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第8章_諸々ぜんぶカレーに溶かして

宗谷くんは、いつも通り朝食を受け取り、すぐ出ていった。

今日もおにぎりだけ。

忙しい日は、テイクアウトにしたいと言われたのだ。

最近はこんな日が多い。


§


——テレビ局、出演者控室。

スタジオの声が漏れる小部屋で、田中マネは黒いリュックを開いた。

午後のマイクテストに呼ばれ、NØRTHメンバーは皆いない。


宗谷が練習生の時から、専属マネージャーを希望していた。

守るために。

だから、宗谷の荷物の中身も、定期的に確認している。


中から紙袋を取り出す。

……何か入ってる。

嫌な予感がして、そっとのぞき込んだ。


おにぎり2個。

一度開いて戻したのか、食べていないのにラップが少し浮いている。

……時間がなかった?

いや、休憩はそれなりにあったはずだ。


手の中のおにぎりは、つめたい。

宗谷は、今日は朝食が多かったからと、昼に出されたロケ弁も食べなかった。

田中マネはおにぎりを鼻に近づけ、嗅いだ後、ふいに口を開いた。


一口。

塩がちょうどいい、普通に美味しい。

……でも、これって宗谷の朝ごはんじゃないの?


危惧していたとおり、夕方の女性誌の取材で、宗谷はミスを連発した。

記者の質問の意図を取り違え、肝心なところで間が伸びる。

顔色も良くない。

それでも、休もうとしない。


「何か食べる?」

「……いい」


硬く、短い返事。

こんな時は何を言っても無駄だと知っている。

田中マネは知らない素振りで、なんとかスケジュールを乗り切った。


夜、宗谷を一人暮らしの部屋に送り届けると、やはり無理をしていたのか直ぐにソファに突っ伏して寝てしまった。

眠るというより、失神。


田中マネは、姉の顔で宗谷の横顔をなぜた。

体温が低い、やっぱりまだ風邪を引きずっている。


毛布を取りに寝室へ向かうと、枕元に、スナックパンの空き袋を目にした。

思わず顔が険しくなる。

意を決して、重い足取りでキッチンに向かった。


……なにか食べさせないと、あれじゃもたない。

また身体を壊して現場に穴が開く。

本当は、料理はあまり得意じゃない。

でも今は緊急事態だ。


冷蔵庫を開けると、ごろごろと丸いものが転がっていた。

乾燥して、固くなったいくつもの米の塊。

おそらく昨日の、一昨日の、そのまた別の日の……おにぎり、だ。


……残すのに、わざわざ取りに行ってるの?

田中マネは、流しに手をついて深く息を吐いた。


——一体これは、あの子の何なのよ。


答えは、もう分かっている。


§


宗谷くんは、いつも通りおにぎりを受け取り「行ってきます」と言って出ていった。。

入れ違いでインターホンが鳴る。

マネージャーさんだ。


「宗谷くんなら、今出て行きましたよ」

「ええ、知ってるわ」

靴を脱ぎながら、言う。

「今日は、あなたに用があるの」

……?


リビングに入ると、マネージャーの田中さんはソファに座った。

宗谷くんが女装したら、こんな感じの美女。

静かで鋭い目線、モデルのような完成美。


いつも宗谷がお世話になっているから、改めてご挨拶を…

という内容から始まって、私の経歴を細かく聞かれた。

でも、事前に調べてあったようで、うんうんと頷くばかり。

その後も、雑談のような、世間話のような会話が続いた。


——何か、別の要件が?


なんだか落ち着かない。

「あ、何か飲みますか?」

私は、キッチンへ逃げた。

温かいほうじ茶を淹れよう、冷え込んだ空気でお腹が痛い。

そういえば、深夜のフライドチキンと黒ウーロン茶、あれは秘密だな……


「宗谷くん、結構くいしん坊ですよね」

口元が笑ってしまう。


そのとき、マネさんの仕事の顔がはがれた。

宗谷くんの、姉の顔。


「昔からね」

田中さんは一口飲むと、さらりと話し始めた。

「仕事のストレスが強くなると、あの子は食べられなくなるの」


胸が、どくんと鳴る。

「でも、ここのは普通に食べるでしょ」


……何も言えない。

確かに、宗谷くんは毎朝来ている。

ちゃんと、おにぎりを持ち帰る。

でも、そういえば最近……

「美味しかった」の感想がない。


「だから、私も油断してたの」

田中マネさんは視線を落とす。


「……昔からそうなのよ」

そこで何か喉につまったように、声を切った。

お茶を口に含み、しばらくして、ようやく声を絞り出す。


「あの子、食べることに関して…ちょっと……ね」


「あの……!」

私は立ち上がり、手で制した。

「無理に話さなくても…」


田中マネさんはきつく目を閉じ、首をふった。

「いいの、あなた知っておいた方がいいわ。

 宗谷の食事の課題を、共有させて」

見ると、膝に置いた手は固く結ばれ、関節が白く浮き出ている。


「……小さいころ、テストの点とかで母親を怒らすと、ご飯が出ない日があって。

 あの子、あんまり食べることが得意じゃないのよ」


「あの……」

喉が、ひりつく。

「宗谷くん、おにぎり残してます?」

田中マネさんが、すまなさそうに、こくりと頷く。


……そんな。

今日のネギ味噌と味付け玉子。

昨日は、おかかに明太高菜。

その前は……五目飯にケチャップライス、だった。

あれ全部、食べなかったんだ……


驚きと、気付かなかった自分への失望。

いろんな感情が頭をめぐり、息が詰まった。


ふと、目線が時計に引き寄せられる。

まだ昼前、充分間に合う。

チャンスは……ある。


「1時間、ううん、30分もらえますか」

理由は言わなかった。

田中マネさんは、少し考えてから静かに頷いた。


キッチンに立ち、エプロンの紐を締める。

今日は加圧調理器に頼ろう。

切る、というより鍋に材料を放り込む。

——溶かす。

綺麗な形なんて必要ない。

栄養を、全部溶かして封じ込める。


加圧時間10分。

圧力が抜けたのを確認してから蓋を開けると、具はほとんどルーと一緒になっていた。

スプーンですくうと、とろりとした一口。

鶏肉の繊維は、食感が残る程度に潰す。


耐熱袋で小分けにして、保温バッグに包んで差し出した。

すぐ食べられるよう、スープジャーにも入れておく。

思ったより、軽やかな声が出た。


「応援してます!」


マネさんが、顔を上げる。

「完食しなくていいです。一口でも、食べられたらそれでいいです。

 それと……良かったらマネジャーさんも召し上がってください。

 カレーの香りが、元気にしてくれますから!」


しばらくの沈黙。

「……っ」

次の瞬間、田中マネさんが吹き出した。

「ぷっ……」


え?

何か変なこと言った?


「あなた」

保温バッグを受け取り、こちらを見る。

「宗谷のファンでしょ」


「えっ……!」

声が裏返る。

「あの、その……」


「いいのよ」

遮るように、でも柔らかく。

「宗谷、ここ気に入ってるみたいだし」

それから視線が鋭くなる。

「……でも、立場はわきまえてね」


——胸の奥が、きゅっとなる。

……クギ刺されてるじゃん。

目の前の女性は、マネージャーの顔に戻るとそれ以上何も言わず、玄関へ向かった。

ゆっくりドアが閉まり、部屋に静けさが戻った。


キッチンに戻る。

床に座り込み、両膝を胸に抱く。

宗谷くんの食事が苦手な理由。

拒まれて、待つしかなかった子供の時間。


……こんなに踏み込んでよかったんだろうか。


頭に浮かぶのはマネージャーさんの言葉。

「立場はわきまえてね」


……無理だ。

蓋をしていた気持ちがあふれ、胸がじわっと熱くなる。

怖い。

私は、ただの宗谷くんのメシ担当なのに。

これ以上、何も望んじゃいけないのに。


一口でも食べてくれたらいい。

それだけを思って、作った。


——私は、どうしたい?


立ち上がり、シンクに寄り掛かって鍋を洗いながら、ゆっくり息を吐いた。

焦げ落とし用のたわしで、何度もなべ底を磨く。


あの日のライブ、遠くから見た宗谷くん……。

セットリストの違いに気付いても、話す相手のいない寂しさ。

得たものは大きい。

でも、失ったものも沢山ある。


……遠いな。


鍋は、買った時のような光沢に戻っていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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