第二章「ジェミる、とは」
放課後、由奈は村瀬ハルキに声をかけた。
ハルキはクラスの何でも屋みたいな男子で、誰とでも話せて、誰からも嫌われていなくて、その代わり特別に好かれてもいない、そういうタイプだった。由奈が話しかけても不自然ではない数少ない男子の一人だったので、半分だけ消去法で選んだ。
「ねえ、ジェミれって何?」
帰り支度をしていたハルキは、由奈の顔を見て一瞬だけきょとんとした。本当に一瞬だけ。
「え、知らないの?」
その言い方が、さらっとしていた。責めているわけじゃない。ただ純粋に、知らないことが意外だという顔だった。
「知らない」
「Geminiで画像つくるやつだよ。AIで。プロンプト打ち込んだら絵が出てくるの」
「……絵が、出てくる?」
「そう。文字で説明したら、それっぽい画像を作ってくれる。みんな使ってるじゃん」
みんな。
由奈は「みんな」という言葉を頭の中で一回転がした。みんな、というのは誰のことだろう。少なくとも由奈は使っていなかった。由奈の周りで使っている話を聞いたこともなかった。でもハルキは「みんな使ってる」と言った。ごく当然のことを言うように。
「じゃあ、凛——朝倉さんに絵を頼んだって言ったら、それを言われたってこと?」
「あー」とハルキは言った。「そういうことか。まあ、そうじゃない? 絵が欲しいならジェミればいいじゃん、みたいな。何で人に頼んだの、って感じ」
何で人に頼んだの。
由奈は「何で」の意味がわからなかった。困ったから頼んだ。それ以外に理由がいる?
「ジェミればよくない? 早いし、タダだし」
「……使い方、わかる?」
「ん、まあ、なんとなく。調べたらすぐ出てくるんじゃない? 知らんけど」
知らんけど、でハルキは鞄を肩にかけた。それ以上でも以下でもない、という顔だった。
「とりあえず試してみたら?」
そう言って、ハルキは「じゃあね」と手を振って行ってしまった。
帰りの電車の中で、由奈はスマホを開いた。
検索窓に「Gemini 画像生成」と打ち込む。
結果が、ずらっと出てきた。
——なんだ、あるじゃないか。
由奈は少し呆然としながら、画面をスクロールした。解説記事、使い方の動画、「Geminiで絵を描かせてみた」という個人ブログ。どれも普通に、当たり前のように存在していた。去年の記事も、一昨年の記事もあった。
つまりずっと前から、あった。
由奈が知らなかっただけで。
私はいつから普通じゃなくなってたんだろう。
その言葉が頭に浮かんで、由奈はすぐに打ち消した。大げさだ。ただ知らなかっただけだ。知らないことは別に恥ずかしくない。これから使えばいい。
そう思った。
そう思ったのに、なぜか電車の窓の外を見てしまった。
家に帰って、夕飯を食べて、風呂に入って、それからやっとスマホを開いた。
Geminiのアプリをダウンロードした。アカウントは持っていた。使ったことはなかった。
起動すると、チャット画面が出てきた。
由奈は少し考えてから、打ち込んだ。
「画像を生成してほしい」
Geminiが答えた。どんな画像か教えてほしい、と。
由奈は自分の小説のことを考えた。主人公は女の子で、夜の海辺に立っていて、遠くを見ている。そういうシーンが、一番好きだった。
「夜の海辺に立っている女の子。遠くを見ている。悲しそうな、でも前を向いているような表情」
送信した。
数秒後、画像が出てきた。
由奈は画面を見た。
きれいだった。構図も、色も、技術的には文句のつけようがなかった。夜の海も、女の子のシルエットも、ちゃんとそこにあった。
でも。
なんか、違う。
由奈が思い描いていた女の子は、もっと頼りなげで、もっと普通っぽくて、髪が少し乱れていて、靴が砂まみれで、そういう子だった。画面の中の女の子は、きれいすぎた。整いすぎていた。フリー素材の中にいそうな、記号みたいな「海辺の女の子」だった。
もう一度打ち込んだ。
「もっと普通の女の子にして。頼りなげで、髪が乱れていて」
また出てきた。
また、違った。
今度は逆に、わざとらしく「普通っぽく」演出された感じがした。コントラストが強くて、映画のポスターみたいだった。由奈が書いた小説には、そういう派手さがなかった。
もう一度。また違う。
もう一度。また違う。
これ、なんで違うのかを、どう説明すればいいんだろう。
由奈は自分でもわからなかった。違う、ということはわかる。でも何がどう違うのかを言葉にしようとすると、するりと逃げていく。
時計を見たら、一時間が経っていた。
布団の中で、由奈は天井を見た。
ハルキは「みんな使ってる」と言った。
みんな、これを使いこなしているんだろうか。みんな、こんなに「違う」画像が出てきても平気なんだろうか。それとも由奈のやり方が悪いだけで、ちゃんとやれば思い通りのものが出てくるんだろうか。
「ジェミれ、カス」。
言葉の意味はわかった。
でもジェミれば終わりじゃ、どうやらなかった。
由奈は目を閉じた。暗闇の中で、画面の中の「なんか違う女の子」が、ぼんやりと浮かんでは消えた。




