ゴミステーションの神様
古木健太郎は朝ごはんができるまで、ソファーで『世界の動物大図鑑』を読んでいた。彼の宝物のひとつで、九歳の誕生日に買ってもらったフルカラーの本だ。本の内容はほぼほぼ頭に入っている。それでも健太郎は暇を見つけてはながめている。
そんな彼の世界を破るように、母の太い声が聞こえた。
「健太郎~。健太郎~」
彼は図鑑から目を離さずに叫んだ。
「なに~?」
「悪いんだけどさあ、ゴミ捨ててきてくれない?」
「え~」
「今日お父さんいないし、これから二階の分もまとめなきゃいけないの! もう手が離せなくて!」
母は頼むようにきいているが、機嫌が悪いのは声からも明らかだった。
「忙しいのに~」
健太郎はぶつくさ言いながら玄関に向かった。
エプロン姿の母が三和土に下りて、ゴミ袋をひざで押しながら、その入口をしばっていた。土日と高槻の親戚が来たせいか、ゴミはたくさん出たみたいだ。
健太郎は自分の体くらいのゴミ袋を一つもって家を出た。朝ながらむんとした熱気と夏の甘い匂いを感じた。
彼が門を出ると、母がドアから顔だけ出して言った。
「そうそう。ゴミ捨てたら、きちんとネットかけてね。カラスが散らかしちゃうのよ。行けばわかるから」
家からゴミステーションまで三十メートルくらいだ。
学校で背の順に並ぶとき、健太郎は一年生のときからずっと先頭だ。ゴミ袋が地面にすれないように持ち上げるのも一苦労。彼は嵐に吹かれるようにふらふら歩いた。
ゴミステーションに着いた。浦安市と書かれたゴミ袋が奥から手前へときちんと並んでいる。健太郎もこれにならって、最後に黄色い網ネットをかけた。
健太郎は二往復した。やっと終わったと家に着くと、ドアの前にもう二袋出ていた。落ち葉だけのゴミ袋と、レシートや紙きれが見える小さいサイズのゴミ袋だった。
むっとした健太郎はドアから顔だけ入れて、
「まだあるの?」
「どちらも軽いから我慢してよ。それで終わりだから!」と母の背から出たような声が帰ってきた。
健太郎は「まったくもう……」と母の口ぐせをまねながら、ゴミステーションに向かった。
ところが、並べられたゴミの上に大柄なおじいさんが座っていた。水気のなさそうな乱れた白髪に、柔道着みたいなよれよれの長袖、長ズボン、そのうえに色のはげた半纏を着ている。片方の足をあぐらのように折り畳み、もう片方はだらんと前に伸ばしている。
おじいさんはどういうわけか、口をへの字に結んだまま健太郎をにらんでいる。一度も見たことない人だった。
「おはようございます」
健太郎は元気よくあいさつしたが、おじいさんはぶすっとしたままである。どうしたんだろう。健太郎は不思議がりながらも、さっきと同じように捨てようと一歩前に出た。すると、おじいさんが吐き捨てるように言った。
「なんぼ持ってくんねん!」
健太郎はびくっと跳ねた。彼の両親も学校の先生も、今にも襲いかかってきそうな剣幕では叱らない。彼は身に危険からぴたっと止まった。おじいさんはさっき彼が一生懸命運んできた大のゴミ袋を二つ、軽々と拾い上げ、健太郎の足元に投げた。
「これも! これも! パンパンやないかい! あかんがな。ゴミ袋は入れても八分までや。破れたりこぼれたりしたら、ゴミ処理の人、大変やろが。あと袋の入口はきちんと二重に結べ。それに一家庭、三つまでや! 学校で習わんかったか?」
健太郎は頭を振った。
「日本の教育、どないなってんねや」
おじいさんは半纏のポケットから新しいゴミ袋を出した。さっき健太郎が運んだ大のゴミ袋二つを、流れるような手つきで三つの袋に分けた。
健太郎はおじいさんの結び方をながめていたが、思い出したように、彼が手に持っていたゴミ袋の入口を、おじいさんと同じように結んだ。
「きちんとできるやないかい。なんでせえへんねん」
「知らなかったんです……。あ、教えてくれてありがとうございます」
健太郎はぺこりと頭を下げた。しかし、おじいさんは顔をしかめならが首筋をかいて、
「そんなきれいな言葉使われると、むしずが走るわい。ワシにとったら、わかっとるのか、わかっとらんのかのほうが大事やねん。せやからいつもの言葉でよろしい。ええな? それと家に帰ったらおとんとおかんにも言うとけや」
健太郎は親戚に話すみたいに人懐っこい感じで、
「うん、わかった。おじいさんは誰なの?」
「神様や」
「えっ?」
「わからんガキやなぁ。神様言うたやろがい」
「神様は、自分のことも神様って呼ぶの?」
健太郎がきくと、おじいさんはぷいっとそっぽを向いてしまった。
帰宅してすぐ、健太郎は母にゴミステーションの出来事を伝えた。
「誰に言われたの?」
さすがに神様と言うのはためらった。
「なんか変なおじいさん」
健太郎が神様の姿を伝えると、母は宙をながめながら、
「変ねえ……。そんな人、近所にいたかしら」
八月半ばを過ぎた。
母は健太郎にもゴミ捨てができるとわかったのか、しばしば頼むようになっていた。
健太郎がゴミステーションに行くと、やはり神様がゴミの上にどっかり座っていた。
「神様、おはよう」
「お前はたしか……」
「古木健太郎だよ」
「健太郎いうんか。今日は何を持ってきたんや?」
「燃えないゴミの日だから、燃えないゴミだよ」
「ちょっと見せてみぃ、ワシがチェックしたるわ」
健太郎はゴミ袋を差し出した。もえないゴミはあまり出なかったらしい。一袋だけで、四分の一も入っていなかった。
神様は健太郎の渡したゴミ袋をためつすがめつ眺めていたが、急に顔をしかめた。
「おい。健太郎。ライターもスプレーも、中身入っとるやろ! 爆発したら、どないするねん」
神様はぷりぷり文句を言いながら、ライターとスプレー缶の中身を空にした。
「神様、ごめん。僕、知らないことが多くて」
「なあに、知らんのは罪やないで。知ってるのに何もせんのが問題やねん。ゴミまとめとるんはおかんか?」
「そうだよ」
「きちんと言うとけ」
「うん。わかった」
健太郎が帰ろうと背を向けると、神様が意外なことを言った。
「お前、正晴の息子か?」
「まさはるはおじいちゃんだけど」
「そか。お前、あいつの孫か! 道理で似とるはずやわ。あのやろ、ワシが教えたったのに、きちんと子どもに伝えへんかったんか。それはあかんなぁ」
「神様。おじいちゃんのこと知ってるの?」
「知っとるも何も、あいつにゴミの捨て方教えたんはワシやないか」
健太郎は急いで帰宅し、目を輝かせながら母にきいた。
「お母さん。おじいちゃんにゴミについてききたいことあるの。電話してもいい?」
母は不審な目をしたが、
「おじいちゃん? 全部おばあちゃんがやってたから、ゴミのことなんてわからないと思うけど……。それでもいいの?」
「うん」
「わかった。久しぶりに声聞かせてあげて。おじいちゃん、忙しいだろうから、長電話しちゃだめよ」と母はポケットからスマホを取り出した。
健太郎はよく母のスマホで遊ぶ。むしろ健太郎のほうが詳しいくらいだ。
健太郎が電話をかけると、すぐ応答があった。祖父はいつもどおりゆったりした声で、
「ケン坊か。暑いけど元気しとるか?」
「うん。クーラーつけてるから平気だよ」
「そうか。夏休みの宿題は終わったんか?」
「まだだよ。自由研究のテーマがなかなか決まらないんだ。そんなことより、おじいちゃん! 僕、びっくりしたんだよ」
彼はさっそくゴミステーションの神様の話をした。
「おおっ! ケン坊も神様に会ったんか。乱暴な人やったろう?」
「うん。おじいちゃんよりすごい関西弁でね、怒鳴るようにしゃべるんだよ。えっと、姿はね、」
健太郎が伝えると、
「じいちゃんが子どものころに会った神様にそっくりや。なつかしな。元気しとったんやなあ。ケン坊、しっかりゴミの出し方、聞いとくんやで。あの人、口は悪いけど根はええ人やからな」と言った。
健太郎は、神様が文句を言っていた点は伝えないほうがいいと思った。
「それじゃあ、そろそろ切るわな。啓子にもよろしく言うといてな。あ、そうや。今度、神様に酢こんぶ持ってったり。きっとええこと起きるから」
ふたたび燃えるゴミの日になった。ゴミステーションに行くと神様がいた。
「健太郎か。お天道様みたいな顔色しとるやないか」
健太郎はポケットから酢こんぶを取り出して、神様に渡した。神様はあきれたように笑った。
「正晴の入れ知恵やろ?」
神様は酢こんぶをしゃぶりながら、
「健太郎。こっちに来い。ええもん見せたるわ」
彼が近くに寄ると、神様は健太郎のおでこに人差し指をつけた。神様の指は太くてざらざらしていた。
すると、不思議なことが起こった。神様の指がぴりぴり温かくなったと思ったとたん、健太郎の頭に、数々の映像が流れ込んできたのだ。
ビニール袋をクラゲと間違えて食べて苦しむアオウミガメ。
廃棄された漁網にからまり、もがきながらおぼれ死んだウミスズメ。
解剖された体の中から大量のペットボトルが出てきたシロナガスクジラ。
健太郎にとって、人間の出したゴミが海洋生物をいじめている光景は見るにたえがたいものだった。
「神様……。これって」
「ポイ捨てするアホがぎょうさんおってな。学校で習ったやろ? 陸から出たゴミは、風に運ばれ、川に流され、最後には海に行き着くのや。特に問題はプラスティックごみでな、そのほとんどはきちんと処理されてへん。だから今、健太郎が見た事態が起きてしまうわけやな。『混ぜればゴミ、分ければ資源』言うてな、ゴミもきちんと分別せなあかんのや」
ショックだった。帰宅していつものように動物図鑑を見ても頭に入ってこなかった。ご飯も喉を通らなかった。
昼ごはんになり、父と母はようやく健太郎の様子がおかしいと気づいたらしい。
二人にたずねられて、健太郎はゴミステーションで神様に会ったと正直に伝えた。父も母も反応に困った顔をしている。
「本当だよ! プラスティックごみのせいで動物が苦しんでるんだ。ゴミは分別すれば資源として使えるのに、それすらしない人間が多いんだって」
健太郎が訴えると、父は落ち着くようにうながして、
「インターネットの見過ぎじゃないか? 健太郎がどのサイト見たかわからないが、書いてあることが正しいとは限らないんだぞ? どんな人が書いているかわからないんだからさ」
「まったくもう……。お父さんの言うとおりよ。ずっと図鑑見てるんじゃなくて、たまには外で遊びなさい。体大きくならないわよ」
夏休み最終日になった。健太郎がゴミステーションに行くと、神様がいつものようにゴミの上に座っていた。
「健太郎か。今日も元気やな。きちんと宿題終わったか?」
「神様。僕の自由研究ね、プラスティックごみ問題の研究にしたんだよ」
「ほお。難しいことやっとるんなあ」
「神様に教えてもらってから、じっくり調べてみたんだ。そしたら本当にひどいんだ! 僕、頭に来ちゃって、『地球にいる動物たちに幸せに暮らしてほしいです。身の回りのこと、自分のできることから、みんなでやっていくべきです!』って書いたんだよ。そしたら、お父さんもお母さんも、もっとやわらかい言葉で書きなさいって言ったんだ」
「なるほどなあ。ほいでお前はどうしたんや?」
「もちろん書き直さなかったよ。書き直しても、僕の考えは変わらないもの。『正しいと思うことだから書き直さない』って言ったらね、お父さんはお母さんのせいって言って、お母さんはお父さんのせいって言って、けんかしてたよ」
健太郎が言うと、神様は
「わははは」と腹を抱えて高く笑った。
「ゴミを分別するのはルールやから、としか考えてへん大人だらけのなか、小さいお前はちゃーんと自分で考え、答え出したんやな。しかし、健太郎。これだけは忘れたらあかんで?」
神様はそう言ってから、健太郎の胸のあたりを指差した。
「答えはいつもお前の良心の中にある。ワシが教えられるのはここまでや。あとは健太郎……。お前がどう行動するかだ」
「うん。わかった。自由研究の発表の時間に、みんなでゴミを減らして動物を守りましょう、って言うつもりだよ」
「期待してるで。がんばりぃ」
健太郎の自由研究の発表は大成功だった。クラスメイトは健太郎の集めた資料を見て、驚きの声を上げた。山岸先生は「古木くん。よく調べたね」とほめてくれた。
後日、学校から母に連絡があったそうだ。健太郎の発表を聞いた子どもたちが家でもゴミの分別を手伝うようになったらしい。おかげで母のゴミの捨て方も変わり、健太郎はほっとしている。
あんなに自由研究の反対していた父も母も、近所の人や親戚に得意げに健太郎の話をする。彼はそれが少しだけ恥ずかしい。
あの日以来、健太郎は何度もゴミステーションに向かった。しかし、神様が彼の前に現れることはなかった。




