いてもいないし、泣くのをこらえてもいない、ただ行き場のなくなった目。

 由奈は何も言えなかった。

 喉のあたりに何かが詰まっていて、言葉が出てこなかった。

「……すごい」

 やっとそれだけ言った。

 凛はスマホを由奈に返した。


「凛は」と由奈は言った。「絵が描けるから、プロンプトも上手いんだね」

 凛は何も言わなかった。

 由奈はもう少し考えてから、続けた。

「頭の中のイメージを言葉にする、っていうのが、私にはできなかった。凛はそれが最初からできてて——」

「最初からはできない」

 凛が遮った。

「え?」

「最初からできるやつなんかいない。描いて、描いて、描いて、何百枚も描いて、そのうちに頭の中のものが少しずつ手に乗ってくるだけ」

 由奈は黙って聞いていた。

「プロンプトも同じ。書いて、出して、違う、書いて、出して、違う、それを繰り返すうちに、言葉の精度が上がっていく。最初から思い通りに出るわけじゃない」

「じゃあ凛は、プロンプトの練習を——」

「してない」

 凛はそこで少し止まった。

「……絵を描いてきた。それだけ」

 由奈には、その意味がすぐにはわからなかった。


 凛は窓の方を見た。もう外は暗くなり始めていた。

「絵筆で描いても、液タブで描いても」と凛は言った。「やってることは変わらない。頭の中のものを、外に出す。ただそれだけのことで、道具が何かは関係ない」

「じゃあ、プロンプトも——」

「絵筆が言葉になっただけ」

 凛はそこで一瞬、自分で言った言葉に引っかかったような間を置いた。

 由奈には、その間の意味がわからなかった。

 でも凛は何も言わなかった。窓の外を見たまま、少し黙っていた。


「ありがとう」と由奈は言った。

 凛は「別に」と言った。

「教えてもらえると思ってなかった。また『ジェミれ、カス』って言われると思ってたから」

「ジェミったじゃん」

 由奈は思わず笑った。そうか、ジェミった。ちゃんとジェミった。

「でも上手くできなかった」

「だから言ったでしょ」と凛は立ち上がった。「最初からできるやつなんかいない」

 鞄を肩にかけて、凛は教室を出た。

 由奈は一人残って、スマホの画面をもう一度見た。

 砂浜に立つ女の子が、遠くを見ていた。

 凛は、あの間の時、何を思ったんだろう。

 わからなかった。でも何かが凛の中で起きた気がした。それが何かは、由奈には聞けなかったし、たぶん聞いても凛は答えなかっただろう。

 スマホをポケットにしまって、由奈は教室を出た。

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